現代の理論アーカイブ

現代の理論アーカイブについて

編集部

『現代の理論』アーカイブでは、第一次から第三次にいたる雑誌『現代の理論』に掲載された論文のうち、再読すべき主要論文を編集委員会が厳選して紹介いたします。また読者のみなさんのご要望にもお応えします。『現代の理論』は、発信媒体の多様化によって目先の時局論・政局に流されることのない骨太で息の長い理論や政策の発信を目指してきました。常に現実や実践への思考を内包し、理論の自立性を掲げての50年―それが雑誌『現代の理論』の歴史でした。そのような先達の営為をあらためて回顧することによって、「今だからこそ」問われなければならない現代的課題の再発見が可能となることを確信しています。

今号の特集は、前号の「混迷する世界への視座」に続いて「混迷の時代を読む」です。まずは世界と日本の現在をどう捉えるか、考え続けています。世界も日本も、その歴史と立脚点を確認し、これからの進む道を考えるべきだということです。

これまで本欄では、かつての雑誌『現代の理論』からしかるべき論文を引いていました。しかし、今号では敢えて現在のデジタル版の中から、2年前の第4号(2015年春号)の論文を2本紹介します。その号の特集は「戦後70年が問うもの」とのタイトルで、安倍政権の本質を問わんとしたものでした。

ひとつは、東京大学名誉教授 田端博邦氏の「雇用・労働の現在 『仕事のための生活』か『生活するための労働』か」です。

今号では安倍内閣の「働き方改革」を批判する論文が多く掲載されています。その議論の基本に据えるべき考え方を田端さんは提起します。「『生活は労働のためのものである』という考え方は誤りで、『生活するための労働』が本来の労働のあり方だ」とした上で、次のとおり、政権の施策を批判しています。

「雇用・労働の領域に限定したとしても、『好循環』や『女性の活躍』を主張する半面で、派遣や有期、そして労働時間の規制緩和などの施策が同時に推進されるのはまったく、二律背反といってもよいような論理矛盾を内包している。それにもかかわらず、これらの個々の施策が狭い視野の中だけで議論されれば、そのようなことにも気が付かれない。そして、そのような個々の施策が将来的にどのような『結果』を生み出すかということについては、ほとんど関心が向けられていない。」

「働き方改革」を批判する基本的視点をどこに置くべきか、よく分かります。

今ひとつは、本誌代表編集委員 千本秀樹 による「戦後レジームからの攻勢的な脱却を 東京裁判史観と日本国憲法を越えて」です。

安倍晋三は5月3日の憲法記念日に、「戦後レジームからの脱却」のために、改憲の具体的「計画」を発表しました。この千本論文は、それに抗する私たちの立位置を明確にすべきだと、次のように主張しています。  

「戦後レジームとは何か。とりあえずある程度の指導者は処罰されたけれども、最高責任者である昭和天皇は訴追を逃れ、民衆は被害者意識に浸かっていたこと。その結果、事実と責任の語り継ぎが希薄になっていること。連合国の戦争犯罪が問われることなく、戦後もアメリカなどが無差別爆撃を続けていること。戦前の国体が、戦後に曖昧に連続しているために、日本国民の主権者意識が希薄なままであること。本稿では論じなかったが、中国に軍事的にも敗北したということに無自覚なことも加えるべきだろう。」「東京裁判の不合理さと不充分さは徹底的に批判されなければならない。戦後レジームの枠組みとなる構成要素をあげれば、東京裁判、日本国憲法、象徴天皇制、日米安保体制であろう。その点で安倍首相とわたしは一致するかもしれない。問題はどちらの方向から、どちらに向けて脱却するかである。守勢に追い込まれている厳しい局面ではあるが、だからこそ撃って出て、明治維新以来の変革期を新しい世界の創造につなげていきたい。」

以上のような立脚点を踏まえていれば、本号で金子勝さんも語っているように、安倍をひっくり返す流れを、太く大きくすることができるでしょう。

論文アーカイブ

『現代の理論』(デジタル)第4号(2015年春)/特集「戦後70年が問うもの」

「雇用・労働の現在 『仕事のための生活』か『生活するための労働』か」東京大学名誉教授・田端 博邦

『現代の理論』(デジタル)第4号(2015年春)/特集「戦後70年が問うもの」

「戦後レジームからの攻勢的な脱却を 東京裁判史観と日本国憲法を越えて」筑波大学教授(現在は名誉教授) 本誌代表編集委員・千本 秀樹

第12号 記事一覧

ページの
トップへ