論壇―追加発信(2月15日)

アイヌ共用林は「アイヌの森」復権の決め手となるか

自律的森林利用に向けた課題

東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林講師 齋藤 暖生

1 はじめに

2019年、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(以下、アイヌ施策推進法)で国有林に共用林(以下、アイヌ共用林)が設定される道が開かれたことは、上村英明氏の論稿で紹介された通りである。すでに、日高郡新ひだか町では2020年7月に初の事例となるアイヌ共用林が設定された註1

アイヌ共用林は既存の共用林野制度を活用するものであるが、この制度は多くの人にとって聞き慣れないものであろう。

旧来より、「やま」註2は、1つもしくは複数の地縁集団(村落共同体)による規律に従って人々に利用されてきた。これを入会林野という。明治以降、入会林野はその地盤の所有形態、集団の組織形態、利用内容をダイナミックに変えながら、実に多岐にわたる存在形態となって今に継承されている。共用林野はそのうちの一つで、入会林野の中でやや特殊な形態のものである。

筆者は、これまで入会林野に関する研究に携わってきたが、その経験から共用林野制度がアイヌ民族の復権にとってあまり大きな期待はできないのではないか、という疑念をいだいている。詳細は後段で検討することとして、まず、そもそもアイヌにとって森はどのような存在だったのかを確認することから始めたい。

2 アイヌの森

よく知られるように、アイヌは雑穀等の耕作を行いつつも、大部分は山野河海での狩猟採集による資源獲得に依拠し、これらを自給的に利用するとともに、アイヌ同士および和人(あるいはその周辺民族)との交易を行うことで暮らしてきた。「やま」に限っていうと、オオウバユリやギョウジャニンニクなどの山菜類、繊維の材料となるオヒョウの樹皮やイラクサ、建材や丸木舟の材料となる木材などが採取され、クマやシカの狩猟が行われた註3。このうち、野獣の毛皮は重要な交易産品となった。「やま」はアイヌの衣食住の核心を支え、交易活動の原資をもたらしていたのである。

生計の基盤である山野河海を所有するという概念はアイヌにはなかったというが、アイヌは地縁集団であるコタン(集落)を単位として、狩猟採集活動の舞台となる自然環境を含む生活の場をイオルと称し、いわば縄張りのような領域を形成していた。イオルでは、それぞれのコタンに固有のしきたりに従って、コタン構成員による資源利用が行われていた註4。すなわち、内地の入会林野と同様に、アイヌは地縁集団が律する秩序の中で森とつきあってきた、といえる。

明治時代になると、アイヌの地に近代的土地所有の概念と制度が持ち込まれた。1872(明治5)年、開拓使布達により地所規則が施行された。これは、「従来アイヌが漁猟・伐木に使用してきた土地と雖も、深山幽谷に非る限りは、内地人に分割私有を許す旨を明らかにした」註5のが実態であった。さらに、1877(明治10)年に北海道地券發行條例が発布され、アイヌの居住地はその種類を問わず、一旦すべてを官有(国有)地として保留し、開拓・農耕の進行に応じてアイヌの私有地として認めることになった。明治中期(1893年時点)における北海道の国有林野率は99.9%であった註6ことから、いかに林野が徹底的に国有化されたかが知れる。

このように、アイヌのイオルであった森は、アイヌによる利用実態を無視して土地所有が形成され、ほとんどが「アイヌ以外の者」の所有物となった。近代化以降の日本において、土地所有者の所有権は、原則としてその土地の上下におよぶとされる。その土地が森林であった場合、その土地上に生育する草木はその土地の所有者に属すると解釈されるのである。また、アイヌによるイオルに基づいた狩猟も無視され、内地と変わらない狩猟規制のもとにある。つまり法治国家・日本の中で、「アイヌの森」の権利は否定的に解釈されるか、宙ぶらりんな状態にあるのが現状である。

3 アイヌ共用林の法的根拠

さて、本題のアイヌ共用林の検討に入ろう。アイヌ施策推進法は、「第五章 認定アイヌ施策推進地域計画に基づく事業に対する特別の措置」(第15条〜第19条)で、同法の目的を達成するための具体的な手段を規定している。このなかで、森林(第16条)と漁場(第17条)におけるアイヌの資源利用の復権に関わる具体的措置に言及している。

同法第16条はまず、国有林野に限ること、認定アイヌ施策推進地域計画を作成した市町村に限ること、土地利用の高度化とみなされる場合などのいくつかの限定条件を示した上で、「林産物の採取に共同して使用する権利を取得させることができる」とする。さらに、そのための手段は、「国有林野の管理経営に関する法律第十八条第三項に規定する共用林野契約とみな」すこととし、「国有林野の管理経営に関する法律」(以下、国有林野法)に定める制度内容との対応関係について規定している。

このように、アイヌ共用林は既存の共用林野制度の「借り物」であるという性格を有している。そして、アイヌ共用林以外の手段については何も触れられておらず、これは同法で明記される唯一の具体的手段である。つまり、アイヌ共用林はアイヌ施策推進法が定めるアイヌの森林利用復権の本丸であるが、その制度枠組みは「借り物」なのである。

もちろん、「借り物」であっても、アイヌ施策推進法の理念(第3条)と目的(第1条)を果たすのに適切なものであれば、問題ない。次は、本家であるところの共用林野制度について、その特徴を検討していく。

4 共用林野制度の性質

共用林野制度は、国有林野法の第5章(第18条〜第24条)を根拠とし、さらに詳細な制度内容は、国有林野の管理経営に関する法律施行規則で規定されている。

この制度の性質を理解するには、歴史的経緯をみる必要がある。1873年の地租改正を契機として、地租を賦課する根拠となる土地所有を確定する事業が行われた。宅地や農地にやや遅れて、1876-1881年にかけて「山林原野官民有区分事業」が実施された。この時、しばしば派遣官吏による欺瞞や強圧を伴い、多くの入会林野が官有(国有)と判定された。明治中期の時点では、青森県88.3%、秋田県88.0%、山梨県87.8%のように、極めて高い国有林率を示す地域が存在した註7。北海道ほどではないにしろ、内地でも地縁集団による慣習を無視した国による林野の収奪が行われたのである。

当初は、慣習的な国有林野の利用は黙認されていたが、次第に国有林野経営が確立してくると、そうした住民による利用は排除されるようになった。しかし、それでは生活が成り立たない住民は様々な形で抵抗し、国は地元住民の排除を貫徹できなかった。国は、1890年に従来の慣行により地元住民に林野産物を随意契約によって販売できるとする慣行特売制度を、1891年には現行の共用林野制度の前身となる「委託林」制度を創設した。

委託林は、地元住民による国有林野の保護義務と引き換えに、森林の副産物(落ち葉や山菜、キノコなど)の採取を認めるものである。委託林制度創設の背景には、国有林保護あるいは国有林経営のための労働力獲得の手段という国側の思惑もあった註8。この制度の骨格は1951年に施行された「国有林野法」註9に引き継がれ、共用林野制度が成立した。

明治期以来、国の立場は、国有地に組み込まれた時点で入会権は消滅した、したがって国有地上に入会権はない、ということで一貫している。これを受けて、共用林野制度は、あくまでも「土地利用の高度化を図る」(同法第18条)ものであって、地縁集団の慣習的な権利を保障するものではない。これが、共用林野制度の本質的な特徴である。

この本質的な特徴から派生する、共用林野制度の形式上の特徴を指摘しよう。①まず、地元住民の林野林用は歴史的事実によって自明に存在するものではなく、5年を年限とする契約(第19条、第20条)のみが権原となる。②しばしば、地元住民による保護義務と引き換えとする形で地元住民の無償の産物採取が規定され(第21条)、国による恩恵的サービスという意味づけを帯びる。③さらに、旧来的な自家用の林野副産物採取を主体とし(第18条)、地元住民が慣習的な合議により望んだとしても利用内容の新たな発展は認められない註10

このように、共用林野制度は地縁集団の慣習を考慮はするが、極めて限定的な範囲で地元住民による利用を国による恩恵として提供するものである。国有化をまぬがれた入会林野では、地縁集団の創意工夫によって日本社会の近代化に対応し、様々な利用形態が発展してきたのとは対照的である。共用林野制度が結果的に「土地利用の高度化」(法第18条)をはばむ作用を備えているというのは、なんという皮肉だろう。筆者は、共用林野は入会林野がたどり着いた諸形態のうち、地縁集団による自己決定の範囲がもっとも狭く、もっとも他律的な仕組みであると考えている。

5 アイヌ共用林に内在する課題

ここまで、アイヌ共用林の本家となる、既存の共用林野制度の特徴を見てきた。アイヌ共用林の場合、国有林野法のほかにもアイヌ施策推進法が根拠となる。アイヌ施策推進法に基づくアイヌ共用林は、少なくともその法の理念(第3条)からはずれるものであってはならない。その理念の核心は、「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される」という点にあるといえよう。

共用林野制度がそのまま流用されるのであれば、上の検討に見るように、アイヌ施策推進法の理念をほとんど実現できないことは明白である。では、どのようにすれば、その理念を実現することになるだろうか。それは、地縁集団としてのアイヌのコミュニティによる自律的な森林利用を可能とするアレンジを施す、ということに尽きるのではないだろうか。すなわち、アイヌ自らの意思によって秩序を形成し、その秩序にしたがって森林を利用できる仕組みに調整することである。そうなってはじめて、民族の誇りは保たれる。同時に、国有林が認証を受けているSGEC/PEFC(上村論稿参照)が掲げる先住民族の権利尊重に関する原則をも満たすことになるだろう。

もともと、他律的な仕組みである共用林野制度を下敷きに、自律的なアイヌ共用林を設定するのは、相当な困難が伴うものと思われる。もし、国有林野法のみを根拠に他律的なアイヌ共用林しか設定できないとすれば、それは論外である。その場合は、アイヌ共用林は克服できない矛盾を内包することになり、もはや死に体の施策であると言っても過言ではない。ともかく、自律的なアイヌ共用林を設定する難しさを具体的に検討してみよう。

まず、共用者を的確に規定することの難しさがある。自律的な仕組みの基盤となるアイヌの地縁集団の構成員が共用者ということになるであろうが、その地縁集団とはなんであろうか、誰がその構成員として認められるのであろうか。明治以降150年にわたってアイヌのコミュニティが切り刻まれてきた歴史、さらにアイヌとしてのアイデンティティを表明することの難しさなどを考慮すると、この作業は極めて慎重にしなければならないだろう。さもなければ、地域社会の中で、共用者に認定された者と認定されなかった者の間に深刻な分断をもたらしかねない。

共用者を適切に規定できたとして、今度は、国による恩恵的なサービスとしてではなく、アイヌ的な森林利用をアイヌ自身が責任を持って規律する仕組みを新たに創造する努力が必要となる。というのも、「アイヌの森」の時代にあったコミュニティと森の姿はもうない。イオルに代表されるかつての森林利用の実態を学びつつ、大きく様変わりした現在の森の姿を受け止め、さらに将来につながる森林利用のあり方を、アイヌ自身が学び、考え出す必要があるのである。

このように、アイヌ施策推進法に基づくアイヌ共用林を真に追求するのであれば、相当の時間と努力を注がねばならないことは明白である。

よしんば、相当の努力が実り、自律的なアイヌ共用林が設定できたとして、「アイヌの森」の復権にはまだいくつか課題が残されるであろうことを、指摘しておかねばならない。先に触れたように、明治期の北海道の森林はほぼすべての森林が国有地であった。その後、公有・私有への所有形態の転換が進み、現在の北海道における国有林率は55%となっている。現在の国有林の分布註11を確認すると、国有林は人々の日常的な生活圏から遠く離れた場所に残されていることが窺われる。開拓、士族授産などの歴史を経て、条件の良い土地から民有地へと転換されていった経緯を考えれば、納得がいく。ともあれ、かつての「アイヌの森」はコタンから連続する身近なものでもあったが、そうした条件はアイヌ共用林では望みがたい。

また、いささか杞憂とも思えるが、アイヌ共用林を設定すること自体の懸念もある。それは、アイヌ施策推進法で名指しされたアイヌ共用林が実現されることは、一見して大きな成果と映る。このことによって慢心が生まれ、「アイヌの森」の追求が疎かになってしまわないだろうか。また、先述したような北海道における林野の国有化の極めて理不尽な歴史を、アイヌ自身が是認したと解釈される危険はないだろうか。できれば杞憂で終わってほしい懸念である。

6 文化を守るということ

やや脇にそれるが、アイヌ共用林に限らず、文化施策一般に関して気になっている点を述べておきたい。冒頭で紹介した新ひだか町のアイヌ共用林は、祭具「イナウ」の材料となるヤナギの採取に関する利用権を設定したものである。この例に見るように、儀礼や祭り、芸術などわかりやすい文化現象「のみ」を対象にすることは、文化施策においてしばしば見られることである。これら文化現象は、それに携わる人々の価値観や世界観の発露であり、そういった心象世界に息吹を与えているのは日々の暮らしのはずである。この観点に立つと、「アイヌの森」に関わる文化を支えているのは、その森とともにある日常の暮らしであるということになる。儀礼や祭り、芸術は人間の文化活動の「表象」、いわば氷山の一角であり、氷山の大部分はなかなか見えにくい日常の暮らしであることをもっと認識すべきであると考える。それが何より堅牢で持続的な文化の保全に資するからである。

もしアイヌ共用林が「表象」のみではなく、日常的な暮らしに根ざした森林利用を可能にする仕組みとして設定できるのであれば、アイヌ文化の継承に相当の役割を果たすことが期待できる。国有林の分布形態において不利な点はあるものの、日常生活に寄り添ったアイヌ共用林の実現は挑戦する価値は大きいと考える。

7 おわりに

以上見てきたように、アイヌ共用林は、「アイヌの森」を復権する決め手と言えるようなものではない。しかしながら、やり方によっては、アイヌ民族の権利を尊重し、その文化を継承・発展するために有効な手段の一つとなりうる。そのためには、当事者の相当の努力、創意工夫が必要とされるだろうが、それだけにやりがいのある仕事でもあるだろう。逆に、既存の共用林野制度のテンプレートに従って安易にアイヌ共用林を設定するようなことがあれば、将来に重大な禍根を残す可能性がある。

アイヌ共用林は、アイヌの森林利用に関してアイヌ施策推進法に明記された唯一の手段であるが、本稿で指摘したような限界および懸念が内在している。真に「アイヌの森」の復権を目指すのであれば、他の制度との組み合わせ、あるいは新たな制度手法も視野に入れることが必要だろう。

2019年にアイヌ施策推進法が施行されてから、早くも新ひだか町でアイヌ共用林が設定されたほか、札幌市、釧路市、千歳市、白老町、平取町、白糠町でも設定が検討されている註12。これらの地域、あるいは今後検討する地域においては、制度の特質、当該地域の歴史、資源利用実態、当事者の意向を十分に考慮したうえでの対応を望みたい。

さいとう・はるお

1978年岩手県生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林講師。

註1 北海道森林管理局ウェブサイト

註2 森林だけでなく草原も含むエリアをさす民俗語彙で、「さと(居住地)」「のら(田畑)」の外縁に位置することが一般的である。林野とほぼ同義。

註3 例えば、渡辺仁(1952)「沙流アイヌにおける天然資源の利用」『民族学研究』16(3・4):255-266。

註4 例えば、泉靖一(1952)「沙流アイヌの地縁集團におけるIWOR」『民族学研究』16(3・4):213-229、渡辺前掲論文。

註5 高倉新一郎(1943)『アイヌ政策史』日本評論社、p.431

註6 小林三衛(1968)『国有地入会権の研究』東京大学出版会、p.35

註7 上記に同じ。

註8 松原邦明(1959)「共用林野制度の法社会学的考察(其の1)」『林業経済』12(9):7-12

註9 現・国有林野の管理経営に関する法律。

註10 例えば、大浦由美(1997)「国有林野地元利用の今日的状況」『林業経済研究』43:25-30、大地俊介(2010)「薪炭共用林野の利用実態と制度に関する研究」『第121回日本森林学会大会講演要旨集』。

註11 国有林野の分布状況については、さしあたって『令和元年度 森林・林業白書』を参照されたい。

註12 内藤大輔氏ご教示による。内閣府ウェブサイト

論壇

第25号 記事一覧

ページの
トップへ