コラム/発信

辺野古新基地「代執行」がもたらすもの

作家 崎浜 慎

新年はおめでたい?

新しい年を迎えるにあたり、ある時期から「明けましておめでとう」という挨拶が素直に口をついて出ない。その理由は判然たるものだが、ここ沖縄では辺野古新基地建設をめぐる状況が年末年始に目まぐるしく展開するからである。

始まりは、2013年12月。当時の仲井眞弘多知事が安倍晋三首相と会談し、名護市辺野古の新基地建設に関わる埋め立てを承認する旨を伝えた。仲井眞は普天間基地の県外移設の公約を反故にしたことには言及せず、本人としては沖縄振興予算について毎年3000億円台確保の言質を引き出したことに満足し、「いい正月を迎えられる」と感慨深い様子でコメントした。県民の強い批判を浴びた仲井眞は、翌年の知事選で翁長雄志に大敗している。

また、2016年12月に米軍のオスプレイが名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部の浅瀬に墜落し大破した。寒々とした灰色の海に浮かぶ機体の無残な姿がテレビの映像を通して印象に残っている。

それだけではない。沖縄防衛局職員は、年末や人目につかない早朝の時間帯をねらって基地建設関係の申請書等を官公庁に提出するのが常套になっている。建設現場への抗議活動を抑えるためのフェンス設置なども暗闇に乗じてである。今回の「代執行」もまた官公庁が仕事納めに入る12月28日であった。

1996年12月のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意によって普天間基地の返還が決まって以降も、沖縄に住む私たちは常に国によって翻弄されてきたのだとあらためて思う。

「代執行」のインパクト

辺野古新基地建設で軟弱地盤が指摘される大浦湾側の埋め立て改良工事について、沖縄防衛局の設計変更申請を沖縄県はこれまで認めてこなかった。県は、この埋め立てによる生態系への悪影響、水深90mに達する軟弱地盤工事の技術面の問題などから埋め立てを中止すべきであると早い段階から指摘している。この不承認を国は最高裁に訴え、県は敗訴した。それでも従わない県を国は「代執行」を要求して高裁に訴える。

その訴訟の判決が出たのが2023年12月20日。県の敗訴が確定し、12月28日に政府による代執行が例によって「粛々と」おこなわれた。沖縄防衛局の設計変更申請は国土交通相によって承認されたのである。地方自治法による代執行は全国初の事例となる。これにより政府は新基地建設を一層加速させるだろう。しかし、防衛省によると完成から米軍への引き渡しまで最短で12年はかかるという。さらに建設費用は当初の額から大幅に膨らみ、9300億円と見通しを示している。

では、判決を沖縄県民はどう受け止めたのか。「国が代執行した28日午前、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前では雨の中、新基地建設に反対する市民が抗議の声を上げた。「代執行、不条理に抗う」「我々はあきらめない」などのプラカードを掲げ、「知事とともに闘い続けるぞ」とシュプレヒコールした」「マイクを握ったヘリ基地反対協の共同代表は「厳しい局面に立たされているが、ここが踏ん張りどころ。政府の圧力に屈しない」と強調した」(『沖縄タイムス』2023年12月29日)。

市民たちの憤りはもちろんのことだが、大事なことは、この裁判の結果に一喜一憂せず、この闘いの本来の目的をあらためて確認し、粘り強く声を上げ続けることであるという決意が紙面から伝わってくる。

また沖縄戦の遺骨収集を精力的につづける「ガマフヤー」の具志堅隆松さんは、大浦湾での埋め立て工事が始まった1月10日から12日にかけて、沖縄県庁前でハンガーストライキを行った。辺野古新基地建設に使用される土砂に戦没者の遺骨が混じるおそれもあることへの抗議である。具志堅さんは代執行により基地建設が加速化するという諦めの声に対して、「まだ打つ手がある」ことを示すためにハンストを決行したという(『沖縄タイムス』2024年1月10日)。その行動とことばはどれだけ私たちを勇気づけることか。

長年にわたり闘争をつづけてきた市民たちはあきらめてはいない。裁判に負けても次の闘いを見据えて早速、行動を起こしている。その姿勢に、27年にわたる米国統治以降、連綿とした沖縄の「抵抗」の精神を見ることができる。

代執行訴訟は単に国と県との係争ではない。米軍基地の存在によって、沖縄で暮らす私たちの生存がますます危険にさらされているいま、生きる権利を守るために一人一人がそれぞれの持ち場で声を上げることが求められている。個としての私たちに残された手段はそれぐらいしかないとしても、それこそが肝要なのである。

ところで、この裁判の結果からは、日本の政治・社会についてさまざまな側面が見えてくる。

玉城デニー知事は辺野古新基地建設について政府に「対話」を求めるよう何度も要請してきた。しかし就任以来それがかなったことは一度もない。これは薄々わかっていたことだが、この国に民主主義は根付いてなどいないのだということ、私たちの社会がここまで未成熟だということをまざまざと実感する。共生社会を作る上で基本であるはずの「対話」能力を欠いている為政者がこの国を動かしているのだということ。それが虚無感をともなって、市民特に若者たちの政治離れにつながっているような気がしてならない。

さらに、この裁判の争点となった「公益」について、国と県の主張が真向から対立した。沖縄に住む私たちからすると無念なことだが、政府の主張する「公益」にもとから沖縄は含まれていないのだということが明らかになった。経済発展のために安全保障を米国に依存し、結果として沖縄を犠牲にすることによって成り立ってきたのが戦後の日本社会だったことを考えると、沖縄の米軍基地負担を軽減してほしいという訴えは至極まっとうなものであるはずなのに、それは最初から顧慮されることもなかったのだ。

「自治」が損なわれるということ

12月26日付の『沖縄タイムス』の社説では代執行の強行を「パンドラの箱があいた」と表現している。それは米国統治下の強制土地接収を思い起こさせるという。こうした横暴な振る舞いが沖縄の大多数の住民たちが関わることになる「島ぐるみ闘争」を引き起こしたことを考えるなら、今後、沖縄と政府の闘いは一段と激しさを増していき次の「島ぐるみ闘争」がいつ起きてもおかしくない。しかし、パンドラの箱を開けたことによる災厄は実のところ日本社会全体がこうむるものでもある。

まず、代執行により国が地方の自治権を奪ったことは看過できない問題である。これは2000年の改正地方自治法でうたわれている「国と地方は対等・協力の関係」という主旨に反する。今回の判決は国と地方は実は対等ではないということを露呈した。今後、国が望むことは恣意的にできるのだという前例をつくってしまったことは大きな禍根を残すだろう。政府がこうまで高圧的な態度をとることができるのは、沖縄の米軍基地問題に対する日本国民の無関心が背景にあるからだ。今回、沖縄県外から強い反対の声が起きなかったことは、自分たちの社会に返ってくるだろう。傍観者の立場から政府に加担することにより、日本国民は「自治」が開く未来の可能性を閉ざしてしまったのかもしれない。

沖縄の経験を活かす

しかし、沖縄の状況に関心を持っている人は、決して悲観的になることはないだろう。

こう考えたい。今回の代執行は、司法に訴えでもしないかぎり立ち行かない政府の状況を示していはしないか。たしかに裁判では勝ったが、「沖縄」という「点」だけで日本全体の安全保障を支えるという国策のもろさが露呈した。安全保障上の要となっている沖縄を国家は最後まで手放さないだろう。というより、手放すことができない。だからあらゆる手段を使ってでも沖縄を懐柔しようとするのは間違いない。

しかし、小さな沖縄という「点」こそ「支点」であり、それを「てこ」の原理のように支えにして、安全保障政策のありかたを覆すことができるのではないか。沖縄は常にそのような潜在的能力を持ってきたと思う。その意味で、裁判の結果に一喜一憂せず粘り強く闘う市民たちの姿勢は決定的に正しい。米国統治下の土地強制接収に対抗する形で「島ぐるみ闘争」が生起したことを考えるなら、国の強権的な振る舞いは沖縄での新たな抵抗の形を生み出すだろう。それは歴史の必然性だともいえる。

安全保障上の負担は他の地域にも急速に拡大している。九州南部から奄美大島をも含む南西諸島への自衛隊ミサイル部隊の配備もいつの間にか進んでいる。歪な構造は安全保障だけではない。たとえば原発政策もそうである。地方への負担押し付けによるさまざまな矛盾が噴出して、政治・社会はいまや混迷を深めている。もはやそのような社会・経済構造には限界があると言うべきだろう。

自治を実践に移していくうえで、「弱者」であることは強みにも転じ得る。私たちは何らかの点で一人ひとりが「マイノリティ」なのだから、あらゆる弱者の視点に立った社会構築こそが私たちに求められるものであり、目指すものではないだろうか。沖縄の経験こそが日本社会のありかたを変える契機になると信じたい。

さきはま・しん

作家。1976年沖縄市生まれ。著書に「梵字碑にザリガニ」、共著に「沖縄を求めて沖縄を生きる」「なぜ書くか、何を書くか―沖縄文学は何を表現してきたか」。ブログ「ことばの形」

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