特集●歴史の転換点に立つ

〔連載〕君は日本を知っているか ⑦

沖縄認識は改善されているか―忘れられた70年前の記録

神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠

埋もれた記録を掘り返す

今年五月、沖縄でまた米軍関係者による重大犯罪が発生した。元海兵隊員で軍属の男が、若い女性を殺害し、その遺体を遺棄したという事件である。事件の実態が明らかになると日米両政府は型通りの対応を示した。すなわち日本政府の抗議と米国政府の謝罪、再発防止の約束、事件・事故の度に繰り返される儀式は、もはや茶番劇としか言いようがない。在沖縄米軍は夜間外出・飲酒禁止令を出したが、その後も禁止令は一向に守られず、飲酒運転による事故や検挙者が相次いだ。

こうした繰り返される事態を見たとき、そこに事件を生み出す構造的要因があると考えるのは至極当然のことであろう。戦後のアメリカ合衆国による統治、返還後現在に至るまでの米軍基地の存在、日米地位協定という「治外法権的条約」によって守られた米軍関係者の法的地位、こういう状態が背景にあることは言うまでもない。しかし、構造的要因はそれにとどまらない。そもそも、アメリカ合衆国が、沖縄と沖縄の住民に対してどのような態度をとってきたか、そして現にとっているかという点に、もう一つの構造的要因が潜んでいるのではないか。基地や地位協定の問題は、いろいろ論じられているので、今回は、このもう一つの構造的要因について考えてみたい。

事件の報道に接して、筆者がまず思い浮かべたのは、この犯人は沖縄の住民をどう思っているのだろうか、ということだった。もちろん、今のところ犯人にそのことを確かめるすべはない。しかし、米軍関係者による沖縄の女性に対する犯罪が続いていることを考えると、今度の事件も、過去の諸事件との何らかの関連があると推測せざるをえなくなる。その関連とは、客観的には犯人が米軍関係者であるということであるが、そこに米軍関係者特有の問題がありはしないかという疑念が拭い去れないということである。憶測にすぎないというそしりを覚悟の上で、あえて結論を言ってしまえば、在沖縄米軍関係者には誤った優越意識があり、それが犯罪行為に対する抑止力を弱める心理的要因の一つになっているのではないかという疑念があるということである。そして、そういう意識は、米軍の沖縄占領以来の七十余年間変わらずに作用し続けて来たのではないかと、筆者は思わざるをえなかったのである。

そんなことを考えている時、新聞(もちろん「本土」の新聞)の小さな記事が目に入った。イギリス人ジャーナリストが、アメリカ合衆国の情報公開制度を利用し、沖縄に派遣する米国海兵隊兵士教育用のスライドを入手し、その内容が沖縄の住民を侮辱する表現をふくんでおり、そのことが沖縄で問題となっているという記事であった。おそらく、そのイギリス人ジャーナリストも、米軍関係者の犯罪に何か構造的要因があり、その要因の一つに兵士教育の問題があると考えたに違いない。そこで、兵士教育用の資料の公開を請求したところ、「沖縄の住民は「理論的というより感情的」あるいは「二重基準」であるとか、「米兵は簡単にもてるからその気になるな」とか、侮辱的な沖縄認識が教えられていることを示す資料を手に入れたというわけである。

いうまでもなく、犯罪は犯人個人が起こすものであり、兵士教育が犯罪奨励のために行われている訳もないので、個々の犯罪と兵士教育の因果関係を立証することはできない。しかし、そのような侮蔑的な内容を含む教育が、犯罪抑制のためになんの効果もないことだけは確実に言える。そして、そのような侮蔑的認識は、どこかで形成された偏見と密接に結びついているのが普通である。その偏見の源は、第二次世界大戦中にアメリカ合衆国軍事戦略局調査分析部が作成した『琉球列島の沖縄人―日本の少数民族』という報告書にあるのではないか、というのが筆者の推測である。

この報告書は、沖縄県史資料編第二巻に英文及び日本語訳が全文収録されており、失われた記録という訳ではないが、専門研究者はともかく「本土」の日本人にはほとんど知られていないか、きちんとした検討も行われてこなかったという意味では「埋もれている」と言わざるをえない記録である。そこで、以下、簡単ではあるがその内容について分析しておこう。

占領者目線の報告書

ところで、この『琉球列島の沖縄人―日本の少数民族』という報告書が書かれたのは、1944年で、まだ沖縄戦も始まっていない時期であった。そんな時期に、人類学者・社会学者を動員し、戦後占領統治を見通して、ハワイ・南米に移住した沖縄人の調査を実施し、琉球の自然・歴史・社会・文化全般にわたる報告書を作成していたアメリカ合衆国の周到さには、驚くほかないが、そこには対日戦争遂行と占領統治に資するという政治的目的に沿って書かれているため、科学的客観性の点で問題があることは否定できない。しかし、それだけ、アメリカ合衆国の対沖縄認識の本音が現れているとも言える。そこで、対沖縄認識を示す特徴的な文章をあげてみよう。

同書第三部の「亀裂」という項では、こう書かれている。「通常琉球人が内地人と一緒にいる際に現れる感情には、劣等感と共に強い自意識がある。この状態は、意見の表明を避ける傾向と、降伏の感情、即ち見下される事に対する忍耐強い服従をもたらすことが多い。日本人がわざわざ沖縄人を丁重に遇すると、沖縄人はたいてい驚き、喜ぶ」、あるいは「[北米]大陸の強制収容所では時折、どのグループがつまらない仕事に任じられるべきかを日本人が提案することができた。多くの場合『炊事勤務』はたいてい沖縄人で、彼等は殆どの場合この状況を当然の事として受け入れた」と。ここで描かれている沖縄人像は、劣等感にさいなまれ、日本人の要求には忍従するしかないと諦めている卑屈な人間像である。さらに、こういう記述もある。真珠湾攻撃以後のこととして「沖縄出身の青年が職を探す際には、自分の素性を誇り高く公表し、そうすることによって生粋の日本と見なされる場合よりも良い仕事を得られる事を期待するようになった、と伝えられている。[中略]この状況においては、沖縄人が内地人と違うという事を表現するのは、単に現状を自分達に都合よく利用するためだけだ、という解釈も可能である」と、沖縄人は状況が変われば、自分の都合のよいように態度を豹変させる人間であるかのように書かれている。こうした沖縄人像は、「二重基準」という言葉で沖縄住民を見下した海兵隊教育用スライドにも、いまだに貫かれているといっても過言ではないであろう。

また、この報告書には、付録として「沖縄諸島の将来」という文書が付けられており、その「自治」の項には「既に述べたように、島の独立についても、統治権の交代についても、地元民からの明確な提案は何ひとつなかったようである。おそらく士族など一部の沖縄人以外、自治、あるいは少なくとも自分達の未来を自分で決めることが出来るようになることに対する願望を持っていなかったことは間違いないであろう」と書かれている。まるで沖縄人の自治能力を否定するかのようなこの態度は、戦後、アメリカ合衆国の沖縄統治下で闘われた自治権闘争に対するアメリカ合衆国民政府の態度を予言するものであろう。

こうした、偏見に満ちた報告書が作成されたのは、先にも述べたように、特定の政治的目的のために作成されたという経緯による。政治的目的とは、対日戦争を有利に展開させるために日本と沖縄を分断するために、日本本土人と沖縄人との間にある「亀裂」を最大限に利用しようということであり、沖縄占領後あわよくば沖縄をアメリカ合衆国の統治下に永久に確保する可能性をさぐるということであった。したがって、戦争の帰趨がアメリカ合衆国の勝利の方向で明らかになってきた時点で書かれた報告書が、勝利者・占領者の優越感に満ちたものになっているのは当然であるかもしれない。

しかし、戦後20年以上にわたる沖縄統治の過程で示された沖縄人の激しい抵抗から何も学んでいないとしたら、また日本への返還から45年近い年月が経ったにもかかわらず、依然として偏見が拭い去られていないとしたら、それは大問題である。たしかに、一度浸透した偏見を解消することは容易ではない。放置しておけば、偏見は増幅されることはあっても解消に向かうことはまずない。したがって、現在の問題は、偏見を解消するためにどのような努力が行われてきたか、現に行っているかにある。しかし、少なくとも、アメリカ合衆国からは、そのような努力が行われてきたという話は聞いたことはない。

問題はブーメランのように自分に帰る

それでは、日本がアメリカ合衆国に対して、偏見の解消を求める立場にあるかというと、そこにも問題はある。もちろん、日本は、政府を筆頭にしてアメリカ合衆国の沖縄認識の問題を追及しなければならないのは当然であるが、日本自身にも沖縄認識についての深刻な問題があることは認めざるをえないからである。

先に紹介した報告書には、「内地人」の沖縄人に対する偏見について、「日本人の反沖縄人感情」という項で次のように記述されている。「沖縄人と日本人は全く違う2つの民族であり、国民である、という以前日本で一般的であった考えは消えたが、内地では未だに偏狭な感情が残っている。時には、朝鮮人と南の島々の人は同じくらい『外国人』であると考えられている。沖縄人は『天皇が1度も訪れた事が無い地方』からきたと言われている」と。また南米での事例として「彼等は不潔で無作法であると公然と批判され、社会から排斥されている。日本人はだれも沖縄人と結婚しない。沖縄人と日本人がペルーの同じ農場で雇われることがあれば、日本人は別々の宿舎を要求した」という調査者の報告も載せられている。この報告書で強調されているのは、その日本人の沖縄人に対する反感であり、それに対する沖縄人の日本人に対する反感である。それを見ているがゆえに、報告書ではわざわざ「亀裂」(いうまでもなく日本内地人と沖縄人の間にある感情的亀裂)という章を設け、そこに付け込んだ対沖縄宣伝の必要性と有効性を説いているのである。

アメリカ合衆国の沖縄認識を問うとすれば、その問いは当然「日本内地あるいは本土」人の沖縄認識が問われなければならない。実際、先に紹介したイギリス人ジャーナリストに関する記事をネット上で調べていたら、彼が公開した海兵隊教育用スライドに書かれた沖縄人に対する侮辱的表現について肯定する書き込みが少なからずあったのである。その中には口に出すのもはばかるような悪罵としか言いようのないものもあった。悲しいかな、それが日本の現実の一部であることは認めないわけにはいかない。そうであれば、日本がアメリカ合衆国に対して沖縄認識の如何を問うためには、日本自身の沖縄認識がその報告書の段階からどれほど変革されたのかを示さなければ説得力はないことになる。しかし、現実には、沖縄にのみ過重な基地負担を押し付け、金と暴力(補助金と警察と言い換えてもいい)にものを言わせる現状は何も変わっていないのである。その意味では、日本もアメリカ合衆国も、沖縄に対する偏見を助長している共犯者であると言わざるをえない。

その意味で、沖縄うるま市の殺人死体遺棄事件に対して六万五千人が集まって行われた抗議集会で若い女性が訴えた「加害者はあなた達です」という日本本土人に向けて発せられた言葉が胸に突き刺さった。

きつかわ・としただ

1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任、昨年4月より名誉教授。前現代の理論編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社、7月刊)など。

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