特集 ● 続・混迷する時代への視座

「復帰」50年、同化されない琉球

右傾化する日本との対立と今後の行方

龍谷大学経済学部教授 松島 泰勝

琉球にたいする構造的差別とのたたかい

2022年は、琉球が日本に「復帰」して50年目となる。このあいだ、「格差是正」「経済自立」を目指して、振興開発が実施されたが、県民所得は全国最下位、子供の貧困率は全国平均二倍という「貧困」県のままである。日本領土面積の0.6%しかない沖縄県に、全国にある米軍専用基地の70%が押し付けられている。このような「貧困」「基地」問題が解消されない原因は、日本による琉球にたいする植民地支配である。

1879年の日本政府による琉球国への侵略と併合以来、琉球は日本の植民地になった。戦後は米国の軍事植民地となり、「復帰」後も相変わらず植民地のままである。「復帰」は琉球民族による脱植民地化のプロセスを踏んでおらず、宗主国である日本と米国との密約によって、新たな植民地を「沖縄県」という名でつくりあげた「琉球再併合」でしかない。多くの琉球民族は、日本国民になり、日本国憲法が適応され、基本的人権が守られ、米軍基地もなくなると期待して復帰運動に参加した。しかし現実は、米軍基地が本土から移設され、新たに自衛隊基地が建設され、かえって基地負担がふえ、琉球にたいする構造的差別が強まった。日本国憲法の理念が琉球で実現しないのは、日米地位協定の存在がある。それにより、米軍基地由来の事件事故が発生し続けているが、日本政府は日米同盟を重視し、米国に忖度して同協定を改正しようとしない。

日本は、琉球にたいする主権が「返還」されるべき国ではなく、琉球国からその主権を奪った国である。本来ならその主権は琉球にこそ「返還」されるべきである。琉球を侵略し植民地支配する日本が違法に琉球の主権を保持し続けていることから、構造的差別が温存される結果になった。構造的差別を解消するには、脱植民地化運動により「琉球の主権」を回復する必要がある。

2019年2月におこなわれた辺野古新基地建設の是非をとう「県民投票」や、全国の自治体議会に沖縄の「新しい提案」の陳情活動をしている、安里長従は「本土優先、沖縄劣後」という構造的差別の問題を提起している。その問題を解決するために、沖縄振興特別措置法の廃止と、「沖縄基地縮小促進法(仮称)」の制定を提唱している。日本による琉球の構造的差別を生みだす植民地主義から解放を具体的にすすめるための活動をおこなう「沖縄の人びと」の活動が顕著になってきた。「復帰」後、本土の政党、労働組合、組織、企業等により沖縄県の系列化がすすんだ。本土との系列、上下関係、「縛りや圧力」などから脱して、本土による琉球への差別という構造的問題に目を向けることで、基地と貧困 の解決を目指そうとしている。

これまで琉球は本土にたいして、辺野古新基地建設に反対し、日米地位協定の改正というボールをなんども投げてきた。しかし本土の政府、「日本人」のおおくは、基地問題を自分事として受けとめず、琉球の民意を無視するか、根拠のない「沖縄責任論(自己責任論)」を言いたててみずからの責任を転嫁してきた。また近年は「琉球人ヘイト」も顕著になった。それは琉球にたいする植民地主義が強まっていることを意味する。これからも本土が琉球の民意に応答せず、構造的差別をやめないなら、琉球独立へと舵をきろうとする琉球人がさらに増えてくるだろう。

琉球先住民族の国連活動

2022年7月初旬、わたしはスイスのジュネーブにある国連欧州本部で開催された「国連先住民族の権利に関する専門家機構(EMRIP)」の会議に、ガマフヤー(沖縄戦戦没者の遺骨収集者)の具志堅隆松とともに参加した。わたしと具志堅は、EMRIPの準備会合、本会議、サイドイベント等のあらゆる機会に琉球の遺骨盗掘問題、遺骨土砂問題、南西諸島有事問題について報告した。

会議のなかで、わたしはつぎの2つの点がつよく印象にのこった。一つ目は、2007年に国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」(UNDRIP)という国際法を、おおくの先住民族は「われわれの法律」とよび、国連機関や各国政府代表も同法を基準に して、先住民政策を実施しているということであった。わたしは1996年に国連先住民作業部会に参加したことがある。それはUNDRIPの草案を先住民族自身が議論しながら作成する会議であった。その後、他の琉球人も作業部会に参加して、同草案の作成過程にかかわった。よって当然、UNDRIPは琉球先住民族がすむ沖縄県にも適応されるべきものである。現在、UNDRIPは先住民族にかんする中心的な国際法となっており、今回のEMRIPの会議でも 「法的拘束力がない」などとして、それを軽視するような国はほとんどなかった。欧米諸国の裁判所が積極的にUNDRIPを実効力のあるもとして解釈し、判決文でも言及するなどして「法的拘束力」をもつ国際法になった。

2つ目に印象にのこったことは、この会合が「市民外交の場」であったことである。ロシアのわかい先住民族女性が同国における環境問題による被害を告発する声明文をよみあげていると、その後方の席にロシア政府代表が威圧するようなかたちですわり、声明終了後、紙をわたし、政府に反対している者の氏名を書けとせまったのである。声明文よみあげの途中から、女性のまわりに他の民族がすわりはじめ、人権抑圧をゆるさないという姿勢をしめした。その後、北米の先住民族長老、ケネス・ディアがロシア政府による介入を批判する臨時声明を発表し、会場はスタンディング・オベーションの拍手でつつまれた。政府や裁判所とたたかってきた先住民族がはげましあいながら、国連の場で人権を回復してきたことがわかった瞬間であった。外交は国の専権事項ではなく、先住民族という市民が外交の主体となり、国際法をつくり、人権を確立してきたのである。日米同盟を最優先し、琉球人の命や人権を軽視し、島々に軍事基地を建設して他国との緊張をたかめて、「第二の沖縄戦」を準備している日本政府に、「琉球の外交」をゆだねることはできない。

先住民族の人権を侵害したのはロシア政府だけでなく、日本政府もそうであった。7月5日のセッションにおいて、日本政府はつぎのような声明を発表した。日本において先住民族はアイヌしかおらず、「沖縄の人々」は先住民族ではない。なぜならおおくの「沖縄の人びと」はみずからを「日本人」とかんがえているからだ。日本政府は米軍基地を発生源とする PFOSの浄水場への混入という環境汚染にたいして適正な措置を講じている。しかし琉球国を侵略、併合した日本政府が、琉球人が先住民族であるかどうかを決めることはできない。ILO169号条約にそって琉球人が自己決定権により「先住民族になる」のである。これまで26年間、80人以上の琉球人が国連活動をしてきたのであり、今会期中において他の先住民族も仲間としてわれわれに接してくれた。

UNDRIPの30 条には「先住民族が住む場所における軍事活動の禁止」が明記されている。先住民族が生活する地域において、辺野古米軍基地のような大規模な軍事施設が建設されることは地球上でも沖縄県以外では稀である。京都大学は同法の第12条「宗教的伝統と慣習の権利、遺骨の返還」にもとづいて、琉球諸島、奄美諸島にある元の墓地に先祖の遺骨を返還しなければならない。琉球民族が本来有する先住権により現在直面している諸問題を解決することができる。

琉球アイデンティティ・ポリティクスの展開

琉球列島は、奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島から構成され、それぞれの歴史、文化、言葉、生態系がことなり、アイデンティティにおいてもちがいが存在する。琉球先住民族も、琉球内の「不一致」を克服しながら、国連を介して日本政府と交渉してきた。その結果、1879年の琉球併合以来の皇民化教育、日琉同祖論による「日本人」への同化政策の正当性が琉球においてゆらぐようになった。たとえば、米軍基地の荷重負担にたいする「沖縄差別」の声の増大、「イデオロギーよりもアイデンティティ」をかかげた翁長雄志の知事就任と「アイデンティティ・ポリティクス」の展開、2019年の辺野古新基地建設をめぐる県民投票にたいする日本政府の無視にたいする怒りと抵抗、琉球独立をもとめる琉球人の増加などをあげることができる。1996年以来、琉球人、奄美人が国連の諸会議に参加し、報告し、世界の先住民族と交流・連帯してきた。「民族(ネーション)」として琉球の脱植民地化を国連の場で主張してきたのである。

1996年に、なぜわたしは琉球人としてはじめて国連人権小委員会先住民作業部会に参加したのであろうか。国際法で保障された「先住民族」という法的地位を獲得し、歴史の主体になりたいとかんがえたからである。スイスのジュネーブにある国連欧州本部で、おおくの先住民族とのであいがあった。ハワイの先住民族、カナカマオリから、ハワイ王国が米国によって併合され、いまも軍事基地がおしつけられるという、琉球とおなじような歴史をしった。また米軍基地の被害をうけている世界各地の先住民族のワークショップに参加し、かれらも琉球人と同様な犠牲をうけていることがわかった。そして琉球人も先住民族という法的地位を主張し、行動してもいいのであり、そうすべきだと確信した。先住民族の「定義」をしめした国際法、ILO169号条約によれば、先住民族とは、独自な 歴史や文化を有し、植民地主義の被害をうけてきた集団であり、みずから先住民族であると自覚する人びとである。「先住」とは日本の植民地支配よりもまえに琉球人がこの島々にすんでいたことを意味する。「民族」とは、アイヌ民族、朝鮮民族、ベトナム民族等のように、植民地支配からの解放と自由をめざす、自己決定権を行使する集団を意味する。琉球先住民族も1879年の琉球併合以降、日本の植民地支配下におかれ、現在も米軍基地を強制されている。

UNDRIPの条項によれば、先住民族がすむ地域で軍事基地建設や軍事訓練を強制することはできない。研究者によってうばわれた琉球人遺骨ももとの墓に返還しなければならない。国連人種差別撤廃委員会、国連自由権規約委員会等は琉球人を先住民族として認識し、米軍基地のおしつけを人種差別としてみなし、琉球の歴史や文化の教育の実施をもとめ、琉球人差別の監視や権利保護措置にかんして琉球側と協議するよう日本政府に勧告してきた。

いま、一部の沖縄県市町村議員が「国連勧告撤回運動」をおこなっている。このようなうごきは、軍事基地建設を中止させることができる、先住民族の法的地位を放棄させ、「犠牲の構造」を固定化させる結果になるだろう。日本政府も国連勧告や国際法を無視している。しかし、先住民族をはじめとする多様な人間の権利獲得運動に連帯しようとする、世界的潮流から日本ははずれ、国際的に孤立するようになっている。

これまでの国連活動により、世界の先住民族は琉球人を先住民族としてみとめ、日本政府にたいする国連勧告をサポートしてきた。国連勧告は約5億人の世界の先住民族の民意をうけており、琉球先住民族は日本国内では少数派だが、地球のうえではマジョリティとしての存在感をしめすことができた。

琉球の土地は、日本政府のものではなく、その土地権をもつ琉球先住民族のものである。日本政府は勝手に軍事基地をつくる権限はない。それを明確にするのが先住民族の先住権である。アボリジニーが先住権限をもっていることをみとめた豪州高等裁判所のマボ判決(1992年)、アイヌが先住民族であることを確認した札幌地方裁判所の二風谷ダム判決(1997年)のように、世界の先住民族はそれぞれの国内法、裁判所でたたかいながら、みずからの法的地位を確立し、同時に国連や国際法を味方につけてきた。現場での脱植民地化のたたかいと国連での活動がそうごに影響をあたえながら、世界の先住民族はその先住権を着実に回復してきた。

琉球先住民族は、国際法で保障された先住権を回復すれば、辺野古基地建設、自衛隊基地建設をとめ、先祖の遺骨を帰還させるなどして、歴史の主体になることができる。翁長雄志前沖縄県知事は、「イデオロギーよりもアイデンティティ」を主張し、琉球人の意識を覚醒させて、政治的立場をこえた「オール沖縄」を形成して、辺野古新基地建設に反対 してきた。現在の玉城デニー知事も、琉球人アイデンティティを重視する立場であることにかわりない。琉球人アイデンティティの核心にくるのが、ニライカナイ信仰、骨神信仰、先祖とのつながりを重視する独自な歴史や文化、葬制や祭祀である。その意味で、京都地裁、大阪高裁、那覇地裁であらそわれた琉球人遺骨返還をもとめる訴訟、遺骨返還運動は、琉球の脱植民地化において土台としての役割をはたしているといえる。そのような琉球人の精神的自立が確立されてこそ、政治的、経済的な自己決定権も行使することができるのである。

現在、日本全国において展開されている、日本会議、保守政治家による「国連勧告撤回運動」にたいして、つぎのように琉球先住民族は抵抗のための活動をおこなった。2022年3月24日、西原町議会は「沖縄の人々を先住民族とする国連勧告の撤回を求める決議を求める陳情」を不採択とした。これにより、議員提案で提出されていた「国連勧告の撤回を 求める意見書」はとりさげられた。同採決がおこなわれるまえに、「琉球先住民族まぶいぐみぬ会」、「琉球先住民族ネットワーク会議」、「ニライ・カナイぬ会」のメンバーらが、同町議会議員にたいして同陳情の問題性について説明をした。またこれらの諸団体は、24日の採択前に町役場ちかくで抗議集会をひらいた。

同年6月、「琉球先住民族まぶいぐみぬ会」と「琉球先住民族ネットワーク会議」は『わったーや琉球先住民族やぃびーん!琉球この人びとの海、空、土地、命、誇り、尊厳を守りたい−[国連の先住民族権利]は琉球弧の現状を解決する鍵である!』というパンプレットを編集・印刷し、現場で軍事基地問題にとりくんでいる人びと、沖縄県内の自治体議 会議員などに配布した。同パンフレットでは、琉球先住民族が直面しているさまざまな問題と、「先住民族の権利に関する国連宣言」の関連条項を照らしあわせて、同宣言が諸問題の解決に役立つことがわかりやすく説明されている。

結びにかえてー玉城知事の国連での訴え

2022年は琉球においてさまざまな選挙がおこなわれた。玉城デニー知事、伊波洋一参議院議員が再選され、「オール沖縄」の枠組みが維持された。安保法制に反対した「シールズ琉球」で活動した若い琉球人が地方議会議員になり、辺野古新基地建設に反対し、琉球独立を主張するユーチューバーが、名護市議会議員に当選した。玉城知事は、当選後、辺 野古新基地にかんして日本政府を提訴した。「琉球対日本」という脱植民地化のためのたたかいの枠組みは若い世代を巻き込み、強固になったといえる。

来年のEMRIPには是非とも玉城知事が参加し、琉球の植民地主義の問題を世界に訴えてほしい。琉球先住民族は日本ではマイノリティであるが、世界には約5億人の仲間がいる。「国内問題」に押し込められた米軍基地問題を「国際問題」にし、先住民族、国連人権機関、人権重視の世界の国々が日本政府に圧力をかけて、琉球の脱植民地化の道をきりひらくことができよう。

まつしま・やすかつ

1963年琉球石垣島生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科博士課程満期単位取得、博士 (経済学)早稲田大学。1997年から2000年まで在ハガッニャ(グアム)日本国総領事館、在パラオ日本国大使館に専門調査員として勤。東海大学海洋学部助教授を経て、2009年~現在、龍谷大学経済学部教授。ニライ・カナイぬ会共同代表、琉球民族遺骨返還請求訴訟原告団長。著書に、『沖縄島嶼経済史』『琉球の「自治」』(ともに藤原書店)、『ミクロネシア』(早稲田大学出版部)、『琉球独立への道』(法律文化社)、『琉球独立宣言』(講談社)、『琉球独立論』(バジリコ)、『帝国の島』(明石書店)、『琉球 奪われた骨』(岩波書店)など。編著に、『島嶼沖縄の内発的発展』(藤原書店)、『大学による盗骨』『京大よ、還せ』(ともに耕文社)、『談論風発 琉球独立を考える』『歩く・知る・対話する琉球学』(ともに明石書店)など。

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