連載●シリーズ「抗う人」⑲

現代の治安維持法=「共謀罪」に抗う
元警察幹部~原田宏二

ジャーナリスト 西村 秀樹

テロ等準備罪と名前と成立要件を変え、かつて国会で三度廃案になった「共謀罪」が国会に上程された。自民党などはテロ対策に必要だと国会で成立をめざす一方で、野党は「監視社会を生み出す、現代の治安維持法」と反対する。かつて北海道警察の裏金つくりを暴露した元北海道警察幹部原田宏二はこの法案の反対集会に全国各地を駈けまわる。

「共謀罪」に元警察幹部が異議申し立て

警察の元幹部が「共謀罪」反対集会で講演するという。どんな話になるのか、興味をもち、会場にでかけた。

「警察が私たちの心に踏み込んでくる」とのサブタイトルが市民集会の主催者の趣旨を表している。わたしのお目当ての講師は原田宏二といい、かつて北海道警察の最高幹部の一人だった。今年末に誕生を迎えると80歳。札幌から大阪に一人で気楽にやってくるほどフットワークは軽く、顔色は若々しい。

元北海道警の要職にいた幹部警察官が、いまなぜ政府提出の重要法案に反対するのか。いまの肩書きは「明るい警察を実現する全国ネットワーク」の発起人。つまり、警察が市民社会を守る側面と、国家を守る側面とに分けると、原田は前者、つまり市民社会を守る警察の実現をめざしている。

大阪市内で開かれた市民集会には、こうした催しには珍しく高齢者に混じって20歳代、30歳代の若者の姿も多かった。

原田は一番のポイントは、この法律が一般市民を対象とする点だと鋭く指摘する。

「公安警察にとって、一般市民というのは政府のやることに反対しない人びとのことなの」とかつて北海道警の幹部らしい発言。

わたしが沖縄県の辺野古新基地建設への反対運動を例に、この法律が国会で成立したら、どうなるのか、未来予想を質問すると、次のような返事がきた。

「公安警察の仕事は、日ごろから、反対運動に出入りする人間をカメラで撮影し演説を録音し、人物を特定しておく。いざとなったら、えいやっと捕まえる。こうした公安警察のやり口に、今度の法律はお墨付きを与えることになります。こうした公安警察のやり口を推進するには日ごろから対象を監視しておく体制が必要になるので、警察や検察の活動範囲が拡がり通信傍受の範囲が拡大するでしょう」と不気味な監視社会の到来を予測する。

北海道警でスピード出世

原田の経歴は華やかだ。大日本帝国の軍隊が当時の中華民国の首都、南京を陥落した、そのわずか5日後(1937年12月18日)、原田は生を受けた。

敗戦後の混乱が少しおさまった1957年、原田は警察官として採用された。北海道警察学校の旭川分校に入り、巡査の道を歩み始める。

まじめな仕事ぶりが評価されノンキャリアの警察官としては異例の出世を果たす。1975年、本庁(警察庁)に出向、保安部防犯課の係長。2年後には警視にスピード出世、山梨県警や熊本県警の捜査二課長などを歴任した後、再び北海道警に戻る。機動捜査隊長や札幌市内の札幌西警察署署長など警察活動の第一線のトップを経験し、その後は北海道警の中枢部、警察本部で北海道警全体のマネイジメント担当する重責を担う。

1989年には警視正に昇任する。警視正以上は国家公務員で、任免は国家公安委員会が行う。それまでの都道府県の公安員会の任免とは大きく異なる。

警察官の世界は階級社会とよく言われるが、こうして原田の経歴を書き連ねると、原田は順調に階級を上がっていたことになる。原田は、本部の警務部警務課長や防犯部長で北海道警全体に目を配るセクションを担当し、世間では北海道警ナンバー3と目される釧路方面本部長に任命され、1994年にはノンキャリアの警察官としては最高ランキングという警視長に昇任した。

1995年2月、年齢とともに無事退職を迎えた後、警察と業務の上で深いつながりのある生命保険会社に参与として再就職、退職後の人生も順風満帆だった。原田は好きなサックスを習い、悠々自適な暮らしを送っていた。

北海道警の裏金問題

原田の人生がある出来事を境に、暮らしが大きく変わった。きっかけは、北海道を代表する新聞、北海道新聞のスクープだ。原田が警察から退職して8年後の2003年11月、北海道新聞が警察の裏金問題を報道した。

いわゆる北海道警の裏金問題だ。

端緒は札幌中央警察署での不正経理問題だった。仕組みはこうだ。さも捜査に協力者がいるように見せかけて、協力者へ支払う協力金を道警本部に請求し、その費用を警視以上の幹部警察官が私的に流用するという至ってシンプルな裏金作りだった。

道警は火消しにやっきになる。当時の道警本部長(芦刈勝治警視監)が「不正経理の事実はない」と定例会見で全面否定した。北海道知事の高橋はるみも「疑惑を否定した道警本部長の発言は重い」と幕引きをはかった。

北海道知事がきちんと内部調査を実施しないまま終結させようと目論んだことが、逆に北海道議会や市民オンブズマンたちの追究を招いた。北海道新聞は連日、特集面を組み、この問題の火消しを許さなかった。

裏金づくり発覚から3か月、原田が重い腰をあげた。2004年3月、原田は次のように証言した。「自分が退職するまでは裏金が存在していた」と。内部告発したのだ。

北海道新聞は「原田氏証言 自浄なき組織に憂い 報償金疑惑 『現場の声なき声だ』道警幹部も心に揺れ」と大きな見出しをつけた(2004年3月5日付け)

原田が突破口になって、さらに北海道警のOBから内部告発の証言が相次いだ。弟子屈(てしかが)警察次長OB、元生活安全部長も内部の実情を告発した。この年の8月には、興部(おこっぺ)警察署長が自殺した。遺書には「自らも裏金を作り受け取っていた」と記されていた。

こうした公益通報が相次いだ結果、北海道警はこの年12月、調査結果を明らかにした。

処分した人数が実に3235人、このうち98人が懲戒処分、86人に減給、戒告が11人だった。北海道警が発表した裏金の総額は2億5600万円で、道警は北海道に全額返金して一応、収集した。

新聞が警察に跪く(ひざまづく)日

ここまで書くと、北海道新聞のスクープが原田たち公益通報に勢いを得て、警察の腐敗は一掃されたかのように思われるが、実は、この北海道警の裏金問題は、同時に、日本のジャーナリズムの敗北の歴史でもある。

北海道新聞の取材班はその年の新聞協会賞などジャーナリズムの世界で大きな賞を次々に受けるが、その中心メンバーの一人、高田昌幸はのちに『真実 新聞が警察に跪く(ひざまづく)日』でこう敗北を記す(筆者要約)。

北海道新聞に対し、道警から圧力がかかり、その圧力に屈した新聞の経営陣が人事権を行使して高田をはじめ第一線の記者たちを次々に配転する有様が描かれている。道警にしてみれば、他の都府県の警察でもやっている裏金作りがなんで自分たちだけ糾弾されるのか、被害者意識が先行、挙句の果てに、北海道では圧倒的な取材力と影響力を誇る北海道新聞だけを人身御供に選び、商売敵の全国紙にはネタをリークしスクープ記事を書かせる、道新に意地悪な作戦を繰り返し進めた。こうした権力機関による「いじめ」に耐えかねて、道新の経営陣はジャーナリズムの本筋である、「権力監視」の役割を放棄するに至った。

高田が愚痴をこぼす聞き手となり相談相手になったのが、警察の裏金作りを自ら体験に即して公益通報した、原田であった。

スクープを連発し、業界最高の賞・新聞協会賞を受賞した高田は、この後、人生を大きく変える、北海道新聞を退職し、いったんフリー記者を経て、高田は生まれ故郷の高知新聞の一記者になる。そして、今年4月からは、東京の大学でジャーナリズムの教鞭をとる。

一方の原田は、冒頭にも書いたように、その後、「明るい警察を実現する全国ネットワーク」の発起人となり、警察内部のパワーハラスメントに悩む若い警察官や、警察の腐敗・不正に怒っている一般市民を相手に、話し相手になる活動を続けている。

臭いものに蓋をする警察と、市民のための警察を目指す原田の活動とを比べると、どちらが日本の民主主義の本筋かは、明らかだ。国家は市民に奉仕するものであり、いったん、裏金作りなど道を踏み外した組織には、きちんと内部調査を尽くし、膿を出し、二度と同じことを繰り返さない再発防止にむけ、組織の体質を改めなくてはならない。

同時に、「権力監視」という一番大切な役割を果たすべき新聞社が、スクープ記者たちを次々に配転させ、経営を優先させるようなことは、先に書いたように、日本の新聞ジャーナリズムの敗北の歴史に他ならない。

共謀罪とはナニ?

さて、そうした前史をかかえる原田が全身全霊をかけて全国各地に出かけ反対する「共謀罪」とはいったいどういったものなのか。

そもそも話から始めたい。

国会で安倍総理が「テロ等準備罪」とネイミングを変えた法律の趣旨説明を行なった。

曰く「2020年、東京オリンピックをテロなしで無事に開催するには、この法律が必要」と訴える。確かに、産経新聞、読売新聞はこの法律に賛成の論陣を張る。一方で、民進党、共産党、社民党、自由党(旧生活の党)の四野党はこの法案に反対の立場だ。

では、この法律はそもそもどうして日本政府が国会上程に至ったのか。何を目指しているのか、調べてみた。この法律の根拠は、一つの国際条約だ。略称が「組織犯罪防止条約」といい、外務省のホームページを見ると「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」が正式名称だ。

成立した時期が微妙だ。2000年11月となっている。

この条約は別名をパレルモ条約という。パレルモとはイタリア・シシリー島にある都市の名だ。ここで、賢明な読者の皆さん方はピンと来たと思うが、要するに、イタリアのマフィア対策として練り上げられ、2000年秋、国際連合の条約として起草されたというのが経緯だ。かつてイタリアのパレルモを中心にマフィアが活動し、イタリアでは多くの警察官や検察官がマフィアによって暗殺された闇の歴史を持つ。

だから、この国際条約の柱は、マフィアに象徴される国際的な組織犯罪集団をターゲットに国境を越えるマネーロンダリングや犯罪の再発防止が主であった(はずだった)。

ところが、この国際条約起草の翌年2001年9月11日、アメリカのニューヨーク世界貿易センタービルにハイジャックされた旅客機2機、さらにはワシントンの国防総省ビルにハイジャックされた旅客機1機、これ以外にワシントン郊外で(アメリカ空軍によって撃墜されたと言われている)ハイジャックされた旅客機1機が墜落した。いわゆるセプテンバー・イレブン(9・11事件)が起きる。

ニューヨークの世界貿易センタービルなど合わせて3000人を超す犠牲者がでた事件は、やがて、息子ブッシュ米大統領がイラク戦争を巻き起こす。この世界史に残る事件をきっかけに、パレルモ条約は変質を余儀なくされる。テロ対策の切り札としての役割だ。

本来なら、どちらかといえば、経済犯罪を取り締まる役割が、主にイスラム原理主義者たちの起こすさまざまなリアクションを封じ込める役割を果たすことを要請された。

日本では市民からの強い反対運動の結果、三度、廃案になった。その政府が新たに繰り出した論理が、2020年の東京オリンピック・パラリンピックでのテロ対策だ。新聞の世論調査などを見ると、その論点ずらしの効果は功を奏しているように見える。読売新聞や産経新聞などの調査では、反対より賛成が上まわっている。

横浜事件を想起

ここで思い出すのが横浜事件だ。アジア太平洋戦争の末期(1942年)、評論家細川嘉六が出版祝いを富山県朝日町の泊旅館で開催し、編集者たちと記念に集合写真を撮影したが、神奈川県の特高(特別警察)がこの写真に基づき、この寄合を「日本共産党再建委員会」の催しだとでっち上げた。岩波書店や日本評論社の編集者たち60人余りを次々に、治安維持法の容疑で逮捕し、獄死など6人が死亡した事件だ。この雑誌の「抗う人」シリーズでも、中央公論の元編集者・木村亨とその妻木村まきを紹介した。

大逆事件では、大工宮下何某が七味とんがらし容器程度の大きさの容器に花火の火薬を入れて、テストし、爆破させたのが端緒であった。

1910年に摘発が始まり、26人が天皇一家への暗殺容疑で起訴され、うち24人に死刑判決が下された。半数には明治天皇の「恩赦」という名目で減刑がなされものの、判決からわずか一週間後に12人は死刑が執行された。大部分の被告は天皇一家への暗殺計画など全く想像すらできない冤罪であったことは、のちの研究で明らかになっている。

つまり、大逆事件も横浜事件も、犯罪というには実態のない、当時の公安警察、検察が作り上げた冤罪そのものあった。にもかかわらず、裁判所は罪を認定した、重い歴史的な事実がある。それは、今回の「共謀罪」同様、犯罪の計画段階で摘発できる当時の刑法の体系そのものに問題があったからだ。

治安維持法が「特高」警察を生み出し、戦後の破壊活動防止法が公安調査庁を生み出したように、今回の「共謀罪」設置は日本の公安警察のシステム変更をもたらすであろう。このことを、今回紹介した元北海道警察幹部の原田宏二が一番危惧している。

今度の法案提出は、盗聴法(通信傍受法)、秘密保護法、戦争法と続き、安倍政権による「戦争のできる国―日本」作りの一環であることは多くの識者が指摘するところだ。

次は日本国憲法への「緊急事態条項」つまり非常事態宣言付与が政治過程に昇りつつある。いま、日本の市民運動が正面から存在理由を問われている。(文中敬称略)

にしむら・ひでき

1975年慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日放送入社。主にニュース番組、ドキュメンタリー番組制作を担当、北朝鮮を6回訪問するなど南北朝鮮を取材。主な著書に『北朝鮮抑留〜第十八富士山丸事件の真実』(岩波現代文庫)、『大阪で闘った朝鮮戦争』(岩波書店)ほか。現在、近畿大学人権問題研究所客員教授、同志社大学・立命館大学非常勤講師。日本ペンクラブ理事・平和委員会副委員長。

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