特集 ● 黄昏れる日本へ一石

ウクライナ戦争にみるドイツ・日本の「時代の転換」論のズレ

東アジア国際情勢に詳しいゲルラッハ教授との対話

カーネギー国際問題評議会上席研究員 アレキサンダー・ゲルラッハ

日本女子大学名誉教授・本誌代表編集委員 住沢 博紀

ゲルラッハ教授は、3月末、フリードリヒ・エーベルト財団と日本ゲーテ協会が主催する、「中国の台頭と東アジア民主主義国にとっての影響」という講演で来日され、その機会に、『現代の理論』編集部で、「ウクライナ戦争とドイツ・日本にとっての「時代の転換」の位置づけ」というテーマで意見交換。F・エーベルト財団東京事務所代表のサーラ・スヴェン上智大学教授にも同席し、討論に参加してもらった。

1.ショルツ首相の「時代の転換」論から1年

住沢: ショルツ首相は、昨年の2月24日、プーチンのウクライナ侵略に対して、「時代の転換」と題してドイツの対ロシア外交・安全保障政策の転換を宣言しました。それから1年、ショルツ首相は、著名な国際政治誌Foreign Affairsに、「グローバルな時代の転換」(2023.1)という寄稿文を寄せ、また3月2日のドイツ連邦議会での政府施政方針演説でも、「時代の転換から1年 ―多極世界のなかで、いかに新しい冷戦を回避するか」というタイトルで、ドイツ政府の基本方針を宣言しました。

ショルツ首相の「時代の転換」宣言がどこまでリアリティを持つのか当初は疑われましたが、プーチンの天然ガス供給停止、ウクライナからの防空兵器や戦車レオパルト2などの最新兵器供与の要請もあり、冷戦後ドイツのエネルギー政策、外交・安全保障政策は大きな転換をやむなくされました。

戦争の現実の展開に引きずられつつも、しかし現段階では、ハーベック経済相やベアボック外相など緑の党の指導部と協働しつつ、政府が全体を制御し、議会での議論を経て新しい事態に対応できています。これからはもっと中・長期的な課題、戦争終結への道筋、EUとドイツのグローバルな時代の転換への基本戦略などが必要とされる段階に入ってきています。

ゲルラッハさんとの対話。左ゲルラッハさん、右は住沢博博さん(3月28日、東京・赤坂のドイツ文化会館で)

ゲルラッハ: ショルツ首相のForeign Affairs への寄稿論文は、その文体からしても、専門家が英訳なり内容的に校正を加えたもので、こうした重要な雑誌に首相として寄稿する以上、それは当然のことです。

日本のことは知りませんが、ドイツでは何度も、「時代の転換」という言葉は使われており、ヘルムート・コールも1982年に「時代精神の転換」など唱え首相になり、また大統領のローマン・ヘルツオーク(1994年~)も、台頭する中国などを念頭にこの言葉を使っています。

要するに、ドイツがそれまでの政策の基本軸や人々のこれまでの意識などでは直面する新しい事態に対応できず、抜本的な刷新が不可避であると想定されるときに、使われていると思います。

ただ人々の意識に関しては、ドイツの経済や技術力がまだ良い状態と見なされている段階では、人々はこれまでのものを変えようとは思いません。生産性をあげるのは当然ですが、まったく新しいものを開始したり、新しい技術を導入したりすることには人々は関心を持っていません。だから政治家の「時代の転換」論とは、予想される新しい事態に備える準備的なテキスト、次を見据えた提起だと思います。

ただウクライナ戦争勃発に際して、これまでの外交政策や安全保障政策の抜本的な転換は避けられず、「時代の転換」とはまずこうした事態に対応しているかと思います。

住沢: しかしこのタイトルは、ドイツだけではなく、「グローバルな転換の時代」(ショルツ)、「世界的な規模での転換の時代」(SPD文書)と宣言されています。

ゲルラッハ: それはロシアのウクライナ侵略と中国の台頭を念頭に、戦後秩序の大きな転換期を迎え、とりわけ外交と安全保障政策の転換、ドイツの場合は戦争当事国への大型兵器の輸出・供給、日本の場合でも、戦争地域への岸田首相の訪問など、戦後の外交・安全保守政策、そして同盟政策の位置づけの転換といえます。

2.「時代の転換」論はドイツでいかに受けとめられたか

住沢: もう一度聞きますが、この「時代の転換」論は政治や専門家の安全保障の世界だけではなく、どの程度、国民やマスメディアの間で議論され、共有されているでしょうか。

ゲルラッハ: この概念が使われてから(2022年2月24日ロシアのウクライナ侵略)、政府は何度も様々な政策やその実施に際してこの視点から論じてはいますが、メディアの中では、そうした具体的ないくつかの施策では、まだ「時代の転換」とは言えないという評価です。つまりショルツ首相は、この概念を、あるいはテーゼを政治空間に投げ入れたわけですが、まだ多くの人々に承認されているとは言いがたいと思います。

住沢: 例えば 極右政党のAfD「ドイツのための選択肢」は、このテーゼをどのように評していますか。例えば、社民党SPD、キリスト教民主同盟・社会同盟CDU/CSU,緑の党、自由民主党(FDP)の4党が主流政党とすると、その外の左に「左翼党」、右に「ドイツのための選択肢」がありますが、ショルツの「時代の転換」論は、この中心政党と周辺政党では、どのように受け止れられていますか。

ゲルラッハ: 今いわれたように、4つの中道政党と二つの批判政党という枠組みが存在し、ドイツの場合は、多くの人々がこの中道政党に投票しています。若者では、SPDとCDUはそれぞれ10%程度で、緑の党とFDPが多くの支持を得ていますが、総体として中道政党支持で安定しています。そのように考えれば、「時代の転換」論はこの中道派の中ではある程度の承認を得ているかと思います。左翼党の一部はロシア批判に消極的ですし、AfDはウクライナへの武器供与を批判しています。

3.日本の政府・政党・メディアの弱い「時代の転換」の議論

住沢: 日本の政党は与党自民党も立憲民主党もふくめて、こうした「時代の転換」議論は弱く、防衛費をGDP2%に増加させるとか、その財源をどうするかとか、台湾海峡の危機をあおるとか、個々の対応、リアクションに終始し、「転換」が示す日本の未来像に関する議論を欠いています。

自民党政府は、これまでも機会があるごとに、限りなく集団的自衛権に近い日米安保の強化(米軍との共同軍事行動の能力と地域の拡大)と自衛隊の憲法への明記をはかってきました。今回のウクライナ戦争も、こうした90年代からの流れの延長にあり、プーチンのロシアの代わりに、習近平の中国の軍事的強大化や核とミサイルを開発する北朝鮮のリスクに置き換えて、危機を煽ることに利用されています。

ゲルラッハ: それは多分、日本はウクライナから遠く離れており、経済的にもドイツのように直接の影響がないからでは。ヨーロッパのウクライナ近隣諸国は、兵器や軍事物資、インフラ関連や生活必需品を含め多くの資源を支援しています。日本も、45億ドルに及ぶ支援や岸田首相も訪問しているとはいえ、ヨーロッパのウクライナ近隣諸国、さらにはすべてのEU諸国が直面する問題とは、緊急度においても危機感においても、課題設定が異なるのではないでしょうか。

住沢: しかし昨年2月の戦争勃発時には、日本のメディアもロシアのウクライナ侵略は日本の安全保障にも直結する問題として広く報道しました。遠く離れたヨーロッパでの戦争とは見なしていなかったと思います。それに応じて、ウクライナ戦争を契機とした国際問題、安全保障や、通商政策、国連の変容と新しい課題など、報道の量や議論されるテーマも数多く、これらは日本の報道では珍しいものでした。

しかしそこから、「多極化された世界のグローバルな時代の転換」を見据えた議論や、未来への新しい選択肢がいくつか登場したわけではなく、90年代からの軍事同盟としての日米安保の強化と、そのなし崩し的な東アジア、太平洋への活動領域の拡大という、アメリカの外交・安全保障の枠組みに沿ったものでした。

ゲルラッハ: その当初のメディアの大きな関心は興味深いことです。おそらくヨーロッパとは異なる、東アジアにおける外交・安全保障の日本固有の「時代の転換」が意識されたからではないでしょうか。中国の台頭、北朝鮮の核・ミサイル開発など制御が難しいリスク、防衛費の増大やアメリカとの同盟政策の強化など、韓国、フィリッピン、台湾、オーストリアなどもふくめて、日本を囲む地政学的な新しい外交、安全保障政策が問われ、対応したからではないでしょうか。

4.ソフトパワーとしての中国のグローバルな台頭と軍拡競争へのリスク

住沢: ウクライナ戦争とアジアの問題となると、3月30日に予定されるゲルラッハさんの「中国の台頭と東アジアの民主主義」に関する見解を先ずお聞きしたい。

ゲルラッハ:  先週、ロシアを訪問した中国の指導部は、アメリカが中国包囲網を形成しようとしていると批判しました。確かにアメリカの中国包囲網は現実にあると思います。しかしそれはアメリカの側から始められた行動というより、中国のこの間の動きに対する対応です。中国指導部はこうしたアメリカの行動に対して、中国敵視政策として憤慨していますが。日本、韓国、フリッピン、台湾、オーストラリア、インドなど、中国の膨張主義に対する対応として、しかもそれぞれが多様な形態でアメリカとの同盟関係や協力関係を持ち、中国包囲網を形成しています。

これらの国々は、新秩序をとなえる中国の意図は平和的ではないことに気付いており、軍拡競争が始まろうとしています。中国は核開発の拡大を望んではいませんが、他方で北朝鮮の核武装の進展というもう一つのルートも持っており、米ソの冷戦時代にあったような、核を含めた軍拡の道につながる恐れがあります。

他方でアメリカはどうかというと、これもアメリカ政治、つまり民主党と共和党ですが、それぞれが中国に対して強い態度で対応する姿勢でいます。来年が大統領選挙の年なので、こうした中国への強硬姿勢が、冷静なレベルで留まるのか、それともそれを越えたものになるのか、リスクはあります。

これが中国台頭を迎えた東アジア、太平洋の新たな外交・安全保障政策を考える枠組みに関する、私の基本的な分析視点です

歴史的に見れば、アメリカ政府の中国に対する政策は、日中戦争の時代から首尾一貫したものではなく、また毛沢東の中国とも紆余曲折がありました。しかし現時点では、中国指導部はロシアとの同盟を強化して、アメリカに対抗しようとしていることは明白です。

中国はロシアに譲歩を迫る形でウクライナ問題に介入する利益や関心はなく、ロシアも台湾問題には利害関係はありません。現時点では両国はそれぞれのコアな問題に関与しないということでパートナー関係を築いています。

しかし歴史的に見れば、毛沢東の中国共産党とソ連は、冷戦末期にはイデオロギー的対立に至りました。現在、習近平は「第2の毛沢東」としてイデオロギー的にも支配的な地位を築こうとしており、イデオロギー対立が生じることもあり得ます。

現時点では、中国もロシアも、民主主義体制に代わる権威主義体制を擁護するという点で一致しており、対立はありません。しかし中国はロシアだけではなく、上海協力機構を通して多くの国々とパートナー関係を結んでおり、世界の人口の50%を占めています。

EUやG7ではこうした中国の影響力の拡大はあまり知られていませんが、この間、イランとサウジアラビアの紛争の仲介など、中国の多様な形でのパワーは確実に発展しています。中国が世界人口の40%から50%を占める国々とパートナシップを結ぶ時代には、アメリカは軍事力としては強大でも、そのソフトパワーに魅力を感じる国は少なくなるかもしれません。ヨーロッパやG7では、中国の外交、安全保障に関するソフトパワーは低い評価ですが、上海協力機構やBRICS諸国での中国の指導的役割が増大していけば、世界は異なる姿になります。こうした中国の新しいパワーに関して、G7の諸国はまだ十分には気が付いていません。

住沢: 上海協力機構に関しては、中国の「一帯一路」政策以前の早い時期から、日本では90年代から、少なくとも専門家や研究者の間で議論され、シンポジウムが開催されてきました。青山学院大の羽場久美子教授、中国畑の外交官、「東アジア共同体」を唱えた鳩山由紀夫さんなどもそうです。ただ上海協力機構そのものの実態は、過大評価されていませんか。

ゲルラッハ: 外交とは原理的にこうした構想を語ることであり、それがリアルに重要かどうかは別の問題です。しかし構想を掲げることにより、すでに重要と見なされることもまた事実です。例えばTPP(環太平洋パートナーシップ)もアメリカが加入しないという事で、中国が加入の声をあげ、それ以外の国々も加入の希望を表明し、アメリカ抜きでも大きな機構が可能であることが示されています。

アメリカは、民主党も共和党も、主として軍事力としてのパワーに注目して中国と対峙しようとしていますが、中国はこうした正統的な外交的手段でそのパワーを拡大させ、アメリカとは異なる世界秩序構築を試みていることも事実です。

こうした中国のグローバル戦略が成功するかどうかは、現在ではわかりません。しかし大事なことは、中国は対象国を投資などにより経済的に依存させる、あるいは相互利益を掲げる、軍事力により威圧する、それにこうした外交的な手段など、多様な手法でアメリカの覇権、これまでの世界秩序の転換を迫っているということです。東南アジアに関しても、例えばタイなどへの軍事的な脅威を与えると同時に、経済的な利益を供与するなど、両面的な方法でパワーの拡大を子試み、これは外交としては正当化されうるものです。

住沢: ウクライナ戦争や米中覇権競争が前面に出る前までは、EUもドイツも中国の一帯一路政策を歓迎しており、ユーラシア大陸の東と西を結ぶ新しい経済圏として積極的に受け入れられました。鉄道の拠点としてのドルトムント、コンテナ基地の拠点としてのハンブルクなどです。もちろん現在でも、ドイツやフランスなどEU諸国と中国の貿易は双方に重要であり、この点では互恵関係に立っていますが、経済安全保障やサプライチエーンの確保などから、IT関連、半導体など中国の影響を軽減し、中国の海外への投資に関してより注意深くなっています。

ゲルラッハ: 経済・外交安どのソフトパワーは一つの側面です。しかしもちろんもう一つの側面は、中国はいかなる意味でも私たちの意味での「普通の国家」ではなく、パートナーとなりえない国家です。その根拠の第一は、ウイグル族への「民族虐殺」とでもいえる弾圧です。それ以前からもチベット、モンゴルなどへ支配もありました。第2に香港の抑圧です。こうした中国の行動の在り方は、ドイツや日本が、政治や経済面でどのような関係を持とうとも、中国をパートナーとして決して承認できない理由です。

5.欧米「価値観」外交に対する中国の植民地支配論に立つ反論

住沢: 次の問題にいきます。ドイツの外相ベアボックは価値観に立つ外交、ジェンダー外交を唱え、中国のウイグル族への抑圧、イスラム諸国の女性の抑圧を批判しています。これに対して中国は、たとえば3月にモスクワを訪問した習近平は、こうした西欧的価値観が20世紀までの植民地支配の根底にあり、主権国家の権限を侵害していると主張します。

これらは帰結として、主権国家としての権威主義体制を正当化し、デモクラシーによる批判を相対化するものです。こうして中国の権威主義体制を正当化する主張は、プーチンのロシアやイランなどはもちろん、インド、南アフリカ、ブラジルなど「グローバルサウス」でも共鳴者は多く、これがエネルギー供給と並んでウクライナ戦争に関してロシアを孤立せることが難しくなっている一つの要因です。

ゲルラッハ: もちろんコロニアル・スタディーやジェンダー・スタディーの文脈からは、西欧文明の支配地域での抑圧的な役割が明らかにされています。その限りではこうした主張は正当性があります。そして中国はこうした時代の流れを、自分たちの西欧的基本価値、基本的人権論への批判に利用しようとしています。

しかしこうした批判は根拠のないものです。なぜなら基本的人権は、国連で決議され国連憲章に記された、ユニバーサルな基本的価値であり、西欧的価値の押しつけではありません。その起源が、キリスト教文明であるとか西欧であるとかは全く意味を持ちません。国連憲章の中に法制化され、参加国はこうした憲章に同意したわけですから、その法として承認された規範は遵守する義務があります。

今、中国がウイグル族への抑圧に対して、西欧的価値からの主権国家の侵害であるという主張はできません。中国は中華人民共和国として国連に加盟した段階で、この基本的価値を前提とした国際法秩序に拘束されているからです。

さらにいえば、基本的人権の思想は、キリスト教であれ、仏教であれ、様々な起源をもち、例えば捕虜への拷問の禁止はローマ法の中にすでに存在し、しかしそれは20世紀の憲章で初めて承認されたという事もあります。

国際的な基本的人権論は、植民地支配の帰結として生まれたのではなく、1945年、戦後秩序を構築する際に、その基盤として基本的人権という価値観に立つことが、参加国の契約として承認されたわけです。キリスト教文明などの宗教的な価値ではなく、国際的な法制度、法秩序として存在しています。

同盟というと通常は軍事です。パートナーというと経済関係です。それに対して政治的には、私は「友好国(友人)」と呼びたいです。例えば日本とドイツは友人ですし、ドイツと台湾も友人です。さらにカナダ、イタリアなど多くの国々は同じ価値観や自由という信念に立った関係を結ぶことができます。これに対して、中国はイデオロギーという枠組みに拘束されており、こうした友人という概念で結びつくことは不可能なのです。

もちろん、9500万人の共産党員と15億の中国国民という比率で、共産党は中国の一部であり、国民と同一ではありません。しかしファシズム支配の国ではどの国でも、ナチスのドイツ支配が示すように、国民の一部を組織する強力な党と、沈黙を守る大衆という構図のもと、国民を支配する構造なのです。

6.日本国憲法は国連憲章・ルールによる戦後秩序の形成の産物でありモデル

住沢: 要するに、ゲルラッハさんの論点は、基本的人権などの基本価値が、どのような起源、どのような文明を基盤とするかという問題は重要ではなく、それが現在では国連憲章など加盟国により承認された国際的な法秩序となっていること、ここに核心があるという理解でいいですか。

ゲルラッハ: そうです。

住沢: この点は非常に重要な点です。いま、ウクライナ戦争を契機に、中国とロシアの連携の強化、中国の欧米の自由主義的な価値外交に対抗する、主権国家に基づく権威主義体制の容認とグローバルサウスなどへの影響力の拡大の試みなど、EU英米・日本のG7と中国・ロシアの政治・安全保障上の対立が激化してきています。

しかしG7の共通性は明確ではありません。80年代から現在まで、冷戦後の世界秩序の枠組みと安定のリーダーを担ってきたという「歴史」だけで、グローバルな「時代の転換」に対応できるでしょうか。

日本国憲法が、ゲルラッハさんがいわれた戦後の国際的な法秩序、国連憲章に基づく平和の構築という基盤に立脚しており、また日本の憲法学者、そしてリベラルな政治家もそれを自覚してきました。この戦後70年近くの実績は、安全保障の枠組みの議論に限定されることなく、「新しい陣営対立論」を越えた「グローバルな時代の転換」に生かすことはできないでしょうか。

ゲルラッハ: ショルツ首相の「グローバルな時代の転換」論に関して、彼は昨年、フォルクスワーゲンなどドイツの大会社の社長を連れて訪中し、ドイツ・中国企業の相互投資の推進を支持するとともに、多極的なグローバル経済の発展を唱えました。後の記者会見では、ウイグル族への抑圧に少し言及したが。またその後インドに行き、イスラム抑圧でホビー・ファシストともいえるモディ首相と、価値観の共通性を強調しました。対中国でインドを必要とすると同時に、インド市場も大事だからです。さらにはハンブルクのコンテナ埠頭への中国出資も肯定していました。

政治家であれば、自国の経済的な利益と価値に基づく外交を使い分ける必要があるかもしれませんが、分析者としての私の役割りからは、そうした「価値観に立つ外交」など何の実態もないレトリックに過ぎないと、切り捨てることも大事だと思います。

サーラ: ドイツはアジアへの艦隊派遣を通して、中国包囲網の一端を担うという意思表示をしました。来年度も予定しており、これは中国に対する明確な政治的シグナルでもあります。他方で、経済関係に関して、先ほどの大企業の代表を引き連れ訪中し、中国とのより密接な経済関係の推進を図っています。記者会見では、ウイグル族への抑圧に対して中国に警告し、それはドイツやEUのメディアでは大きく取り上げられました。

こうしたことは明らかに矛盾していますが、これは中国と密接な経済関係を持つ日本も同じことです。ゲルラッハさんがいうような、「価値観に立つ外交」と自由主義陣営論が虚構であるのではなく、G7の諸国には、政治・安全保障政策と経済の矛盾があるという現実の姿を映していると思います。

住沢: 「時代の転換」という概念で戦後のドイツと日本を比較すると、興味ある違いが見いだされます。

ドイツの場合、1990年までは冷戦の前線国家としてGDP3%前後の防衛費を計上するとともに徴兵制を敷いていました。他方で、1970年代のブラントの東方政策以後、旧ソ連圏との経済活動を活発化させてきました。1990年、東西連戦の終結共に、「平和の配当」として軍事費と兵力は縮小され、ウクライナ戦争の直前まで、NATOのGDP2%を目標とするといわれながらも、1.5%前後で推移していました。しかもEUの東方への拡大とともに、ロシアへのエネルギー依存と経済的なパートナー関係を深めてゆき、ロシアの自由社会への発展への期待もありました。ウクライナ戦争は、こうした過去50年間の外交・安全保障政策・通商政策からの転換です

ウクライナ戦争に際して、日本の岸田政権もG7の枠組みで行動していますから、ドイツと似たようなものです。ただNATOという集団的自衛権の枠組みはなく、またウクライナと近接していないので、むしろ台湾海峡の危機や北朝鮮の核配備とミサイル実験などに焦点が当てられています。

軍事支出GDP2%への拡大、台湾海峡の危機や北朝鮮への軍事的な抑止力の検討、これらは結局は日米安保の強化と、それをハブとした韓国やカナダ、オーストラリアなどとの、さらにはインドなども含めた「自由で開かれたインド太平洋」などの議論に行き着きます。

ドイツと異なるのは、すべてにリアリティがないことです。ドイツ連邦軍の再建とNATOの強化は具体的なプログラムです。ロシアへのエネルギー依存の断絶と再生可能なエネルギーへの転換も、時間との競争ですが日々、進捗状況が議論されるプロジェクトです。アメリカとの関係、EUの拡大と決定可能な組織への改編など、これも具体的な交渉用件であり成果が問われています。

日本の防衛費GDP2%は、数字や財源論争が先行して、その具体的な中身や戦略的な位置づけは明確ではありません。「自由で開かれたインド・太平洋」も、経済と安全保障を含めた総合的なビジョンですが、安全保障の側面が先行し、ここでは日本の役割は限定的です。ロシアへの経済制裁も中途半端であり、エネルギー危機は、原発再稼働という未来志向をもたない選択に迷い込んでいます。

TPPはアメリカ抜きでも実現しましたが、中国の「一帯一路」戦略や、これに関連した中国主導のアジアインフラ投資銀行AIIBに押されています。アジア開発銀行ADBもふくめて、本来この領域は日本が得意とし、独自に展開できる分野でしたが、中国の進出に対してその役割を果たしているとはいえません。

7.日本国憲法は「グローバルな時代の転換」への指針足りうるか?

住沢: 日本では、「グローバルな時代の転換」に際して、何が転換となるのか、明確な基準を持てないのではないでしょうか。日米安保は80年代から軍事同盟的な性格を段階的に強化してきており、冷戦終結後もこの流れは一貫しており、なし崩し的に「周辺地域」の安全保障へと拡大してきました。

ドイツ・EUのこれまでのロシア政策同様に、日本も中国と1972年の国交回復後は、一貫して経済関係を強化してきました。米中覇権競争がさらに激化しても、日米安保の軍事的協働の強化と中国との経済的なパートナーという関係の両立を追及していかなければなりません。

ドイツ・EUと異なるのは、どちらの領域でも、アメリカ、あるいは中国の出方、行動に対するリアクションという、受け身の対応でしか日本の選択肢はないことです。90年代からの、地域的経済圏を形成することや日韓関係の悪化など、また移民政策を否定し、地域に開かれた日本社会を形成することを怠ってきた帰結なのです。

日本が独自の存在意義をグローバル社会に示せるとすれば、それは日本国憲法を国連憲章の枠組みで理解し、グローバルな法の支配を遵守することにより、世界平和や世界の経済的な発展に貢献してきたこと訴えることに他なりません。欧米の価値外交が、G7の一員として日本も担えるとすれば、この点でしかありません。それは同時に中国に対しても、日本の原則的な立場を、米中覇権競争とは異なる枠組みで構想することができます。

残念ながら現在の日本は、日本国憲法の問題を、憲法9条に、つまり自衛隊と日米安保―集団的自衛権の問題に、自ら限定して議論しています。そうであれば「時代の転換」は、東アジアの安全保障をめぐる問題としてのみ理解され、陣営対立の枠組みに解消されてしまいます。それは21世紀のグローバルな時代の転換という軸を見失うことになります。立憲民主党は、立憲主義の歴史的・世界的な文脈を背負う政党としての存在意義を今こそ示さなければなりません。

冒頭のSPD文書では、ドイツがEUのリーダーとして、世界的な時代の転換期にその役割を担わなければならないと記されています。社民政党は、イギリス労働党もかつての勢いがないですし、フランスなどほとんど壊滅状態です。政党として、そして国家として、日本の現在と比較して、このグローバルなリーダーシップの問題を語っていただけますか。

サーラ: ドイツの首相であれ、フランスの大統領であれ、国際化された現在、世界に対するそれぞれの責任や要請を掲げ声明を発するわけで、これは適切なことです。このSPD文書は、ショルツ政権のこうした声明に対して、党としての立場を明確にして世界に向けてのリーダーシップを要請しているわけですが、ドイツとしても「時代の転換」の中で、EUの中で、そして米中に対して、さらには世界に向けて、ドイツのリーダーシップの問題は避けられないことだと思います。

ゲルラッハ: ドイツは現在、中道勢力では外交や安全保障政策では大きな違いはありません。EUの強化・拡大、NATOの強化など、現在はSPDなど3党連立政権ですが、これがCDUを中心とする連立政権になっても大きな違いはありません。

世界におけるドイツの指導的地位に関しては、これまでもメディア、新聞で何度も論じられてきました。ドイツも日本も第2次世界大戦の敗戦国、戦争責任を問われた国であり、ある種の謙虚さを要請され、倫理的な責任問題を外交政策にも取り入れる必要がありました。

したがってドイツの指導者も、ある種の「高い地位に就く退屈な人間」というようなレッテルの元、トランプのようなカリスマ的な指導者の登場ではなく、メルケルのような調整的な役割に徹したわけです。

ドイツの現在の中道的な民主政治の中では、カリスマ的な個人、リーダー的な個人は要請されていなく、そうしたリーダー信仰も要請もないかと思います。またドイツのポジションからいっても、世界に対する責任は、政治的なものよりも経済的な強国として、経済の領域で発揮されるのであり、政治ではありません。

東アジアに関しては、日本、韓国、台湾などの「友人関係」を確立することが大事です。政治、経済、安全保障の密接な結びつきを求めることは難しいでしょうから、こうした信頼関係が大事となり、その意味でも現在の韓国の尹 錫悦(ユン・ソンニョルュ)大統領のもと、日韓の関係が修復されているのはいいことです。

民主主義の価値を中国の権威主義体制に対置するといっても、その前提を具体的に示すことが大事です。経済、生活、福祉、教育水準など、こうしたものが高いレベルでないと民主主義も機能しません。韓国の民主主義と生活水準、台湾の工業生産と自由な社会、日本の生活水準と自由な社会などが中国よりも優れており、そうした情報が、インターネットを通して、中国のネット環境にある人々に伝わることが大事なのです。

アレキサンダー・ゲルラッハ

ゲルラッハ教授は、カーネギー国際問題評議会の上席研究員。ドイツやアメリカの著名雑誌・新聞への国際問題を倫理や民主主義論の視点から寄稿。台湾・香港での研究も永く、中国問題やイスラム世界の問題に詳しい。宗教社会学、民主主義論が専門。

すみざわ・ひろき

本誌代表編集委員。日本女子大学名誉教授。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版)など。

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