特集 ● 黄昏れる日本へ一石

<権力>に沈黙するメディア

故ジャニー喜多川氏の問題と高市早苗氏の問題にみる

同志社大学大学院教授 小黒 純

新たな春を迎えるころ、列島が熱狂したのは、ワールドベースボールクラシック(WBC)の「侍ジャパン」の活躍だった。放送したテレビ業界も久しぶりに沸いた。ビデオリサーチの調べによると、3月16日のイタリア戦はWBC中継至上、最高の48%に達した。この試合を中継したテレビ朝日の早河洋会長は「想定の倍くらいだった」と話したという。

ところが、マスメディア業界は喜んでばかりはいられなかったはずだ。まともに向き合わなければならない問題が、同時期に大きく2つ浮上した。1つは、放送法の「政治的公平」解釈と行政文書、それに高市早苗・元総務相が絡む問題、もう1つは、故ジャニー喜多川氏による性的虐待の問題だ。一見、全く別のテーマだが、共通するメディアの病根が浮かび上がってくる。

ジャニー喜多川氏による性的虐待に沈黙

ジャニーズ事務所の創業者、故ジャニー喜多川氏(2019年、87歳で死去)による、所属するタレントたちへの性的虐待の問題が波紋を広げている。英国の公共放送BBCがドキュメンタリー番組(『Tredator:The Secret Scandal of J-Pop』)を制作、放送した。欧米の主要メディアは反応し、ネット上でもこの問題は拡散した。ところが、国内メディアの反応は異常なまでに鈍い。被害者は記者会見を開いているのに、NHKを含めテレビ局はほぼ沈黙を貫いている。ニュース番組でも、情報番組でも、この話題は無視されているのに等しい。

主要メディアの中で、果敢に報じてきたのは、週刊文春だけだ。最初に“文春砲”が炸裂したのは1999年10月だった。追及に次ぐ追及。約15人の少年から詳細な証言を得て、報じ続けた。これに対して、喜多川氏側は名誉毀損だとして、発行元の文藝春秋を相手取った民事訴訟を起こした。東京高裁は喜多川氏のセクハラ行為を認定し、判決が確定した。

きらびやかなスポットライトが当たるジャニーズJr.のスターたち。数々の娯楽番組を抱えるテレビ各局は、ジャニーズ事務所と良好な関係を築き上げ、彼らを登用してきた。その人気にあやかり、視聴率を稼いできた。NHKも例外ではない。

その一方、その裏では凄まじい人権侵害が繰り広げられていた。「我慢しないと売れないから」。被害に遭った未成年の少年たちは、こうした権力構造の下に置かれていた。

「光」と「影」の落差は大きい。事務所側は「影」の部分に触れられたくない。テレビ局側もジャニーズ側とけんかするつもりは微塵もない。腰が引けているというよりも、対立する気は端からないのである。喜多川氏による性加害を批判するのは、タブー中のタブーだ。週刊文春以外のメディアは見事なまでに、知らんぷりを決め込んだ。その結果、視聴者の多くは「光」の部分しか目に入らなかった。

「希代のプロデューサー」と天声人語

BBCの上記番組の制作に関わったモービン・アザート氏やメグミ・インマン氏らは3月17日、日本外国特派員協会で試写と記者会見を開いた。週刊文春の記事(3月30日号)によると、朝日新聞、毎日新聞、フジテレビなどが出席していたが、NHKやTBSは姿を見せなかったという。関連の報道は、週刊文春のほかは、朝日新聞のニュースサイト「GLOBE+」が数本の記事を掲載した。

週刊文春はBBCの番組放送に合わせ、3月16日号から4週連続で、喜多川氏による性的虐待の被害者計6人の証言を紹介。続く4月13日号では、元ジャニーズJr.の岡本カウアンさん(26)が実名・顔出しで被害の実態を証言した。岡本さんは「日本のメディアは極めて報じにくい状況にある」と4月12日、日本外国特派員協会でも記者会見に臨んだ。そこで「12~16年に15~20回ほど性的被害を受けた」などと語った。

この模様は全国紙5紙が短く報じた。朝日新聞はようやく4月15日付で「ジャニーズ 『性被害』検証が必要だ」とする社説を掲げた。

その地位と力関係を利用し、アイドルとして成功したい少年たちの弱みにつけこんだ卑劣な行いが密室で繰り返されていたのが事実とすれば、重大な人権侵害である。芸能界で性被害の告発が相次ぐなか、未成年が被害を受けていたなら問題はさらに深刻だ。(中略)第三者による徹底した検証を行い、社会に対して説明する必要がある。

この社説はこう結んでいる。「喜多川氏による性被害の証言は以前から出ていたが、一部の週刊誌などが中心だった。メディアの取材や報道が十分だったのか。こちらも自戒し、今後の教訓としなければならない」。

「自戒」を口にする朝日新聞は2019年7月10日、喜多川氏死去を朝刊1面で報じている。天声人語は、性的虐待には全く触れないまま、「人前では素顔を見せず、裏方に徹し、日本の大衆文化に新風を吹き込み続けた希代のプロデューサーだった」(同年7月11日)と持ち上げている。肯定的な評価一辺倒のコラムを流しておきながら、「今後の教訓」では済まないだろう。その責任は重い。

2004年に東京高裁の判決が確定した。その後も、喜多川氏は社長の座にとどまり、芸能ビジネス界に君臨した。その間、被害に遭ったという証言はいくつか挙がっていた。「第三者による徹底した検証」は、ジャニーズ事務所に対してだけではなく、長年にわたるマスメディアの沈黙に対しても行うべきだろう。

大手紙の中では、朝日新聞に続いて毎日新聞が4月24日になって、「ジャニーズと『性被害』 まず事実関係を明らかに」と題する社説を掲載した。「芸能界では『#MeToo』運動の広がりもあり、性暴力やハラスメントの訴えが相次ぐ。立場を利用して、スターを目指す人たちの弱みにつけ込むのは言語道断だ」。

NHKもずっと沈黙

喜多川氏の問題を1999年から追及し続ける週刊文春は、追随しようとしない他のメディアに目を向ける。3月30日号では、NHKの沈黙ぶりについて「ジャニー氏の光のみを伝え、権威付けた公共放送の罪は重い」と厳しく批判している。具体的には次のような事実を突き付けている。 

・紅白歌合戦には毎年、ジャニーズから多くのグループが出場。2022年は6組出場。

・放送中の大河ドラマ『どうする家康』では主要キャストを、ジャニーズのタレントが占めている。

・ドラマのプロデューサーを務めたNHKの元理事がジャニーズ事務所の顧問に就任。

・BSプレミアム『ザ少年倶楽部』はジャニーズのタレントのみが出演。

・NHK放送センターの一室を、ジュニアのタレントたちが独占的に使用。

・NHKワールドTVで『JONNY’S World: Top of the JPops』(2013年1月)を放送。喜多川氏へのインタビューも含め、同氏を高評価する内容に。

・『ニュースウオッチ9』(2018年1月放送)で喜多川氏が演出した舞台を特集。

確かにNHKはジャニーズ事務所に所属するタレントが出演する番組を多数抱えている。『ザ少年倶楽部』は「コンサートや舞台で大活躍するジャニーズJr.たちがくりひろげるステージショー」と銘打つ。BSプレミアムだけでなく、5月にはNHK総合でも放送が予定されている。他には『解体キングダム』や、Eテレ『天才てれびくん』、『u&i』などでも、数人がレギュラー出演している。

岡本カウアンさんの会見では、「95年生まれの同世代」というNHK報道局の女性ディレクターが質問する場面があった。「公共メディアに勤める1人として重く受け止めている。一連の被害について知らずに(ジャニーズ事務所に)入所したということだが、もし大手メディアが報じていたら、ご自身の選択は変わったと思いますか?」

この問い掛けに対し、岡本さんはこう語った。「もしテレビが当時取り上げていたら、大問題になるはずで、多分親も(ジャニーズに)行かせないと思いますし、15歳なので、未成年なので、僕だけで判断できないですし、どちらの角度から見ても(入所することは)なかったんじゃないかと思います」。

報道局内でどんな議論があったのか。NHKは会見の翌日(4月13日)になって、しかも目立たない午後4時台のニュース枠で、岡本さんの会見の様子を短く報じた。ジャニーズべったりの巨大組織が微かに動いた。

だが、この1回切りで、ほぼ沈黙した状態と言ってよい。大型の放送枠である『NHKスペシャル』(以下『Nスペ』)や『クローズアップ現代』(以下、『クロ現』)では扱っていない。『クロ現』は統一教会の問題を数回取り上げてきた。喜多川氏の問題を扱いにくい理由が上層部にはあるのだろうか。

確認しておきたいのは、「そんなメディア」ということだ。つまり、<権力>とは対峙せず、人権侵害には無頓着、という姿が、私たちに映るマスメディア像だ。ジャニーズ事務所側の記者会見さえ設定できない。

放送法の「政治的公正」は…?

同じころ国会では、放送法をめぐる問題が燃え上がった。放送法の「政治的公平」の解釈をめぐり、当時の官邸が総務省側に働き掛けていたやりとりを記録した行政文書の問題に関心が集まった。立憲民主党参院議員の小西洋之氏が参院予算委で、78枚に及ぶ総務省の関係文書の存在を明らかにしたことがきっかけだった。

これらの文書が明るみになると、文書にも登場する当時の総務相、高市早苗氏(​​経済安全保障担当相)は文書の内容が「悪意をもって捏造されたものだ」と断言した。これを機に、Twitterなどネット・SNS上での言説も過熱し、騒動へと発展していく。

多岐にわたる論点を、あえて大きく括ると、①放送法の「政治的公平」解釈変更をめぐる問題、②行政文書の在り方の問題、という2つになる。いずれも、中心にいたのは高市氏だった。高市氏は以前からTwitterを多用する政治家として知られており、界隈は余計にヒートアップした。

1つめの論点についてはまず、在京の6紙が社説でどう論じたかをみておく。

<朝日新聞>

「放送法の解釈 変更の経緯、解明急げ」(3月4日)

「放送法の解釈 不当な変更、見直しを」(3月12日)

「放送法の解釈 高市氏答弁 撤回明快に」(3月24日)

<毎日新聞>

「放送法巡る「内部文書」 政治的圧力の経緯検証を」(3月4日)

「放送法の解釈変更 看過できない政治介入だ」(3月8日)

「放送法の解釈問題 政治介入防ぐ方策議論を」(4月19日)

<読売新聞>

「放送法の解釈 問題の所在を整理し議論せよ」(3月15日)

<日経新聞>

「放送法の解釈巡る経緯検証を」(3月9日)

<東京新聞>

「放送法と政権 不当な新解釈撤回せよ」(3月9日)

「放送法の新解釈 首相自ら「撤回」答弁を」(3月31日)

産経新聞は関連の社説を掲載していない。社説のトーンを各社で比べてみると、朝日新聞と毎日新聞がこの問題を熱く語っている。朝日新聞は、高市氏答弁を「個別の番組への事実上の検閲や言論弾圧に道を開く、民主政治にとって極めて危険な考え方だ」(3月4日)と位置づけ、危機感を募らせる。毎日新聞も「放送の自律をゆがめ、表現の自由を萎縮させかねない政治介入があったことになる。ゆゆしき問題である」(3月8日)と憤る。また、東京新聞は「​​放送番組への露骨な政治介入で、不当な新解釈は撤回すべきだ」(3月9日)と厳しく迫っている。

ところが、読売新聞はやや引いた立場を取っている。「放送局に圧力をかける意図が官邸側にあったなら、重大な問題だ」と指摘しつつ、「例えば、ある番組が賛成、反対いずれにせよ、特定の政党の主張に沿うような意見だけを取り上げた場合、政治的に公平だとは言えまい」と述べている。つまり、高市氏が当時、国会で「1つの番組のみでも、極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」と答弁をしたことに、一定の理解を示している。

また、日経新聞は「放送の自律や表現の自由を損なうような動きがあったのだとすれば重大である。政府は事実を検証し、国民に経緯を説明すべきだ」と述べるにとどまっている。

静まりかえる放送局

関連の記事を1つ紹介しよう。朝日新聞は4月9日付で「なにが問題、どんな影響 放送法文書 自主自律認めぬコントロールの姿勢」という記事を掲載。放送番組の制作現場に放送法の解釈変更が影響したことを裏付ける、関係者の声を集めている。

例えば、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会の初代委員長、川端和治弁護士は、「今回の文書を読んで、政府が法解釈を変えることでも放送局をコントロールしようとしており、それは安倍政権の姿勢だったのだと改めて思いました」とコメント。さらに、テレビ番組のコメンテーターらに取材し、当時の高市氏答弁が、自由な番組制作を萎縮させたという証言を引き出している。

放送法の解釈変更をめぐり、周囲はとても放送局のことを心配している。というのも、この問題の当事者が放送局だからだ。開示された総務省の行政文書によると、TBS『サンデーモーニング』や、テレビ朝日『報道ステーション』が、当時の安倍政権の標的になっていたことがわかる。

言論の自由を守ろうとする団体、日本ペンクラブは3月20日、「時の政権や政府が放送の自由・自律に干渉・介入することに強く反対する」という声明を発表した。

にもかかわらず、問題の中心にいる放送局はとても静かだ。新聞の社説が憤りや怒りを表すのとは対照的だ。マスメディアの存立基盤に関わる、言論の自由、表現の自由が脅かされる事態だとは受け止めていないのだろうか。ここでも政権の顔色を伺う“忖度”が働いているのだろうか。

NHKは、喜多川氏の問題と同じく、『Nスペ』でも『クロ現代』でも、この問題を取り上げていない。

民放の中では、TBS『報道特集』が孤軍奮闘している感がある。3月25日には「検証 政権と放送メディア」と題する特集を放送。村瀬健介キャスターが高市氏の記者会見に臨み、鋭い質問を投げ掛ける場面も伝えた。その一方、他の民放各局はニュースで、国会でのやりとりをバランスよく伝える程度にとどまっている。

前述の朝日新聞の記事は、こう指摘する。「今回の文書が公表された後も、放送局幹部からは放送法の解釈追加やその経緯に物申す姿勢は見られない」。具体的には、3月末の定例会見で、テレビ朝日の篠塚浩社長は「当時何かがあったかと言うと一切ございませんし、現場に影響もございません」と断言したという。また、TBSテレビの佐々木卓社長は「当時も今も公平公正な放送をしている」と強調したという。

野党議員が国会で追及し、識者、他のメディアから懸念の声が上がっても、放送局の幹部は、放送事業の根幹を揺るがすような問題とは受け止めていないようだ。<権力>とは対峙しないというスタンスは、テレビ局の幹部の言葉に裏打ちされている。

新聞は“2極化”の状態に

今回の放送法をめぐる問題の論点の2つめは、行政文書の在り方だ。高市氏による「捏造」発言を、マスメディアがどれだけ深刻に捉えているかが焦点になる。というのも、高市氏は総務省が保有していた行政文書のうち、自分に関係する4点は「捏造」だと言い続けているからだ。

新聞の報道を読み比べてみると、各紙のスタンスがとりわけ鮮明になったのは、3月8日の朝刊だった。その前日、問題の文書すべてについて総務省が「行政文書」と認めた。在京の6紙はどう報じたか。

1面トップで扱ったのは、朝日と毎日の2紙。東京新聞も1面に記事を掲載した。これら3紙は、総合面や社会面でも展開している。一方、読売、産経、日経の各紙は、1面ではなく、総合面と政治面に記事を掲載した。

安倍政権時代、安保法制や特定機密保護法の問題をめぐって、朝日、毎日、東京の3紙はとかく批判的だった。これに対して、読売、産経、日経は好意的な立ち位置だった。こうした当時のメディアの“2極化”を彷彿とさせたのが、高市氏「捏造」発言における各社のスタンスだった。

社説にはさらにくっきりと各社の違いが表れる。3月以降、関連の在京6社をみると、朝日と毎日の2紙が2回ずつ掲載したが、残りの4紙は掲載しなかった。

<朝日新聞>

「高市元総務相 国の基盤 揺るがす暴言」(3月9日)

「高市元総務相 大臣の資質が問われる」(4月2日)

<毎日新聞>

「高市氏の「捏造」発言 耳を疑う責任転嫁の強弁」(3月12日)

「公文書否定する高市氏 閣僚としての資質を疑う」(3月18日)

朝日新聞は、高市氏に対し「仮に正確性に疑義があったとして、その責任は自分が負うことになるのをわかっているのだろうか。確たる根拠を示さずに、公文書制度に対する信頼を掘り崩すのはやめてもらいたい」(3月9日)と強烈に批判する。辞任こそ求めていないが「公文書管理の徹底は、政府あげての課題のはずだ。そんななか、このような物言いを繰り出す人物が大臣についているようでは、この国にまともな公文書制度を根付かせるのは難しい」(同)と断じている。

毎日新聞の論点も明確だ。「公文書は政策決定の公正さを検証するために不可欠な国民の共有財産だ。自らの発言でその信頼性を損なわせた高市氏である。閣僚としての適格性が問われている」(3月12日)。高市氏の言動が「公文書や官僚への信頼を自らおとしめる」と批判。矛先を岸田文雄首相にも向け「『総務省から説明しなければならない』と語り、まるで人ごとのようだ。行政全体の信用に関わる深刻な事態である。行政府の長として国民の不信を拭う責任がある」(3月18日)としている。

直接関連する社説を掲げなかった読売新聞と産経新聞だが、少子化問題や安全保障問題など、もっと重要なテーマがあるのに国会の審議が不十分になったという主張を展開する中で、放送法や高市氏の問題に触れている。

例えば読売新聞の4月3日の社説「後半国会 課題を直視し建設的に論じよ」は、次のように述べる。「野党は高市氏を辞任に追い込もうと躍起になった。放送局の政治的公平性をどう確保するか、といった本質的な議論が脇に置かれ、文書の記載が正確か、不正確かで堂々巡りの議論が行われたことに辟易する」。

産経新聞も3月29日の社説「参院予算委員会 建設的な防衛論議深めよ」の中で、同じような主張を展開している。「国会審議では、こうした高市氏に対する追及に多くの時間が費やされた。その一方で緊迫度が高まる国際情勢について、具体的な論戦が乏しかったのは問題だ」。

野党の追及に問題があるという論説だが、全く説得力に欠ける。高市氏の国会における答弁を追っていけば、多くの審議時間が費やされる原因をつくったのは間違いなく高市氏本人だと分かる。

毎日新聞の3月18日の社説が指摘するように「高市氏には真相解明に取り組むことが求められるが、自らの主張に固執して時間を空費している」からだ。総務省が行政文書であるのに「捏造」だとする主張を取り下げない。根拠を示さず、高市氏本人への大臣レクはなかったと明確に断定しているのは、文書に登場する人物の中で、高市氏だけだ。

このように、新聞の報道は、“2極化”していることが明らかになった。

行政文書「捏造」発言はハラスメント

高市氏が「捏造」だと言い張るため、総務省は当該文書の作成者を特定し、特定できた場合はヒアリングを行った。この方法が適切だったのかどうかは検証する必要がある。

というのも、省内で職務上必要とされ、共有されていた文書であるのに、作成者を特定する必要はない。作成者不明の行政文書は珍しくない。もし、作成した職員が辞職していれば確認のしようもない。確認できなかったら、信憑性がある行政文書として扱われなくなってしまうのだろうか。 

高市氏は、文書に書かれた内容の「正確性」を問題視し、正確でないから「捏造」という論法を盛んに用いている。その主張が通るなら、行政機関がこれまで積み重ねてきた仕事を根底から覆すことになってしまう。なぜ総務省は高市氏の「捏造」発言に付き合う必要があったのだろうか。

新たに調査するまでもなく、中身の正確性を問わずとも、これらの文書が省内で共有されていた時点で行政文書である。総務省は3月17日と22日に調査結果を公表した。だが、その段階でも、文書の作成者すべてを特定できたわけではなく、また文書の内容1つひとつの正確性を突き詰めたわけではない。このような調査は、行政文書か否かの判断には本来、不必要だ。

行政文書である以上、正確な部分がもしあったとしても、行政文書であることには違いない。単なる「一部に不正確な部分があった行政文書」である。

また、行政文書である以上、作成者が特定されなくても行政文書である。中央省庁でも多数このような文書は存在する。「作成者がわからない行政文書」というだけのことだ。

調査を受けた職員は、どれだけ大きな心理的な負担がかかったことだろうか。行政文書の捏造は犯罪行為だ。「この文書は捏造」という指摘は、「作成者は犯罪に関わった」という指摘に等しい。省内の調査を受けた、当該文書を作成した職員は次のように語っている。3月22日に総務省が公表した報告書から引用する。

約8年前でもあり、詳細についての記憶は定かではないが、日頃確実な仕事を心がけているので、上司の関与を経てこのような文書が残っているのであれば、同時期に放送法に関する大臣レクは行われたのではないかと認識している。

 

原案を作成した認識はある。他方、作成したレク記録は通常、上司に確認しており、出来上がったものは、これを踏まえたものになっている。しかし、記録の一つ一つについて、修正の有無や修正箇所の記憶が定かでない。

職場で共有されている文書なのに、当時の組織のトップだった高市氏から「捏造」と言われ、調査を受ける。「100%正確だ」とは断定していないものの、やっとの思いで答えたのだろうと思われる。そうだとすると、逆に誠実な回答に感じられる。

当時の大臣が、行政文書の作成者に対して「捏造」と言い続ける。筆者は、こうした言動が、作成に関与した当時の職員に対するハラスメントに当たると考えている。

異常事態が続く責任は?

行政機関の職員は、行政文書に政策の決定過程などを記録していくことが仕事だ。保有していた総務省が「行政文書」だとしているのに、当時の大臣はなお「捏造だ」と公言する。そんな元大臣が平然と現在の閣僚の一角にとどまっている。岸田首相は任命責任を負わないつもりのようだ。政治史の中で記録されねばならない異常事態だろう。

にもかかわらず、このような事態を正面から批判しないメディアがある。当時の大臣からハラスメントを受けた職員が存在するのに、問題だと捉えられないメディアがある。

放送法の「政治的公平」や高市氏の言動に対するメディアの報道と、ジャニー喜多川氏による性的虐待をめぐるメディアの対応とは、類似性があるのではないか。筆者には、病根が一緒に見えて仕方がない。

おぐろ・じゅん

広島市生まれ。同志社大学社会学部大学院教授。上智大学法学部卒。三井物産で商社マン、毎日新聞で記者職。上智大学と米オハイオ州立大学で修士号。共同通信で脳死臓器移植や外務省機密費問題など調査報道に当たる。2004年から龍谷大学、12年から同志社大学でジャーナリズムの教育・研究。NPO「情報公開クリアリングハウス」理事。2021年4月から調査報道とファクトチェックのサイト「InFact」代表理事。

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