特集 ●混迷する時代への視座

共感と参画の政治を各地から

辻元清美さんに聞く――地域の自立した活動・繋がりをボトムアップの政治に活かす

語る人 立憲民主党参議院議員・辻元 清美

聞き手・本誌編集部

混迷の時代、参院選に勝者はいない

編集部:参議院選挙で当選され、今後の政治を見通して、選挙結果などについて今どのようにお考えですか。

辻元:未だ評価が定まっていないと思います、選挙が終わったばかりで、新しい政党もでてきているので、今後の様子も見ないといけない。

ただ、参議院選挙ではどこも勝利していないと思う。

国政への復帰を果たし初登院(8月3日)

世界中、政治が全体的に混迷の時代に入った。冷戦構造が崩壊して――冷戦時代は非常にわかりやすい政治構造だった――経済のグローバル化があって、格差が広がり、そこに気候変動という新しい地球人類史的な危機が来て、どこの国も、産業構造、経済、人間のライフスタイルなどをどうしていくかという「解」が見つからない。

さらにコロナパンデミックが世界中を脅かした。そこに非常に強権的な国がいくつか出てきて、ウクライナとロシアの戦争が起きた。こういうことも今までなかった。

このコロナも、気候変動・温暖化が原因だと私は考えているが、そしてそこに戦争が起こり、今後軍拡路線に行くのか、それとも世界中の叡智を集めて食い止めるのか、解はまだみえていない。

国連が機能しなくなっている。日本だけではなく、アメリカのトランプがまた出てきたり、フランスでもマリーヌルペンの政党が大きく力を伸ばしたり、「多党化」とでも言うべきことが進んできている。今までになかった混迷の時代に入っている中で、スパッと竹を割るように、経済政策はこうだ、外交安全保障はこうだと、どこの国もはっきり言えなくなってきていると思っています。

そんな中に日本の政治もある。立憲民主党も、立ち位置をどこに持っていくのか、今はなかなか明快な解はない。さらに、野党共闘というのが難しくなっている。10年ぐらい前の安保法制の時は効果を発揮したが、今は政治の新しい軸が定まっていないので、ただ立憲野党と言われる政党が集まれば固まりになれるというわけでもなくなっている。だから、非常に難しい時代に入ってきている、と私は思うのです。自民党ですら、「新しい資本主義」等と言い出して、軸を必死に探し始めている。公明党も今回票数を減らしている。そういう中で、徒花のように参政党とかN国とかが出てきている。

維新も、議席は増やしているが、すごく伸びたかと言うとそうでもない。立憲民主党は維新に比例で100万票負けた。ただ中身を見ると、近畿で200万票維新に負けて、他地方で立憲が100万勝っている。近畿以外はほとんど立憲が勝っているわけだ。だから維新の松井さんは、今回の選挙は敗北だと言っている。結局、勝ったところがどこもないということ。それは大きな人類史的な、世界史的な混迷の中にあって、それを解決していく政治の手段が見つかっていないのだと、私は選挙を戦いながら感じていました。

日本の政治を語る人達の中には、まだ冷戦構造の時代の「自民党対社会党」のイメージしか持っていない人も多いが、それはもう通用しない話。右と左という対立は薄れ、上と下の格差が広がって対立軸になってきている、とは言えるでしょう。その中で、私は今回の選挙は、どこも何かを政治で変える道筋を見つけきれなかった、と思っています。

そんな中で安倍元総理が襲撃されるという事件が起きた。性質は違うが、私自身も相当脅迫されたり、事務所を襲撃されたりしてきたので、暴力で物事を解決したり表現しようとすることも、こういう時代の曲がり角に出てくる現象なのでは、と思っています。

それをどう捉えていけばいいのかなと考えながら、私は全国行脚をして44都道府県を回った。残りの3県はコロナで回り切れなかったけれども。そこでは、最終的には極めてローカルに集約されていくような時代にしなくてはいけないのかな、という気になった。それと一次産業の大事さのようなものを感じた。

熊本県の3000人あまりの村とか、四国でも小さな村とか町へも行った。できる限り小さいところに行こう、東京にいたり観念的な運動をしているだけでは世の中の実態から乖離してるんじゃないか、と感じて行ってきた。都市と地方の格差がすごく広がっているし、農業や漁業、林業も含めて、壊滅状態になりつつあり、かつ若い人達の仕事がない、という状況。やはり私は大阪の都市型の議員だったので、反省を込めて、その実態を実感として今回の選挙で思い知ったのです。

そんな中でいろんなたくましいことが地域地域で具体的に行われていることを知った。例えば、女性達が旧役場庁舎を大改造して農家レストランをやって、そこで障害者や高齢者の作ったものを売ったりするような仕事作りをしていた。それから、大企業を介さずに、直接世界と取引きしている中小企業が地方にはあったりする。そういうことを見て来て、かつエネルギーを地産地消で作るという動きも地域地域に広がってきているので、そういうローカルな動き、地域での自律的な動き――「小さな経済」をたくさん作っていくことが、一つの大事な方向性なのだと、実感しながら私は選挙をやっていました。

ボトムアップの政治の大切さをを実感した選挙

辻元:私は428,859票をいただいたが、勝手連の集まりのような選挙で、立憲支持だけでなく無所属の人達も含めて地方議員などいろんな人々が動いてくれた。特に女性の力。おばちゃんも若い女性達も選挙をやってくれたという感じだが、言ってみれば、どこで誰が何をやったのか分からないぐらい広がりが持てた選挙だった。

私自身は立憲民主党を立ち上げる時に、「ボトムアップの政治を目指す」とみんなで決めたけれど、かなりボトムアップの選挙ができたんじゃないかと思った。選挙そのものが運動というかムーブメントのようだと言ってくれる人もいた。「声を形に つながりを力に」というキャッチコピーでずっと動いた。地域でいろんな活動をしたり、危機感を持っている人と繋がりたい、繋がろうよ、ということから、選挙に結びついて行った。その結果がこの票数だったと思っているわけです。

今後は、できたネットワークを大事にしつつ、今の政治のありようをアメーバー状にさらに広げて、ボトムアップで変えていく力にできるかどうか、責任は重いと思っています。

編集部:地方にはいろんな動きがあって、それらが一つの方向を向いているわけじゃないにしても、そんなネットワークがやがて政治の力になるというお考えですか。

辻元:国政をすぐに考えるのではなく、地域でそういう人の中から自治体議員が生まれたらいいなと思っています。自治体議員というのはすごく大事。だから来年4月の統一自治体選挙はとても大切だと思う。政治を語る人達に「ご自分の住む町の議会の構成ご存じですか」と聞くと、知らない人が多い。市民運動をしている人でも案外と知らない。

国政のことばかり論じて「野党共闘が」とか言うけれど、大事なのはやはり身近な地域の活動です。自民党は、そこが強い。根強く地域地域に議員がいる。私は、戦うリベラル女子のネットワークで世の中変えよう、と言ってきたが、特に4月の統一自治体選挙で、地域に密着した女性議員を是非仲間として増やしてきたい。ボトムアップで政治を変えて行きたいなと、強く感じた。

ちなみに、今回女性議員が増えたと言われるけれども、まだまだ少ない。話にならないくらいだと思っています。

編集部:地域地域で産業も起こし、その地域のコミュニティが活きないと政治もできないと、同じ趣旨の主張を本誌で金子勝さんが語っていました。地方の典型的なケースをお話し下さい。

辻元:一例として挙げれば、山形県のでん六豆。コンビニでも売っている。山形に徹してやっている。でも日本中に広がる相当大きな企業になっている。私もファンで、新幹線で移動するときいつも食べています。アジアにも進出している。その本社にも行ったのですが、非常に地域にこだわっているわけ。でん六さんという人が始めたからその名前なんだけれど、そういう元気な企業が各地にあったりする。

先ほど話した、女性達がNPOで活躍している熊本県山江村、小さな村だけれど、そこで活発に活動している。それから地方議員。大分で女性議員の何人かが集まって、私を呼んでくれた。子育てや介護、いろんなことに取り組んでいる。実際に子育て中の女性が議員になることで、その地域の問題を解決していこうとする。

そういう人達といっぱい出会った。そういうことを日本国中に広げようと。タンポポ作戦と呼んでいたけれど、希望の種というか、タンポポの種は綿帽子のように広がって花を咲かせる。私は、NPO法とか情報公開法とか男女共同参画社会基本法とか、いろんな仕組みを作ってきたけれど、自発的に地域の問題・課題に取り組んだり、また自発的な仕事づくりや経済的に自立しやすい法律を作って行くことは大事だと思う。

例えば子どもの貧困問題。貧困対策とかホームレスの問題はどうするんだとか。昔は炊き出しだけだった。でも、今大阪にあるNPOでは、女の子が、それも若い子がホームレスの人達の所にパトロールに行って、その人の自立を支援するためにいろんな専門家も紹介して、そして寄付を集めて、その寄付で一時的なシェルターを提供して、そしてレストラン「おかえりキッチン」というの作っている。それはタダでご飯も食べられる一方、素敵なカフェで、営業としても成り立つようなお店。

そしてある企業とタイアップして、自転車を町中でシェアするための駐輪場を大阪のあちこちに作って、そのメンテナンスを引き受けている。それをホームレスだった仕事のない人達に技術を身につけてもらい、仕事で自立して自分で家を借りるようにするところまでサポートしていく。そういうNPOをやって、ちゃんと経済的にも成り立たせている。寄付と実益と、さらに実業につなげているわけです。

これは、貧困対策として国が施しを渡して貧困者を支援するのでなく、自発的な市民の活動で、そこで仕事も生みだしている。要するに、市民活動などで貧困対策をしやすくする仕組み――これは私達が制度を作ったNPO法や寄付税制が大きくプラスになったと言われたけれども――ができた。解が見つからない時代だし、財政の制約もあるから、国の財政の分捕り合戦ではなく、自分達でやろうという人々の力を引き出せる、そのための法律とか税制をいっぱい作っていく。政治の役割としていろんな問題を解決していくことにつながると思っています。

30代女性であるファッションリーダーがいる。若い女の子等の憧れの的という女性がいる。ファストファッションと言われる服は、どんどん捨てられてしまう。これはよくないということで、古着屋をやっている。めちゃくちゃかっこいい古着をネットで売っている。そしてすごく儲かっている。

でも彼女は温暖化・気候変動の活動家、それも相当過激な活動家です。でも商売として成り立って、気候変動の解決の解にも繋がっていくし、かつ新しい経済を生み出している。人々を啓発もしている。何よりもかっこいい。そんな動きがいっぱい出てきている。ですから私は、そういう人達をポジティブに応援していけるような政治を、そういう人達と繋がって作り出していきたいと考えている。それが立憲民主党を立て直していくことにつながるのではないかというように思っています。

各地から共感と参画の政治へ

辻元清美の参院選選挙ポスター

編集部:政治が、そういう人達を支える「枠組み作り」に力点をおいて、すべてを盛り込んだ政策で争うのではない、という感じになるんですか。

辻元:要するに、マッチョ型の「俺についてこい」型リーダーシップでは、この混迷の時代を抜け出せないと私は思います。私は、それを「共感と参画の政治」と言ってきた。今、富の分配はなかなかできない。負担の分配の時代に入っている。すると、お互いに痛みを分かち合うなら、相互に共感がないと、あるいは何とか解決していこうという市民の参画がないと、政治課題は解決できないと思う。政治の役割が変わってくる。俺についてこい型の国はうまくいっていないと思っています。

私は共感と参画を地域地域で作っていきたい。地域の総体が国家だから、地域からやっていくということです。

編集部:現実の世界が新自由主義で、例えば金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏になる。税制などもそれを支えている。そういう時に、不満や問題の芽はあちこちにある。それを見つけないといけないのでしょうか。

辻元:見つけなくていいと思います。例えばソーシャルビジネスを応援するいろんな制度を整備していくとか、休眠預金活用制度も作ったが、そういうものをもっと活用しやすくしていくとかで、芽ができるんだろうと思う。

私のアートディレクション――ホームページを作ること等をやってくれている人達も30代の男性達だが、完全なデジタル世代だ。全部デジタルで「紙なんか使いませんから」と言っている。もう東京に住んでいなくてもいいよね、みたいにもなっている。デジタルだから世界中どこに住んだっていい。だから応援したい地域に納税したいからそこに住むというような感じになっている。あるインターネットの検索機能で有名な会社の社長と仲良しだけど、彼も40代前半、沖縄に住んで社長をしている。どこに住むかということは、全然関係ない。皆金持ちで、だけど、納税をして自分はこの地域を応援したいというふうに考え始めている若い世代の人達が出てきている。

アートディレクションをやってくれている30代の人達は、見た目は半ズボン履いてキャップ被って、ちょっとチャラく見える。けれど実は子供が2人いて、PTAの会長もやっている。「全然僕会長ぽくないでしょう」とか言いながら。そうするといろんなネット空間も利用しながら、新しいつながりで、親同士の問題解決や教育の問題解決のツールを作ったりしている。

公約にデジタル社会の実現とか書くだけでなく、そういう人達と何ができるか、一緒に考えるのは前向きで楽しい。私は今回の選挙、たった10ヶ月だったが、書いた政策に血を通わせて動かすし、実際動かしている人達からからヒントを得て、また政策を作るという、そのちょっとしたとっかかりを捕まえたような気がしています。

命は平等 安倍国葬には反対する

編集部:カルト宗教勢力と政治のつながりや、安倍元首相の国葬の問題を伺いましょう。

辻元:今の現実の永田町はこれだということだ。安倍さんが亡くなったことで、あの一発の銃弾が統一教会をはじめカルト的な政治のパンドラの箱を開けたということになった。ここまで浸透していたことが可視化されたということでしょう。

こうして見ると、ジェンダーの問題に関して、特にジェンダーバッシングや、LGBTQ+の人達の差別禁止法を潰された時など、明らかに統一教会的な人達の勢力の抵抗・妨害があったと思う。その中心に安倍晋三さんがいたことも間違いない。日本の社会的閉塞を打ち破る、科学的合理的な政治の方向性を阻害してきて、政治を歪めてきた。

国葬については私は反対。法的根拠も希薄だし。今まで、戦前の国葬令があった時でも、昭和以降は5人しか国葬されていない。大正天皇、東郷平八郎、西園寺公望、山本五十六、閑院宮だ。それと戦後の吉田茂元総理だけ。何で今更、と思う。

その時も相当議論が行われた。昭和43年4月9日の参議院内閣委員会の議事録を読むと「国の経費を持ちましていたしましたということ」と説明しているわけです。「国民全体をあげて喪に服する場合、そういう場合にはそれらしい根拠というものを設けておく必要があるのではないか」「ただその都度その都度国費だけを出せばいいものではないのではないか」ともある。また、昭和43年5月9日の参議院決算委員会では「その功罪につきましては見る人立場によって色々観点が変わると思います。あえて私は故人に対しましてとやかくは申し上げることを避けますが、ただ単に国家に偉勲のあった、そういうことで内閣が国葬にしようと決めれば、いつでも誰にでも行う、そういうことであっては私はならない」と。

「行政権の濫用」とか、当時ももう少し何らかの基準を設け、国民全体が、あるいは国会がそれに対してなるほどとならなきゃいけないとか、まあ今と同じようなことを言っています。こういう議論があって批判も相当されているのに、また今頃持ち出してくるのは、私は到底納得できないし、理解ができない。

それともう一つ、やはり人の命に差を付けてはならないと思います。特に安倍政権の時には、財務省の職員が自殺に追い込まれた。彼の死は何なんだ、死の原因究明もフタをして、それも税金で裁判認諾して隠してしまった。

さらに安倍総理の時代にコロナでお葬式もあげられずに、ご遺体との対面もできずに多くの人が亡くなった。それは政治の責任。そういう時代にあって、そしてまたこれだけコロナが広まっている時に、なんで国葬儀か。外国のお客様を呼んで何がしたいのか。あらゆる意味で私はナンセンスだと思います。岸田さんの政治的な思惑もあるように感じる。

それと、政権の中にも、官僚も含めて「考えられない、国葬なんか」と言っている人がいる。昔のいわゆる内務官僚というか、例えば石原信雄さんがいたでしょう。ああいう人達は前例をしっかり踏まえて、国家としてやっていい事と悪い事の峻別をして来られたわけだが、最近の官邸は、経産官僚や警察官僚などに支配されてきた。そのため政治の矩をこえちゃうことがある。

それに追悼演説を甘利さんにとかいう話まで出てきた。甘利さんは、ついこの間大臣室ですごいお金をもらったということで、辞めた人です。国会でも散々言われた。その甘利さんがてくる事自体、ちょっと考えられない政治になっている。自民党の劣化でしょう。

自治体議員を増やしていくことが大事

参院選中、辻元清美、枝野幸男、蓮舫、福山哲郎のそろい踏み(京都駅まえで)

編集部:政治が壊れているという感じです。そういう中で今後の立憲民主党はどうやって行くか、少し聞かせて下さい。

辻元:先に申し上げたけれども、やはりボトムアップでやっていく。地方議員を増やす。そして地域と繋がって地力をつけて国政をやっていく、ということでしょう。言うだけではなくて行動が伴うような活動をしていかなければなりません。

編集部:維新の強さは、少なくとも大阪に関して言えば、市議会議員や各首長が多い。その人達がしっかりやっているという話を聞くが、やはりそうですか?

辻元:そう。私は全国で比例票をいただいた、その頂いた票が3位だった。1位が自民党の漫画家の方、2位が公明党・創価学会の幹部の方で、3位が私だった。ところが地域を見ていくと、例えば東京で見たら世田谷区は私の取っている票が一番多かった。保坂展人さんが区長だ。武蔵野市も私が1位、松下玲子さんが市長という所。顕著に現れるわけです。議員が多いところも強いとか。それを全体的に広げていくことだと思った。そうでないと、根本から足腰の強い政党ができないと、実感を持って感じました。立憲民主党は現実に自治体議員が少ない。

編集部:沖縄で山内徳信さんに聞いて知ったのは、自分達の運動の中から地方議員を出していることでした。回りを固めて、そこからやがて国会議員を出す。その運動はずっと続いている。沖縄の革新勢力がまだかなり対抗力、足腰を持っている、と改めてよくわかりました。今は、地方には立憲民主党を支持する、ボトムアップ型運動をする人達が、必ずしも立憲民主党と繋がっていないということですか。

辻元:超党派の国会議員による「立憲フォーラム」を私は立ち上げた。立憲民主党ができるもっと前の2012年に。その後安倍総理の改憲の動きを止めていこうと、それに呼応する立憲ネットワークというのが地方自治体間で立ち上がっています。今日、その総会もやっていました。私は、そこは思いが同じいろんな人達が集まっていると思う。また別に女性の議員のネットワークもある。そういうのがいっぱいあるんです。

ネットの力で少しずつたくさんの人々を繋ぐ

辻元:今リモートで良いのは、どこにいてもすぐ繋がること。例えば私、選挙が終わって今日1日の振り返りとか、インスタライブをほぼ毎日15分ぐらいやっていた。すると何百人も見ている。何百人の集会をやろうと思ったらすごく大変でしょう。小泉今日子さん、キョンキョンがゲストで出てくれた時は、その瞬間何千人もの人が参加した。集会、個人演説会を開くのと同じ効果があって、それを日本中の人が見てくれている。

それで私は「サポーター一万人作戦」といって、ネット中心で呼びかけて1万人になった。それでサポーターのオンライン決起集会をやると、一回に何百人という人達が決起集会に入ってくれるわけ。私は、各自10人に声をかけてほしいとか呼びかけました。これはデジタルのポジティブな、いい面だと思います。今日も地方議員の集まりをリアルとデジタル両方でやって、そうすると大分は今日10人ぐらい参加していたのかな、集まっている。そこから始まる。それで、選挙みんなでやれてよかったね、みんな楽しかった、という話になる。

選挙では「標旗」というのがあって、これが無いとビラが撒けない。私の選挙で標旗リレーということが起こって、例えば北海道から「3日間標旗をくれ、ビラを撒きたい」と連絡がくるので、全国に運んでいた。私がお会いしたことのない方々が、全国でビラをまいて下さった。

最終日、大阪に集中してやろうと思っていたんだけど、東京もやりたいとなった。マイクも使える表示板が二つあるので、それを新幹線最終で東京に運んだ。私がいなくても、新宿西口で朝から夜8時まで市民リレートークというのをやったらしい、私のビラをまきながら。そしたら18歳の子とが飛び入りでトークした、というのを私はTwitterで知るわけです。自分の選挙運動なんだけれど。

そうしたら、選挙最終日で終了して片付けをしていたら、近くのデパートの警備員が来たらしい。「ずっと僕達警備しながら聞いてたよ。ここにいるみんな13人で警備していたけど、辻元さんに入れるって決めた」と。それをまたネットにアップしてくれたから、私はネットで知る――と、そんな感じでした。やっている人がみんな、苦しいのではなく、楽しいというか自発的にやるような感じだった。

私も今までは永田町に四半世紀染まっていて、全国行脚でデトックス、毒出しをすると言ってスタートした。途中からだんだんお遍路の気分になっていった。お遍路というのは、自分を見つめ直し、政治とは何だろうとか考えるようになったから。そして選挙も参画型の選挙ができた。その結果43万人近くの方に投票いただいた。

ここで掴んだ何かの感覚を、これからの政治に活かしていけたらいいなと思っています。

編集部:そこでいうと、「野党共闘は?」などという質問は、今の段階では、さして意味をもたないということですね。

辻元:もっと新しく作っていかないといけない、ということです。ただ中央で役員が一緒に街宣をするというだけでなく、もっと新しい形を見つけ出さなくてはならない。

編集部:逆に言うと、先程のNPO法とか男女共同参画法とか、そういう「枠組み」をしっかりちゃんと作ってきたのが、今非常に力になる、ということなんですね。

辻元:私は今回ある村に行った時に、「辻元さん、NPO法を作ってくれてありがとう」と言われて、涙が出るほど嬉しかった。こういうのを政治家冥利に尽きると言うんだ、と思いました。活動をどんどん可視化していくことが大事です。

おしまいに一言。献金も可視化して集めました。これスマホの私のページです。この1万人のサポーターを集めるというのを選挙の始めにスタートした。最後の3日間で一人毎日3人ずつ、最終日だけ4人に声かけて、と伝えた。うまくいけば、いっぺんに新しく10万人にアクセスできる。これをネット上でやる。みんな応援メッセージをくれているので、そういうのもドンドン可視化していく。ネット献金ができるので、ネットでお金を集めた。クレジットカード決済もネットからできるようにして、ワンクリックで1000円からできるわけです。寄付も参加の一形態です。少しずつ、たくさんの方が関わってくれる、そんな政治を目指していきます。

つじもと・きよみ

1960年奈良県生まれ、大阪育ち。早稲田大学教育学部卒業。学生時代にNGOを創設、世界60カ国と民間外交を進める。1996年、衆議院選挙にて初当選。NPO法を議員立法で成立させ、被災者生活再建支援法、情報公開法、児童買春・ポルノ禁止法などの成立に尽力する。2009年 国土交通副大臣(運輸・交通・観光・危機管理担当)、2011年 災害ボランティア担当の内閣総理大臣補佐官、2017年女性初の国対委員長(野党第一党)を歴任。衆議院議員7期務める。前 立憲民主党副代表、衆議院予算委員会野党筆頭理事、国土交通委員、立憲フォーラム幹事長、NPO議員連盟共同代表、など。(元 立憲民主党幹事長代行、国会対策委員長、憲法審査会委員、平和安全法制特別委員など)。21年10月の衆院選で議席を失う。22年7月の参議院選挙比例区(定数50)で428,228票を獲得し当選(全当選者中3位)。

特集/混迷する時代への視座

第31号 記事一覧

ページの
トップへ