特集●歴史の転換点に立つ

統一戦線論の再構築が急務

清水慎三氏没後20年、胎動する新たな動き

立命館大学名誉教授 松田 博

清水慎三さんのこと

『日本の社会民主主義』(岩波新書、1961)や『統一戦線論』(編著、青木書店、1968)などで知られる気鋭の論客であり、実践的な研究者であった清水慎三さんが他界して20年が経過した(1913-1996)。『統一戦線論』が出版されたとき、私は院生であったがさっそく院生研究会で取り上げ、議論したことを今でも鮮明に覚えている。

本書は、前年の1967年、東京都知事選における美濃部亮吉氏(東京教育大教授)の勝利の推進力となった社共両党を含む革新共闘(「明るい革新都政をつくる会」)の経験を、統一戦線論の視点から分析した、おそらく最初の著作で、その後の統一戦線論や「革新自治体論」をめぐる議論の活性化に与えた影響は大きいものがあった。とくに統一戦線論と「革新自治体論」を接合して論じたものとしては先駆的であったといえよう。

同書は「統一戦線にかんする一般理論」、「日本における統一戦線の経験」、「統一戦線の国際的経験」などで構成され、清水さんは統一戦線論について「新しい観点の導入」が必要であると「はしがき」で述べているが、当時としては斬新な問題提起的内容であり、また今日でも歴史的条件は大きく変化したとはいえ、その基本的精神は忘れてはならないと思う。                 

清水さんの主張は、統一戦線の担い手としての「社共双軸論」であり、そのためには「反・反共」が必要である、というものであった。鶴見俊輔さんもことあるごとに諸運動の発展のために「反・反共」を主張されたが、統一戦線の必要条件として「反・反共」を主張したのは清水さんが先駆的であったのではないだろうか。また革新共闘の実現には著名な知識人、文化人が積極的な役割を果たしたことも忘れることは出来ない。

「明るい会」の代表委員には大内兵衛、市川房江、中野良夫、野上弥生子、東山千栄子、平塚らいてう、松本清張、柳田謙十郎などの錚々たる人々が就任した。当時の記録には、各界の知識人、文化人が1800名以上も「明るい会」の賛同者となり世論形成に大きな力を発揮したと記されている。そこには宮沢俊義、志賀直哉、石川達三、手塚治虫、宇野重吉、滝沢修、中村錦之助、勝新太郎、渥美清、高峰秀子、樫山文枝、林家正蔵、永六輔などの著名人が含まれていた。

この美濃部・革新都政は3期12年続いたが、一国の首都でこのように長期の革新都政が続いたことは、西欧諸国にもないことであり、その意味でも清水さんの問題提起は今日でも重要な意味をもっていると考える。

当時社民党党首の土井たか子さん(1928-2014)は、清水さん没後の弔文のなかでつぎのように述べている。「私は『新しい社会民主主義』の理念にもとづく党再建のため、今回『ゼロからの出発』を決意し、その第一歩を全力でたたかいました。・・・先生の社会民主主義へのかわらぬ志と、理想のタイマツを生かし追求すべく、『市民との絆』をひたすら求めたたかってまいります」。

土井さんの「新しい社会民主主義の理念」の追求や「市民との絆」が、たんなるスローガンではなく、その後の同党においてどのように真摯に探究されてきたのか?私はよく知らない。しかしこのような「理念」や「絆」がその後深まっておれば、党首自らが選挙を前にして「他党への合流」などと発言する必要もなかったであろう。しかしながら今回の参院選において一議席しか確保できなかったとはいえ同党に投票した人が150万人以上いたことは注目していい。同党の「再生」への期待票と考えるからである。

同党は、土井さんの「理念」や「絆」を今後「党の存亡」をかけて、市民社会の声に謙虚に耳を傾けつつ、具体化していくことが問われている。「立憲主義」的政党として、「市民社会」との「絆」を強化するための自己刷新が求められていることは確かといえよう。筆者は、同党の存在意義の一つを有力野党間の対話、協力、共同を推進していくための「ブリッジ政党」になりうるかどうかにかかっていると考えている。そのためにはまず自党の足腰を強化することが不可欠である。強固な「橋脚」なしには「ブリッジ」も不可能だからである。

また共産党副委員長の上田耕一郎さん(1927-2008)も長文の弔辞を寄せ、清水さんの言論に注目していたことを述べている。「清水さんと私とは、党派は違っていても、ある連帯感と信頼感をともにしていたように思う。氏の著作にはいつも強い関心をそそられたし、生き方、たたかい方も敬愛していた。なによりも清水さんご自身が『社会民主主義のワクをはみだした社会民主主義』という独自の道を貫かれ、共産党を含む戦後革新勢力の統一を志向して誠実に行動されていた」実践的知識人であったと、高く評価している。

上田さんは『統一戦線と現代イデオロギー』(新日本出版社、1969)、『統一戦線論争』(同前、1977)などの著書によって統一戦線論の展開に重要な役割を果たした理論的リーダーであったが、異なる立場の人々の見解に注目し、共通理解のために努力していたことをこの弔文から察することができよう。同党の統一戦線論の発展における上田さんの功績は今後も重要な意味を失わないであろう。「対話する精神」や「異論の尊重」がなければ統一戦線の前提としての相互信頼、協力、共同の精神は生まれないからである。

*引用はいずれも『君子蘭の花蔭に 清水慎三氏の思い出』(平原社、1997)による。

「市民社会」からの問いかけ―SEALDs・立憲主義によせて

SEALDsと高橋源一郎の対談集『民主主義ってなんだ?』(河出書房新社)は直球勝負の本である。とくに「おわりに」の三人の学生の言葉が新鮮である。ラップをやっている牛田悦正君は、「民主主義的なものをやってみる。つまり話し合ってみる。その体験が民主主義なんじゃないだろうか。話し合いの中で、相手の意見を聴いて、自分も少しずつだけど変わっていく、そして、共通の地平が見えてくる。そんなときに、民主主義っぽいものを感じる。それは凝り固まった、与えられた、制度としての民主主義ではなく、『僕らの民主主義』の片鱗なのだろう」と率直に語っている。

私たちの世代は文字通りの「戦後民主主義」教育の体験者であり、「理念としての民主主義」を教育されてきた。本書に登場する学生とは半世紀近い年齢差があるが、彼/彼女の出発点は「理念」ではなく「民主主義の不在や空白」という現代日本の現実である。つまり「民主主義の不在や空白」をどうすれば埋めることができるのか?というアクティブな問題意識といえよう。かつて人々が、「自由」の重みから逃れようとして「カリスマ的指導者」に依存しようとする権威主義的社会心理がファシズム、ナチズムの大衆的基盤となったことをフロムは『自由からの逃走』でリアルに描いたが、彼/彼女たちは日常のなかで「民主主義からの逃走」を阻止し、自らの生き方のなかでその「不在や空白」を埋めていこうとしている。私はそこに「直球勝負」の爽やかさを感じた。

民主主義は弱く脆いものである、しかしながら人間は民主主義を超える制度を見出していない以上、民主主義の欠陥や脆弱性をリアルに認識し、それを補強し、修復しつつ「使いこなす」知恵を身に着け、実践していくことの重要性を同書は鮮やかに語っている。私は日本国憲法第97条の「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、過去幾多の試練に堪へ、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」を重視している。つまり民主主義の根幹としての「基本的人権」は「保障」されているだけでなく「人類の多年にわたる努力の成果」として我々に「信託」されたものであるということである。

SEALDsの若者たちの感覚とこの「信託」という重い言葉との間をどう埋めていくか?という「問い」が突きつけられる。この点について丸山眞男は次のように述べている。つまり97条や12条の含意は「国民はいまや主権者となった。しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目覚めてみると、もはや主権者でなくなっているという事態が起きるぞ」という「警告」でもあり、その背景には「最近百年の西欧民主主義の血塗られた道程が指し示している歴史的教訓」があることを強調している(『日本の思想』、岩波新書)。

かつてドイツの法学者イエーリングは、その古典的名著『権利のための闘争』(岩波文庫)でつぎのように述べた。「『権利のための闘争は、自分自身に対する義務』であり、そのためには『健全な権利感覚』として『敏感さ、すなわち権利侵害の苦痛を感じ取る能力と、実行力すなわち攻撃を斥ける勇気と決意』が必要である」と。この言葉は、SEALDsの若者たちの「憲法と現実との深い溝」をどう埋めていくか?というメッセージとも重なってくるといえよう。

余談ながら朝日新聞に掲載された三十代の主婦の投稿に注目した。「それでも私たちは一人一人、孤独に考え、判断し、行動する」というSEALDsの学生の言葉にたいして「一人の学生の主張がぐっと響いた。これこそ私が求めていた答えだ」と彼女は記している。

SEALDsについては『民主主義は止まらない』(河出書房新社、2016)、奥田愛基『変える』(同前)、『若者はあきらめない』(太田出版)などで「立憲主義」問題はじめ多様な問題を若者らしい鋭い感性と知性で「報告」してくれており、筆者自身大いに刺激されたが、清水さんが健在であれば、彼/彼女らの鋭敏なセンスを高く評価したのではないだろうか。というのはSEALDsの柔軟でシャープなセンスは「政治社会」次元ではなく「市民社会の声」だからである。

つまり統一戦線はかつてのように政党間共闘だけではなく、むしろ政治勢力と市民社会との共闘という新たな次元を包括した「論じ方」が不可欠となると考えるからである。換言すれば「政治社会と市民社会との乖離、亀裂」の深刻さを直視することなしに、統一戦線論のバージョンアップは不可能であるといえよう。「立憲主義」と統一戦線論の接合はその象徴的事例の一つである。

筆者が「立憲主義」的知識人の強靭な知性から学んだ諸点の一つは、この「政治社会と市民社会との乖離、亀裂」の深さを直視するということであった。たとえば北田暁大、白井聡、五野井郁夫『リベラル派の再起動のために』(毎日新聞出版)は、「戦後レジームからの脱却」に対抗する「立憲主義レジーム」の構築にとって必要不可欠な諸点が提起されており、「机上と路上を往還する」実践的知識人のエキスが豊富に充填されている著書であるが、紙数が尽きたので別の機会に紹介したい。

まつだ・ひろし

早稲田大学卒業。社会思想史。イタリアのグラムシ研究所やフィレンツェ大学で研究。現在立命館大学名誉教授。著書に『グラムシ研究の新展開 グラムシ像刷新のために』(御茶の水書房)。『グラムシ思想の探究 ヘゲモニー・陣地戦・サバルタン』(新泉社、21世紀叢書)。 『グラムシ「獄中ノート」著作集 7 <歴史の周辺にて「サバルタンノート」注解>』編訳(明石書店)。『知識人とヘゲモニー「知識人論ノート」注解』編訳(明石書店)など。

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