特集 ●混迷する時代への視座

物価高騰と日本経済の今後を読む

世界インフレ襲来 岸田首相の“新しい資本主義”で乗り切れるのか

グローバル総研所長 小林 良暢

世界経済はこの3年、「100年ぶりのパンデミック」に見舞われている。パンデミックとは、人獣共通感染症が世界的な大流行をみせることで、第一次世界大戦中の1918年に始まったインフルエンザ、俗に言う「スペインかぜ」が有名だ。この1918年~20年のパンデミックの期間に、全世界の感染者数は約6億人に達し,そのうち2,000~4,500万人が死亡したとされている。

今回のコロナ感染症は、予防医学の革新によって、その感染の程度は緩和されているが、それでも世界経済やそれぞれの国民経済に及ぼした影響は、第二次世界大戦後の経済危機のなかでも、特筆大書しても余りある規模に達しているとみていいだろう。それに加えて今回は、各国民経済の物価高騰を伴っていることが、事態を難しくしている。

アメリカインフレ9.1%

夏の行楽シーズンに入ったアメリカでは、ドライブ需要の高まりからガソリン価格は初めて1ガロン(約4リットル)あたり5ドル(約670円)の過去最高となり、インフレを加速している。

アメリカのCPI(消費者物価指数)は、消費者がよく買うものほど値上がりが目立つ。物価算定のもとになる582品目のうち、購入回数が平均年15回以上と「頻繁」に購入される食パンやガソリンなど44品目のインフレ率は、今年の3~4月に5%を超えた。とりわけ頻繁に買われる生鮮食品の値動きは、年央にはタマネギは前年に比べて2.25倍になり、キャベツは40.6%も上がった。

この結果、アメリカの消費者物価は5月の前年同月比で8.6%の上昇、最近では9.1%と40年5カ月ぶりの歴史的な高水準となっている。

アメリカの政治サイトのリアル・クリア・ポリティクスによると、バイデン政権の平均支持率は40%を下回る水準に沈み、不支持率が50%を上回った。このまま民主党が、11月の中間選挙で上下院の過半数を失えば、バイデン政権の政策の実行力は一段と陰り、2024年の大統領の再選戦略も見直しが必至だとみられている。

仏マクロン敗北も物価 

欧州に眼を転ずると、まずこの6月のフランス国民議会(下院)選挙は、マクロン大統領が率いる与党連合が過半数ラインの289を割り込む敗北となった。

この敗北の原因も物価上昇だ。フランスのラジオ「フランスアンフォ」が報じた世論調査によると、67%のフランス国民が「ここ6カ月で自由に使えるお金が減った」と答え、物価高への不安を抱いている。

フランス国立統計経済研究所の消費者物価指数は前年比5.2%の上昇。仏調査機関IPSOSの世論調査で下院選の関心事について「家計」だとする回答は最多の53%で、これが選挙結果に結びついた。

フランス急進左派の「不服従のフランス」のメランション党首が率いる左派連合は、この選挙で131議席を獲得して野党最大勢力となり、これら左派連合は最低賃金の大幅な引き上げ、定年の62歳から60歳への引き下げ(60歳からの年金支給の確約、最低保障年金の増額)などを打ち上げている。野党第2勢力となった極右国民連合のルペンも、生活必需品100品目の付加価値税(VAT)を0%にするなどの公約を掲げて闘ったが、これに対して保守系各党からは巨額の財源を必要とするポピュリズム(大衆迎合主義)の政策でいずれも実現性に乏しいとの批判が浴びせられた。

真夏の日本インフレ

今年の世界経済は、「100年ぶりのパンデミック」、「40年ぶりのインフレ」だと騒ぎ立てられている。その中で、日本についてはこコロナ危機から3年半、主要国ではようやく回復の途についたように見える中で、「50年ぶりの円安」に見舞われたままだ。しかも、米欧の先進各国が金利を上げる中で、日本だけがかたくなに超低金利政策を維持している。

日本の物価環境は欧米とは違った、これまた異次元のものでる。コアCPI(生鮮食品を除く消費者物価指数)は2%で、ずっとこの水準を維持している。7月の参院選挙では、立憲民主党をはじめ野党各党は、「岸田インフレ」を主張して挑んだが、自公与党の安定多数を許す結果になった。

最大の争点は物価高であった。日本経済新聞社が実施した世論調査によると、政府・与党の物価高対策を「評価しない」は69%に達し、「評価する」は21%にとどまった。高い支持率を堅持した岸田内閣だが、物価政策についてはその先の雲行きが怪しくなっていた。ところが、政府与党を追い詰める絶好のチャンスに恵まれた立憲民主党は、「異次元の物価高騰は『岸田インフレ』だ」と迫ったものの、いつものように具体的に有効な政策を示すことなく、言葉だけで無力だった。 

土用の丑の1週間前、東京のイトーヨーカ堂は各店舗に、高知県産うなぎを使った2~3人前の「超特大四万十うな重」に6782円の値札を付けて並べた。また、コンビニのローソンも「特々うなぎ蒲焼重」に4514円の値を付け、店側は昨年に比べて1.5匹から2匹に増量したと言う。

一方、円安インフレに全く歯がたたないサラリーンや学生には、ファストフード店が頼りだが、それもここにきて値上げに動いている。東京商工リサーチの調査によると、53社のうち値上げ幅が高かったのがファストフード11ブランド、モスバーガーは7月から看板商品のモスバーガーを390円から410円に引き上げた。

体感インフレは2倍 

総務省が発表した6月の消費者物価指数は、生鮮食品を除いた指数が101.7となり、前年同月比で2.2%の上昇となった。これまで政府・日銀が上昇率の目標としてきた2%を、3か月連続で超えた。これは消費税率引き上げの影響を除けば、2008年9月以来13年9か月ぶりの水準に達したことになる。

この物価高騰の主要因は、エネルギー価格の高騰で、エネルギーは去年の同じ月と比べて16.5%の大幅上昇となった。

今回の物価高騰を、消費者行動の側面から分析すると、「よく買うもの」の価格に鮮明に表れており、具体的にはガソリンや食品など月1回以上は買う品目は上昇率が5.0%と全体の倍に達している。しかも物価統計の見た目以上に、実際の家計にとっては重荷となっている可能性がある。

食品など「よく買うもの」の5%高がもたらす家計負担が数字以上に、消費者の体感を加速している。これは、日々買い物をする「消費者が体感するインフレ」が加速していることを示している。足元では消費者がよく買うものほど値上がりが目立つ。購入回数が平均年15回以上と「頻繁」な食パンやガソリンなど44品目のインフレ率は、今年の3~5月には4.9%と高水準が続き、6月はついに5%を超え、日常の買い物で日々インフレを体感する領域に突入した。

日本経済は米欧に比べて景気の回復が鈍く、国内総生産(GDP)は1~3月期時点で新型コロナウイルス禍以前の水準に届かず、その後も潜在的な供給力に対して需要が足りない状態は解消していない。

この背景には、消費者サイドにおける賃金停滞が続いたままで、2022年で見ても春闘賃上げは「満額回答」とはいえ、近年の春闘賃上げのプライスリーダーとされる日立製作所の回答は3000円・2.6%(ベア2.1%・筆者推計)に止まり、この低賃上げが実施された4月には、消費者物価上昇は4%に達しており、賃上げが物価に既に追い抜かれ、いま物価上昇が賃上げの2倍のスピードで進行中である。

円安とインフレ

バブル崩懐から30年、日本はモノの価格が上がらないデフレという状況が続き、日銀は世界でもまれに見る低金利政策を堅持している。

黒田日銀総裁は、「デフレ脱却」を掲げ、異次元緩和とマイナス金利政策までも繰り出したものの、デフレ脱却ができないままある。「毎月勤労統計」によると、物価上昇を加味した実質賃金はマイナス1.2%で推移している。

こうした購買力が失われたままの日本では、銀行の金融商品の価格である金利でも同じことが起きている。欧米が金利を上げているのに、日本だけは金利を上げることができず、日本だけ低金利で推移している。

10年物の国債の金利を比べてみると、米国の国債は今年初めに1.5%だったが、6月には3%以上になっているのに、日本だけは0.1%から0.25%へ上がっただけである。だから、世界の投資家は魅力がない日本の国債を売って、高金利の米国の国債を買う、それで円が売られて円安になり、そのまま円安につながっている。

岸田インフレ加速

そうした中で、消費者が日々体感するインフレが加速しているのは今述べてきたとおりである。少し視点を変えて、食料品についてみてみると、7年1カ月ぶりに2%台に乗った品目がある。

ウクライナ危機下のエネルギー価格の高騰に加え、購入回数が平均年15回以上と「頻繁」な食パンやガソリンなど44品目のインフレ率が4%を突破しており、足元では消費者がよく買うものほど値上がりが目立つ。これらの品目は、物価高が家計にもたらす負担は表向きの数字以上に重いことを示している。例えば、頻繁に買う生鮮食品はもちろん、食品各社が相次ぎ値上げに踏み切った食用油(36.2%上昇)や電気代(18.6%)などを含んでいる。

ロシア・ウクライナと日本

世界経済におけるロシアやウクライナの経済プレゼンスは、対ロシア制裁に加わる日米欧諸国とロシアとの経済的な結びつきは限られているので、従来、ロシアのウクライナ侵攻が世界経済に及ぼす影響はそれほど大きくないと考えられてきた。日米欧の主要3極経済を比較すると、貿易取引額(輸出+輸入)に占める対ロシアとウクライナの割合は、EUが2.3%と米国の0.7%や日本の1.4%を上回るが、貿易相手国としてはそれほど大きい訳ではない。

また、対ロシア・ウクライナ貿易のGDP比で比較すると、米国(0.1%)や日本(0.3%)がごく僅かで、突出するEUの1.6%とは一桁違う。金融面での結びつきも同様で、ロシア向けの対外与信額が多いのは、フランス、イタリア、オーストリアなど欧州の銀行が中心で、アメリカや日本は金額順位では4番手と5番手に位置するが、シェアはごく僅かにとどまる。

欧米諸国がロシアの大手銀行を国際的な決済ネットワーク(SWIFT)から排除すると決めたが、対ロ貿易についてはロシア産の原油や天然ガスを例にとると、EUは原油の約3割、天然ガスの約4割をロシアから調達しているのに比べると、日本はロシア産石油・ガスへの依存度が低い。

また、ウクライナは農産物や鉱物資源の輸出国として知られるが、日本との取引は限定的だ。自動車の排ガス処理に利用されるパラジウム、航空機の軽量素材に用いられるチタン、半導体の製造工程に不可欠なネオンなどは、ロシアやウクライナ産のものが多く、世界的なサプライチェーンに与える影響が懸念されるが、日本はそれ程ではない。

むしろ、ウクライナは中東のシリコンンパレーと言われるように5000社を超えるIT企業が集積し、人口4500万人のうちIT人材が24万人おり、英語が堪能でしかもシステムエンジニアの平均年収は2.5万ドルと、これはアメリカの1/4、日本の5万ドルに比べても1/2である。これが造るウクライナ製コンピューターソフトは、世界のシステムエンジニアの間で日常的に使っているフリーソフトRingや画像編集ソフトのSkylum、オンライン語学学習アプリのPreplyなどのヒットシステムになっている。

世界の製造大国が中国だとすると、ソフトウェア小国ウクライナ、この2つの国とは、日本としてはつかず離れずに付き合っていくに越したことはない。

こばやし・よしのぶ

1939年生まれ。法政大学経済学部・同大学院修了。1979年電機労連に入る。中央執行委員政策企画部長、連合総研主幹研究員、現代総研を経て、電機総研事務局長で退職。グローバル産業雇用総合研究所を設立。労働市場改革専門調査会委員、働き方改革の有識者ヒヤリングなどに参画。著書に『なぜ雇用格差はなくならないか』(日本経済新聞社)の他、共著に『IT時代の雇用システム』(日本評論社)、『21世紀グランドデザイン』(NTT出版)、『グローバル化のなかの企業文化』(中央大学出版部)など多数。

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