論壇

平成の治安維持法を許さない

LINEで捕まる共謀罪!あくまで廃案を求める!

共謀罪NO!実行委員会・弁護士 海渡 雄一

第1 この法案をどう呼ぶべきか

まず、政府はこの法案のことをテロ等準備罪と名付けました。しかし、政府自らが、この法案と基本的に同内容の法案を2003年に提案したときには共謀罪と名付けていました。

政府が法案の制定の目的としている国連越境組織犯罪条約5条が求めているのも、組織犯罪集団への参加罪か共謀罪の制定です。ですから、この法案を共謀罪法案と呼ぶことには正当な根拠があると考えます。

第2 なぜ、共謀罪に反対するのか

1 犯罪の成立要件があいまいになること

まず、なぜ共謀罪に反対しなければならないかということからお話しします。刑法は、犯罪の要件を定めていますが、これは裏返せば、刑法に違反しない限り人の行動は自由であると言うことです。

私たちが学んだ刑法では、犯罪とは人の生命や身体自由名誉に被害を及ぼす行為と説明されました。国会的、社会的な法益に基づく行為でも、現実にこれらの法益が侵害される状態が引き起こされることが、犯罪を処罰することの根拠でした。

法益の侵害又はその危険性が生じて初めて事後的に国家権力が発動するというシステムは、我々の社会の自由を守るための基礎的な制度なのです。

我が国の刑事法体系では、実行に着手した犯罪であっても、自らの意思で中止すれば、中止未遂として刑を減免してきました。刑法に定められた罪の中で、未遂を処罰しているのは3割、予備を処罰しているのは1割、共謀を処罰しているのは、わずかに1パーセントです。犯罪実行の着手前に放棄された犯罪の意図は、原則として犯罪とはみなされなかったのです。

277もの多くの犯罪について共謀の段階から処罰できることとする共謀罪法案は、刑法体系を覆し、国家が市民社会に介入する際の境界線を、大きく引き下げるものです。

このことは、日本政府が国連条約審議の冒頭に述べていたことでもあるのです。

2 共謀罪の捜査手段によって監視社会が強められる

次に、人と人とが犯罪の合意をする手段は、会話、目配せ、メール、LINEなど、人のコミュニケーションそのものによってです。その合意の内容が実際に犯罪に向けられたものか、実行を伴わない口先だけのものかどうかの判断は、犯罪の実行が着手されていないわけですから、大変難しい判断になります。

共謀罪の捜査は、会話、電話、メールなど人の意思を表明する手段を収集することになります。そのため、捜査機関の恣意的な検挙が行われたり、日常的に市民のプライバシーに立ち入って監視したりするような捜査がなされるようになる可能性があります。私たちが、共謀罪は監視社会をもたらすと批判しているのは、そのような意味なのです。

産経新聞は昨年8月31日の「主張」において、「(共謀罪)法案の創設だけでは効力を十分に発揮することはできない。刑事司法改革で導入された司法取引や対象罪種が拡大された通信傍受の対象にも共謀罪を加えるべきだ。」と述べました。今年の予算委員会では、法務大臣は共謀罪を通信傍受の対象とするかどうかは、将来の課題であると明言しました。私たちの危惧は決して杞憂ではないのです。

3 こんな場合にも適用される

それでは、新たな法案はどのような場合に適用されるでしょうか。

1)労働組合に適用される可能性のある条項としては、例えば組織的強要、組織的逮捕・監禁の共謀罪の規定があります。会社が倒産必至の状況で、退職金の確保のために社長の個人保証を得ようとする団交は、激しいものとならざるを得ないでしょう。譲歩が得られるまで徹夜団交も辞さない手厳しい団交をやると決めただけで、組織的強要・組織的逮捕監禁の共謀罪になりかねません。

2)市民団体に適用される可能性のある条項は、例えばテロ資金供与罪の共謀です。イスラエル軍の爆撃で破壊されたパレスチナの病院の復興資金を支援しようとするような活動も、政府機関から見れば、背後にはテロ組織が存在しているとして、寄付金を集め始めただけでテロ資金供与罪の共謀罪に問われる可能性があります。

3)また、基地建設に抵抗する市民団体が、工事阻止のために道路に座り込みを計画し、現地の地理を調べただけで組織的威力業務妨害罪の共謀罪に問われかねません。沖縄では、基地建設反対の闘いに威力業務妨害罪が発動され、リーダーの山城博治さんが5ヶ月も勾留されました。山城さんは16日の東京新聞のインタビューの中で、「リーダーと呼ばれる人間を屈服させ、同時にすべての関係者の連絡先を押さえる。沖縄の大衆運動そのものを取り締まっていく国策捜査だと思う。」と述べています。家宅捜査で関係者の住所と電話番号はすべて把握され、警察は山城議長の演説に拍手したことを「賛同」、説明を受けたことが「協議」として事件を立件しています。山城議長は「もう恐怖。共謀罪が発動した時の準備がされたのだと感じた」と述べています。

4)また、戦争に反対する市民団体が、自衛隊の官舎に「殺すな」と書かれたステッカーを貼り付けることを計画し、そのステッカーを買うためにATMから出金した場合、組織的建造物損壊罪の共謀罪に問われかねません。

5)時間外賃金も支払わないブラック企業について、批判のビラを撒こうとすれば、原発の再稼働を計画している電力会社について、事故を起こして倒産する可能性があると指摘しても(実際に東電や東芝も倒産寸前ですが、)、組織的信用毀損罪の共謀罪もなどと言われかねません。

6)いま、シリアや北朝鮮をめぐり軍事的な緊張が高まっていますが、新聞社が国際紛争に対して戦争法の発動を準備していると疑われる国家安全保障会議を構成する大臣の自宅に記者を張り付かせ、取材拒否にあっても、事実関係についての確認を必ず求めることを編集会議で決定し、記者がその大臣の自宅の割り出し作業を始めた場合、組織的強要罪の共謀罪あるいは既設の特定秘密取得罪の共謀罪が成立する可能性があります。

7)えん罪の救済のために救援する市民活動も危険になります。偽証罪の共謀罪が制定されるからです。えん罪を訴える裁判で、有罪とされた事件で一度証言している関係者に真実を話して欲しいと働きかける行為は、検察官からみて、「偽証」を持ちかけていると見なされ、前の証言を撤回すると約束してもらうと偽証罪の共謀罪で弁護士も証人候補も逮捕され、冤罪を晴らすことはできなくなります。

第3 確認しておくべきポイント

この法案をめぐる政府の説明には、多くのウソが含まれています。これを一つずつ説明したいと思います。

1 まずテロ対策に関連するウソです

国連越境組織犯罪防止条約の目的はマフィアなどの経済的な組織犯罪集団対策です。この条約はテロ対策の条約ではありません。

日本政府は、2000年7月の10回条約起草会合で、この条約の適用対象にテロ犯罪を加えることに反対していたのです。

日本は、国連の13主要テロ対策条約についてその批准と国内法化を完了しているのです。

法案には2月の段階でも、テロの文字は全くありませんでした。これを国会で批判されると「テロリズム集団その他の組織犯罪集団」という言葉を法案に入れ込みました。しかし、法案にはテロリズムの定義すらなく、この修正には法の適用範囲を限定する意味は全くありません。完全なまやかしなのです。

政府は1月の国会審議の中で、共謀罪を作らないとテロは防げないとして、ハイジャック犯人が航空券を買ったり、危険な化学物質の原料を調達しても、その予備罪で検挙することはできず、テロ等準備罪(共謀罪)が必要であると説明しました。しかし、特別刑法の権威ある注釈書に、これらは典型的な予備行為として掲げられており、政府の説明は間違いでした。金田法務大臣は判例があると言いましたが、的確な判例を示すことはできず、破壊活動防止法で陰謀罪が成立したとされる事件の判例を、予備罪は成立していないとされた例としてあげたのです。全くスジ違いで、最終的には答弁を撤回せざるを得ませんでした。このように政府は、法案の推進の根拠であるテロ対策の穴を指摘できていないのです。

所得税法や著作権法、商標法など組織犯罪やテロとは無縁で、未然防止が必要とは考えられない多くの犯罪について共謀罪を作ることが本当にテロ対策でしょうか。

なぜ、テロが起きるのでしょうか。テロは人間の憎しみの心から起きます。民族や宗教の対立が憎しみの心を生み、テロが起きます。トランプ政権がシリアを爆撃しました。この攻撃で殺された人々の家族の中から次のテロリストが生まれるのではないでしょうか。テロを防ぐ途は、日本国民が世界平和のために働くことで、世界の市民から尊敬されるようになるしかありません。

東京新聞に寄せられた兵庫県川西市の8歳の少女水野眞琴さんの投書が波紋を呼んでいます。平和を作る6つのルールの提案です。武器を放棄し平和を作ろうと訴える水野さんは、「あいつをする。いのちを守る。うそをつかない。笑顔で過ごす。思いやりの心。わる口を言わない。」と提案しています。まさに、テロや戦争を防ぐためのとても大切なことがまとめられていると思います。安部首相にも見習って欲しいと思います。

2 次に条約と法案の関係について説明します

日本政府は1999年1月の第2回条約起草会合で、広範な参加罪と共謀罪の提案は日本の国内法の原則に反するとの意見を述べていたことは前に述べました。日本政府が、このような慎重な立場を転換したのは、2000年1月の第7回条約起草会合において、現在の条約5条の案文について、日米カナダ間で、非公式協議をした後のことです。この非公式協議の内容は明らかになっていません。

日本政府は、2002年の法制審議会で、この法案の提案理由は条約の批准につきており、国内の犯罪状況にこのような法律を必要とする立法事実はないと認めていたのです。ところが、最近はオリンピック対策のために必要不可欠と言い出しているのです。法が成立する前に早くも拡大適用が始まっているといえます。

国連の立法ガイドは、43パラグラフで「各国の国内法の起草者は、単に条約テキストを翻訳したり、正確にことば通りに条約の文言を新しい法律案または法改正案に含めるように試みるより、むしろ条約の意味と精神に集中しなければならない。」「国内法の起草者は、新しい法が彼らの国内の法的な伝統、原則と基本法と一致するよう確実にしなければならない。」と述べています。日本政府の提案が国連のガイドに沿っていないことは明らかです。実は、このガイドは2004年に出版されており、日本の国内法が起草されたのは2002年でした。法案制定を急ぎすぎたため、このガイドを参照することができていないのです。官僚も政治家も、この間違いを認めて、別の途をとると言うことができないのです。

そもそも、こんな立法が国連条約批准のために必要なのでしょうか。この条約は国内法の原則に従って実施すれば良いのです。条約審議以前に広範な共謀罪が制定されていた国は、イギリスとアメリカとカナダくらいです。そして、条約批准のために新たに共謀罪を制定したのは、ノルウェーとブルガリアしか報告されていません。多くの国々は、それぞれの国内法をほとんど変えないで条約を批准しているのです。日本もそうすれば良いのです。

小泉政権時代の2006年6月2日に、衆院で法案が強行採決されそうになったことがありました。しかし、強行採決は予備段階にまで進みましたが、ストップしました。これを止めたのは首相の小泉氏と衆院議長の河野洋平氏であったとされます。かつての自民党には、権力の暴走を避けようという良識が残されていたといえます。

日本には、テロや暴力犯罪など、人の命や自由を守るために未然に防がなくてはならない特に重大な犯罪約70については、共謀罪20、予備罪50があり、他に銃刀法、ピッキング防止法、凶器準備集合罪など、傷害や窃盗など重大犯罪の予備段階を独立罪化した法案も多くあります。日本の組織犯罪対策は、世界各国と比べ、決して遜色のない立派な法制度だと思います。あらたな立法なしに条約を批准できると日弁連は主張してきました。政権交代したときの民主党(2006年当時)の見解も同じでした。民主党政権でこのような解決ができなかったことは本当に残念です。私と共著で「新共謀罪の恐怖」を書いてくれた平岡秀夫さんは、2006年当時は民主党の法務委員会の筆頭理事でした。そして2011年には法務大臣に就任し、この政策を現実に実現しようとしました。しかし、時間が足りず、実現できませんでした。

3 次に国会に提案された法案について説明します

政府は、今回の法案は2003年の法案と比べて、大きく修正し、濫用の危険のないものとしたと説明しています。しかし、このような説明は事実と異なります。

組織犯罪集団の関与を要件としたこと、準備行為を要件としたこと、適用対象犯罪を676から277に減らしたことを根拠としているのです。

政府は、組織犯罪集団の関与について要件に盛り込んだので、恣意的な適用はされないと説明します。しかし、組織犯罪集団の定義を見ると、団体が犯罪を共同の目的とすれば、組織犯罪集団と呼ぶことにしただけであり、金田法務大臣も、当初は普通の会社や市民団体には適用しないと述べていたのに、途中から過去に一度も犯罪履歴がなくても、団体の性格が一変すれば、組織犯罪集団となり得ると説明を変えました。なんら法の適用対象は限定されていないのです。

準備行為が要件とされましたが、これは合意のあったことの証拠が必要だと考えられているものであり、予備罪のように準備行為自体が危険な行為であることは必要ありません。ATMからの出金や第三者に声を掛けるような行為でよいのです。犯行現場の下見と花見とどうやって見分けるのでしょうか。

4 新法案はかえって2006/7年段階より後退しています

今回提案されている修正点は実は、2006、2007年に与党、自民党が作っていた修正案にはすべて盛り込まれていました。そして、2006年の与党修正案で削除されていた自首の必要的減免規定が、新法案では完全に復活しています。

アメリカの共謀罪制度は、本犯と共謀罪を二重に処罰できる仕組みになっています。日本で殺人罪の無罪判決が確定していた三浦和義さんがサイパンで逮捕されたのは殺人罪の共謀の容疑だったのです。2006年の与党修正案では日本ではあり得ない二重処罰は禁止するという規定が入っていましたが、これも新しい政府案からは消えているのです。2006年の与党案は対象犯罪は300、2007年の自民党小委員会案では対象犯罪は128にまで絞られた案が示されていました。それで良いとは言いませんが、バナナのたたき売りで1000円のバナナが200円にまで値下げされたのに、10年経ってまた値段を1000円につり上げて、公明党の努力で500円にまで下がったと説明する。これが茶番でなくて何でしょうか。

第4 最後にイギリスアメリカの共謀罪と戦前の治安維持法の話をします

1 イギリスの共謀罪

共謀罪の祖国はイギリスです。イギリス法に登場するのは13世紀における誣告罪の共謀罪が最初です。

これがより一般的な共謀罪に発展することとなるのは、イギリスの絶対王政下で、ヘンリー8世が制定した国家反逆罪の処罰に適用したのがきっかけとされます。

特に有名な事件は1605年の「火薬陰謀事件Gun Powder Treason」です。

1721年 のジャーニメン・テイラー事件(Journymen-Tailors case)では、織物工で構成される労働組合が一定額以下の工賃では縫製の仕事をしないと合意すること=ストライキを計画したことに対して、明文法ではなくコモンロー上の共謀罪が適用されました。このケースは、労働組合運動に初めて共謀罪が適用された例とされます。1800年には「団結禁止法(Combination Law)」が制定され、組合結成そのものが禁止されます。1824年に団結禁止法は撤廃されますが、1825年労働者団結法では、ストライキへの共謀罪適用は続きました。これが最終的に撤廃されたのは1874年「共謀と財産の保護法」によって、労働組合が個人によって行なわれた場合に合法となる行為に対して起訴されないという原則を確立したとされます。 労働者が仕事をやめることは違法ではなく、労働組合がストライキを組織した場合も、訴追することはできなくなったのです。共謀罪は勃興期のイギリス労働運動を150年にもわたって苦しめ続けた前科があるのです。

2 アメリカの共謀罪

アメリカはイギリスと法制度が共通で、アメリカにおいても、19世紀には労働運動の弾圧に独占禁止法違反の共謀罪が使われました。そして、その後はアメリカではベトナム・イラク反戦運動などの弾圧のためにも濫用されました。

1968年シカゴセブン事件が反戦運動に共謀罪が適用された事件として有名です。この年、シカゴのニクソン大統領に代わる大統領候補を選ぶための民主党大会に州を超えてからやってきたデモ隊が平和的に抗議していましたが、警官隊の暴力から過激化し、暴動状態となりました。

この事件で、ヒッピー、ブラック・パンサー、ベトナム反戦組織、ラディカル学生組織(SDS)のメンバーらが、暴動の共謀容疑で逮捕されました。シカゴセブンと呼ばれた被告人達の弁護人ウィリアム・カンスターは、「思考」およびその実現に向けた言論行為を取り締まる法律は違憲であると訴えました。共謀罪も暴動教唆も適用できず、最終的に法定侮辱罪のみが被告人の一部とカンスター弁護士に適用されました。

1969年から72年まで争われたこのシカゴ共謀裁判 (Chicago Conspiracy Trial) は、不当な共謀罪適用に対する人々の勝利の記憶となりました。シカゴセブンの言葉が残っています。

「もしも戦争を終わらせる共謀があるのなら、もしも文化的革命への抑圧を終わらせる共謀があるのなら、自分たちもその共謀に参加しなければならない」

イギリスとアメリカの共謀罪の歴史を見るとき、この罪が、ひとびとが団体として政府や企業に異議申し立てをすることを弾圧する機能を果たしてきたことがわかります。私たちも、共謀罪の制定をやめさせ、日本の戦争計画を止めるための共謀があるのなら、これに加わろうではありませんか。

3 最後に共謀罪は治安維持法についてお話しします

治安維持法とは、国体の変革(天皇制を廃止し共和制にすること説明されました)と私有財産制度を否定すること(社会主義や共産主義が念頭に置かれています)を目的とする結社を取り締まることを目的として1925年に制定された法律でした。

1925年法はこの二つの目的で結社を組織し、事情を知ってこれに加入する行為を10年以下の刑を科すというものでした。つまり、治安維持法は、天皇制と私有財産制を守ることを保護法益とし、これらに悪影響を与える組織団体を結成したり、これに加入することを犯罪とした法律でした。この三年前に、過激社会運動取締法案という法案が提案され、帝国議会と新聞などの反対で廃案となっていました。政府は、この法律について「私有財産制度を否認する」は過激社会運動取締法案の「社会の根本組織の変革」よりはるかに狭く、「国体若ハ政体ヲ変革シ」は同法案の「安寧秩序紊乱」よりはるかに狭い、と説明しました。また、過激社会運動取締法案には言論表現の自由を侵害する危険のある宣伝罪が盛り込まれていましたが、これらの取締は、新聞紙法、出版法、治安警察法に譲り、結社の取締りに重点を絞ったと説明したのです。さらに、過激社会運動取締法案と異なり、すべての犯罪は「目的罪」であるから、警察の権限濫用は大幅に抑えることができると説明されました。

そして、内務省幹部は法の成立後も、善良な社会運動を取り締まる意図はない、思想を処罰する意図はないなどと説明したのです。いまの政府の共謀罪に関する説明の仕方とそっくりではありませんか。

その後、治安維持法は、日本共産党、その周辺団体に適用されていましたが、その弾圧が完了しても、その適用は止まりませんでした。

1935年には、共産主義とは全く関係のない大本教に治安維持法が適用されます。教義の中に天皇制と矛盾する部分があることから「国体変革」結社と見なされたのです。この事件では神殿が政府によって爆破までされています。1942年には大本教事件で治安維持法に関する無罪判決がされていますが、この判決は報道されませんでした。この無茶苦茶な違法捜査を指揮した内務省の唐沢俊樹警保局長は、戦後には公職追放を受けますが、自民党の国会議員として復活し、岸内閣で法務大臣を務めています。

1937年には、日本無産党、全評、労農派のマルクス主義者など合法的無産勢力を根絶やしにする人民戦線事件が起きました。治安維持法は、

大本教から始まった宗教弾圧は、1938年天理本道事件、1939年キリスト教の燈台社事件などにまで適用範囲が拡がります。太平戦争下では、創価学会の牧口常三郎氏が1943年に治安維持法違反で検挙され、1944年には獄死しています。

1942年の横浜事件では「改造」「中央公論」などの雑誌編集者が、慰安旅行の記念写真をもとに共産党の再建準備会議を開いたとでっち上げられ、ひどい拷問が繰り返されました。

1939、40年に起きた企画院事件では国家総動員計画を立案していた企画院の国家公務員にまで、「官庁人民戦線」を作ろうとしたという砂上楼閣のような事件をでっち上げています。治安維持法は、権力内闘争の道具にまで使われたのです。企画院事件では、当時商工次官を務め、国家総動員対策の要となっていた岸信介氏も、検挙まではされませんでしたが、事件の責任をとって次官を辞任しているのです。岸氏は翌1941年東条内閣で商工大臣として復活するのですが、治安維持法が権力機関の内部までをむしばんでいたことは驚くべきことです。安部首相は自分の祖父が治安維持法で政治声明を奪われそうになった事実を知っているのでしょうか。

治安維持法も共謀罪も団体を規制するための刑事法であるという点で基本的に同じような構造の法律です。治安維持法は、経済的な組織犯罪ではなく、政治的な団体を念頭に置いた参加罪であったといえます。準備段階の行為を捉えて刑事規制をしようとしている点では、共謀罪と治安維持法には重大な共通点があります。

処罰範囲が拡大され、不明確になり、拡大適用すれば、体制に抵抗する団体に対する一網打尽的弾圧を可能にする手段となりうる点も、共通しています。共謀罪は、処罰時期の前倒しそのものですが、治安維持法における目的遂行罪、団体結成準備罪なども、処罰可能時期を早めるものでした。

法案の宣伝文句まで共通していることには戦慄を覚えます。あらたに提出された法案と2003年の法案との関係が、1925年治安維持法と1922年過激社会運動取締法案の関係になぞらえられているのです。国民と国会は、政府の耳あたりの良い説明にだまされてはならないと思います。

私は沖縄ですでに弾圧の道具に使われている威力業務妨害罪に注目したいと思います。1999年に制定された組織犯罪処罰法によって、組織的威力業務妨害罪、組織的強要罪、組織的信用毀損罪が作られ、法定刑が引き上げられました。そのために、その共謀罪が作られることとなりました。これらの犯罪は、もともと構成要件があいまいで、弾圧法規として使われてきました。これらの罪の共謀罪は労働運動や市民運動に対する一網打尽的な弾圧を可能にする点で、これだけで治安維持法に匹敵する危険性を持っていると私は考えます。

このように、共謀罪法案には、「現代の治安維持法」と呼ぶことのできる、広汎性と強い濫用の危険性が潜在していると言わなければならないのです。

第5 まとめ

秘密保護法、戦争法=安全保障法制、盗聴制度の拡大に続いて提案された共謀罪法案は、日本を戦争する国としていくための安倍政権の国家戦略の一環ではないでしょうか。政府が次に準備している憲法改悪を止めるためには、この共謀罪の成立を阻むことが、必要不可欠です。

19日から、衆院法務委員会で法案の本格的な審議が始まろうとしています。

日本は憲法で国民主権の保障された民主主義社会のはずです。政府与党は国会でどんなに多数をとっていたとしても、市民の支持を失えば政治は続けられないはずです。決してあきらめることなく、闘い続けることで法案廃案の勝機をつかみたいと思います。

かいど・ゆういち

1981年から弁護士。日本弁護士連合会秘密保全法制対策本部副本部長、監獄人権センター事務局長、脱原発弁護団全国連絡会共同代表など。「1925年に制定された治安維持法こそが、1937年軍機保護法1938年国家総動員法とともに、日本国民が戦争に突き進む国の進路に反対できなくした元凶でした。2013年特定秘密保護法、2015年安全保障法制に続く共謀罪は、私たちを再び戦争への道に導こうとしているのではないでしょうか」と訴える。

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