コラム/若者と希望

「すっきりする」が持つ罪悪

選択的夫婦別姓をめぐる「感情論」

大学院生 小泉 ふゆ

「子供ができたのだったら、籍を入れた方がすっきりいくよ」。先日、芸能人の事実婚と妊娠が同時に発表されると、大手ニュースサイトのコメント欄の内容はおよそ以下の3つに分けられそうであった。①喜ばしい、②籍も入れずに妊娠させるなんて責任感がない、③事実婚は勝手だがシステム上の不都合をどのように対処するつもりなのか。

本人たちが発表した内容には「ふたりの間に子どもがいる生活を想像するようになり・・・」と書いてあるにもかかわらず、女性が妊娠「させられる」事態しか想定されていないことにも驚くが、中でも、最もわたしの心をざらっとさせたのは、このコメントだ。「すっきりいくよ」。おそらく本人は悪意もなく、婚姻関係になければ多くの手続きが煩雑になるため入籍を勧めたのだろう。しかし、なぜ「すっきり」させなければ、パートナーと子どもを生み育てることができない(と思われている)社会なのだろうか。

数年前、結婚してからありとあらゆる改姓および旧姓併記の手続きに追われ、そのたびに文句を言っているわたしに、父は解せないというようにこう言った。「そんな中途半端なことしてないで、全部変えたらいいじゃない。すっきりするんだから」。

——すっきりする。だからあのコメントを読んでこんなに心が乱されたのか、と思い当たった。しかしこの言葉に詰まった、なんとも「すっきり」しないものはなんなのだろうか。

*  *  *

先日、同世代の男性に名刺を渡す機会があった。わたしの名刺は、夫の姓と旧姓が併記されている。これはひとえに、仕事上では税制等の手続きがあるために結婚後の姓を名乗らなければ不都合なことが多く、一方で研究に関しては旧姓でスタートしてしまったために旧姓を名乗り続けているというアンビバレントな事情のためである。

その男性に、「実は僕も最近結婚して妻の姓になったんです。」と声をかけてもらった。「仕事は旧姓のままで続けるし、別に自分の名字にそこまで思い入れもないと思ってたんですけど。自分の名前がこの世からなくなるんだと思ったら、結婚前夜に、僕、怖くなってしまって。でも妻に言ったらきっと傷つけるだろうと思って。だけど思わず言ってしまったら、じゃあわたしを同じ目に遭わせるの? と言われて。」と語ってくれた。

わたしは思わず握手してしまいそうだった。それは、姓を変えるとき、わたしが持った感情ととてもよく似たものだった。この男性の語りはとても重要であろう。なぜなら女性がそうした感情を吐露したところで世の男性たちにこう言われて片づけられるからだ。「それってただの感情論だろ」と。

わたしもそうだった。夫がちょうどフリーランスとなるタイミングだった。まだ見ぬフリーランスの世界で、彼は名字の変更などの変化がキャリアをどう左右するか読みきれないと思っていたし、わたし自身、事実婚の手続きをするような強いポリシーを持って行動するほど、別姓に対するこだわりはないと考えていた。夫が長男だったこともあり、結局、仕方ないことなのだから、と、わたしが姓を変えたわけだが、そのときの喪失感は想像以上に大きいものだった。

この世界から自分の名前が消えるのだ。努力して勉強して、留学したわたしも、国家資格をとったわたしも、この世から「正式に」消えるのだ。同性の友人はこのように語っていた。「改姓の手続きをするたびに、自分の手で自分の名前を社会的に抹消しているような気持ちになった」。「千と千尋の神隠し」で千尋が湯婆婆に名前を奪われるシーンがある。あんな感じだ。わたしの名前は宙に浮き、そして霧散した。夫の友人にその喪失感について語ったとき、半笑いで言われた。「それって結局感情論でしょ」。

ちなみに、旧姓の通称使用で十分だ、という人たちもいるが、個人的には税制等すべての手続きが通称でできるような社会状況になってからそういうことを言え、と思っている。通称で通用するのはおそらく一つの会社で働き続けるケースやすでにある程度地位が確立された人だけであって、それでもなお、書類上の名義のあれこれに振り回されていることもある。

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もうひとつ、わたしが気になっているのは、(些末な問題だと言われるかもしれないが)ありとあらゆる名義変更の手続きにかかる手数料である。

たとえば、わたしが持つ国家資格の場合には、登録事項変更届・書換え交付に手数料が5,900円かかる。さらに、書換えの際に旧姓併記を希望する場合には、戸籍謄本、または旧姓が併記された住民票もしくは身分証のコピーが必要となる。住民票等の旧姓併記にはどちらにせよ戸籍謄本が必要なので、500円程度を役所で支払うこととなる。パスポートも同様に、氏名・本籍が変更となった場合には、東京都では申請時に提示した有効パスポートと残存有効期間が同一の新たなパスポート「残存有効期間同一旅券」に申請料が6,000円かかる。もしくは新規交付の手続きが必要である。10年用で16,000円、5年用で11,000円の手数料を支払う。

もちろん、手数料は手続きに「お手数かけている」から必要だというのはわかる。各種手続きをしてくれる人たちの労働の対価としての理解もできる。しかし、日本では、個人の自由で住む場所を変えられるが、住所変更にかかる手数料は、多くの場合には無料である。一方、氏名はどうだろうか。現在の法制度では、婚姻をする場合にどちらかが姓を変えなければならない。つまり、法が氏名変更を強制しているにも関わらず、手続きには高額(と言っていいだろう)な手数料がかかっている。

さらに、平日働いていれば、手続きをするにもわざわざ半休などをとらなければいけない。その分、有給が消化され、非正規雇用なら純粋に時間給や日給の損失が発生している。ここまでに、「申請料」「手数料」として目に見える形で支払われた金額以外にも、どれだけのコストが支払われてきたのだろうか。国に強制されているのに、国が金額を負担してくれるわけでもないのに、一体わたしたちはなんのために金を支払ってきたのだろうか。

ちなみに、わたしが所有する国家資格は、所有者の約8割が男性であり、そして多くの男性がこの手続きに関する手数料を支払うことはないだろう。氏名変更をしていたとき、わたしは手数料を支払いながらこう思った。

「この手数料は罰金にちがいない。女のくせに、社会的な地位を得ようとして、結婚したのに家庭にも入ろうとせず、まだ働こうとしている女に対しての罰金だ」。そして、女性がこの資格をとって結婚後も働くなんて、制度をつくった人たちは想像すらしていなかったのではないか、とも。これらはすべて、わたしがマリッジブルーをこじらせるあまり、抱いてしまった被害妄想なのだろうか。しかし、現実はこのわたしの「被害妄想」とあながち大きく違わないのではないか、といまも思っている。

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「わたしは名字を変えたい」「変えてよかった」という人たちは多い。それを否定するつもりはまったくない。好きな人の名字になるという喜びも理解しているし、わたしも少なからず憧れていたのだ。まして性被害を経験し、本名を大っぴらにして生きていくことに抵抗があったわたしのような人間には、姓の変更がこの世界で安心して暮らすためのある種のシェルターのように思えることもあるだろう。

しかし、こんな痛みがある行為だとは思っていなかった。なんとなく飲み込んでしまい、その後ありとあらゆる改姓の手続きを踏むたびに蘇るタイプの痛みであった。わたしにとって、結婚に伴う改姓はまったく「すっきり」しない行為だったのだ。

今回、事実婚と妊娠を発表した芸能人に関しては、なぜ事実婚を選んだかは語られていないし、そもそも語る必要はない。しかし、もしもそれが姓の変更といった制度に関わることが原因なのだとすれば——。選択的夫婦別姓に関するニュースには、「名字をいっしょにするのすら嫌なのであれば、結婚しなければいい」というコメントが散見される。それにも関わらず事実婚を選択して妊娠すると「結婚もしないのに妊娠するなんて無責任だ」と言われるということだ。ましてや、姓が変わることが一種のイニシエーションのようにも考えられている。「名字を変えるのも嫌だという人が、結婚生活を長く続けていくのは難しいだろう」というように。

——すっきりする。これはつまり、結婚する二人のうちの一人を必ず、既存のシステムに従い、アイデンティティの喪失を結婚のイニシエーションとして受け入れなければ、受けられるはずの権利が享受できない、本来できるはずのことができない、という意味だ。たとえその決断が当人に対して耐え難い痛みだとしても。わたしのように、その場ではなんとなく飲み込んでしまっても、結局のところあまり納得できていない、改姓による喪失感がある、という人は実は多いのではないだろうか。

どれだけ多くの人が、それを「ただの感情論」として心にしまい、黙らされてきたのだろう。この「消極的反対」をないことにしたまま、「すっきりするから」と法律婚を勧めるその勝手さや想像力のなさ。彼らを「すっきり」させてどうする。わたしたちが「すっきり」しなければいけない必要性が、なぜ、いったい、どこにあるのだろう。

こいずみ・ふゆ

1991年生まれ。留学や地方移住を経て、現在は社会人大学院生として社会工学系の研究を行う。

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