特集 ●混迷する時代への視座

戦後の戦争と平和に関する国際法秩序

ロシアによるウクライナ武力侵攻と人権尊重と平和主義を考える
視座について

弁護士 丹羽 雅雄

第1.戦争の違法化から「武力の行使と武力による威嚇」の禁止へ

1.20世紀前の戦争と紛争の平和的解決
(1)17~18世紀の欧州における国際法の形成

この時期において今日の国際法の原型が形成された。戦争には、正しい戦争と不正な戦争があり、正当な根拠をもち正当な主体がおこなう戦争は、国際紛争を解決し、法を実現する手段とされた(正戦論)。

国際法の最大の存在理由は、国家間の争いを防止し争いの暴力化を回避すること、武力紛争が始まった場合には、その武力紛争を一定の枠内に封じ込めて終結の枠組を提供し、回復された平和の恒常化をはかることにあった。

(2)19~20世紀初頭の欧州における支配的な国際法秩序観

軍事思想家であるクラウゼヴィッツは、1832年刊行の「戦争論」において、「戦争は他の手段をもってする政治(政策)の遂行である」と述べ、外交だけでは国家間の紛争を防止し解決できなかった場合には、国家の指導者は、国家政策の一環として戦争を遂行すべきものとされていた。

1907年の開戦に関する条約第1条は、戦争の開始にあたっては、理由を記した開戦宣言又は条件付開戦宣言を含んだ最後通牒の形式をとった明瞭且つ事前の通告をしなければならないとしている(大日本帝国は中国侵略戦争を「事変」と呼び、ロシアはウクライナへの武力侵攻を「特別軍事作戦」であるとして、いずれも戦争概念を回避している。)。

2.第1次世界大戦(1914~1918年)と戦後の国際法秩序

(1)第1次世界大戦は、軍事科学技術の発展と社会の大衆化などにより、全国民をまきこむ総力戦となった。戦車、毒ガス、航空機など武器の高性能化により戦争の被害は劇的に増大した。第1次世界大戦がもたらした甚大な生命の侵奪などの被害実態は、戦争がもはや国家の政策として遂行するものではないとの考えが広まり、戦争そのものの違法化へと発展されることになる。

(2)第1次世界大戦の戦後国際法秩序の要として構想された国際連盟は、包括的な国際紛争解決手続きとその担保手段を規定した。そして、戦争は国際連盟全体の国際関心事項とされた(連盟規約11条)。

連盟国間に国交断絶に至るおそれのある紛争が生じた場合には、国際裁判または連盟理事会の審査に付して処理すべきことを加盟国に義務付け、手続中の一定期間さらに判決や勧告に従う国に対して戦争に訴えることを禁じ(12~15条)、これに違反した国への制裁(16条)を規定した。

国際連盟は、史上初の集団安全保障体制といわれている。しかし、国家への制裁のメカニズムという点において様々な弱点を有していた。国際連盟創設の最大の推進役であったウィルソン大統領指導下の米国が、連盟規約を含むベルサイユ条約の批准を拒否したこと、敗戦国ドイツと社会主義国ソ連は、1920~1930年代まで参加が認められず、米・ソ・独という大国の参加を欠いた国際連盟は、戦争の防止を目指す国際法秩序を支える実行力を欠いていた。また、国際連盟の理事会は、決定につき全会一致制であり、平和維持のために機動的な措置をとることは困難であった。

(3)1920年代には、欧米の国際法論者による活動の結果、1928年に「戦争放棄に関する条約(不戦条約)」が署名された。

不戦条約の第1条は、「締約国は国際紛争解決の為戦争に訴ふることを非とし、且其の相互関係に於いて国家の政策の手段としての戦争を放棄することを其の各自の人民の名に於いて厳粛に宣言す」と明記している。この不戦条約は、戦争を一般的に禁止した史上初の多国間条約であった。しかし、そこで禁止されているのは戦争であり、「武力行使と武力の威嚇」の禁止ではなかった。

3.第2次世界大戦と戦後の「戦争と平和」に関する国際法秩序
(1)ニュルンベルク国際軍事裁判と極東国際軍事裁判(東京裁判)

連合国は、ドイツや日本の指導者による侵略や残虐行為の責任を問うため、ロンドン協定(1945年8月)と国際軍事裁判所条例を制定した。ドイツのニュルンベルク国際軍事裁判は、1945年11月~1946年10月まで、東京裁判は1946年5月~1947年1月まで開廷された。

ニュルンベルグ国際軍事裁判では、ドイツの主要な戦争指導者たちを裁くにあたり、上記条例に基づいて、「共同謀議(侵略戦争を開始し、平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪の起因となったもの)」、「平和に対する罪」、「通例の戦争犯罪」及び「人道に対する罪」の4つを起訴状に集約した。これら4つの訴因は、東京裁判でもそのまま用いられた。ニュルンベルグ国際軍事裁判においては、24名の被告に対して、上記4つの訴因への責任の大きさに応じて、12名に絞首刑、7名に終身刑または有期刑、残り3名に無罪が言い渡された。

ニュルンベルグ裁判の判決以降、戦犯裁判は継続している。この継続裁判は、通常の戦犯に対するものであり、アジア太平洋戦争におけるBC戦犯裁判に相当する。被告数は、合計185名であり、主な訴因は、戦争犯罪(強制労働・人体実験・略奪など)、人道に対する罪(ユダヤ人虐殺に対する罪)、及び犯罪組織への所属である。

極東国際軍事裁判(東京裁判)では、A級戦犯として100人を超える容疑者が逮捕され、28人の被告人の内25人が有罪判決を受けた。そのうち7人の死刑執行により終結した。逮捕後の釈放者の中には、侵略戦争を推進し、後に日本の政財界の中心となる岸信介、児玉誉士夫、笹川良一らも含まれている。

東京裁判の特徴は、①天皇の戦争責任を不問にしたこと ②人道に対する罪は適用されなかったこと ③植民地支配責任は除外されたこと ④米国の原爆投下責任は管轄外とされたことにある。また、731部隊などの細菌感染実験や人体実験、生体解剖などの犯罪行為は、米国によるこれらの情報取得と引き換えに不問とされた。

日本のBC級裁判は、連合国7ヵ国において約5700人が裁かれ、内984人が処刑された。この内、植民地支配下強制動員されたBC級戦犯の朝鮮人は、148人中23人が死刑、台湾人173人中21人が死刑の事実がある。彼らは、捕虜監視員など大日本帝国による侵略戦争の最前線にかり出され、戦争犯罪人として処罰されたが、他方、戦後日本の援護法制からは、「国籍条項」を理由に排除され、「罰は負うが、援護は除外」という不条理な対応を受けた。日本政府は、この東京裁判の結果を受諾している(1952年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約11条)。

(2)第2次世界大戦後、連合国は、2度と世界戦争を起こしてはならないという強い決意の下に、平和を確保する仕組みとして、1945年10月24日に国際連合を設立し、同日、国際連合憲章が発効された。

① 国連憲章第2条4項は、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使(the threat or use of force)を、いかなる国の領土保全または政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」と明記している。この国連憲章第2条4項が、「戦争」でなく「武力の行使」と「武力による威嚇」を禁止する義務を国連加盟国に課したのは、国家が戦争に訴えるあらゆる事態を禁止しようとしたものである。また、国連憲章上、明文で第2条4項の武力禁止の例外とされるのは、「国連自身の軍事的措置(42条)」、「自衛権の行使(51条)」、「旧敵国への行動(107条)」だけである。このうち日本を含む旧敵国への行動は、今日では実際上問題にはしていない。

② 国連憲章第39条は、安全保障理事会の権能を規定しており、「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条(非軍事的措置)及び第42条(軍事的措置)に従っていかなる措置をとるかを決定する。」としている。このように、国連憲章は、第39条に明記された「侵略行為」を軍事的措置の対象としている。

 1974年国連総会において「侵略の定義に関する決議」が採択されている。この決議の第1条は、「侵略とは、国家による他の国の国家の主権、領土保全、若しくは政治的独立に対する又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう。」「一国の兵力による他国領域への侵入、攻撃、その他の結果生じた軍事占領、領土併合は侵略である」「政治的・経済的その他いかなる性質の事由も侵略を正当化しない」としている。この侵略行為は、違法であるだけでなく、侵略行為の禁止は、強行規範(ユスコーゲンス)でもある。

(3)国際連合は、安全保障理事会の米英ソ中仏の5大国からなる5常任理事国による軍事力を持って、将来生じうる侵略国を圧倒する集団安全保障体制として構築された。安全保障理事会は、国際平和維持の主要な責任を負い(24条)、5常任理事国全ての同意投票を含む加重多数決により、平和の破壊などへの強制措置を含む種々の実質的事項の決定や勧告をおこなうこととなっている(27条)。そして国連加盟国は、安全保障理事会の決定を受諾し履行する義務を負っている(25条、48条)。

国連憲章第7章の平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動という集団安全保障メカニズムは、国際連合の要であり、安全保障理事会による平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為の認定、それらに対する措置(国連の制裁・強制行動)、例外的に許容される武力行使の根拠である自衛権について規定している(39~51条)。

① 国際連合の非軍事的措置(41条)

「安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。」

② 国際連合の軍事的措置(42条)

「安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。」 

 国連憲章制定時には、第42条が定める軍事的措置をとるには加盟国との間に第43条に規定する兵力使用に関する特別協定を締結する必要があると考えられていた。しかし、国連憲章が予定した国連軍は一度も設立されたことはない。東西冷戦期には、米ソを盟主とし、国連憲章51条の集団的自衛権(米国を中心とする北大西洋条約機構<NATO>、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構など)を根拠とする事実上の軍事同盟が対峙し、武力行使にかかわる問題に国際連合が大きな役割をはたすことはなかった。しかし、東西冷戦終結後、安全保障理事会は、一時的に活性化し、イラクのクウェート侵略への多国籍軍の軍事行動の許可など、国際平和をゆるがす問題への重大な関与をみせたが、そのときも本来の国連軍を組織して平和の破壊に対することはなかった。

③ これら国際連合の非軍事的措置(41条)や軍事的措置(42条)は、国連機関による仲介、調停などの平和的解決活動、時には加盟国への軍事行動の許可、ある時は非強制的な、またある時は強制的権能をもつPKOやPKFといった他の方策と組み合わせて実施されている。

④ 国際連合総会の「平和のための結集決議」

 1950年国連総会は、朝鮮戦争(ソ連の拒否権発動)を機に、「平和のための結集決議」を採択した。この決議は、国際的な平和・安全を維持するために国際連合が行動を要する必要があるにもかかわらず、5常任理事国の全会一致の合意が得られず(拒否権の行使)、安全保障理事会が必要な行動をとることが出来ない場合に、国連総会が安全保障理事会に代わって行動することができるという決議である。この決議は、通常会期以外に「緊急特別総会」(ESS)という会期を設けている。この緊急特別総会は、国連加盟国の出席者3分の2の賛成により、安全保障理事会の決議と同様の効力を持つ「平和と安全のための措置」を勧告できる。但し、法的拘束力はないが、加盟国の経済制裁などの対抗措置は違法性が阻却される。

⑤ 国際連合憲章第51条の自衛権について

 「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」

 国連憲章第51条の自衛権は、国際連合の武力禁止原則の例外として消極的に認められているにすぎない。この自衛権は、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」に限って認められるにとどまる。他方この自衛権は、「固有の権利」とされている。

 自衛権発動の要件は、「武力攻撃が発生した場合」と記載されている。この要件の下で先制自衛が許されるかについては、現在、先制攻撃肯定説と武力攻撃への着手を要件とする否定説が存在している。但し、この武力攻撃への着手については、ミサイルの発射準備など実行の着手があると解せる時は、自衛権を行使できるという点ではほぼ一致している。

 集団的自衛権とは、他国への武力攻撃を自国への攻撃とみなして被攻撃国を防衛する権利とされている。この国連憲章第51条「集団的自衛の固有の権利」は、国連憲章が創設した権利である。

⑥ 国際連合憲章は、国家間の紛争解決として国際司法裁判所(ICJ)を設置している(94条)。「国際連合加盟国は、自国が当事者であるいかなる事件においても、国際司法裁判所の裁判に従うことを約束する。」

 このICJによる紛争の解決は、主権国家という相互に異なる利害と価値観をもつ権力主体同士の紛争について、専門家からなる第三者機関が法的拘束力をもって解決することを意味する。ICJは、15名の独立の裁判官で構成されており、裁判官の選出は、近時、地理的配分を中心に運用されてきた。本来、国際司法機関は、公平性、独立性、専門性が保障されるべき法適用機関ではあるが、現代の国際的な権力秩序の実態からみて、「権力」の要素を取り込むことなしには国際社会での期待される役割を果たし得ないのが現状である。そして主権国家体制の下では、国家は、自己の同意なしに裁判所の管轄権に服することはない。ICJは国家への強制裁判管轄権をもたず、紛争当事国は一方的な提訴により他方当時国を裁判管轄に服させることは出来ない。

 また、1998年7月17日国際刑事裁判所に関するローマ規程が採択され、2002年7月1日に発効している。国際刑事裁判所は、①集団殺害罪②人道に対する罪③戦争犯罪④侵略の罪、の各犯罪について管轄権を有する刑事裁判所である。このローマ規定の締約国となる国は、同規程第5条に定める犯罪について裁判所の管轄権を受諾する必要がある。

⑦ 現在の国際社会においては、人間の安全保障を確保することが包括的・持続的な平和へのアプローチであるとの主張が強く述べられている。「人間の安全保障」は、1994年国連開発計画(UNDP)の「人間開発報告書」が唱えて以来、環境破壊、人権侵害、貧困など、人間の生存と尊厳を脅かすあらゆる脅威を包括的にとらえて、これらへの取り組みを強化することにより平和を確保し実現しようという考えである。

⑧ 日本国憲法と戦争と平和

 日本国憲法の前文は、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と規定する。また、第9条は、「①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定している。

 この日本国憲法前文の「平和にうちに生存する権利」と第9条の「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使の禁止」及び「戦力の不保持と交戦権の否認」は、国際連合憲章をより発展させた内容となっている。

 この憲法前文と第9条は、天皇制大日本帝国が、中国をはじめとするアジア全域への侵略戦争を遂行し、2000万人のアジア民衆と310万人の日本民衆の生命侵奪を強いた加害の歴史と戦争責任に対して、日本国家・社会は、二度とアジア民衆に銃を向けないとする「非戦の誓い」であり、また、アジア民衆から日本国家・社会に向けた「非戦の縛り」でもある。

第2.戦後の国際人権法と国際人道法の発展

1.国際人権法の発展
(1)国連「ジェノサイド条約」「世界人権宣言」の採択

第二次世界大戦は、ナチズム、ファシズムといった人種差別と排外主義に基づく全体主義によって、著しい人権侵害や甚大な生命侵奪を強いた戦争であった。戦後国際社会は、国際連合を推進役として、この悲惨な戦争の歴史を踏まえ、「戦争は最大の人権侵害であり、すべての人間の尊厳の尊重と非差別平等こそが世界平和の基礎となること」を確認した。

国連総会は、1948年12月9日集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(ジェノサイド条約)を採択した。ジェノサイドとは、「国民的、民族的、種族的、人種的又は宗教的集団の全部又は一部を破壊する意図をもって」行われた残虐行為である(第2条)。このジェノサイド条約は、新しい戦争犯罪としての「人道にたいする罪」の一環をなすものであり、国際刑事裁判所の設置を予定したものである。

翌12月10日、国連総会は、自由権、参政権及び社会権の3種に大別された30の条文からなる「世界人権宣言」を採択した。世界人権宣言は、前文において、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する」とし、第1条で、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である」と唱っている。世界人権宣言は、法的拘束力のある条約ではないが、戦後人権思想の世界的普及とすべての人々の人権意識の向上、定着化に多大な役割を果たすことになった。

(2)戦後日本の人権状況と国際人権規約の批准

ポツダム宣言を受託して敗戦を向かえた日本は、1947年5月3日に日本国憲法を施行した。日本国憲法は、最高法規であり、最高の価値を個人の尊厳の尊重を基礎とする基本的人権に置いている(97条、98条、13条)。しかし、基本的人権の享有主体は、日本国籍を有する国民と解釈している。そして、旧植民地出身者とその子孫に対しては、民事局長通達(1952年4月19日)に基づいて、サンフランシスコ講和条約の発効日である1952年4月28日に日本国籍を喪失させ、他の外国人とともに日常的な治安管理と監視の出入国管理法制度の対象とした。しかし、国連に寄託した日本国憲法の英語正文は、個人の尊重(13条)、法の下の平等(14条)、生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)などの人権享有主体は、「All of the people」「All people」とされている。

戦後日本国家・社会は、旧植民地出身者とその子孫を含めて外国人を管理することを目的とする出入国管理法制度しか存在せず、外国人・民族的少数者や移民の人権に関する法整備がなされてこなかった。また裁判所は、差別的な法律(国籍条項)や行政政策(当然の法理など)について、いずれも「合理性」があるとの判断を行い、「市民社会」においても、日本は単一民族社会であるとする神話的意識が拡大し、外国人への人権侵害や差別を容認してきた。1978年10月4日、最高裁大法廷は、アメリカ国籍のマクリーンが在留期間の更新不許可処分を争った事件において、外国人の人権について「権利の性質による」としたが、他方で「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、外国人在留制度の枠内で与えられているに過ぎない」とも判断した。

翌1979年6月21日、日本国は、「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」と「市民的および政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」を批准した(同年9月21日発効)。この国際人権規約(社会権規約、自由権規約)は、世界人権宣言を法的拘束力のある二つの条約として具体化したものであり、日本が初めて批准した人権条約であった。日本は、この国際人権規約の他に、難民条約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、障がい者権利条約など主要8条約を批准又は加入している。

(3)国際人権規約の主な内容

国際人権規約は、植民地支配を受けた発展途上国の影響を受けて、自由権規約と社会権規約の第1条に「すべての人民は、自決の権利を有する」と明記し、民族自決の権利を重要な人権としている。

自由権規約は、第2条1項において、「締約国の領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教…出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保する」と規定し、「他の地位等」に国籍を含ませている。自由権規約は、伝統的な自由権を中心に、生命に対する権利(6条)、拷問の禁止(7条)、奴隷及び強制労働の禁止(8条)から民族的少数者の権利(27条)に至るまで、日本国憲法には包摂されない多くの実体的権利を保障し、締約国に即時実施する義務を課している。自由権規約に基づいて設置された自由権規約委員会は、規約解釈の指針を示すために提示した一般的意見(15)(規約上の外国人の地位)において、「5.何人に自国への入国を認めるかを決定することは、原則としてその国の問題である。しかしながら、一定の状況においては規約の保護を享受することができる。例えば、無差別、非人道的な取扱いの禁止又は家族生活の尊重の考慮が生起するときがそうである」「6.外国人は、ひとたび締約国の領域に入ることを認められると、条約で定められた権利を享受することができる」と述べている。

また規約27条は「民族的少数者の権利」として、「自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない」と規定している。この権利に関して自由権規約委員会は、一般的意見(23)において、「民族的少数者とは自国民または市民である必要がないように、永住者である必要もない。当事国内にいる民族的少数者を構成する移民労働者または観光客も、少数者の人権が保障される。」、「締約国は単に消極的に人権侵害を防止するだけではなく、積極的な保護措置をとらなければならない」と述べている。民族的少数者の民族的・文化的なアイデンティティの積極的保護は締約国の義務なのである。

社会権規約は、第2条1項において、「締約国は規約上の権利の完全な実現を漸新的に達成するために行動をとることを義務づけられる」として、発展途上国の国内事情などを考慮している。社会権規約は、すべての者の権利として、労働する権利(6条)、社会保障の権利(9条)、相当の生活水準の維持と飢餓から免れる権利(11条)、教育への権利(13条)などが規定されている。特に生存権保障(11条)は、人間の生存と尊厳にとって基本であり中核的権利であるとして、差別の禁止(2条2項)とともに国籍や在留資格による制限を認めず、直接的義務であり司法審査に服するとしている。

(4)国際人権規約の日本での実施状況

国際人権規約の日本発効と1981年の難民条約の加入(1982年1月1日発効)は、日本社会における基本的人権法の大転換をもたらした。国際人権規約の批准は、憲法第98条2項により国内法としての効力をもち、憲法に次ぐ法規範であり、国会制定法よりも優位となる。しかし、国際人権規約の批准後も、裁判所、国会、行政機関は、一部の法改正があったものの大きな法的転換を行うことはなかった。

このような状況下、日本弁護士連合会は、1988年11月5日、国際人権に関する「神戸人権宣言」を発出し、「人権侵害の絶滅のためには、国際人権規約や諸条約の完全な実施と、人権の国際的保障体制の確立が今、必要とされている」と宣言した。また、1996年の人権大会では、「法廷に活かそう国際人権規約」をテーマとするシンポジウムを開催し、法廷での国際人権規約を始めとする人権条約の実践的援用を進めている。また、裁判所においても、不十分ではあるが、受刑者接見妨害事件、アイヌ先住民族のダム建設に関する事件、入店拒否事件、ヘイト・スピーチ事件などにおいて、国際人権規約などを直接又は間接に適用する判決が出されるようになっている。

(5)21世紀に向けた新たな国際人権法の展開

① 1993年6月に開催されたウィーン世界人権会議は、20世紀末の世界で最も正統性の高い人権思想を表明した。普遍的・生来的な人権の保護と促進はすべての国家の普遍的義務であること、すべての人権は不可分かつ相互依存的であること、あらゆる差別の撤廃と女性の人権保障が優先目標であること、民族的少数者や先住民族、移民・難民の権利保障などが取り上げられ、NGOの役割を高く評価し、メディアの関与を奨励した。

② 1995年に開催された世界女性会議(北京会議)では、性と生殖に関する権利、女性に対する暴力など包括的・複合的に考察する視座の重要性が確認された。

③ 2001年8月「人種差別、外国人排斥及び関連不寛容に反対する世界会議(ダーバン会議)」が開催され、122の宣言と行動計画を採択した。以下の条項は、主要な宣言条項である。

14項 植民地主義が人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容をもたらし、アフリカ人とアフリカ系人民、アジア人とアジア系人民、および先住民族は植民地主義の被害者であったし、いまなおその帰結の被害者であり続けていることを認める。

73項 民族・宗教・言語マイノリティに属する子どもや先住民族である子どもは、個人的にも、自己の集団の他の構成員との共同体においても、自己の文化を享受し、自己の宗教を告白し実践し、自己の言語を使用する権利を否定されてはならないことを認める。

93項 被害者の声を伝えるコミュニティ・メディアの重要性をすべての国家が認めるべきであることを確認する。

106項 いつどこで起きたものであれ、過去の犯罪や悪事を想起し、人種主義的悲劇を明白に非難し、歴史の真実を語ることが、国際的な和解、ならびに、正義、平等および連帯に基づく社会の創造にとって必須の要素であることを強調する。

110項 被害者の意見および要求をとくに考慮する必要があることを認める。

④ 2007年9月13日開催の第61期国連総会において、全世界の3億7000万人の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を採択しており、国際人権法は、確実に発展している。

  しかし他方、21世紀に入り、日本を含む世界各地で、貧困の連鎖や自国民優位の差別・排外主義、ヘイト・スピーチ、ヘイト・クライムが胎頭し、米国のアフガニスタン、イラクへの侵攻、ロシアのウクライナへの侵攻など、国際人権と人道法を中核とする「平和と人権思想」の著しいゆらぎが生まれている。

2.国際人道法の発展

国際人道法の用語は、1971年の「武力紛争において適用される国際人道法の再確認と発展のための政府派遣専門家会議」で使用されたものである。この国際人道法は、人道上の考慮にもとづいて武力紛争の影響から個人を保護するために交戦国の行動に制限を加えた成文および不文の国際法規の全体をさすものである。戦争の実行について規制した国際人道法は、大別して1899年と1907年のハーグ平和会議で作成された交戦手段の規制に関するハーグ諸条約と、国際赤十字が中心となって作成した人道的見地から戦争で負傷、罹病しまたは自由を奪われた犠牲者の保護を目的としたジュネーヴ諸条約に大別できる。

1949年の国際人道法であるジュネ―ヴ4条約の内、第1条約と第2条約は、軍隊と傷病者と難船者の保護について定め、第3条約は、第2次世界大戦の経験をもとに、捕虜の人道的待遇を詳細に定めている。第4条約は、紛争当事国又は占領国の権力下にある外国人等の保護を規定している。また、1977年のジュネーヴ条約第1追加議定書は、捕虜待遇を享有しうるための要件を緩和することによって、捕虜となりうるものの範囲を拡大している。

3.国際人権法と国際人道法による被害者の救済

(1)2005年12月、国際連合は、「基本的な原則及び国際人権法および国際人道法の重大な違反の被害者と賠償の権利に関するガイドライン」を採択している。

  被害者への補償及び賠償の主な基準は、国家としての公式の事実認定と謝罪(首相・議会など)、現状回復(自由・社会権、市民権など人間の尊厳を回復するための総合的対応)、賠償と補償(外交保護権と個人の請求権の区別)、責任者の訴追、戦争犯罪の実態解明と情報公開、教科書など公的教材への正確な記載、歴史教育、人権教育と記憶の承継(モニュメント、資料館など)、再発防止政策の実現である。

(2)植民地支配責任及び国際人権・人道法違反に関して、韓国において、元徴用工被害者及び日本軍慰安婦被害者の慰謝料請求訴訟について、韓国大法院及びソウル中央地方法院の判決があり、いづれも原告らの請求を認容している。

① 2018年10月30日、韓国大法院の新日鉄住金(現・日本製鉄)に対する賠償金を命ずる判決は、「日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権である」と判示した。

2021年1月8日、日本軍慰安婦被害者の日本国を相手とする損害賠償請求事件に関して、ソウル中央地方法院は、「当時日本帝国により計画的、組織的に広範囲に行われた反人道的犯罪行為であって国際強行規範に違反するものであり、当時日本帝国により不法占領中であった韓半島内において我が国民である原告らに行われたものであって、この行為が国家の主権行為であったとしても国家免除を適用することはできず、例外的に大韓民国の裁判所が被告に対する裁判権があるというのが妥当である」と判示した(主権免除論 ァ絶対的主権免除 イ相対的主権免除 ゥ不法行為例外論 エ人権例外論)。

これらの判決は、「日本帝国の朝鮮半島に対する不法な植民地支配の遂行に直結した反人道的な不法行為を前提とする慰謝料請求権」とする点で共通している。これらの判決は、1952年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約及び1965年の日韓基本条約・請求権協定という戦後北東アジアの冷戦構造の政治的・法的枠組み論を乗り越え、植民地支配責任、国際人権・人道法違反を根拠として被害者を救済し、被害者の尊厳を回復しようとする韓国社会の歴史的変革状況と国際人権・人道法の発展を踏まえた判決といえる。

② 他方、日本においては、中国人強制連行被害者の西松建設を被告とする損害賠償請求事件において、2007年4月27日最高裁判所は、サンフランシスコ講和条約の枠組論に基づいて、「ここでいう請求権の『放棄』とは請求権を実体的に消滅させることまでを意味するのではなく、当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせる」と判示し、原告らの請求を棄却する判断をしている。

また、2021年3月24日最高裁第二小法廷は、大阪地裁、高裁で争われた秋田花岡・大阪築港などでの中国人強制連行・強制労働に関する幸存者、遺族の日本国に対する国家賠償請求訴訟において、上告棄却、上告不受理の決定を行った。しかし、一審、二審いづれも西松建設最判を前提とする請求棄却判決ではあるが、一審では94歳の幸存者本人尋問を踏まえた詳細な事実認定を行い、日本政府の国策として政府関係機関の全面的関与の下でなされたとの事実認定を行っている。この大阪・花岡中国人強制連行の国家賠償請求訴訟の記録は、「公道(コンタオ)尊厳と公正を求める」として、社会評論社から出版されている(2022年4月28日発行)。

③ 現在、京都大学を被告として京都地裁と大阪高裁で争われている琉球民族遺骨返還請求訴訟や辺野古新基地建設、沖縄南部での遺骨を含む砂利採取などもまた、優れて日本国家による琉球・沖縄への植民地支配と植民地主義の本質に根差した人権と反差別の課題である。1952年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約第3条による施政権譲渡、1972年5月15日日米沖縄返還協定発効の政治的・法的枠組み論を乗り越え、脱植民地主義及び国際人権・人道法の法的枠組を勝ち取れるか否かが問われる裁判でもある。 

第3.ロシアによるウクライナ侵攻と「戦争と平和」に関する国際法秩序の課題

1.2022年2月24日、ロシアはウクライナに対し、自衛権の行使、ウクライナの親ロシア派住民に対するジェノサイドの防止、ウクライナの「体制変更」(ウクライナのロシアへの再統合)を目的として武力侵攻を開始し、現在に至っている。そしてこの間、ロシアのプーチン大統領は、戦略核部隊に特別警戒態勢にはいるように命じ、核の脅威を背景にした武力の威嚇を行いながら武力侵攻を続けている。

このロシアによるウクライナへの武力侵攻は、国連憲章第2条4項の「武力行使禁止の原則」違反であり、1974年国連総会において採択された「侵略の定義に関する決議」の侵略行為に該当する。

プーチン大統領は、自衛権行使の「特別軍事作戦」であると対外的に説明している。しかし、自衛権行使であることの証明は行われていない。国際司法裁判所(ICJ)の、オイル・プラットフォーム事件判決(2003年)では、①自衛権行使を主張する国は相手国により自国に対して国際法にいう「武力攻撃」がおこなわれたこと、②自国の行動はこの武力攻撃に対して必要かつ均衡がとれたものであること、③攻撃対象は正当な軍事目標であることを証明しなければならない、と判断している。また、プーチン大統領が主張するウクライナによる親ロシア派住民に対するジェノサイドの防止は、個別国家による「武力による威嚇または武力の行使」を正当化しない。他方、ウクライナ側においてもロシアがジェノサイドを行っていると主張し、ICJに提訴している。

国連憲章第2条1項は、「この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている」と明記している。国家体制の選択を含む国内政策やNATO加盟の有無を含む国際政策は、国際法上ウクライナが自由に決定する事項であり、外部からの武力侵攻を含む圧力は不干渉原則に違反する。ウクライナ東部2州の新ロシア派勢力がウクライナから分離独立を求め、独立宣言を行っているが、今だ国家としての実態が形成されているとは評価しえず、ウクライナの内政問題であると評価せざるをえない。ロシアによる武力侵攻によって、ウクライナの領土の一部が分離されれば、「領土保全」の原則にも違反する。

そもそも国際紛争は、国連憲章第2条3項によって、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」。また、ロシアによるウクライナへの武力攻撃の対象が、軍事施設に限らず文民たる住民の住居、病院、学校、教会、工場、原発施設などをも対象としており、国際人道法に違反する国際犯罪の強い疑いもある。

2.この間国際連合は、安全保障理事会において、ロシア非難決議案を提出した。しかし、ロシアによる拒否権の発動によって不採択となっている。国連総会は直ちに「平和のための結集決議」によって緊急特別総会(ESS)を開催し、「ウクライナに対する侵略である」との圧倒的多数による採択をし、その後も経済制裁などの諸決議がなされている。加盟国宛の総会決議には法的拘束力はないが、国際世論の結集として重要な政治的・道義的意義がある。また、法的効果としては、加盟国が決議の認定にしたがってロシアに対する対抗措置をとったとしても、違法性は阻却される。

しかし、ロシアのウクライナへの武力侵攻は、巨大な核保有国であり、安全保障理事会において「拒否権」を有する常任理事国であるロシアによる武力侵攻である点において、戦後の「戦争と平和」に関する国際法秩序の著しい機能不全状態を生み出している。現在、最も重要な「戦争と平和」に関する国際的な課題は、ロシアのウクライナ武力侵攻を即時中止・停止させることである。

現在の国際連合憲章を前提とすれば、5大常任理事国の拒否権自体を否定することはできない。しかし、この間の安全保障理事会の機能不全状態を改善するためには、拒否権を行使する際の条件などを協議する機関を設置するなどの組織内改革が必要ではないか。また、国際連合機構内において、武力紛争の当事者国同士が武力紛争や戦争状態を中止・停止するための協議機関を設置することも必要ではないか、などの「戦争と平和に関する国際法秩序の改革」に向けた国際的議論と国際連合の機構改革を早急に広範に進める必要がある。

ロシアのウクライナ武力侵攻は、日々、子どもを含むウクライナ住民、ウクライナ兵士、ロシア兵士の生命が多大に侵奪され続けており、家族離散や日々の暮らしが破壊されている。これらの事実は、いづれも国際人権、人道法違反の事実である。ロシアのウクライナ武力侵攻に心を痛めている日本を含む全世界の人々は、何故にロシアのウクライナ侵攻が開始されたのか、何故に国際連合を始めとする国際社会はロシアのウクライナ侵攻を止められなかったのかについて深く考える必要がある。  

第4.戦争難民の保護と難民条約

1.難民の地位に関する条約は、1951年7月28日に採択されている(1954年4月22日発効)。また、難民の地位に関する議定書は、国連経済社会理事会において1966年11月18日に承認されている(1967年10月4日発効)。日本は、この難民の地位に関する条約及び議定書を、1982年1月1日に国内発効している。

難民条約上の難民は、条約第1条A⑵「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者」を対象としている。

現在に日本において、ロシアによるウクライナ武力侵攻によって国外に避難した「戦争難民」が難民条約上の難民といえるかが問題となっている。

2016年12月2日国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、2016年国際的保護に関するガイドライン12を公表し、武力紛争によって避難を強いられた者への難民条約の適用を明確にしている。

ガイドライン12は、「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」の解釈について、第12項で、「武力紛争および暴力の発生する状況において危害が迫害に相当するために、他の状況と比べて、危害がより高度のレベルの過酷さまたは深刻さを有する必要はない。」、「武力紛争および暴力の発生する状況の全体的な事情が当該申請者に対する危害に与える影響により、一定の事情のもとでは迫害の相当する危害に該当しうる。」とし、第17項で「一定の集団および住民全体に迫害される危険を有することにより、その集団に属する個人一人ひとりが危険に晒される場合もある。特定のコミュニティの多くの者またはすべての者が危険な状況にあるという事情は、それぞれ個別の申請に理由があることを妨げるものではない。基準となるのは、当該申請者の迫害を受ける恐怖に十分な理由があるかどうかである。」とのガイドラインを発行している。以上のガイドライン12からも、ウクライナの戦争難民は難民条約上の保護を受ける難民である。

2.しかし、日本政府は、ウクライナ避難民は難民条約上の難民ではなく、「準難民」として難民条約上の難民から区別し、新たに準難民制度の新設や補完的保護の名目での対応を行なおうとしている。難民条約の重要な規定である第33条の追放及び送還の禁止(ノン・ルフールマン原則)は、「締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見のためにその生命または自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放しまたは送還してはならない。」としている。日本政府の「準難民」としての対応は、難民条約第33条の追放及び送還の禁止(ノン・ルフールマン原則)を潜脱し、難民条約上の保護を回避しようとしていると言える。

日本政府は、2021年2月19日入管法一部改定法案を国会に上程した。この改定法案は、難民申請者の強制送還の停止効(ノン・ルフールマン原則)が存在するにもかかわらず、難民認定申請者に対して、3回以上の難民申請を認めず、強制送還を可能とする法案であった。日本政府は、2021年3月6日名古屋入管局収容のウィシュマ氏死亡事件がマスコミに大きく報道されたこと、改定入管法案反対の広範な市民運動が展開されたことにより、この改定法案を取り下げている。

しかし日本政府は、今回のウクライナの戦争難民に対して、「準難民制度」を創設することを名目として、一旦は取り下げられた改定入管法案とほぼ同一の法案を再度国会に上程しようとしている。このような改定入管法案の国会への再上程を認めてはならない。

第5.「戦争と平和」に関する国際法秩序と日本国家・社会の課題

ロシアのウクライナ武力侵攻(侵略戦争)が開始された2022年2月24日から現在(2022年6月10日時点)においても、ウクライナの子ども達を含む住民や兵士達、そしてロシア連邦軍の兵士達の多大な生命が侵奪され続けている。また、ロシア国内においては、国家権力によって、「反戦」を訴えるロシア市民やメディアに対し、迫害や弾圧が加えられている。

国家の指導者が、いかなる正義を主張しようとも、究極の人権思想である「人間の尊厳の尊重」とその基盤である「生命の侵奪」は認められてはならない。とりわけ戦時下においては、「平等・差別禁止」、「生命権」、「拷問禁止」、「奴隷禁止」、「罪刑法定主義、遡及処罰の禁止」などは、絶対的権利として侵害されてはならない権利である

歴史の教訓として、国家による戦争遂行は、国家による民衆の表現の自由、集会の自由、思想・信条の自由の著しい侵害や弾圧、差別排外主義による敵性住民に対する虐殺が行われている。戦前大日本帝国による「満州国」の建設と国際連盟の脱退、南京大虐殺を象徴とする中国侵略戦争やアジア太平洋戦争、琉球・沖縄の地獄と化した地上戦、そして、1923年9月に発生した関東大震災時の軍隊、警察、自警団による朝鮮人や中国人等への虐殺の事実などの加害の歴史が存在している。日本国家・社会が犯したこれらの加害の歴史的事実を深く教訓化する必要がある。

現在日本においては、安倍政権時に制定された特定秘密保護法、集団的自衛権行使を容認する安全保障法制(戦争法)、共謀罪の創設、そして、米国の台湾有事を想定した対中国封じ込め軍事戦略の下で、菅政権と現岸田政権による奄美から与那国までを含む琉球弧の自衛隊ミサイル基地の配備と日米軍事行動を想定した土地利用規制法の制定、核の日米共同管理論や反撃能力と言い換えた敵基地攻撃能力の保有論、軍事予算の2パーセント増額論、日本政府による教科書検定への直接的介入や安全保障と愛国心教育を結びつける政治的動き、「市民社会」における草の根的な差別排外主義者によるヘイト・スピーチ、ヘイト・クライムの多発など、日本国家・社会全体が戦争遂行可能な国家・社会体制へと構築されようとしている。

2022年3月31日の東京新聞は、防衛省陸上幕僚幹部が配布した資料において、自衛隊が警察当局や米軍と連携して対応する事態として、「テロやサイバー攻撃と並び、報道や反戦デモを鎮圧の対象として挙げられている」と報道している。このように戦争遂行を想定した国家・社会の統合秩序は、民衆が自らの考えや思いを主張したり、集会やデモンストレーション、出版などを通して表現し訴えること自体を、国家権力による抑圧と弾圧の対象とすることを意味する。

私たちは、プーチン大統領が始めたロシアのウクライナ武力侵攻(侵略戦争)を、第三者として評論するのではなく、戦争は最大の人権侵害であり、すべての人間の尊厳の尊重と本質的平等こそが世界平和の基礎であるとする「平和と人権思想」を深く心に刻み、「殺すな、殺されるな」、「差別は許さない」とする平和と人権思想を全世界に確立するための行動を起こす必要がある。日本国憲法前文には、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」と明記されているのである。(2022年6月10日)

参考文献

国際法講義(上、下新版) 田畑茂二郎(有信堂)

国際法講義        大平善梧・皆川洸 編著 (北樹出版)

国際法(増補版)     田畑茂二郎・石本泰雄(有信堂高文社)

国際法          大沼保昭(ちくま新書)

国際人権法        芹田健太郎(信山社)

国際人権法        申 惠丰(信山社)

戦後補償と国際人道法   申 惠丰、永野貫太郎、高木喜孝(明石書店)

付 記
本稿は、O-K交流会から依頼されたものであり、本文中に引用内容や注釈は付けていません。
サブタイトルは、今回の求めにより新たに追記したものです(丹羽)

本稿は、大阪―韓国連帯情報交流会の「O―K会報」(73号)より筆者、交流会のご厚意で転載させて頂きました。長文ですがウクライナ状況を勘案し一挙掲載としました(現代の理論編集部)

にわ・まさお

1948年愛知県生まれ。早稲田大学卒業。元大阪弁護士会副会長。元日本弁護士連合会人権擁護委員会国際人権部会長、すべての外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク(RINK)代表、移住者と連帯する全国ネットワーク理事、労働と人権サポートセンター・大阪共同代表理事、外国人人権法連絡会共同代表、など務める。靖国訴訟、朝鮮学校無償化、在日鄭商根(旧軍属)戦後補償、中国人強制連行(大阪・秋田花岡)、琉球民族遺骨返還裁判等のマイノリティーの人権問題等に取り組む。

特集/混迷する時代への視座

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