コラム/深層

「国権」を握ることは家業なのか?

21世紀の「アジア的専制主義」

本誌編集委員・出版コンサルタント 黒田 貴史

参議院選挙の応援演説の最中に安倍元首相が銃撃され、殺害されるという衝撃的な事件がおきた。犯行の動機は政治的なものではなく、母親が統一教会に入信し、自己破産するまで献金し家族崩壊したことを恨んで、はじめは教会の幹部をねらっていたのが、鉾先が教会の宣伝ビデオなどに登場する安倍に向けられたという供述内容が報道されている。

本誌読者のなかにも学園などで統一教会の勧誘に困った、あるいは友人が入信してしまってたいへんな思いをしたという方もいるだろう。80年代はじめに私が大学に入学したころは、統一教会の霊感商法や限度のない献金の強要などが問題になり、「統一教会」の名前を隠して勧誘を行っていた。なんとその名は「NCC」(ニューカルチャーセンターだという)。多少でもキリスト教関連の市民活動につながりのある方はご存知のとおり、NCCは「日本キリスト教協議会」の略称で、韓国の民主化運動の支援なども行っていた。統一教会と鋭く対立していたキリスト教学の先生に「あいつらは、NCCを名のっています」と伝えたときの、怒り、あきれ、軽蔑の表情は今も記憶に残っている。

今では、統一教会ではなく「世界平和統一家庭連合」を名のっているが、学園や地域ではかつてのNCCのような別名で活動しているところもあるかもしれない。

統一教会とその政治組織である「勝共連合」と安倍の祖父・岸信介との深いつながりはよく知られているところだ。安倍は、政治家としては人びとのあいだに見方か敵かの深い分断をもちこみ、憲法解釈の強引な変更による憲政破壊など、最低最悪としか言えないが、それもすべては祖父の遺訓を引きついだ結果だろう。そして、最期も祖父と深いかかわりをもつカルト宗教団体の恨みのために殺された。個人としては、祖父の亡霊に最後までとりつかれたかわいそうな人生を送ったと考えざるをえない。

*  *  *

ところで、池明観さんの連載・現代史ノートは、ちょうど、朴槿恵が大統領選挙に当選するところまで来た(2012年12月)。池さんは、母親に続いて父親も暗殺という非常な手段でなくなり、家族崩壊に近い事態に陥ってしまったという個人的な恨(ハン、積もり積もった悲しみや辛酸がオリのようにかたまった心情)にとらわれる朴槿恵大統領が韓国大統領として国をまとめていけるのかの疑問・不安を率直に書き残している。しかも朴槿恵にとっては非常な手段で父親を失ったといっても、そんなことで取り消しにされないくらい大勢の犠牲者をだして独裁政治を行ったのは朴正熙だ。そんな父親を崇拝する娘が大統領になるとは……。

そして、その後、「不通」とまでいわれ、直属の部下とすらまともに話し合いができないまま国政を運営していた彼女の背後にわけのわからない霊媒師がいて、重要な政策決定や演説にまで口だししていたことが明らかになる。選挙も経ていない人物が国政に深く関与していた事態に韓国国民の怒りが爆発し、ついに大統領を罷免される事態にまで立ち至ったことは、よく知られているとおりだ(崔順実ゲート事件、2017年)。

この霊媒師は、親の代から、つまり朴槿恵の父親・朴正熙に巧みに取り入り、軍事独裁政権の内部に食い込んでいた。さらに朴正熙が暗殺された後に精神的に不安定になっていた朴槿恵にさらに深くはいりこみ、いわば彼女の影のような存在として韓国政治に深く関与していた。

選挙という民主主義の手続きは踏みながらも、国家の権力をまるで家業であるかのように子や孫が継承し、親や祖父が果たせなかった事業を引きつぐ。日本も韓国も経済規模を考えれば、大国のなかに位置づけられるかもしれないが、こんなことがまかり通る他の大国はあるのだろうか。

日韓とも、そもそも安倍晋三や朴槿恵のような人物を当選させてしまう選挙民に問題があるといってしまえば、それまでだが……。

*  *  *

私たちのまわりをもう少し見渡してみよう。

韓国のすぐとなり、北朝鮮では一族支配が70年にわたってつづいている。一応は社会主義をその国家の基礎としているはずだが、王朝制の社会主義とはおかしな組み合わせというしかない。最近では、東南アジアのフィリピンでかつての独裁者マルコスの息子が大統領に当選し就任した。マルコスを倒し、一族を追放したピープルパワー革命(1986年)はいったいどこに行ってしまったのか。

中学生のころ、はじめてマルクスの本を読んでいたときに「アジア的専制主義」のことばに反感をもった。専制は特別アジアに限定されるわけではないのに、なぜわざわざ「アジア的」などという形容をつける必要があるのか。アジアをさげすむヨーロッパの方こそ問題ではないか。王権は神様から与えられたなどというバカげた屁理屈のフランスなど、西欧のほうが、よほど遅れている。

しかし、今日、アジアのこの状況をみて後世の歴史家、政治学者たちはどんな呼び名を送るのか。いらいらするようなことばかりを思い描いては暑苦しい夏をさらに不快に過ごしている。

くろだ・たかし

1962年千葉県生まれ。立教大学卒業。明石書店編集部長を経て、現在、出版・編集コンサルタント。この間、『歩く・知る・対話する琉球学』(松島泰勝ほか、明石書店)、『智の涙 獄窓から生まれた思想』(矢島一夫、彩流社)、『「韓国からの通信」の時代』(池明観、影書房)、『トラ学のすすめ』(関啓子、三冬社)、『ピアノ、その左手の響き』(智内威雄、太郎次郎社エディタス)などを編集。現在、沖縄タイムス・コラム唐獅子を執筆中。本誌編集委員。

コラム

ページの
トップへ