論壇

「教育」と「教育を受ける権利」で誰を、何を護るのか

池田祥子氏の拙著論評への反問

職業能力開発総合大学校名誉教授 田中 萬年

はじめに

先ず、論評「『教育を受ける権利』の歴史性を考える-田中萬年氏の『教育』概念批判”の硬直性」、『現代の理論』第25号、2021年2月(以下、池田論という)を執筆して下さった池田祥子氏、及びその論評を掲載された編集委員会にお礼を申し上げる。特に、池田氏には今著『奇妙な日本語「教育を受ける権利」-誕生・信奉と問題-』を丁寧にご講読下さり、校正ミス等を多数ご指摘戴き有り難く感謝したい。

ただ、池田氏は今著の論述を<勘違い>されているようであり、読者には今著の意図が伝わらないと思い、本稿を寄稿させてもらった。しかし、池田論の全てを正すのは紙幅の制約から困難であり、主要な論点に絞らせて戴く。

なお、池田論からの引用は<>で表し、既出拙論著には(○○年)を附す。

1.視座(立場)の違い

池田氏は教育を研究をしている教育学者である。しかし、筆者は、職業訓練を生業としてきた者である。教育学を正式に学んでいない筆者が何故に「教育」や「教育を受ける権利」を批判するのかと言うと、「教育」や「教育を受ける権利」は職業訓練の忌避観を醸成する観念だと気づいたからであり、それらを批判する研究がないためである。

と言っても、筆者は<頑なな>「教育」への否定論者ではなく、研究生活に入った当初は教育学に期待していた(p.237)。教育学への期待から職業訓練の研究をする過程で疑問へ、疑問から否定へと大きく変わったのである。疑問を持ち始めた頃の「職業訓練と教育をめぐる論点考」(1995年)から始まり、今著に辿り着いたのである。

1879(明治12)年の「教育令」から公的に臣民に「教育」が使用されたが、1890(明治23)年の「教育勅語」による拘束を経て「教育」を信じて来たのは筆者のみではなく、多くの国民も疑いを持たなかったはずである。それは明治以来の政府による「官軍教育」(p.71、原田伊織)により信奉させられてきたのである。筆者の場合、信奉していた「教育」という<言葉…の意味内容が徐々に…変遷>するのに50年掛かったのである。

その到達点として批判する対象が堀尾輝久氏の『現代教育の理論と構造-国民の教育権と教育の自由の確立のために-』(昭和46年、以下、『構造』という)になるのは必然であった。堀尾氏の論を批判するのは、教育学界において氏が「教育権」論を体系化させた第一人者として認められており、批判する人がいないからである(p.162)。

奇しくも筆者が教育学への期待をメモしていた著書は、『構造』の骨子と思われる堀尾氏の「義務教育」が掲載された宗像誠也編『教育基本法』(昭和41年)であった。ところで、今著では「教育」の問題性を次のような前提で論じている(p.32)。

なお、教育を批判する立場の中に文部科学省、または文部官僚を批判する論があります。

〝民主的〟教育学者もこの論を使いますが、これは筋違いです。官僚は憲法・法令を守る立場にあり、憲法・法律に「教育」が規定されていればその「教育」を施策し、行政に反映することが任務だからです。このことは文部省と官僚に「教育」という武器を与えたということを意味しています。しかも官僚が時の政府の指示に従うのが必然だとすれば、元来中立性がない教育は、「教育」そのものに問題があることが明らかでしょう。勿論、法令に反する政治家への忖度は論外です。

今日の教育問題は「教育」の文字を前提にしているから生じているのであり、「教育」が内包する言葉の概念が施策に反映していると筆者は考えている。この点は、池田論では次のように異なる(6節の最後)。

<最後に誤解されないように、私自身の堀尾輝久批判も述べておきたい。堀尾輝久の「教育権論」は、民主的な国民を想定し、理論としては完結しているかに見えながら、現実の日本の文部省の支配的な教育行政の実態や、教師への管理強化、大学入試を中心とする日本の教育内容の全体的な統制等などの現実には十分に切り込めないという決定的な弱点がある。(中略)

今後は「教育=学習」と捉えなおした上で、教育行政のあり方(教育内容、教員採用など)、教育委員会制度、教員養成、子どもたちの学校選択・カリキュラム選択・教員の選択等など、考え直すべき課題は多い。>

上のように、確かに池田論は現実のことを問題にしているが、「教育」と「教育を受ける権利」を護れば上のような池田論になるのは必然である。しかし、「教育」を担当している文部行政批判は「筋違い」であり、「教育」と「教育を受ける権利」を容認したままの教育の改革が行えるはずがない。それは、「教育」と「教育を受ける権利」を官僚に意図的に誤認、誤用する事を要求する意味になるからである。まして<教育=学習>と官僚は言わないだろうし、官僚が<教育=学習と捉えなお>すことはなかろう。このことは最後に再論する。

なお、教育学研究者の三好信浩氏から筆者は「労働者サイドの職業教育訓練から出た」と評されている(p.12、『産業教育学』)が、本稿も労働者サイドの論になるのであろう。

2.今著刊行の経緯と構成

今著執筆の意図はいくつかあるが、今著構成の論理は次の通りである。

まず、「教育」の問題については『教育と学校をめぐる三大誤解』(2006年、以下、『三大誤解』という)に記したが、山田洋次監督が「職業訓練校も学校だ」と述べたことを実証しようと教育学への疑問に初めてチャレンジした著作である。ところが、教育学研究者の吉田昌弘氏より「「教育」と、「学校」や文部省との結びつきを歴史的に検証しようという問題が提起され」たと評され、教育学上の欠落はあるもののそれを克服する研究がなされて学位を取られたように、あながち的外れな著作ではなかったようである。

また、教育学の元木健氏との編集で様々な専門家にも参加してもらい、『非「教育」の論理』(2009年)を発行した。さらに、池田氏から先に本誌に書評を寄稿戴いた『「教育」という過ち』(2017年)を問うている。

そして、「教育を受ける権利」が「日本国憲法」に規定された経緯を解明し、問題点を『働くための学習』(2007年、以下、『学習』という)に纏めた。この粗筋は本誌紙版の2009年新春号に「日本的『教育を受ける権利』の精神と問題-わが国の教育混迷の根源-」を、また、2014年8月のデジタル版の第2号に「迷走する『教育を受ける権利』論-『ブラック教育』の暴走を止められない」として掲載されている。

今著はこれまで解明できなかった問題としてタイトルにあるように、「教育を受ける権利」は「奇妙な日本語」であるにも拘わらず、何故に「日本国憲法」に規定されたのかの疑問と、筆者の研究の出発点でもあり土台となっている“何故にわが国では職業訓練への忌避観があるのか”の疑問の関係を論理的に整理したものである。

つまり、「教育」の言葉についての先の池田氏の書評による批判によって拙論の変更は後述のように不要とし、今著では「教育を受ける権利」の問題に焦点を絞っている。

また、一方の職業教育訓練への批判についての問題は、『職業教育はなぜ根づかないのか』(2013年、以下、『職業教育』という)を公開し、ここでも戦後の「教育を受ける権利」の問題が一因にあることを指摘した。

このような経過を経て、今著は筆者の課題を総合的に整理した内容であり、焦点は「教育を受ける権利」論がわが国の職業教育、職業訓練への忌避観を醸成する土壌になっている歴史を解明することを意図している。

この点を読者にも理解して頂かねば今著も本稿の意図も意味不明となる。池田論では紹介してもらえなかった今著の章立てを次に見て戴きたい。

奇妙な日本語「教育を受ける権利」-誕生・信奉と問題-

第一編 「教育を受ける権利」の誕生

 1.「教育」は明治政府の官製語だった

 2.福沢諭吉は「発育」であるべきと主張した

 3.ヘボンは「教育」を"education"としていなかった

 4.片山潜が「教育を受ける権利」を言い出した

第二編 「教育を受ける権利」の信奉

 5.GHQが参照した「憲法草案要綱」には「教育」が無かった

 6.マッカーサー草案には「教育を受ける権利」は無かった

 7.佐々木惣一は「教育を受けるのは権利か」と質問した

 8.「世界人権宣言」は「教育を受ける権利」ではない

 9.「教育権」等の言葉の創作で混乱させている

 10.マルクス言説が創作され、批判されていない

第三編 派生している問題

 11.個性が無視され横並び人間観が醸成されている

 12.「普通教育」が信奉されている

 13.職業・労働を忌避する教育観が醸成されている

コラム1.奇妙な「教育」関連用語:「文部省」/2.奇妙な「教育」関連用語:「学校」/3.奇妙な「教育」関連用語:「勉強」/4.奇妙な「教育」関連用語:「授業」/5.奇妙な「教育」関連用語:「自己教育」/6.正当な「教育」関連用語:「軍隊教育」、「企業内教育」/7.中国の憲法は「教育を受ける権利と義務」である/8.奇妙な「教育」関連用語:「キャリア教育」/9.奇妙な「教育」関連法:「産業教育振興法」/10.奇妙な日本語:「勤労の権利」/11.奇妙な理解:「徒弟」/12.奇妙な理解:「職業訓練」

副題の「問題」として13章「職業・労働を忌避する教育観が醸成されている」に焦点を絞って本書を構成していることをご理解頂けると思う。

なお、池田論の5節の最後に、<時代の中で…変遷していくことが理解できないのだろうか>とあるが、問題はその逆もあることである。“尊皇攘夷”は水戸学の奥義であったが、それを薩長が倒幕に利用し、維新後はそれも放棄したのだった。これと似ているが、明治の「教育勅語」下で主張された「教育を受ける権利」が戦後の民主的憲法に規定されたことに疑問が浮かばない盲点がこれまであった。この点に注目したのが今著と言える。

3.濱口「不満」は池田論的批判ではない

池田論は、1節で拙論の「教育」への批判が的外れであるとして、今著に紹介した労働問題研究者の濱口桂一郎氏の不満を取り上げている。しかし、濱口氏は氏のブログ(今著文献の日付は2017年7月25日の過ちだった)の最後に次のように記している。

職業のための学習、教育、訓練、開発、なんと言おうが、それこそがエデュケーション・トレーニングの本筋なのだという主張こそを、もっと明確に訴えることこそ、田中さんの使命ではないかと思うのですが。

濱口氏の不満は「教育」の批判よりも、むしろ職業訓練の重要性をもっと深めろ、という不満であった。濱口不満論は池田論の対極からの指摘であった。

それでも今著を書いたのは、濱口氏に反論している(p.222)ように、我が国の職業訓練の意義は職業訓練忌避の根源になっている教育学の問題を抜きにしては理解されないからであり、「教育を受ける権利」は労働問題研究者も紹介していない片山潜等が徒弟制批判とともに主張したことから始まったことを解明したからである。また、濱口氏が要求している使命論は筆者の「"Education"は『教育』ではない」(1996年)の意図と矛盾しない。

また、濱口氏はいち早く今著への感想を「教育学者どもの尻尾にくっついて、「教育」じゃなくて「学習」だ、なんて手垢の付いた議論を繰り返さなければならないのか」(2020年10月29日)と揚げている。濱口氏の不満は本稿のような議論は無用だ、の意味なのである。

なお、これまで今著については少なくない方々から感想を得、「田中萬年の新ホームページ」にそれぞれの核心的部分を紹介させて頂いている。この中には教育学研究者もおられるが、どれが教育学研究者の感想かは区別が付かないと思われる。つまり、教育学研究者と他の研究者、その他の市井の人々と今著への感想に差がないことを示している。感想を下さった教育学研究者と市民感覚は近いことを示している。

4.「教育」の定義はしていない

濱口論の次に、<『教育』という言葉を一方的に定義し>ているとしているが、筆者は教育学者ではなく「教育」の定義はしていない。池田論が引用している定義は『広辞苑』からの転載である。それは日本人の総意と言えるから転載した。

例えば、岩波書店が『教育をどうする』に寄稿してもらった知識人314名の中の数人が『広辞苑』の定義を調べているが、全てが妥当として批判している人はいない(『学習』)。ただ、同書に寄稿した永六輔だけは「「教育」にかわる言葉をつくるべき」として、「よりましだと思って使う言葉に、「学習」という言葉がある」と主張した(p.36)。

また、田中耕太郎のように明確に「教育」を定義した(p.138)教育学者の辞典は無く、池田氏は先ず「教育」の定義と英訳を表すべきである。池田論の批判は筆者が利用している『広辞苑』への批判であり、拙論を変更することが不要な理由である。

なお、筆者がある学会で報告した時、全く存じ上げなかった教育学研究者から、東京大学で学位を取られた王智新氏の論文のコピーを戴いた。それは、孟子の「教育」は永らく中国では使用されていなかったが、今日使用されている「教育」は日清戦争以降に日本から逆移入されたもの、との論である。「教育勅語」以後の「教育」が逆移入されて中国で使われているのであり、この論述に『三大誤解』を著す勇気をもらったのであった。

そして、今日の中国憲法では「教育を受ける権利と義務」が規定されている(コラム7)。今日のわが国憲法と中国憲法のどちらの規定が適切なのかを問いたい。

「教育」の定義と関わる"education"の概念も国によって異なる、となるが、「世界人権宣言」は共通語であろう。宣言には"the right to education"と同じ“the right to work"もある(p.170)が、これを「労働を受ける権利」とは誰も訳さないだろう。全く同じ構文が何故日本語では全く異なるのか。これは"education"を「教育」と訳すことに依る必然性であろう。「教育」は国民が働きかけることではなく受ける事であるからである。

5.言葉の変化は常識である

5節の最後に、<言葉そのものも時代の中で、その意味内容が徐々に、あるいは急激に変遷していくことが理解できないのだろうか>としているが、このことは「お前・御前」を中学校(?)で学んだ記憶があり、『三大誤解』執筆段階から注意してきた。

"education"の変化については、福沢諭吉にジョン万次郎が使うべきと推薦した“ウェブスター”の1806年の初版から1900年の第51版までを探査し、"education"を能力の"developing"と定義したのが1852年版であり、その能力の意味を職業に関する言葉でも表しているのは1864年版であるとした。しかし、「教育」をこのように定義した国語辞典はない。ちなみに、イギリスで庶民の"education"法が制定されたのは1861年だった。

一方、『広辞苑』の編集には教育学研究者も必ず協力者として入っており、もちろん若干の変化は生じている。注目すべきは、「学習指導要領」が国定化した1958(昭和33)年の後の第2版[1969(昭和44)年]で「望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動」が追加され、「教育」の本質が明確になり、これはその後の版にも受け継がれている(『三大誤解』)ことだ。第二版以降がむしろ“保守化”しているのを池田氏はどのように解説するのだろうか。

また、大隈重信がフルベッキから提起された「事由書」に記した「国民教育」は開明的だ、と記したことを<勘違いもひどくはないだろうか>と4節の終わりに一笑しているが、教育学での論述を探し得なかったから記した。フルベッキは当時は明治政府のお雇い外国人となっており、大隈や岩倉具視に提出した欧米視察の助言書“Brief Sketch”(「用語『普通教育』の生成と問題」、2010年)が布教活動だったとは思えない。「国民教育」の語源は"popular education"であった(p.211)。江戸時代、学者が研鑽を積むことを“教育”としていたが、「教育」は一般には使われていなかった。大隈は岩倉が欧米使節の留守中に「学制」制定(明治5年)の後押しをしていたが、「学制」前の「国民教育」の「教育」と、後に「学制」を廃して公布した「教育令」の「教育」概念が同義だと池田氏は論証しなければ拙論が<勘違い>だとは言えない。

なお、福沢諭吉は「教育勅語」制定以前には「教育ははなはだ穏当ならず」と批判していたが、「教育勅語」制定以後は「教育」を批判せず、「子弟教育費」のように迎合している(p.49)。「教育」の臣民への普及は「教育勅語」がなしたとするのが拙論である。

池田論は各所で「教育=学習」のように「学習」を使用しているが、2節では<「学習」概念には非常に好意的である>と拙論を揶揄している。何処に差異があるのだろうか。今著には記していないが、「学ぶ」は「まねる」が「まねぶ」となり、「まなぶ」と変化し、漢字が当てられた。真似ることは正に主体的に営むことである。文字が無かった時代の「まねる」とは、人が生きるための衣食住の作り方を真似ることであろう。習得には経験・体験が必須なのである(『仕事を学ぶ』、2004年)。教育を受けていても、学ぶ意欲・関心が無ければ「馬耳東風」となり何も身につかないであろう。学習と教育の大きな違いはここにある。

また、教育を司る省が教育省ではなく何故に文部省なのかを解説して欲しいものである。

6.参考文献の利用は研究観だ

池田論の3節に、拙論が大田堯氏の論を<拠り所>にしているのは安易だ、との指摘があるが、これはためにする批判であろう。大田氏が売文的な評論家なら分かるが、氏は戦後のわが国の教育学をリードした一人であり、筆者を含め大田氏の論を参考・引用文献に挙げてきた教育学研究者がどれほどいるのか数えるのは困難だろう。

一般に、人生の纏めとして出す回顧本には現役時代の思いを表明するから関心を引く。そこには各自の人生を美化して残そうとする場合と、現役時代の言動への反省を公開し、後進に轍を踏まないように警鐘を鳴らす意味との両者があると思われる。

前者として、『宮原誠一教育論集』がある。宮原は下中弥三郎が戦後に設立した生産教育協会の発起人や世話役を担当したが、筆者が発見した8点の論文等を著作目録、経歴紹介では捨象し(「1950年代における労働と教育をめぐる課題」:2013年)、隠蔽している。

一方、後者の例は多くないが、その類に筆者が引用した『大田堯自撰集成1』の論文は入ると言える。ただ転載しただけでは無く、原著の論文を「教育」が官製語であったこと、"education"を当てたことが誤訳だったことを更に書き足している(p.21)。しかも、第1巻の「あとがき」に「『自撰集成』の本意は、…自戒を込めた思いにあります」と述べている。

今は閉鎖しているが筆者の2014年7月のブログ「職業訓練雑感」に、拙著への感想として頂いた私信の「『教育』は誤訳という私の考えは今もかわりません。福沢さんは珍しく外国のコトバを正確に表現出来た珍しい人物です。」との記述を紹介したが、一時の思いつきでは無かったことが分かる。大田氏は確かに<これ以上のことは何も述べてはいない>が、教育学研究者はどなたも解説されないので僭越ながら今著の1から3章にわたり解説した。大田氏の反芻を老人の戯言と冷笑することは戦後教育学を正しく評価できず、未来の方向も見誤るだろう。

ところで、大田氏の活動をテーマにしたドキュメンタリー映画『かすかな光へ』が制作されている(2011年)が、この中でも大田氏は、"Education"を教育と訳したことは間違いだった、また、「世界人権宣言」の"the rigut to education"を「教育を受ける権利」とした事は正しくなかった、と講演で述べている。このような講演は一度で終わったとは思えない。映画は全国で今でも上演されており、その理解者は増えていると思われる。

ちなみに、「教育」は"education"だとする訳を決定づけたのは、「教育勅語官定英訳」(1907〈明治40〉年)だったとする拙論(p.55)を池田論は無視しているのは不思議である。

7.堀尾「教育権」論批判は職業訓練の尊厳のため

堀尾氏の学界運営への批判はあるが、池田論を読むまで堀尾論批判を寡聞にして知らなかった。確かに池田論では最後に“堀尾教育学”を批判しているが、池田論は「堀尾教育権論」を<理論としては完結している>としているように、今著とは全く視角が異なる。堀尾氏の「教育権」論には次のような問題がある。繰り返しもあるがあえて列挙する。

第1に、「教育」と"education"を同義としていること(p.145)。

第2に、「教育を受ける権利」がどのようにして規定されたのかの理由を、日本の歴史を無視しヨーロッパの近代化精神に求める(p.144)事大主義で論じていること。

第3に、日本人の憲法改革案としてGHQが唯一採用した“平和憲法草案”と言われる鈴木安蔵が起草した「憲法草案要綱」には「教育」が忌避されていたこと(p.93)、マッカーサー草案に「教育を受ける権利」はなかったこと(p.99)を無視していること。

第4に、憲法改正審議の過程で、憲法学者の佐々木惣一が「教育を受けることは権利になるのか」と質問したこと(p.107)を無視していること。

第5に、「教育勅語」を容認する下で「日本国憲法」の「教育を受ける権利」が議論、規定され、憲法公布の1年以上も後に、しかもGHQの示唆で「教育勅語」の失効確認を国会で決議したにもかかわらず、この歴史過程の事実を認めてない(p.120)こと。

第6に、「教育を受ける権利」という日本語に一般の国民でも疑問を持つ(p.4)が、民主的な国民の人権として論じている。「教育を受ける」とは「教育」をする人間が別にいることになり(p.12)、国民平等の現憲法下では矛盾する。そして「教師の教育権」等の民主的定義とは思えない言葉を遵用している(p.141)こと。

第7に、「教育権」は「教育する権利」であり、「教育を受ける権利」と「教育権」は異なるが、両者を区別せずに論じていること(p.141)。

第8に、「教育を受ける権利」はソビエト憲法から始まったと誤った論理を正当化している(p.149)こと。

第9に、「世界人権宣言」の"the right to education"を「教育を受ける権利」と言い張り(p.149)、後には「教育への権利」も同じだと次々に誤を上塗りしていること。

第10に、マルクスの言説のような言葉を創作(p.157)し、矢川徳光の『マルクス=エンゲルス教育論』を悪用し(p.160)、「教育を受ける権利」がマルクスから始まったように「必要な操作」と「実験的試み」でねつ造し(p.142)、読者を錯誤させていること。

そして、筆者が最大の問題とするのは「世界人権宣言」でも“社会権A規約”でも異なるにもかかわらず、「日本国憲法」の条文の順序だけで勤労権を無視する「教育を受ける権利」論を主張している(p.222)ことである。わが国で「生きるための教育」は主張されるが「働くための教育」が主張されない「堀尾教育権」論の重大問題なのである。

以上のような問題を内包している堀尾「教育権論」を擁護する池田氏の方こそ<「教育を受ける権利」の歴史性を考え>ない教育学者だと言えるのではなかろうか。

例えば、第9の「教育を受ける権利」論から「教育への権利」への転換を堀尾氏の「転換のジレンマ」だと筆者は揶揄している(p.150)が、池田論は<至極明解だ>と賞賛している。池田氏と筆者とでは日本語の理解の仕方が異なるようである。筆者に理解力が無いのだろうが、理解できるためには<理論としては完結している>「教育を受ける権利」を「教育への権利」へ転換したのが正しいと解説してもらわねば<至極明解>にならない。

関連して、ドイツの「人権通り」に刻まれた「教育を受ける権利」のドイツ語訳が"RECHT AUF BILDUNG"である(p.133)理由を解説すべきである。それは「日本国憲法」の政府公式英訳の"the right to receive education"ではなく、「世界人権宣言」の"the right to education"のドイツ語訳であるが、そのようになったのは何故なのか解説して欲しい。

8.今後の国民の“自立支援”の在り方

「教育」と「教育を受ける権利」を護るのは「一定の社会的成功者」が、「現在の教育が望ましく都合が良い」(p.9)から、と筆者は考える。

国体の護持をモットーに議員に当選した廿日出厖が憲法審議で賛同した(p.113)意見を引いているのかは知らないが、自民党の憲法改正案は「教育を受ける権利」を温存している(p.238)。池田氏の「教育を受ける権利」擁護論と自民党の「教育を受ける権利」温存と何が違うかを解説すべきである。「教育」を温存すれば「教育勅語」は塚本幼稚園のように蘇る。池田論の最後の<文部省の支配的な教育行政>批判が「筋違い」であることは既に述べた。

なお、<「教育=学習」と捉えなおし>とは池田氏の「教育」の再定義なのだろうか。再定義は<時代の中で…変遷>したのではない。「言葉の再定義…が可能になったら、言語として成り立たなくなるでしょう。言葉の再定義は為政者がプロパガンダとしてよく用いる手法です」(p.37)。国際化の時代、わが国の人間育成の論理も世界に認められるべきだが、英語で解説した<教育=学習>をネイティブスピーカーに納得させられるのだろうか。

例えば、1970年代の国際的な技術革新に対応するための労働者のための"Lifelong Education"を臨時教育審議会が「生涯学習」と意訳してわが国の自己責任論の先鞭を切ったが、それは"education"を「教育」としたことに次ぐ二度目の意訳と言える(『職業教育』)。

既述のように、「教育」を温存して教育を改革できるはずはない。近年の教育行政はますます「官軍教育」化しているのが事実であろう。その根底として「教育」及び「教育を受ける権利」を保障している、と政府は説明するはずであり、これを覆すことは民間人にも研究者にも困難であろう。堀尾氏の「教育権」論はマスコミにも支持され、現実の教育問題の改革としてではなく、むしろ逆に竿を差す役割を果たしていると言える。

もちろん、多くの教師は「教育」を生徒のためと“性善説”で理解(誤解)して生徒の「学習の権利」のため奮闘していると思われるし、その実践に国民の多くは委ねていることも事実である。そのような実践(p.242)を「これからの人間形成の法体系」(2010年)として位置づけるべきである。そして、国民の「学習する権利」を保障する政府の役割は「学習支援」となる(p.242)。それが、国際的な"education"を保障する論理に近づくはずである。

たなか・かずとし

1943年、旧満州国大連市生まれ。職業訓練大学校卒業、博士(学術)。主要な研究テーマは職業訓練、職業能力開発。著書『職業訓練原理』(職業訓練教材研究会、2006年)、『「教育」という過ち』(批評社、2017年)等。

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