コラム/ある視角

主権者教育の現場から

山口県立柳井高校の「現代社会」授業

東京外国語大学教授 友常 勉

経過

山口県立柳井高校で二〇一五年六月二四日、二年生の現代社会の授業で、一八歳選挙権を見据えた主権者教育の一環として、当時、国会で審議中だった安全保障関連法案がとりあげられた。国会審議を報じた朝日新聞、日本経済新聞の記事五本、憲法学者の意見を生徒に配布し、「政府・首相の見解」と「野党の主張」の対立点を各自が準備した。それらの論点は、生徒たちの自宅学習によるもので、集団的自衛権を「どんな時に行使するのか」「他国の領域で行使する可能性」「違憲か合憲か」などであった。これらの準備のうえで、授業では四人ずつの八班で議論し、それぞれの班の代表が賛成、反対の立場で発表した。そして最も説得力のある発表を投票で選んだ。結果は反対の班への支持が多かった。

二つのグループは「自衛隊の活動範囲を広げないと米国を助けられず、友好関係にひびが入る」として賛成を表明し、残りの六グループは「集団的自衛権の定義があいまいだ」という理由で反対した。さらに反対するグループは、「他国を守るのであれば、非戦闘地域での食糧供給や治療(医療)でも貢献できる。自衛隊が戦争に巻き込まれてからでは遅い」「戦争の悲劇を繰り返さないために平和学習を行ってきたのに、その意思が受け継がれなくなる」と主張した。

授業は翌日の山口新聞、朝日新聞、毎日新聞で報道された。それによれば、生徒たちはこの授業ですでに日本国憲法や日米安保、自衛隊について学んでいた。山口新聞は、この授業に対する生徒の意見を紹介している。それは次のようなものだ。「授業は現代の政治について詳しく知るいい機会になった。安保法制は違憲だと思う。政府は専門家の憲法学者の違憲という指摘にもっと耳を傾けるべきだ。今、若者の投票率が大変低い。一八歳になったらしっかり政治の論点を学んで投票したい」(山口新聞、二〇一五年六月二五日)。

授業がとりざたされたのは、翌週の山口県議会の一般質問である。自民党・笹本俊也県議が、「政治的な中立性が問われる高校教育現場にふさわしいものだったのか」と質問した。いうまでもないが、山口県は安倍首相の地元である(山口四区)。「古株議員」が「カッカしていた」と、一年後に朝日新聞は報じている(朝日新聞、二〇一六年五月二日、朝刊)。

会派内部で校長や担当教員を呼べという声が出るなか、最終的に県教育委員会幹部が答弁することとなった。県教委は校長を通じて、授業担当教諭は自分の考えを授業中に明らかにしてないことなどを確認し、「政治的中立性は確保されていた」と判断した。しかし、浅原教育長は「結果的に賛否を問う形になった」点について、「配慮が不足していた」と議会で答弁した(朝日新聞、同前)。一年後の朝日新聞の教育長に対する取材においても、浅原氏は「投票結果が表に出たときの影響を想像することも教員側に必要」としつつ、「配慮不足」の答弁は謝罪ではなかったことを確認している。この経過については、教職団体と県教委との交渉がよりくわしい。以下、山口県教組「速報」(二〇一五年七月三一日)を参照しよう。

山口県高教組は二〇一五年七月三〇日に教職三団体(高教組二七、県教組四、高職組三)は、柳井高校授業での「政治の教育介入を排除し、学校教育の主体性尊重を求める」県教委交渉をおこなった。このとき署名一五八二筆を提出している。

県教委の答弁は、「六九通達」(一九六九年、学生運動が高校に広がることへの対応として文部省が各県教委に出した通達「高等学校における政治的教養と政治活動について」)に照らして、①新聞二紙が問題ではなく、安保法制の全体像や背景がわかる多様な資料がなかった。②投票が結果として法案への賛否を問うものとなった。③授業の進め方、資料が適切かなど学校としての指導方針が明確ではなかった、の三点をあげ、授業は「配慮不足」と判断したというものであった。

これに対して三団体は、①膨大な法案や政府答弁を教材資料とするのは不向き、議員でも全体を把握するのは困難、それゆえ争点が明確な資料であれば十分であること。②「最も説得力あるグループ」に投票し、法案そのものへの賛否を問うものではないことを三度指導したことを確認しているにもかかわらず、「結果として法案への賛否を問うものとなった」は曲解である。③授業は年間計画に沿っており、授業内容・教材資料は「教育をつかさどる」教諭の権限である、と批判した。また、教育長が発言した「県教委として学校への指導が不十分だった」とは、主権者教育の進め方を提示できなかった自らの反省だと回答したことに対して、三団体は指針ができるまで主権者教育はできないということかとさらに迫った。

交渉を通して、県教委は、授業は「六九通達」を逸脱していないこと、「授業を問題視したわけではない。県議に謝罪していない」「政治的中立を侵していると思ってもいない。…謝罪すべきものでもない」と述べ、柳井高校への改善指導もないことを承認した。

三団体は、①学校の主体性や教員の自主性尊重の姿勢を明確にすること、②新制度でも教育委員会の中立性確保の姿勢を明確にすること、③主権者教育を奨励すること、④「新たな指針」は総務省報告の方向で作成し、三団体と協議すること。⑤柳井高校に謝罪し、名誉回復を図ること、を要求した。県教委は①は尊重していく、②は当然、③については、旬の教材を使うこと、生徒に論議させていくことを勧める、模擬投票はあり、④と⑤については相談して説明する、などと答弁した。

毎日新聞など各紙はこのとき、村山士郎氏(大東文化大名誉教授、教育学)のコメントを紹介している。村山氏は、教育長の関与は教育の自由を奪うこと、「政治教育に試行錯誤をしている現場を委縮させることにもつながる、時代錯誤的な発言」と述べている(毎日新聞二〇一五年七月四日)。また、中国新聞は山口大学教育学部の吉川幸男教授(社会科教育)の次のようなコメントを紹介している。「一回の授業だけで内容を批判するのは短絡的。教育長は答弁で授業の評価できる点に触れておらず、現場は気の毒」「原発など賛否の割れる課題を取り上げないという雰囲気が広がると教育実践の発展に良くない」(中国新聞二〇一五年七月七日)。

柳井高校の実践を経て

「六九通達」があらためて参照されたように、選挙権の一八歳引き下げをその内容とする二〇一六年成立の「改正公職選挙法」は、「未成年者」の定義を盾に、高校生の政治参加に制限を加えてきた政府方針とのあいだで激しい相克を引き起こしている。選挙権年齢一八歳はすでに世界的常識である。ただ、現在は見送られている成人年齢の拡大をも見越した、少年法改正などいっそうの国民負担が予想される社会制度改革に連動していく側面もある。しかし、政治参加する市民が構成する市民社会の成熟の条件であることは疑いない。そして柳井高校は、主権者教育という課題をそうした市民的成熟という方向で取り組もうとする先駆的な事例である。

戦前内務省の時代から、日本の官僚たちが、普通選挙権の付与にあわせ、国民の政治参加と自治を促す政治教育という課題を強く意識してきたこと、それが戦後の自治省、そして現在の総務省に引き継がれていることなどについては、すでに論じたことがある(本誌第四号)。そしてまた総務省はすでに主権者教育のための参加型学習教材を開発していることにも、そこで触れた。

柳井高校の実践をめぐる攻防は、官製主権者教育が現場で実践された場合のリミットをよく示している。基本的には国体護持と国家主義方針の堅持を大前提としている旧内務省的な国民教育は、国民の政治参加と自治という課題に鑑みて、根本的な矛盾を有しているということである。それは日常を戦争国家化することだからである。そしてそうした国家主義的な方針を打破し、市民の主権者的実践を実現していくために、柳井高校と山口県の教職団体のような粘り強い取り組みが不可欠だということも、今回の事例はよく示している。その意味で私はここで紹介した教員たちの取り組みに敬意を表したいと思う。それはこの社会の政治的現実を変えていく、将来への希望を残している。

私事であるが、私は勤務先で、現在の日本人学生の政治嫌いに辟易することがある。それは留学生たちとのあいだに存在しているギャップでもある。趣味や家族についての話題をしながら、まったく違和感なく地続きで政治的な関心や時事問題を語る留学生たちに対して、生理的にそうした話題を回避しようとする日本人の学生に出会うとき、心底落ち込む。そうした日本人学生は、ときに東アジアからの留学生のそうした態度にも直面するが、少数派ではない。もちろん数年後には、そうした学生たちの何人かは変わっていく。だがいずれにせよ、私がげんなりするのは、政治的現実という〈他者〉や外部に対する生理的な反発とは、排外主義や差別意識の構造に似ているからである。

こうした事態が今日の教育の産物であることはあきらかである。「六九通達」はその象徴的な存在であり、この事態を招いた責任を、批判的知性の営為にかかわるものたち全員は負っている。それは近代日本の歴史的課題でもある。主権者教育という最前線から目を離さないようにしていきたいと思う。

ともつね・つとむ

1964年生まれ。東京外国語大学教授。主な著書に『戦後部落解放運動史――永続革命の行方』(河出書房新社)、『脱構成的叛乱―吉本隆明、中上健次、ジャ・ジャンク―』(以文社)など。

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