特集 ● 混濁の状況を見る視角

現代日本イデオロギー批判 ―

「失われた30年」の魔術的効果を検証する

ナショナリズムの毒素は思考停止した脳髄に浸透する

神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠

ナショナリズムの変種として自国第一主義の論理

ウクライナでロシアのプーチン大統領が始めた戦争が長期化の様相を色濃くしているところに、中東情勢が急展開し、新たな武力衝突が発生した。パレスチナのガザ地区を実効支配するハマスのゲリラ的イスラエル攻撃に対して大規模なイスラエル軍の反撃が行われ、地上軍の全面侵攻が実行されれば、中東全域を戦争に巻き込むような深刻な危機が発生している。連日伝えられる戦場となったパレスチナ・ガザ地区の様相は、絶望的なまでに破壊的である。子ども、老人、傷病者を含む一般市民への最低限の人道的配慮すら欠落させた軍事力の行使は、あまりにも理不尽であり、無惨である。兵士たちにそのような行動をとらせているものは何なのか。とりわけロシアやイスラエルの権力者には厳しく問いただしたい思いに駆られる。

と言っても、権力者たちの返答はおおよその想像がつく。我国家・国民あるいは民族は、敵対する勢力による不法な攻撃によって存亡の危機に立たされている。敵はテロリストであり、ネオナチである。我国はそれらの敵から自らを防衛する自衛権を持つ。テロリストやネオナチとの闘いには、一切妥協の余地はない。21世紀初頭、アメリカ合州国が9.11同時多発テロ事件への報復に際して主張した対テロ戦争の論理——それによって、大量破壊兵器を保有するという不確定な口実による「ならず者国家」の公然たる破壊、他国の主権を明白に侵犯したテロ首謀者の殺害が実行された——、そこにナチズムという第二次大戦後、最も否定されるべき犯罪的思想のレッテルを重ねる。敵を悪魔化し、自分達のどんな行為も正当化するという権力者のレトリックが猛威を振るっているのが今日の現実である。

こういうレトリックがまかり通る背景には、言うまでもなく自国第一主義というナショナリズムの一変種の蔓延がある。選民思想や自民族優越主義などのように、明確に人種主義に基づく排外主義とは異なり、自分が属する集団特に国民共同体としての国家を最優先に考えるという素朴な意識に依拠する限り、自国第一主義が特に攻撃的性格を持つことはない。アメリカ合州国で第二次大戦前から広く主張されるようになった ”America First” というスローガンも、一国主義あるいは孤立主義の外交政策上の主張であり、特にヨーロッパ大陸の戦争への不干渉・不参加の意志を表明する標語であった。

そこには、アメリカ大陸のことは、合州国のヘゲモニーに任せて大陸諸国は干渉するなというモンロー主義や、大陸でのナチスドイツの侵略・反ユダヤ主義政策を許容し、黙認するという歴史的には明らかな間違った判断がつきまとっていたことは否定できない。しかし、第二次大戦後、自由主義十字軍的干渉政策、世界の警察としての世界各地への軍事介入が、反共産主義のイデオロギーと結合した時、いかに世界に紛争・対立・分断をもたらしたかを考えると、大国の孤立主義にも一定の評価を与えてよいという主張にも根拠なしとはしない。実際、「アメリカ帝国」批判を展開する人々の間でも、トランプの掲げた一国主義を評価する声が無かったわけではない。

しかし、トランプ以後、世界に蔓延することになった自国第一主義は、はたしてそんな内向的なおとなしいものであっただろうか。アメリカ合州国について言えば、”America First”に 続けて“Make America Great Again” が叫ばれるようになった時、それは巨大な怪物に変質した。

復活した大国主義と増殖するエゴ政権国家群

大統領選挙でのトランプの派手な連呼ですっかり有名になった“Make America Great Again” というスローガンも、1980年の大統領選挙でドナルド・レーガンが使用したのが最初だと言われている。それが、36年経って復活したわけである。レーガンがこのスローガンを掲げた当時、合州国は、ベトナム戦争の敗北とオイルショックの影響等で財政赤字に悩み、日本やヨーロッパ諸国の追い上げで経済成長の失速と急速な国際的地位の低下に苦しんでいた時期であった。

その後、新自由主義的経済政策への転換と社会主義諸政権の崩壊による冷戦の終結によって経済的にも回復軌道に乗り、国際的には合州国の一極支配と言われる状況が到来するかに思われた。しかし、グローバル化による社会変動の波は、例外なく合州国をも襲い、グローバル企業の繁栄と引き換えに労働者は疲弊し、地球規模の不安定化は移民問題の深刻化として現れることになった。

”America First”と “Make America Great Again”のスローガン自体は使い古されたものであったが、それが連結され、猛烈なマスコミ戦略や大衆集会で声高に連呼された時、没落の危機に瀕していた中産階級や失業の危機にさらされた労働者達の耳には確実に届いた。2016年の大統領選挙では、激戦の末トランプが勝利した。トランプは、移民排斥をきっかけとして排外主義・人種主義のおぞましい「本音」を引き出し、第二次大戦後築き上げてきた国際的枠組みを次々に攻撃し、結果としてイランや北朝鮮の核開発を容認し、地球温暖化を加速させ、世界全体に自国第一を掲げるエゴイズム政権の登場を促した。

なかでも、経済的・軍事的に巨大な影響力を持つ大国に「大国復活願望」とでも呼ぶべき雰囲気を蔓延させたことの影響は小さくない。「過去の栄光」、「黄金時代」への郷愁を掻き立てるというのは、ナショナリストの常套手段ではあるが、それが強権化を図る権力のイデオロギー政策として最も有効であり、どこかでその成功例が示されれば、その模倣者・追随者がすぐに出現する。かくして世界は、「大国願望」をくすぐり、政権の維持をはかる大国とどの大国につくことが権力保持に有利かを考えて様子をうかがうエゴイズム国家とがせめぎ合う醜い舞台と化したかのようである。

しかし、どんなに大国であること、大国であったことを主張しようとも、その現実的根拠と歴史的由来を問うと、その答えは五里霧中の中にぼんやりと霞んでいるようにしか見えない。たとえば、トランプが言うグレートアメリカ、偉大なるアメリカとは何時のどのようなアメリカなのか、明確に示されたことはない。建国当初は東部の13州しかない小国であったし、その後は戦争に次ぐ戦争で領土を拡大し、奴隷労働に依存する道義的にも立派とは言えない国家であった。南北戦争によって奴隷解放を達成し、自由と人権の国家になったといっても、黒人が法的に平等の権利を手にするようになったのは20世紀後半のことであった。第一次世界大戦の終結に力を尽くし、第二次大戦ではファシズム国家打倒の決定的役割を担い、戦後の国際秩序の枠組み作りに大きな役割果たしてきたことは事実だが、その国際秩序の枠組みを破壊しようとしているのは、他ならぬトランプ自身ではないか。

あるいは、アメリカ合州国に対抗し、合州国に対しても対等なバートナーとして世界秩序を共に担おうと提案した中華人民共和国の習近平国家主席も、大国化の願望を隠そうともしていないが、彼が復活を唱える中華帝国はいったいどの時代のことなのかはっきりしない。漢や唐の古代帝国か、元や清のユーラシア帝国か、それとも鄭和の大船団をインド洋まで派遣して海洋帝国を目指した明王朝時代か、明確に語られたことはない。

大英帝国の復活を目論んでEUからの離脱を選択したイギリスも、植民地帝国の再現の不可能なことは自明の了解事項にせざるをえないし、スコットランドや北アイルランドの分離独立の動きを再燃させかねない状況を招いている。さらに、英連邦諸国の中からは、王制を否定し、連邦からの離脱も辞さない動きも出てくるなど、自国第一主義や偉大な時代への復帰のスローガンが求心力ならず遠心力を強める危険性すら生み出してしまった。「グレートなんとかアゲイン」は、過去の栄光の残像を来るべき未来の目標にするという倒錯した論理を含んでいるために、かえって歴史認識に混乱をもたらし、現在を危うくするというパラドックスに陥りかねないのである。

さらに、ロシアの場合は、そのパラドックスの典型を示していると言わざるを得ない。プーチンは、ウクライナへの侵攻を開始するにあたって、9世紀のキーウ大公国の栄光を持ち出し、さらに、ピョートル大帝の「偉業」に自らを重ね合わせ、権力維持のために過去の栄光の衣装を着ることに必死になっている。その挙句、ナチスドイツとの戦争におけるロシアの貢献を主張し、その「祖国防衛戦争」を指導したスターリンを英雄視して憚らない。中世の宗教国家も、ロマノフ王朝の皇帝政治も、社会主義体制下の独裁政治も、何もかも一緒くたにして主張される偉大なロシアの復活とは何を意味するのか。まともな歴史家ならば、支離滅裂としか評しようのない歴史認識が、権力者の脳中にだけあるならともかく、それが国民に広く強制されれば、その結果は人類にとってとんでもない災厄をもたらすことになるに違いない。

この他にもインドやトルコのように大国志向を持つ国家は、他にもないわけではないが、ここにあげた米英中露の4か国は、現実に大国であり、大国あるいは帝国としての「偉大な」過去を持つ国家であることに間違いはない。そして、この4か国こそ、第二次世界大戦の「戦勝国」としての立場を共有し、ほんの一時期とはいえ、戦後の国際的協調体制の枠組みを共同して作ってきた。「戦勝国」といえども、第一次世界大戦後の失敗を教訓とせざるをえなかったし、平和の維持、その根底にある人間の生存にかかわる権利の保障、安全保障や軍事力の管理・抑制の仕組みなど、世界史を鳥瞰してみれば「進歩」と呼べるような枠組みをそれなりに作動させることができた。ところが、その中心を担った4か国が、” [ ****] First” “ Make [****] Great Again” を競って、その枠組みを壊しにかかっている。そして、大国間対立の隙をねらう核武装した小国の蠢動も目立ってきた。歴史の皮肉もそこまでいけば、明白な悲劇となるかもしれないのである。

Great Again と高唱できない国家の役割

ところで、それなりに大国であるにもかかわらず、Great Again と叫ぶことができない国家もあることに注意する必要もある。その国家とは、ドイツと日本の2か国である。この2か国は、現在、GDPで、世界3位、4位を争う位置にある。ロシアやイギリスよりも経済的には大国と称するにふさわしいといってよいであろう。ただ、軍事力の点では、通常兵力に限れば、世界の10位以内に入るであろうが、さすがに核戦力は保有しておらず、また憲法上その行使については厳しい制約があり、変な言い方だが、かろうじて軍事大国と呼ばれることを免れている。

この2か国の政治家が、FirstやGreat Againをあまり叫ばないのは、国内の経済・社会状態が比較的安定しており、政治的にもナショナリズムを煽らなければならないような分断が生じていない、という事情があったためかもしれない。また、第二次世界大戦中軍事的侵攻を受け、無法な支配にさらされた周辺諸国民から、何を再現しようとしているのかと問われ、場合によっては厳しい批判にさらされる可能性があることも抑制力となって作用しているであろう。さらに、「戦勝国」は、戦勝の意味をファシズムや軍国主義、野蛮な暴力にたいする民主主義の勝利ととらえ、戦敗国にその体制の清算を戦後復興の条件として受け入れることを要求し続けてきたことも大きかったであろう。

さらに、この二か国は、自ら戦争中の不法な侵略、残虐な数々の戦争犯罪の責任を、敗戦という苦痛に満ちた事態の中でも主体的に受け止める努力をそれなりに重ねてきた。不十分だ、少ないとの批判を受けながらも、この2か国は、それぞれのやり方で戦争による甚大な被害への謝罪、補償の問題にも取り組んできた。自分たちが引き起こした戦争を正当化し、賛美しようとする勢力が残存することは否定できないが、それぞれの国民の多数の意識の中に、戦争への反省と平和への願いの思いを埋め込み、育てようとする努力が私的レベルでも続けられてきたこともまた否定しがたい事実である。

日本についていえば、押しつけ憲法論を基調とする改憲派が、次第に勢力を拡大しつつあるとはいえ、まがりなりにも戦後75年もの間、平和主義・人権尊重・民主主義を柱とする日本国憲法を維持してきた。また、ドイツでは、ナチス犯罪の時効を停止し、ドイツ国家自身によって捜査・告発・裁判を実施し、必要な補償を行い、ホロコーストへの責任追及を継続することをはじめとして戦争責任問題を忘却すること自体を問題にし続けている。あるいは、中東地域の深刻な政治的・軍事的不安定化と経済的・社会的混乱によって生み出された膨大な数の難民がヨーロッパに押し寄せた時、国際的人権保障の観点からその無制限の受け入れを表明したメルケルのような首相・政治家が登場しえたのも、戦争体験・分断国家下の戦後体験が真剣に受け止められていたことの結果であろう。

戦勝国であれ、戦敗国であれ、20世紀の2つの大戦争は、人類史上最大の悲惨をもたらし、国家権力を掌握し、国際関係を動かす政治家に深刻な反省を要求するものであった。その戦争が終わって約80年、その時間は、忘れやすい人間にとって忘却するには十分すぎるほどの長さかもしれない。一般に強者・勝者は忘れやすく、弱者・敗者は忘れられない、という。戦後を戦勝者として過ごしてきた政治家の中には、核兵器の使用すらちらつかせる者があらわれてきた。勝ちに奢る者に戦争を止める役割を期待することはできない。強いられた側面を持つにせよ、常に反省とともに歩まざるを得なかった者、反省を我が事として自らに課してきた者、そういう者が、今こそ戦争を止める役割を担うべきであろう。

「失われた30年」、誰が、何を、どのように失ったか

Great Againの声が第二次大戦の戦勝国の間で大きくなり、それが戦禍の忘却にも起因する面があるのではないか、かつての戦敗国は忘却してはならない責任を負っているがゆえにGreat Againと高唱できないと指摘してきた。しかし、その戦敗国でも、戦争の記憶は薄れ、国家や国民・民族を主語にする「語り」が明らかに増えてきた。その意味では、Great Againと叫ぶ国々の政治家と大同小異ではないか、とも言えそうである。Great Againも国家や国民・民族を主語にする「語り」であり、そういう集合的表象に心理的同一化させることによって人々の意識をコントロールすることを狙った言説だからである。

では、日本の場合、そのような機能を果たしている言葉は何か。それは、「失われた30年」という言葉ではないか。「失われた30年」と “Make [*****]Great Again” とでは、まったく位相が異なっている。前者は後ろ向きであり、未来に向かって否定的であるのに対して、後者は前向きであり、将来に向かって積極的である。これほど位相の異なる言葉が同じ機能を果たすのは何故か、少し回りくどいことになるかもしれないがじっくり分析してみよう。

日本で、「失われた何年」という言い方がされるようになったのは、1990年代初めいわゆるバブル経済が崩壊し、経済成長が停滞し始め、なかなか回復の兆しが見えなくなった2000年前後からで、最初は「失われた10年」と言われていた。それが、2010年代に入ると「失われた20年」と言われ、2020年代の現在、さらに10年を加えて「失われた30年」と言われ、ついにはもう先取り的に「失われた40年」がささやかれるようになってきた。まるで「失われた何十年」という言い方が、呪文のように繰り返されてきた。その間にはリーマンショックに中断されたとはいえ、戦後最長といわれた「イザナミ景気」と称された時期もあったにもかかわらず、そのことは忘れ去られ「失われた」という言葉が人々の脳裏にこびりつき、思考停止を誘っているかのようですらある。

この時期に発生した政治・経済・社会の変動は、人類史的に見ても、冷戦の終結、環境問題の深刻化をはじめ大きな転換期にきていることは間違いなく、日本がその転換期に十分に対応しきれていないことも事実であろう。「失われた」という言葉が頻繁に登場する背景には、そういう大きな状況の変化があることも否定できない。しかし、日本でその言葉が使われる場面は、ほとんど経済的問題に限られ、実に安易な統計数字の国際比較を根拠として主張されることが少なくない。その点を、いくつかの例で検証してみよう。

経済活動の指標としてまず取り上げられるのは、言うまでもなくGDPであるが、この30年間日本の名目国内総生産は、成長率は落ちているもののマイナスに転じてはいないが、2010年には中国に抜かれ、世界3位に転落し、2023年にはドイツにも抜かれると予想されている。さらに、日本企業は世界時価総額ランキングの上位から姿を消し、中国・台湾のIT企業に取って代わられた。現代産業のコメともいわれる半導体世界市場もかつて50%以上を占めていたものが、2019年には6%までに落ちた。テレビ受像機、ソーラーパネルの世界シェア―も著しく低下した。携帯電話、スマートフォンに至っては大半のメーカーが撤退した。消費税率が上がり、租税・社会保障負担率が上昇し、賃金は上がらず、不安定雇用が増加し、消費マインドが冷え込み、経済成長の足を引っ張る状況が長く続くことになった。少子高齢化が進み、人口減少局面に入り、将来への展望をもちにくくなった。

経済以外の分野でも、公共事業が減少し、高度成長期に作られた道路や橋の経年劣化が進み危険なインフラの増加に歯止めがかからない状況が生まれたことが指摘されている。さらに、科学・学術分野でも、論文数・特許取得数で世界ランクを下げ、大学の評価でも上位100位以内に入る大学は2、3にとどまる。大学進学率も頭打ち、教育・研究費に占める公的負担の比率は、OECD加盟国中最下位、女性の社会的地位、マスコミの報道の自由度などのランクでも下位に低迷し続けている。

こう見てくれば、日本が「失われた30年」の真っただ中にあると見ても不思議ではない。このままでは、日本という国家は衰退の一途をたどり、没落の危機が迫っている。だから、一層の規制緩和を進め、労働の流動性を高めよ、IT化の波に乗り遅れるな、貯蓄から投資へ金の流れを変えろ、医療・福祉などの公的負担はできるだけ切り縮め、民間への委託に切り替えよ、ポイント付与やスマホ決済などの普及によって消費マインドを刺激しろ、等々、すでに失敗が明白な方策まで含めて、新自由主義的「改革」を推奨する声が飽きもせずに繰り返しあげられているのが、日本の現状であろう。

しかし、ちょっと待てよ。本当にこの30年間失われるものばかりだったのだろうか。ほかの数字もあげてみよう。日本の家計金融資産の総額は2021年には2023兆円で2000兆円を越えた。国内総貯蓄額も中国・米国に次いで第3位。在外純資産総額は過去30年以上世界1位で400兆円を超える。アメリカ合州国国債の保有高も現在中国を抜いて1位。国内で注目すべき数字は、企業の内部留保額で、2021年度で516兆円を越え、増加率も6%以上と高い水準を維持している。このような数字には、「失われた30年」論者が触れようとしない事実が隠されている。企業と政府が、膨大な資産をため込んでいるという事実である。

大企業やそれと結びついている政治家・官僚などの既得権益保有者・資産家にとって、「失われた30年」という言葉ほど便利なことばはない。上がらない賃金や不安定化する一方の雇用環境、一向に改善されないエッセンシャルワークの現場、家族・家庭の名前に隠された育児・介護などの無償労働などに苦しむ人々に、給付やポイントという幾ばくかのサービスを提供し、国家や国民全体の危機というプロパガンダの中に批判の視点をずらしていく、「失われた30年」という言葉には、そういう魔力が仕込まれている。一見、現状批判、政治批判の色合いが含まれているように見える厄介な言葉には、ひとを思考停止に誘う魔力がある。その魔力は、「失われた」という主体も客体もはっきりしない表現に隠されている。この言葉を、「誰が、誰から、何を、どのように奪い取っているのか」という言葉に置き換えてみよう。ナショナリズムの毒素が脳髄に浸透することを妨げるだけの効果はあるだろう。

(この項つづく)

 

きつかわ・としただ

1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任。現在名誉教授。本誌前編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。

特集/混濁の状況を見る視角

ページの
トップへ