論壇

あなたは沖縄の基地のこと知ってますか

貴重な出版―知ることから連帯が生まれる

新聞うずみ火記者 栗原 佳子

「普天間飛行場は周りに何もない田んぼの中にできた」「基地がなければ沖縄経済は破綻する」「沖縄は他県より予算をもらっている」――。インターネット上などに飛び交う、こんな「うわさ話」を目にしたことはないだろうか。常識的に考えればデマとわかるが、「真実」のように拡散されている。これに対し、客観的なデータや歴史的な事実をもとに反証しようという動きが沖縄からはじまっている。『それってどうなの?沖縄の基地の話。』『これってホント!?誤解だらけの沖縄基地』。よく似たタイトルの2冊はその代表格だ。

『それってどうなの? 沖縄の基地の話』

昨年3月に発行された『それってどうなの?沖縄の基地の話。』は56ページの小冊子。「おきなわ米軍基地問題検証プロジェクト」が編集・発行。沖縄国際大学教授の佐藤学さん、琉球大学教授の島袋純さん、同じく琉球大学教授の星野英一さん、フリーライターの宮城康博さん、元沖縄タイムス記者でジャーナリストの屋良朝博さんが編集を手がけた。この5人のほか4人の専門家が執筆者に加わった。

前書きにはこうある。〈実に単純な事実が、主としてインターネット上のデマとしかいえない「うわさ」によって圧倒されてしまう状況があり、それにきちんと「事実と数字」で「それは違う」と主張してこなかったことが、今の状況を生み出したと反省しています〉。テーマは基地、海兵隊、日米安保、尖閣・南西諸島「防衛」、中国、沖縄経済・財政、米兵・地位協定、運動と多岐にわたり、56項目のQ&Aに分類した。

例えばこんな具合だ。

Q 沖縄に米軍がいなくなると、中国の脅威にさらされる。これってどうなの?

A 今、沖縄が反対しているのは、海兵隊普天間航空基地の代替新基地を辺野古に造るという計画に対してです。普天間が閉鎖・返還され、辺野古に新基地が造られなくても、米軍嘉手納基地は存続します。中国は、海兵隊が即応戦闘部隊ではないことは承知していますから、海兵隊が沖縄にいるかどうかは、中国の軍事戦略にはほとんど影響がありません。中国が軍事的に恐れるのは嘉手納で、嘉手納は当面残ります

Q 最近、沖縄の人は「差別だ」と騒ぐけど、被害妄想もはなはだしい。これってどうなの?

A 米軍基地が沖縄に置かれた起源はあの悲惨な沖縄戦に行き着きます。沖縄戦の前年1944年、米海軍省作戦本部が作成した「民事ハンドブック」にこんな一文があります。「日本人は琉球人を同等とみなしていない。さまざまな方法で差別している。日本と琉球には政治的に利用しうる軋轢がある」。日本の沖縄に対する差別感情に米国は目をつけたわけです。日本が高度成長を遂げる頃、沖縄は戦後27年間も米軍統治下に置かれ、住民を排除しながら基地建設が進みました。過去に海兵隊の米本国撤退論や日本本土移転も検討されましたが、日本政府が拒否しました。2012年に米軍再編で海兵隊1500人が山口県岩国基地へ移転する計画を米側は打診しましたが、日本側が拒否。2015年に佐賀空港へオスプレイの一部移転を政府は考えましたが、地元の反発で断念しました。沖縄では主要選挙で何度も反対の民意を示していますが、政府は完全無視です。44年の米報告の通り、差別的です。

小冊子を編集した一人、沖縄国際大学の佐藤教授が取材に答えている。数年前、佐藤教授は、「普天間飛行場は何もない場所に作られた」と言い張る学生に遭遇した。実際は、普天間飛行場が作られた場所には8880人が住み、村役場や国民学校もあり、宜野湾並松(ジノーンナンマチ)と呼ばれた街道が走る生活の中心地だった。だが、戦前の写真を見せても「CGを都合のいいよう捏造する」と反論する。数時間かけてやっと理解が得られたが、今度は別の学生が「普天間飛行場は何もない場所に作られた」――。しっかりした論拠を示さないと、沖縄の学生でも誤解やデマを信じたままになりかねない。佐藤教授らが「おきなわ米軍基地問題検証プロジェクト」を立ち上げ、小冊子を作った背景には、しっかり反証、反論できる若者を育てたいという願いも込められている。

回答はそれぞれ平易かつ明快。学習会やワークショップなどの「教科書」として使われることを想定しているからだ。1冊100円と手頃な値段に設定。HPからPDFを無料でダウンロードもできる。同プロジェクトのホームページ参照。

『これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地』

もう片方の『これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地』(沖縄タイムス編集局編著 高文研刊 1700円+税)は、プロローグで、この小冊子を使った県内の私立大学でのワークショップのようすを活写している。参加した学生たちは、沖縄の米軍基地に関するデマや誤解、噂話などを思いつくままに模造紙に書く。グループ分けしてそれぞれ2つを選び、反証できるように具体的な論拠を上げ議論を重ねていく。

沖縄タイムスの本は今年3月の発行。昨年1月から8月まで掲載された連載企画「誤解だらけの沖縄基地」を書籍化した。在日米軍、基地経済、普天間基地、海兵隊の抑止力、日米地位協定などのテーマでQ&A40項目を立て、「沖縄の基地問題」を網羅している。取り扱うデマや誤解は、前述の小冊子と共通しているものが当然多い。

連載に取り組む大きなきっかけは、一昨年6月のいわゆる「百田発言」だったという。自民党若手議員の勉強会の講師として招かれた作家の百田尚樹氏が放った暴言の数々である。「普天間飛行場は何もない田んぼの中にあった。基地の周りにいけば商売になると、みんな住みだした」「基地地主はみんな年収何千万円で、六本木ヒルズに住んでいる。基地が出て行くとお金がなくなるから困る」――。「沖縄の2紙(沖縄タイムス、琉球新報)はつぶさなければ」とも語った。

この直後、2紙の当時の編集局次長は連名でそれぞれ抗議文を公表した。さらに当時の局長2人が東京で共同記者会見にも臨んだ。ライバル同士がタッグを組むという、業界の常識を超えた対応が事態の重さを物語っていた。権力批判を封じる言論弾圧であるとともに、政権与党の勉強会という公式の場で、人気作家が平然とデマを発信し、それが真実であるかのように拡散されていく深刻さ。百田発言は、沖縄の基地をめぐるデマや誤解がネットの世界を中心に蔓延する深刻な実態もあらためて浮き彫りにした。

取材班はこうした誤った情報について、一つひとつ丁寧に検証しようと試みた。取材班のデスクを務めた与那原良彦政経部長は「沖縄の基地問題に対する考え方の違いはあっていいのですが、正しい情報をもとに議論して判断してほしいというのが大きな目的です」と話す。明らかに間違っている情報を取り上げ、具体的なデータや歴史的な事実、専門家の意見などを織り交ぜて反証した。

たとえば、「普天間」の章。特に分量を割いたのが、「移転断念は反基地運動の妨害か」である。普天間飛行場に隣接する普天間第二小学校の移転をめぐる、事実と反する「うわさ」がある。同校は基地の危険性を象徴する存在としてたびたびメディアにもとりあげられているが、ネットなどには、「移転先まで確保したにもかかわらず、反基地運動が『移転は基地の固定化になる』と抵抗し、計画は頓挫した」などという風説が散見する。

これに対し、記者たちは徹底的に検証を試みた。まず、「うわさ」の発信元が2010年にある全国紙が書いた記事にあることをたどり、その記事をもとに関係者やその周辺に再取材。反対派が妨害活動した事実はなかったことを、移転に至らなかった経緯とともに書き起こした。そして、問題の報道については「歴史的背景や経緯が不明なままネットで拡散し、オスプレイや辺野古新基地建設の反対運動への批判を誘導している」と釘を刺した。

また、「辺野古の反対運動は日当制」だというまことしやかな「噂」がある。辺野古や高江の座り込み現場に足を運べばすぐにウソとわかる悪質な言いがかりだ。記者たちは、抗議活動を続ける団体の帳簿を子細に確認、裏付けをとっていく。そうした取材の中で、座り込みに参加する人たちが現金どころか食事の支給も受けていないこと、生活を切り詰めながらやむにやまれぬ思いで通っていることなどが明らかになる。

もう一つ、「海兵隊」の章について触れたい。

昨年5月、3週間前から行方不明になっていたうるま市の20歳の女性が恩納村の雑木林で、遺体で発見された。逮捕されたのは元海兵隊員の米軍属の男。県議会は抗議決議に初めて在沖海兵隊の撤退を盛り込み、事件に抗議した同年6月の県民大会の名称は「被害者を追悼し、沖縄から海兵隊の撤退を求める県民大会」となった。

「海兵隊撤退」は飛躍したスローガンとは違う。前述の小冊子のQ&Aの事例でも触れたが、沖縄の海兵隊については、抑止力や地理的優位性などの観点からも沖縄駐留に疑問を投げかける専門家は多い。「海兵隊」の章は、沖縄に駐留する米軍の兵力の6割、面積にして7割を占める海兵隊がもともと1955年以降、岐阜や山梨、静岡から移駐してきたこと、本土の反基地感情の高まりが大きな要因だったことなどを説明し、公文書などを示しながら日米両政府からも海兵隊不要論が発信されてきていることをつまびらかにした。

小冊子と本、2冊の出版物に続いて、沖縄県も今年4月、パンフレット「沖縄から伝えたい。米軍基地の話Q&Aブック」を作成した。4万部を発行し、全国の市町村に送付するという異例の対応だ。これもまた、沖縄に対する誤った情報や根拠のない中傷が広がっている実態が、基地問題の解決を妨げているという問題意識から出発している。

そもそも沖縄県のトップ、翁長雄志知事自身がデマや誤解にさらされている当事者だ。翁長氏は辺野古新基地建設反対を掲げているが、それが「基地がなくなれば、中国が攻めてくる」などという飛躍した論理で攻撃されてしまう。翁長氏は全基地撤去を求めているわけではない。普天間飛行場は480ヘクタール。沖縄の米軍基地すべての2.5%に過ぎない。普天間飛行場がなくなったとしても、沖縄には極東最大の空軍基地・嘉手納基地などが残る。

翁長氏は、4月20日の県職員の研修でネットに出回るこうした事実誤認の情報について憂えたという。自分自身にかかわるデマにも触れ、「私を攻撃する人は『翁長は中国のスパイじゃないか』といったりする人が多い。それを素直に信じ込むということが、いまの世の中におきていることの苦しさ、寂しさを感じる」と語ったと報じられている。

翁長氏の長女は上海の外交官と結婚、次女は中国に留学した、などの情報も飛び交うが、翁長氏によれば、2人は旅行も含め、一度も中国に行ったことがないという。とにかく、何が何でも中国とこじつけるのもこの種のデマの特徴。森友学園問題の渦中の人物、籠池泰典前理事長も園の保護者向けの会報で、翁長氏と中国との関係をまことしやかに書いていた。

“娘や息子に読ませたい”“本土の知人に送る”

先の本で記者たちが書いていることは、これまでも繰り返し紙面で書かれてきたこと。多くの沖縄県民にとっては「旧聞」が多い。「新聞」としての目新しさはないかもしれないが、この連載では正しい情報を広く伝えることにこだわり、あえて繰り返しに重きを置いた。そして書籍化の希望も多かった。同社には「娘や息子に読ませたい」「本土の知人に送る」「本土の人にうまく言い返せず、悔しい思いをしていた」などと本を求めに来る読者もいるという。

デマをデマだと反証するには大変な労力がかかる。一方、デマを発したほうは涼しい顔。理不尽極まりない話。本土と沖縄の隔たりの途方もなさを思わずにいられない。しかし、分断するのではなく伝えて誤解を解きたいというのが、この本の趣旨でもある。

タイムス取材班の福元大輔記者が、こんな話を紹介してくれた。辺野古の通称「浜のテント」に常駐し、来訪する人たちに基地問題の現状を説明するヘリ基地反対協議会共同代表の安次富浩さんのエピソード。長く傍らでその場面を見てきた福元記者は、「本土の学生たちに『あなたたちの税金の無駄遣いですよ』『ジュゴンという貴重な生き物がいてね』というふうに、彼らと共通の価値観があるところまで目線を下げて喋っているような気がする」と。

福元記者はいう。「沖縄はいつも反対しているとしか思われていないが、大きな誤解。復帰の時は『即時閉鎖』、21年前の普天間返還合意の時は『まずは普天間』でした。それがいまは『せめて普天間』。沖縄は譲って、譲って変っていっている。それすら受け入れられない」。

沖縄に基地が集中し、大変な負担がかかっていることを否定する人は、日本中にほとんどいないだろう。それでも、無責任なデマや誤解や誹謗中傷は、再生産され、流布され続けている。高江ヘリパッド建設工事をめぐり、抗議行動をしていた市民に大阪府警の機動隊員が発言した「土人」。抗議行動の市民を貶める内容の東京MXの特集番組は地上波で放送された。そしていま、辺野古の海で埋め立てが強行されたと報じられている。安倍政権は「辺野古移設が唯一の解決策」だと勝ち誇る。しかし、現場からの声は違う。正式な着工といえるものではなく、セレモニー的なもの。もう後戻りできないと、沖縄県民を諦めさせるためのまやかしだと。

そもそも、この「辺野古移設が唯一」こそが、政府が意図的に流してきた偏った情報にほかならない。それが全国メディアのフィルターを通し本物らしく演出され、人々を事実から目をそらさせ、思考停止させる。辺野古「移設」は沖縄では辺野古「新基地」建設と呼ぶのが一般的だ。新しく軍港機能など持つ200年も使用可能な巨大な基地になる。問題は、私たちが、無知や無関心に付け込む官製のウソを見抜けるかどうかだ。

タイムスの与那原政経部長はこうも話していた。「本を出したからといって劇的に何か変わるわけではなく、通過点と捉えている。地を這うようなことをやるなかで得られる事実が沖縄にはいろいろあり、その一つひとつが、いまの日本のありようや民主主義のありようを照らすものになる。これからも一つひとつの事実を実直に積み上げていく」

もう一方の当事者である「本土」の側が問われている。「沖縄ヘイト」が公然とまかり通る時代状況、沖縄発のこれら出版物は、いまの「沖縄」と、自分の足元を認識し、次の一歩を考えるための大きな手助けとなるはずだ。ぜひ、広げたい。

くりはら・けいこ

群馬の地方紙『上毛新聞』、元黒田ジャーナルを経て新聞うずみ火記者。単身乗り込んだ大阪で戦後補償問題の取材に明け暮れ、通天閣での「戦争展」に韓国から元「慰安婦」を招請。右翼からの攻撃も予想されたが、「僕が守ってやるからやりたいことをやれ」という黒田さんの一言が支えに。酒好き、沖縄好きも黒田さん譲り。著書として、『狙われた「集団自決」大江岩波裁判と住民の証言』(社会評論社)、共著として『震災と人間』『みんなの命 輝くために』など。

新聞うずみ火

ジャーナリストの故・黒田清氏が設立した「黒田ジャーナル」の元記者らが2005年10月、大阪を拠点に創刊した月刊のミニコミ紙。B5版32ページ。「うずみ火」とは灰に埋めた炭火のこと。黒田さんがジャーナリスト活動の柱とした反戦・反差別の遺志を引き継ぎ、消すことなく次の世代にバトンタッチしたいという思いを込めて命名。月刊一部300円。詳しくはホームページ http://uzumibi.net/

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