コラム/歴史断章

遠いメルボルンで「温故知新」

現代の労働研究会代表 小畑 精武

「ウーバー」に乗って、ミーティングへ

3年ぶりのオーストラリア・メルボルン、約1カ月間孫2人の娘の家に滞在した。毎朝散歩したり、孫と図書館に行ったり、小さなミーティングに呼ばれたり、旅行とは違う気分で真夏のクリスマス、年末、正月を過ごすことができた。メルボルンは変わらぬ古さと新しさが共存している。昔ながらのトラム(でも新型車が年々投入されている)と最近世界で問題になっている「ウーバー」というネットを使った「ライドシェア・タクシー」とが同じ道路を走っている。

会場は日本では見かけないローン(芝生)ボーリングの会員クラブで何人かが集まるという。最新型小型車のウーバーはきれいに掃除され、住宅地をうまく抜けて到着。メーターはない。料金がどう決まったのか? わからなかった。ウーバーはネットを利用し素人ドライバーと乗客を結びつける仲介配車サービスで、アメリカから始まった。問題は、ドライバーによる自営業とされ「もっとも利益を上げる仲介事業者が、運送責任も雇用責任も負わない」(宮里邦雄弁護士「月刊労働組合17年4月号」)点にある。

すでにイギリスでは裁判沙汰にもなっている。雇用審判所はドライバーが主張した紹介事業者の「雇用責任」を認め、最低賃金や有給休暇の保障をすべきと判決している。アメリカでは裁判によって見解が分かれているという。日本では17年春闘で全自交労連、私鉄総連などによる「ハイタクフォーラム」がこの問題を取り上げた。これから「雇用なき労働」が問題になることは必至だ。

「旧刑務所、888タワー、労働会館」

写真1

トラムのシティラインにほぼ隣接する所に、1842年から1924年まで使われた「旧メルボルン刑務所(Gaol)」が観光用に保存されている。その隣には「888タワー」(写真1)が青空にそびえ建ち、交差点のはす向かいには歴史を感じさせる立派な砂岩の「ビクトリア州トレード・ホール」(労働会館)がどっしりと構えている。この「三角点」は私にとってのパワースポットである。三点をつなぐキーワードは「オーストラリアの労働史」。

まずは「旧刑務所」。日本では江戸時代の1788年、イギリスではそれまで死刑だった窃盗から重婚など19の罪がオーストラリア流刑に変えられ、流刑囚はやがて植民労働者になっていった。1833年にはイギリスの農業労働者が賃上げを要求し弾圧を受け、オーストラリアに流されている。本国イギリスでは19世紀初頭に「結社禁止法(Combination Act)」が制定され、普通選挙法制定をめざすチャーチスト運動が高揚。結社禁止法は、賃上げや労働時間短縮ストの計画、不法な集会の計画や参加した労働者に最低3カ月の禁固刑、2カ月の重労働を課した(何やら共謀罪に似ている!?)。労働組合は1825年に結社禁止法が廃止されようやく合法化された。

今、日本で「共謀罪」が問題になっている。共謀罪とのかかわりでイギリスの「Combination Act」を団結禁止法か、結社禁止法か、どちらに訳すかについて歴史学者の浜林正夫さんは興味ある指摘をしている。「Combination Actはふつう団結禁止法と訳されていますが、これは結社禁止法と訳すほうが正確です。当時の労働者は『団結』と『結社』を区別していました。『結社(コンビネーション)』は陰謀団体のことで、労働組合もそれと似たようなものと考えられていました。そこで、『陰謀団体を禁止する』ということを口実として労働組合を禁止しようとしたのです。労働組合は陰謀団体と違うということを主張して『われわれは団結(ユナイト)するが、結社はつくらない』というスローガンを掲げたりしました」(浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社)。

今回の共謀罪問題で労働組合が「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」とならない保障はどこにあるのか、考えさせられる。

1851年に金鉱が発見され、ゴールドラッシュでまたたくまにメルボルンの人口は23,000人から9万人と4倍近くに急増。建物が増え建設労働者も急増する。

「888タワー」の意味は?

写真2

労働組合はゴールドラッシュ以前にすでに100を超えていた。1856年4月21日メルボルン大学建設現場で働いていた石工労働者は道具を投げ出し、8時間労働制を要求して植民地議会まで他の建設労働者とともに市内を練り歩いた。ストライキに入ったのだ。そして5月に賃金カットなしで8時間労働制を勝ち取る。オーストラリアは8時間労働制の元祖といっていい。

タワーの最上部には「8・8・8」と「LABOR、RECREATION、REST」が刻まれている(写真2)。子どもや女性を含め10~12時間以上の労働が一般的だった資本主義の初期に、「LABOR(労働)に8時間、RECREATION(元気回復・教育)に8時間、REST(休息・睡眠)に8時間」を費やし人間性を回復する道をロバート・オーエン(1771~1858)は指し示した。

初期社会主義者であり協同組合の父ともいわれるオーエンは1810年に有名なニュー・ラナーク工場で10時間労働制を始め、17年には「8・8・8」を新たな目標として8時間主義を実践に移した。メルボルンの労働組合は、こうした運動の高揚を背景に1874年現在地にトレードホール(労働会館)を建設。さらに1903年、刑務所と労働会館の間に8時間労働制の記念碑として「888タワー」を建設することになる。

その後、8時間労働制運動は全世界に広がり、5月1日メーデーにつながっていく。アメリカでは1886年5月1日にシカゴはじめ、ニューヨーク、ボストンなどで38万人の労働者が8時間労働制を求めてストライキに立ち上がった。1890年にはフランスでフランス革命100周年にあたり、フランスを本部とする第2インターナショナルがアメリカの労働組合からの呼びかけにこたえ、ヨーロッパ、オーストラリア、ラテンアメリカなど全世界で集会、デモを行うことを決めた。

これが起源となって毎年5月1日はメーデーとなり「8時間は労働、8時間は睡眠、8時間は元気回復と教育」はメーデースローガンとなった。日本は未だに8時間労働制を社会のあたりまえのルールにしえていない。8時間を超える残業が横行し「睡眠」や「元気回復」「家族との生活」を削っている。

Trade Hall(労働会館)

日本の20倍もある大陸国家オーストラリアは6州からなる連邦国家でもある。労働組合のナショナルセンターとしてACTU(Australian Council of Trades Unions)があるが、ビクトリア州では州労働評議会(Victoria Trades Hall Council;VTHC)が強い力を持っている。その本部がトレードホール(労働会館)だ(写真3)。

写真3

今回も1月10日にトレードホールに行った。閉まっている。翌日も閉まっている。正月・夏休みにしては長いと思ったら、13日のミーティングに来ていたVTHCの女性オルグ(大学院生でもある)が「今は夏休みよ。16日から開きます」と言われビックリ! それにしても長い。ともかくオーストラリア人はよく休む、学校には夏休み(クリスマス休み)、冬休み、春休みの他に秋休みもある。888の精神は今も脈々と受け継がれている。

今から25年ほど前、江戸川区労働組合協議会訪問団の一員として、はじめてメルボルンを訪問した時もVTHCを訪問したが、地図に出てないのにあわてたことがあった。VTHCがあるべきところは「貿易会館」となっていたから、明らかにマチガイである。たしかにTradeを「貿易」と訳しても間違いではない。しかし「職業」の意味もあり、さらに英英辞書には「a job requiring manual skills and special training(手工業技術と特別の修業を要する仕事)」(「Oxford Dictionary of English」)とある。

ちなみに日本の連合はイギリスのTUC(Trades Union Congress)にあやかってJTUC(Japanese Trade Union Confederation)とtradeを使い、labor(labour)やworkerを使っていない。アメリカAFL-CIO(American Federation of Labor and Congress of Industrial Organizations)はlaborを使っている。

ビール会社の闘いにピケと市民のボイコット戦術で勝利

写真4

ローンボーリング場のミーティング出席者にAMWU(オーストラリア機械工労組)のリーダーがいて、帰り際にビールホールダー(缶ビール保冷用のスポンジのホールダー)をもらった。そこには「BV」のマークが入り、裏側には「We are boycotting CUB until they treat their workers fairly.(私たちはCUBが労働者を公平に処遇するまでボイコットを続けます)」 と書かれている(写真4)。

CUB(カールトン・ビール会社)はオーストラリア最大のビール会社。メルボルンでは苦みが強いVB(ビクトリア・ビター)をつくっている。CUBはメルボルンで最も歴史が古いビール製造会社でルーツは1851年、企業合併や吸収により企業を拡大してきた。そこで解雇争議が昨年6月に起った。ビール製造にかかわる機械、電気職種の労働者55人が解雇されたのだ。

解雇をしておきながら、会社は65%の賃金カットを認めれば職場復帰を認めるという。これまでの3分の1の賃金で働けという会社の人権無視に労働者は怒り、労働者はビール工場のピケット(労働争議で組合員が工場の入り口などを固め、スト破りをさせない体制)に突入、会社はスキャップ(スト破り)で対抗、争議となった。

闘った組合は、AMWU(オーストラリア機械工労組)とETU(電気工労組)だ。何?ビール会社なのに「機械工」「電気工」とは、疑問が湧く。しかし考えてみればビールの製造工程は自動化され、醸造に関わる職種があるものの、醸造するタンクは「機械」でありその電源は「電気」だ。日本では職種が違っても、同じ会社、工場の従業員であれば同じ企業別の労働組合員になるが、日本と違ってイギリス型の労働組合は企業別ではなく職業(trade)を基本とする労組だ。AMWUの設立はなんと1852年で明治維新より古く165年を超える歴史を有し、ETUも創立が1919年とまもなく100周年を迎える。

この争議の特徴は、まず二つの職業別の組合が共闘を組んで職場でのピケットによる闘いを貫徹したことだ。争議報告の写真を見ると争議が始まった6月の寒い時期(季節が日本と逆!)にたき火を囲んでピケを守っている。

第二に、街頭やパブで一般市民やビール愛好者に闘いを訴え、支援を得たことだ。写真では州の議事堂(かつてメルボルンが首都の時代には国会議事堂)前のトラムが走る大通りを埋め尽くす大デモを展開している。「CUBは労働者をごみのように扱うな」「もし闘わなければ、負ける」のプラカード、赤旗、青旗が道路を埋め、子連れの組合員も一緒だ。

写真5

第三に、勝利の要因は大々的に展開されたボイコット運動だ。CUBが製造販売する「ビールを飲まない、売らない」とボイコットに取組み、パブごとに組合の「勝利までボイコットを続けます」のステッカーが貼られた。またTシャツにも使われた(写真5)。ステッカーにあるラベル「BV」は本来「VB(辛口のビクトリア・ビターという銘柄名)」が正式だが、「怒れるビクトリア州民」と会社批判へひっくり返しビールホルダーに使っている。

メディアも「ボイコットで会社経営が“過大なコスト”を被っている」と報道し、ボイコットが会社の売り上げに影響していることを報じた。ユーチューブでも広まった。ボイコットは市民を巻き込んで成功した。こうした闘いの結果、争議は昨年12月7日に会社が折れて解決した。職場で闘い、地域に広げ、市民とともに生き生きと闘う労働者の闘う姿は「労働組合」の原則と新たな労働運動の可能性を感じさせてくれる。

日本から遠く離れたオーストラリアのメルボルンで知った風景は、日本では失われて久しい地域ぐるみの生き生きとした労働争議の姿であった。若いころ江戸川の街を走り回ったことを想い起こしながら、温故知新の故事が頭をよぎった。

おばた・よしたけ

1945年生まれ。69年江戸川地区労オルグ、84年江戸川ユニオン結成、同書記長。90年コミュニティ・ユニオン全国ネットワーク初代事務局長。92年自治労本部オルグ、公共サービス民間労組協議会事務局長。現在、現代の労動研究会代表。現代の理論編集委員。著書に「コミュニティ・ユニオン宣言」(共著、第一書林)、「社会運動ユニオニズム」(共著、緑風出版)、「公契約条例入門」(旬報社)、「アメリカの労働社会を読む事典」(共著、明石書店)

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