特集● 新自由主義からの訣別を
分権・生活保障と効果的なコロナ対策へ
[連載 第7回] キーパーソンに聞く 逢坂 誠二さん
語る人 立憲民主党衆議院議員・新型コロナウイルス対策本部長 逢坂 誠二
聞き手 本誌代表編集委員 住沢 博紀
1.住民参加のモデルとなったニセコ町長時代
2.鳩山内閣での地域主権担当者として
3.原発ゼロ法案:旧立憲民主党政調会長としての仕事
4.「大きな立憲民主党」の「つながる本部」
5.立国社コロナ対策合同本部長として思う事
1.住民参加のモデルとなったニセコ町長時代
住沢 前号では新立憲民主党の代表選出において枝野議員と代表選を戦われ、政調会長に就任された泉健太議員にインタビユーをしました。今回は、合同前の立憲民主党で政調会長をされていた、逢坂誠二議員にお願いすることになりました。
逢坂議員は、立憲民主党、国民民主党、社会民主党の「新型コロナウイルス合同対策本部」の本部長をされ、年末のコロナ対策をテーマとした「朝まで生テレビ」など、最近ではメディアにも頻繁に登場されています。この点に関して後半で詳しく語っていただきたいと思いますが、このインタビユーでは、先ず政治家を志した理由や思いを冒頭でお聞きしています。
逢坂 私は実は世の中に嫌いなものがいくつかあるうちの二つが、政治と公務員でした。だから若い頃には、公務員になる気などさらさらなかったのです。まして政治家になろうなんという気もなく、研究職になるつもりでした。
ところが北大薬学部に入って大学院へ行く直前になって、親が病気になり兄弟がいなかったものですから、家に帰らざるを得なくなりました。そこで地元、ニセコ町役場の職員になれば転勤もありませんし、家業も手伝えますので、なってはいけないと思っていた職業になってしまったということで、20代前半はもう失意の連続でした。
ところが30年ほど前の1988年、竹下内閣の下「ふるさと創生事業」で、全国の自治体にその規模の大小にかかわらず、1億円が交付されることになったわけです。当時のマスコミは自治体が何に使ったかっていうことをたくさん報道しました。例えば金塊を買ったとか、世界一の砂時計作ったとか、温泉を掘ったとか、人材育成に使ったとかですが、私が注目したのは、何に使ったかではなく、どうやって使い道を決めたかというところです。
規模の小さい自治体も大きな自治体も、同じ条件のもと政策を競うわけですから、ある種の社会実験的な側面もありました。その時に自分なりに感じたのは、住民参加をして情報公開もやりながら政策を決めた自治体は、手間がかかり議論百出で大変だけれども、住民の納得度合いが高い。
そういう風に考えてみたら、稚内に住んでいても沖縄に住んでいても、納税の仕組みは基本的に全国一律ですが、使うほうはその地域の役所の職員の能力に左右されます。したがって私は、住民参加をしながらいろんなものを作り上げていくことが大事と思い、例えば街路整備事業として皆で話をしながら電線の地中化をしたり、景観条例に準ずるようなものを作ったりしました。80年代後半から90年代の前半のことです。
しかし職員では限界があり、1994年に役所をやめて町長選挙に出ようかどうしようか悩んでいた時に、田中秀征さんの北大での講演で、「選挙というものは勝つよりも負けるほうが多い」という話を聞き、肩の荷が下りたような気がして、覚悟を決め無党派で出て幸い当選することができました。
住沢 逢坂さんは1994年から2005年まで、ニセコ町長を三期やっておられます。2001年には、全国で初めての自治基本条例を作成し、情報共有・行政の説明責任・住民参加など、住民と共に作る「まちづくり基本条例」を実行してきました。それを受け、2004年には、自治省調査でニセコは参考にしたい自治体No1.となりました。これらは職員の時代からの住民との協働作業などの経験も根底にあると思いますが、同時に当時、松下圭一先生などが提唱されていた、市民自治や分権の時代という政治学・行政学からの影響はどうでしたか。
逢坂 町長になって、人材育成、情報公開、住民参加などをやりたいと思っていて、自治体の首長としては一定程度の仕事ができたかなと思っていました。しかし小泉内閣が登場し、上意下達的に三位一体改革を押し付けられることにより、地方財政がボロボロになったわけです。小泉政権のこうした政策が継続されれば、財政力の弱い自治体はこれまで積み上げてきたものが壊されてしまうと思いました。2005年、市町村合併に関し、ニセコでは合併しないという方向が決まりましたので、これを契機に、それでは国政で仕事をしてみようという気持ちになりました。
市民自治論の松下圭一さん、それに地方分権や地域福祉などに関連する政府審議会で活躍された西尾勝さん、大森彌さんなど、自治体学会の方々とは交流がありました。こうした方々がいなければ今の私はないと思いますが、もっともお世話になったのは、当時は北大の教授であった木佐茂男さんです。ドイツの自治体事情に詳しく、いろいろ教えていただきました。
(注:木佐茂男・逢坂誠二(編)『私たちのまちの憲法 -ニセコ町の挑戦』日本経済評論社 2003)
2.鳩山内閣での地域主権担当者として
住沢 2005年、当時の岡田民主党代表の意向を受け、9月衆議院選挙に北海道ブロック単独一位候補で国政に転じ、さらに2009年北海道8区で当選して、鳩山内閣では内閣総理大臣補佐官(地域主権、地域活性化および地方行政担当)、菅内閣では総務大臣政務官となられます。
とりわけ内閣総理大臣補佐官というのは、首相の身近で政権の重要な政策課題を調整する重要な役割を担いますが、2期目でありながら鳩山民主党の看板である地域主権を担当されました。この地域主権と民主党政権のガバナンス問題に対して、現在の視点からどのような成果と問題点を指摘できますか。
逢坂 地域主権改革担当として、権限の委譲とか、規制緩和とか、財源の問題とか、地域主権は3年3ヶ月の民主党政権の中では私は大きな成果を残せたところだと思っています。西尾勝さんが民主党政権の成果の一つは地域主権改革だと、論文でも書いてくれています。
その一つ、義務付け枠付けの廃止というのは、相当に大胆にやりました。それと「国と地方の協議の場」、これを作ったのも当時の民主党政権です。それから安倍自民党政権は廃止しましたが、一括交付金。これは今、沖縄だけに残っていますが、使い勝手がいいので中央政府のコントロールが難しくなると恐れたのでしょうか。
民主党政権の問題は、役所とのお付き合いの仕方をあまり多くの人が知らなかった点です。例えば事務次官会議の廃止。仕事は大臣や政治家だけではやっていけません。私が地域主権改革担当で、なんとか曲がりなりにもやれたのは、役所の皆さんとのコミュニケーションを非常に大事にしたからだと思っています。地域主権改革は内閣府の担当でしたから、私は毎日、自転車会館にあった事務局に行き、必ず職員と意見交換をして何をするかという話をしてきました。その丁寧さみたいなものが、当時の民主党政権にはなかったのではないかと思うんですね。
あともう一つはそれぞれの大臣がやっぱりた頑張りすぎるんですよ。当時17人ですか大臣がいて、それぞれの大臣が100%、120%の仕事をしようとするわけです。そうすると当然、合成の誤謬が起こるんですね。みんなが頑張ったことが、内閣全体の最大のパフォーマンスを生み出していなかったわけです。
住沢 そのことは「あと知恵」ではなく、当時議論されましたか。
逢坂 私は総理大臣補佐官でそうした権限はなく、鳩山さんも、わかっていたとしてもそうしたことを厳しく言う人ではありませんでした。しかし鳩山さんは納得したことは間違いなく言ってくれるので、私も凄いと思ったことがあります。
当時、橋下徹さんが地域主権改革や地方分権に関して、国と地方の役割を明確にして、それを政府が示すべきであり、それをやらないとうまくいかないと言ってました。それに対して鳩山さんは、「それは違う。役割を明確にするのではなく、補完性の原理が大原則だ。地域に身近なものは自治体がやる、それが出発点なんだ。そこを押さえてないからおかしくなる」、と地域主権戦略会議で発言しました。私はもう胸のすく思いでした。
住沢 EUの補完性原理ですね(注:国家の自立性は保持され、EUは小さい単位ではできないことを補完する。これは地方自治の原則にも適用でき、カソリック社会政策の原点でもある)。しかしコロナ禍の現在、橋下さんのいう国と地方の役割分担も明確ではなく、地方自治は補完性の原理からもっと遠いと思います。
松下圭一先生が2000年の地方分権一括法の施行の際に、明治維新以降の最大の改革であり、日本での分権革命の始まりであると期待しましたが、現実には縦割り行政も、中央省庁への依存も続いています。市町村は県の、都道府県は省庁の指示待ちという依存関係は変わっていません。制度は変わっても、人の意識はまだ変わっていないという事でしょうか。
逢坂 2012年に第2次安倍内閣がスタートしてから、国が決めてくれた方がいいとか、楽な道を歩きたいということで、私の感覚では地方自治は大幅に後退したと思っています。安倍内閣の地方創生は、自治体の自主性や自律性を促すものではなく、国の意に沿う事業によって交付金を配分するものだからです。
他方で自治の現場にいる人々、私もかつてはそうであったわけですが、そこで意識が変わっていないという事が最大の問題です。辛いことはやりたくないし、都合のいい部分だけ分権、分権といっているように思います。分権というものは制度や仕組みではなく、自分たちが地域のことを責任をもって考えて、判断して、行動するのだ、という原点を忘れてはならないと思います。そこの大原則が現在揺らいでいる気がします。辛いことがあると、県頼み、あるいは中央頼みという事になりがちですから。
3.原発ゼロ法案:旧立憲民主党政調会長としての仕事
住沢 それでは時間の都合もありますので、質問(3)の「2017年、希望の党への合流をめぐる枝野立憲民主党の設立、逢坂議員の無所属での衆議院選出馬と当選後の立憲民主党への加入の経過」を飛ばし、質問(4)の、「旧立憲民主党での政調会長としての重要政策の策定と実現できたこと、また新立憲民主党内での逢坂議員の新しい役割について」に関してお話し願います。
先ず、2019年1月に、長妻昭議員の後任として政調会長に就任されるわけですが、2020年9月の新立憲民主党設立までの期間で、もっとも重要と思える政策と成果は何でしょうか。
逢坂 やはり一番大きいのは原発エネルギー政策ですね。原発依存の社会から脱却して、再生可能なエネルギー社会へと移行していく道筋を何とかつけたいと思っていました。したがっていわゆる「原発ゼロ法案」を作りましたし、再生可能なエネルギーにシフトしていくことが、日本の生きていく次の大きな道だろうと思っていました。
もう一つは、今の再生エネルギー政策ともつながるのですが、やはり行政のあり方、政府のあり方ですね。私は町長時代から、小さな政府か大きな政府かというのは意味のない議論だと思っていました。きちんと有効に機能する政府ということこそ大事だと。
私の選挙区の北海道奥尻島奥尻町に、町営の自動車整備工場があるのです。町が自動車整備工場を持っており、町の役所の中に自動車整備課長がいたり係長がいたりするのです。島の中の車も車検を3年に一回取る必要があります。しかし民間の車検場ではペイしません。それから島の中を乗合バスが走っていますが、それも一定の基準に基づいて整備しなければなりませんが、これも民間ではペイしません。そういうところを町がやるわけです。
町営の自動車整備工場は奥尻町にとっては合理性があるわけです。だから政府というのは、「時代」と「地域」と「分野」によって大きかったり小さかったりするという発想が必要です。いかに国民や地域の住民にとって機能する役所をつくるかということが大事であり、目先の経済合理性にとらわれない、ということを基本に置きながら政策を考えないといけないと思います。
日本を考えてみても150年前は政府がビールを作ったですね。30年前までは政府系機関が電話サービスを提供していたわけです。それが時代の変化と共に政府の手から離れていくわけです。今政府は何をしなければならないのか。医療とか福祉とか、またこれほどの少子化ですから少子化問題に政府がもっと取り組んでいくという意味では、そこの部分の政府はある程度大きくなる必要があるわけです。
教育を見ても、日本は大学の論文数も減っているし引用率も減っている。世界の大学ランキングの中でも今どんどん日本の大学の地位は落ちている。そういうところに力を入れるということだと思うんですね。後は、エネルギーですね。そういう思いで政調会長をやっていました。
住沢 確かにドイツなどは、地域への電力供給事業、水道、公共交通など、自治体がそれぞれの地域の必要性や歴史的経緯に応じて事業を行っています。さらに電気・ガス・通信・郵便・鉄道などネット―ワークで結ばれている事業すべてを管轄する、「連邦ネットワーク庁」が、連邦経済エネルギー省に設置されています。こうした地域の公共サービスや人々の生活に密着する事業の監督官庁の統合など、日本でも複雑化した人々の生活に対応して整理する必要があります。
また最近、飯田哲也・金子勝さんから『メガ・リスク時代の日本再生戦略』という本をいただきましたが、「分散革命ニューディール」ということばで、「農業の6次産業化+エネルギー兼業農家」を軸とする地域主権のグランドデザインを提案しています。逢坂さんも政調会長の時に、こうした公共サービスや地域再生の新しい在り方を、包括的にまとめられましたか。
逢坂 残念ながらそこに至る前に、新しい立憲民主党の設立となりました。しかし飯田さん、金子さんの提起されていることは、同感です。日本の食料自給率が今37%、こういう状況は決して日本の将来にとって良い状況ではありません。
それからもう一つ、50年余り山林に対してあまりお金を使わなかったことによって国土が荒廃し、水資源も減っています。森林の荒廃によって沿岸漁業が駄目になっています。そういう意味でいうと一次産業に力を入れることは、食料などの確保にとどまらず、国土全体に影響のある日本にとって必須なことです。
それから一次産業も、ただ単にものをそこで生産するだけではなくて、そこに地元で付加価値をつけて、住んでいる子供たちが楽しめる社会にする。特に私は北海道に住んでいますから、一次産業は非常に大事です。
もう一つは電力。電気は与えられるものっていう雰囲気がずっとあります。大きな電力会社があってそこの判断で発電したものを色んな地域へ配電していくってことですね。でもその時に電力の価格はどうやって決まってるのか、どうやって供給を決めているのか、私たちは知らされていないわけですね。でも電気ってもうそういう時代じゃない。簡便な仕組みで、安く発電できるって事が分かってしまったわけです。
太陽光パネルにしても風力にしても、水力にしても、地熱にしてもですね。そうなれば電力の発電システムが小さくなって、しかも分散してるほうが実はセーフティネット上も都合が良い。それは3年前の北海道のブラックアウトがそうですね。
電力を分散化して地域の資源で発電をするってことが非常に大事で、そうすれば地域のお金は外へ出て行きませんし、小さな発電所だったら地元の工務店とか地元の電気屋さんも仕事に関わることができますので、地域でお金を回す仕組みの一つが再生エネルギーへのシフトですね。また建物の断熱性能を高めることも重要です。少ないエネルギーで、夏涼しく、冬暖かい、こうした生活を実現したいですね。
住沢 飯田・金子さんの「分散革命ニューディール」には、そこに至る政治の役割は書かれていません。再生可能なエネルギー社会への転換のためのガバナンスという事ですが、当然ながら既得権を守る抵抗勢力が強いことも想定したうえで、立憲民主党ではどのような構想や戦略を持っていますか。
逢坂 日本が大きく再生エネルギーの方向へ行くんだという判断を、政治がすることが先決です。そのためには3つの脱却しなければならないことがあります。
一つ目は、今の送電網は大規模発電のために作られており、小規模で地域分散型発電に合うものになっていません。送電網の仕組みを民間電力事業者に変えてくださいって言ってもそれはやれません。やはり政治が判断することが大事なことです。そして送電網の整備については政府が税金を使ってやるから、電力会社も体質を変えていきましょうという決断を政府がすべきなのです。その中には、原発を前提とする電力会社の経営問題も含まれます。原発を止めても電力会社が経営できるような支援が必要です。
もう一つは、電力会社で働いてる皆さんは電力がシフトするっていうことに不安を持つでしょうから、皆さんの職はきちんと継続できますと雇用を保障することです。
最後の一つは、日本と世界が違うのが自治体に対して多額の交付金が入る、電源三法交付金の問題です。これによって多くの自治体では原発を止められないのです。ですから原発がなくなっても一定の交付金は保証しますよ、と原発立地の自治体をある期間、面倒を見なければいけません。
この三つを明確にしつつ、政府は原発を止めて再生可能エネルギーにシフトするという決断をすること。そしてこの三つの条件を守ることに加えて大事なのは、これらのことは国家全体で一気にやれないので、地方自治体の皆さんにやれる範囲でやってもらうということです。
人口500人とか人口1000人とかの集落で、そこ全体を自分たちの地域の資源のエネルギーによって電力を賄う。そういうことを全国のいろんなところでやっていくことがすごく大事だと思うんです。こういうことを組み合わせて、それぞれの地域の首長さんには、地域の電力に関与できるような権限を与えるなどして、私は次の時代へ向かっていけると思うのです。
住沢 脱原発に関して、電力会社だけではなく電力労連などそれに反対する勢力もあります。こうした人々も含めて、再生エネルギーへの転換を立憲民主党は議論してきたのでしょうか。
逢坂 前の立憲民主党の時には、そういった議論をしなくても脱原発に関して党内の合意が取れてきた気がします。昨年9月15日、大きな立憲民主党になり、様々な立場の方がいるので、そのことは非常に重要なポイントになると思います。この話を党内できちんと議論し、説明し、共通の認識がないと次の時代へ、日本は向かっていけません。
私は、今後のエネルギーのあり方を考えるため、2011年の3.11後、ドイツに3回、2017年にはアメリカに行きました。脱原発であるかないかに限らず、世界の潮流は、再生エネルギーにシフトする方向へと向かっています。それをどうやって理解してもらったらいいかと考えています。
4.「大きな立憲民主党」の「つながる本部」
住沢 逢坂さんが言われる「大きな立憲民主党」では、「つながる本部」事務総長をされています。地域間やNPOなどの市民活動のつながりなど、なんとなくイメージができますし、政党本部としては面白い試みだと思います。
党のホームページやメディアには、2021年度NPO関連予算ヒアリング開催とか、「コロナ禍のもとでの国民生活の立て直しに向け、地域との連携強化、都道府県連つながる本部長の選任が決定、全国つながる本部長会議の開催を了承」などが報告されていますが、国民運動・広報本部長は蓮舫さんがされており、具体的な活動領域や内容を教えてください。
逢坂 当然のことですが、政治の課題は政治家の間だけではなく、広く社会の中、さまざまな団体や活動の中、さらに地域の中に存在しています。永田町や霞ヶ関の都合ではなく、真の意味で多くの団体や地域の皆さんの話を聞く必要があります。しかも真実を知るためには、一過性の要望や聞き取りではなく、信頼感のある継続した連携が必要なのです。そのような思いを「つながる」という言葉に込めています。
昨年11月30日は障害者団体の皆さんからのヒアリングを行いました。それを一過性のものとしてヒアリングだけで終えるのではなく、その結果を報告書にまとめて、参加団体の皆さんなどと共有し、次の政策転換に活用する取り組みを開始しています。このようなことを通じて、各種の団体の皆さんとの継続的な信頼関係のある「つながり」を大事にしたいと思っています。
2月17日には、来年度の政府予算案の中の NPO 関連予算に関して、全国の NPO 関連の皆さんにズーム参加を頂いて、政府に対して色々質問やヒアリングをおこなうということも企画しています。この企画を出発点にして、予算活用のサポートなどにもつなげたいと思います。
それから先に挙げた子供の問題、日本では大きな問題です。長い間、政府は少子化対策に力を入れていますが、菅政権でも、今のところうまくいっていません。「子どもたちをよろしく」という映画があります。いじめに苦しみ、そのために死を選んでしまう少年、性的虐待を受け自らを「汚れた存在」と思い込んでしまい風俗産業に身を沈める少女、今の子どもたちの心の闇や叫びを描いた映画です
先日、「つながる」本部が主催し、国会議員会館で上映会を行いました。これを全国の立憲民主党の総支部での上映会も提案しています。こうした活動を通して、様々な政治の表舞台には必ずしも出て来られないような人たちとも連携を保ちながら、つながりながら、そういう本来、光が当たらなければいけない分野に対して光を当てていくっていうことをやっていきます。
企業・団体交流は近藤昭一さんが担当しており、国民運動は先ほど挙げられた蓮舫さんのところです。さらにいろいろな地域や組織から課題を集め、政策にまとめ上げていくのは政策調査会の泉さんの仕事です。しかし現在は多様な問題、地域ごとにいろいろな課題があります。
「つながる本部」は、そうした党内の各部署に横串を刺しながら、団体や地域の現状や声を継続的に共有するような取り組みをしたいと思っています。党本部のこうした取り組み、つまり「子どもたちをよろしく」という映画の上映会を地域でも開催することによって、それを皮切りにして子ども食堂の問題に取り組んでいくとか、あるいは子供の学力の問題に取り組んでいくとか、そうした発展やつながりを生み出してもらいたいと考えています。
実はこの「つながる本部」というのは旧立憲民主党の時に作ったんです。だからそういう意味でいうと新しい実験というのはちょっとどうかと思いますが、今までの政党にないものであることは確かです。旧立憲民主党時代にこれを引っ張ってきたのは、主として幹事長であった福山さんです。
これは今回の党規約の中にも規定があり、規約上設置されている本部なのです。私は事務総長ではありますが今の段階では誰かが牽引してるというよりは、本部長の枝野さん、代行の辻元さん、私と福山さんとあと事務局長で宮沢さんや大西さん、田名部さんなど、相互に話し合いをしながら進めています。
5.立国社コロナ対策合同本部長として思う事
住沢 逢坂さんは、現在、立憲民主党の「新型コロナウイルス感染症対策本部長」を担当され、また立憲民主党、国民民主党、社民党のコロナ対策合同本部長も兼ねておられます。国会が開かれ、菅内閣の特措法改正と感染症法改正案、さらには休業要請に応じる飲食店や関連事業所への財政支援、ウイルスワクチン接種実施に関して、連日、質疑と与野党の折衝が繰り返されて、事態は一刻一刻と変化しています。そこでこの部分は、国会での最新の動向を見極めて加筆していいただければと思います。(注:インタビユーは1月13日に行った)
私の方から、1月末の時点から、3つだけ質問を整理しておきます。
第1点は、1月24日付の、毎日新聞デジタル版に掲載された、逢坂さんの「国民の命と生活を守る機能的な政府をめざせ コロナ禍を社会を見直すきっかけに」というインタビユー記事です。「政府の画一的なサイズ論から脱却せよ」、「権限と財源の移譲」、「社会や生活の見直しを」というように、私とのインタビユーでも示された、地域主権と人々の多様で必要なニーズに応える機能的な政府の役割を強調されています。これは逢坂さんの個人的な見解でしょうか。それとも立憲民主党、さらには3党コロナ合同対策本部でも、ある程度は共有されている視点でしょうか。
第2点は、1月28日に、立憲民主党のコロナ対策本部と内閣・厚生労働・法務部会の合同会議を開き、特措法・感染症法改正に関して与党との交渉や法案対応に関して、執行部に一任することが決められました。それを受け自民党の二階幹事長と立憲民主党の福山幹事長の間で、「入院拒否に刑事罰」を削除する、科料減額、事業者への支援に関する付帯決議などで合意が成立しました。
しかしこの付帯決議が曖昧なことなど、翌日のワイドショーでは批判が出ています。また国民民主党も批判的です。3党合同対策本部長として、これから政党間の調整と、国民に不信感を持たれる菅政権のコロナ政策に対して、国民の信頼を得るための対案はどのようなものになるでしょうか。
第3点は、逢坂さん持論の地方分権との関係です。特措法と緊急事態宣言をめぐり、昨年は、都道府県知事と政府の間の齟齬がめだち、日本の集権的な行政の欠陥が明らかになりました。他方で保健所業務をめぐり、都道府県と市町村や特別区などの基礎自治体との協働関係もうまく機能していないことがわかりました。市町村など基礎自治体の視点から、望まれる機能的なコロナ対策とはどのようなもので、そのための制度的、法制的な改革はどのようなものが必要となるでしょうか。
逢坂 昨年12月2日、立憲民主党は共産党、国民民主党、社民党と共同で、新型インフル特措法、感染症法、入管法などの改正案を衆議院に提出しました。「都道府県による緊急事態宣言発出等の要請ができること」、「国・都道府県・市町村間の連携強化」、「医療・検査体制の強化」、「緊急事態宣言下における立入検査」、「給付金の支給を明確化する」「ウイルスを侵入させるおそれのある人の入国を拒否することに限定する事由の追加」などを内容とする法改正案です。
私たちは、コロナ対策を議論するため、国会の延長を要請したのですが、政府与党は早々と臨時国会を閉じてしまいました。国会を延長していれば、特措法改正などは昨年のうちに成立していた可能性があったのです。
特措法などの改正に尻込みしていた政府でしたが、突然年末頃に、罰則を含む法改正に突き進むことになったのです。感染拡大を抑制できない政府の失策を糊塗するために罰則を持ち出したように私には思われました。
私たちは罰則よりも時短要請などに対しては、十分な経済的補填が必要だと何度も主張したのですが、それよりも先に罰則が出たのは、私は筋悪なものだと思います。罰則を頭から否定はしませんが、仮に罰則の議論をするにしても、今回のコロナ感染がおさまってから、静かな環境の中で冷静に行うべきだと個人的には考えていました。
しかし政府与野党連絡協議会で、十分な議論もなく法案が出され、国会の日程を優先する形で修正協議か行われたのは、政策面から考えると誠に残念と言わざるを得ません。結果的に、政府案に盛り込まれていた刑事罰が削除され、入院拒否などについても全て行政罰となりました。刑事罰よりも一歩前進との評価もあるようですが、行政罰も罰には違いありません。感染の渦中に、こうした罰を設けることについては、慎重にすべきだったと私は考えています。
国会との関係や、要請に対する財政支援などは、附帯決議で担保されましたが、附帯決議には限界があります。私たちが昨年12月に提出した改正法案が議論されなかったのが残念でなりません。
住沢 逢坂さんが強調される12月2日の「特措法改正」など二つの議員立法法案は、私も二つの点で注目すべきだと思います。第1に、都道府県知事による政府への緊急事態宣言要請を条文化したこと、第2に、国会での審議から逃げ回り、コロナ対策に方針を持たない菅政権―自民党に対して、立憲民主党・国民民主党・社民党・共産党の野党4党が、議員立法法案という形で、国会での審議を要請したことです。
しかし特措法改正の緊急性や、枝野―福山執行部の政局判断から、自民・公明・立憲・日本維新の会の4党による特措法と感染症法の改正が、2月3日に可決・成立しました。刑事罰規定は削除されたものの、「まん延防止等重点措置」など、基礎自治体や特定の業界に対する曖昧な規程が設けられ、立憲民主党が唱える「ゼロ・コロナ」に近づくことは困難と思います。
12月2日の野党4党の議員立法法案には、都道府県が主体となり、政府は財政的・物質的支援と、全国的な制度的枠組みを担保するという、分権・自治の理念も見られますので、これからの3党コロナ対策合同本部の活躍に期待します。
おおさか・せいじ
1983年北海道大学薬学部卒業後、ニセコ町役場勤務。総務課財政係長などを経て、1994年11月から2005年8月までニセコ町長(3期)を務める。この間、「ニセコ町まちづくり基本条例」の制定や、「もっと知りたいことしの仕事」を発行するなど、独創的な発想で地方自治に新風を吹き込む。2005年民主党北海道比例区単独で衆議院議員に初当選。2009年北海道第8選挙区から2回目当選。以降、2009~10年、鳩山、菅内閣で総理大臣補佐官。2011~12年総務大臣政務官。2019.1旧立憲民主党政調会長。現在、立憲民主党代表特命補佐、新型コロナウイルス対策本部長、立憲北海道連合会代表。
すみざわ・ひろき
1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。
特集・新自由主義からの訣別を
- 新自由主義を終わらせる暮らしと経済研究室・山家 悠紀夫
- 野党ブロックの正統性と新自由主義からの転換北海学園大学教授・本田 宏
- 愚かさの複雑性についての考察神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長・橘川 俊忠
- 分権・生活保障と効果的なコロナ対策へ立憲民主党衆議院議員・新型コロナウイルス対策本部長・逢坂 誠二
- 混沌の共和党-トランプ派対主流派国際問題ジャーナリスト・金子 敦郎
- 歴史のなかの新自由主義市民セクター政策機構理事・宮崎 徹
- トランプ政権の「米国第一」と国際関係国士舘大学客員教授・平川 均
- コロナと悪戦苦闘するドイツの姿在ベルリン・福澤 啓臣
- 「広域行政一元化条例」は弥縫策、後がない大阪維新の悪あがき元大阪市立大学特任准教授・水野 博達
- 危機の時代に試される知性関東学院大学客員研究員・神谷 光信
- 「敵か味方か」の世界観が招く憂鬱なシナリオ龍谷大学教授・松尾 秀哉
- 温室効果ガスネットゼロ宣言の課題は何か京都大学名誉教授・地球環境戦略研究機関シニアフェロー松下 和夫