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欧米における放射性廃棄物問題への対応

寿都問題の本質に迫る比較論的考察

工学院大学教授 小野 一

北海道寿都町(すっつちょう)および神恵内村(かもえないむら)が最終処分場候補地の文献調査に応じた。あたかも一地域の問題に矮小化しかねない報道姿勢に違和感を覚えた筆者は、少しずつ出始めた放射性廃棄物管理政策の知見を、日本の議論に活かす手がかりはないかと考えた。原子力開発の「負の遺産」を立地地元が負担するという関係性は、さまざまな意味で問題である。パートナーシップとボランタリズムに基づく地元協議というイギリス・西カンブリアの試みをはじめ、欧米の事例との相互関係に注目することで、放射性廃棄物問題の本質に迫る。

 

1.寿都問題とは何か

北海道寿都郡寿都町/古宇郡神恵内村

北海道寿都郡寿都町は、日本海に面した水産業主体の町である。現在、鉄道は通じておらず、函館や札幌(新千歳空港)から車で3時間前後の道のりとなる。かつてはニシン漁で栄えたが、人口減少が著しい。同町の統計によれば、2020年3月31日現在の人口は2893人で、65歳以上の高齢者の比率は40.4%である。

2020年8月13日、片岡治雄町長は、放射性廃棄物最終処分場の「文献調査」に応募する意向を示した。候補地の最終決定まではいくつもの段階を経なければならないが、文献調査を行えば関係自治体注1に最大20億円が電源立地地域対策交付金注2から支払われる。

高レベル放射性廃棄物の最終処分は、ほとんどの国でめどが立たない。日本では、地層処分(後述)を見越した1976年以来の研究は、2000年の「特定放射性廃棄物の処分に関する法律」により新局面に入った。原子力発電環境整備機構(NUMO)が設立され注3、候補地公募が始まった。しかし正式に応募した自治体はなく、政府は自ら候補地をリストアップし補償措置を検討する方針に転じた。

2017年7月の科学的特性マップ注4は、この延長上にある。この地図は、地質学的要因や開発上の要因により最終処分場建設に適さない地域と、好ましい特性が確認できる可能性のある地域を色分けする。「放射性廃棄物の適切な処分の実現に向けて」と題して資源エネルギー庁ウェブサイト上で同時に公表された文書には、次のような一節がある。「全国各地で国民や地域の方々ときめ細かな対話活動を積み重ねていきます。そうした活動を通じて国民や地域の方々の理解が深まり、やがて調査を受け入れていただける地域が出てくれば、文献調査を進めていくことになります」注5

ここには、原発推進側の本音が余すところなく表現されている。科学的特性マップがどこまで「科学的」なのかも窺い知れよう。誰もが望まぬ最終処分場。適地でないところも含め、自発的に名乗りを上げさせるのがねらいである。多額の交付金もここから説明がつく。だが、いったん原発マネーを手にした自治体が、まるで麻薬のように補助金への依存を強めることは、経験上知られている。

寿都町のような財政難に苦しむ自治体の応募は「計算どおり」である。だがそれを、カネ目当ての浅はかな行為として非難するのは、一面的である。片岡町長は、2001年の初当選以来、風力発電の風車を建設したり、ふるさと納税を集めたり、財源の乏しい町に多大な収入をもたらしてきた。ただし、脆弱な財政基盤は創意工夫だけでどうにかなるものではない。「『貧乏でもいいじゃないか』と言う人もいますが、無責任です。・・・水道料金が今の倍になってもいいのか、という話です」注6

処分場立地には、多段階の地元同意が必要である。北海道は核のゴミの持ち込みを拒否しているが、片岡町長はそのような鈴木直道知事の姿勢に疑義を呈する。「原子力発電があるのに最終処分場の議論が進まないのはおかしい。一石を投じたい」注7との言葉は、放射性廃棄物など自分たちには無関係と思っている大都市住民こそが真摯に受け止めるべきだろう。

北海道の自治体の行動が、日本社会のひずみを浮き彫りにした。原子力開発の「負の遺産」の代表例である放射性廃棄物問題。それを立場の弱い地域の負担で「解決」しようとする巧妙な(露骨な?)仕掛け。それを容認する多数派世論。地方自治と民主主義は機能しているのか。ここに寿都問題の本質がある。10月8日、寿都町は文献調査に正式に応募した。北海道神恵内村(人口約820人)とあわせ、最終処分場探しは大きく動き出す。

 

2.地層処分に代案はないのか

(1) 地層処分とは

「核のゴミ」の形態はさまざまだが、高レベル放射性廃棄物のひとつに使用済み核燃料がある。直接処分か再処理を行うのかにより違いはあるが、放射性廃棄物は数万年単位で環境から隔離されねばならない。海洋や宇宙空間などへの投棄が検討されたこともあるが、国際条約で禁止されたり、技術的不確実性により否定されたりして、消去法的に残ったのが地層処分、すなわち安定した岩盤層の地下深くの最終処分場で保管する方法である(倉澤 2014: 236)。

原発推進国であれ脱原発国であれ、国内のどこかに処分場候補地を見つけるという難題から逃れられない。これは極度の政治的緊張を伴う。ほんとうに、地層処分以外の解決方法はないのだろうか。

日本学術会議の「高レベル放射性廃棄物の処分に関するフォローアップ検討委員会」は、2015年に提言を出した(日本学術会議 2015)。そこには、「暫定保管の期間は原則50年とし、最初の30年までを目処に最終処分のための合意形成と適地選定、さらに立地候補地選定を行い、その後20年以内を目処に処分場の建設を行う」という文言が含まれる。暫定施設は乾式による地上保管が望ましいが、いずれは最終処分場が必要になるので、それに向けた社会的合意形成を行うとの立場である。地表近くでの長期保管を方針とするのは、オランダ、スペイン、イタリアなど放射性廃棄物のさほど多くない国に限られる。その選択肢のない原発大国(日本も含む)は、地層処分を基本とせざるを得ない。

 
(2) 中間貯蔵と最終処分の流動化

国際原子力機関(IAEA)の定義では、中間貯蔵(storage)とは放射性元素、使用済み燃料ないしは放射性廃棄物の封じ込め施設(取り出し可能)での保管を意味する。日本学術会議の提言する暫定保管は、概念上、これに相当する。それに対し、放射性廃棄物の処分(disposal)では、取り出し可能性(retrieval)は基本的に想定されていない( IAEA 2016: 41)。深地層の最終処分場には、監視体制を前提としつつも、人為的ケアなしでも数万年にわたり安全を保てるほどの信頼性が求められるからである。将来世代に負担を先送りしないためにも、アフターケア不要の最終処分場が望ましい。

ところが、その場合の安全性を技術的に担保し得ないことを示す出来事が、次々に起こった。だとすれば、最終処分場にいったん搬入した放射性廃棄物を取り出すことも想定せねばならない。中間貯蔵と最終処分の境界の流動化である。IAEAの原則に忠実だったドイツも、2000年代を通じて取り出し可能性を認める方針に転じた注8。誤謬の訂正可能性を求める倫理学的深慮と思われるかもしれないが注9、実際には技術的要因によるところが大きい。当初の技術楽観主義が次々に裏切られたのは、原子力開発の歴史そのものである。

取り出し可能性論議ははじめてではないが、状況変化の中で新たな意味合いを付与されて再登場したと考えるのが順当だろう(小野 2019: 78)。技術だけでは解決できないことが明らかになった今、放射性廃棄物の「政治的・社会的側面」に注目が集まる。これは、原子力開発の「負の遺産」を社会共同体がどのように引き受けていくのかが試される「不利益の公正配分」問題である。一部地域に負担を押しつけてすむ話ではない。

原子力政策全般の問い直し、さらには、社会的言説や文化的価値なども含めた総体的な批判的検証が不可欠なのだが、本稿の目的はいくぶん限定的である。すでに存在する、ないしは今後生み出される高レベル放射性廃棄物を地層処分するという方針を所与とした上で、最終処分場立地選定がどのように行われるのか。各国の対応を見ていこう。

 

3.欧米の事例から

(1) ドイツ

図1 ドイツの原子力施設(Blowers 2017: 187)

ゴアレーベン(図1の上側)は、ドイツ反原発運動のシンボルである。キャスク輸送反対闘争注10で名を馳せたが、それ以前から最終処分場建設予定地と目されてきた。岩塩ドームは地下水に脆弱との指摘もあり、民間研究機関が独自の鑑定書を出すなどして反対運動をサポートした。福島原発事故後、ゴアレーベンでの地質調査の中止が正式決定され、複数地点を対象とした候補地選定が白紙状態からやり直されることとなった(ただし当地が候補から外れたわけではない)。2013年の候補地選定法はその手続きを定めたものだが、これにより、往年の反原発運動係争地も新たな意味を獲得したといえる。

地層処分に適するのは岩塩、結晶質岩(花崗岩、片麻岩など)、または粘土層とされるが、それぞれ特性が異なり、何かしら弱点がある(表1注11参照)。低・中レベル放射性廃棄物貯蔵施設として稼働中のアッセⅡで浸水事故が発覚すると、ゴアレーベンの岩塩層の安全神話は崩壊した。とはいえ、他に有力な候補地があるわけでもない。絶対安全とは言い切れない土地に最終処分場を作った場合の誤謬訂正可能性が「取り出し可能性」論議の含意だとすれば、皮肉である。

表1 最終処分場に関わる岩盤層ごとの諸特性

岩石/特性岩塩層粘土層結晶質(花崗岩、等)
熱伝導性
(気体・液体の)透過性事実上不透過非常に低〜低非常に低(裂け目なし)〜透過性(裂け目あり)
硬さ軟〜中
変形性粘着性(ゆっくり進む)可塑性〜もろいもろい
空洞の安定性それ自体安定的補強が必要高(裂け目なし)〜低(顕著な裂け目あり)
圧力静的等方性異方性異方性
水溶性非常に低非常に低
収着性非常に低非常に高中〜高
耐熱性
 
(2) フランス

図2 フランスの原子力施設(Blowers 2017: 135)

原発大国フランスは、多量の放射性廃棄物を抱え、早い段階から地層処分を構想していた。監督官庁のANDRAは、1987年、4つの候補地を挙げたが、猛烈な反対のため撤回せざるを得なかった。1998年、政府は、地下の実験施設予定地としてムーズ県とオート・マルヌ県の境界の村ビュール(図2の右上)を選んだ。複数の研究・実験施設のいずれかを最終処分場化するという説明とは異なり、競合する候補地はなかった。2009年にANDRAが出した地層処分産業センター(Cigéo)の提案書によれば、放射性廃棄物は平均深度500メートルの粘土層に埋められる。人口が少なく財政基盤の弱いビュールに流れ込んだ多額の補償金(およびその使われ方)は、ANDRAと国家が地方政治家を「買収」している、との批判をも惹起した(Seier 2016: 368)。

ヨーロッパでは脱原発国と原発推進国が併存するが、独仏はその両極である。フランスにとり原子力は国家の独立と繁栄の証だったが、ドイツの原子力利用は「平和」目的に限られる。核燃料サイクル計画を堅持するフランスに対し、ドイツでは2005年以降、再処理は禁じられている。最大の違いは、脱原発を決めたドイツでは総量管理注12が可能なのに、フランスはそうでないことだろう。たまり続ける放射性廃棄物は原発推進路線の泣き所だが、最終処分場の確保は、そうした制約条件を取り払うものだと政府や電力会社はいう。

 
(3) フィンランド

一方、結晶質岩の地下400メートル以上の深さに作られるフィンランドの処分場(オンカロ)には、2020年頃から使用済み核燃料の搬入が開始される予定である。先進事例として紹介されることもあるが、その立地が既存原発の周辺自治体であることには注意すべきである。放射性廃棄物は原子力産業への経済的依存が強い地域(原子力オアシス)に集中するとの知見があるが注13、フィンランドはこれに近い例ではなかろうか。立地選定をめぐる比較的スムーズな合意形成も、時代的、地域的な特性によるところが大きい。

 
(4) アメリカ

図3 アメリカの原子力施設(Blowers 2017: 80)

アメリカでは、ネバダ州ユッカマウンテン(図3の左)に地層処分場を建設する計画がある。核実験場に隣接する予定地は、ほぼ無人の砂漠地帯だが、先住民族の聖地でもある。複数の候補地から絞り込む方針だったが、実際に調査されたのは当地だけである。2017年の開設を見越し、2008年にはジョージ・ブッシュ政権が操業許可を申請するが、オバマ大統領の側近を務めた有力議員の影響もあり、いったんは凍結された。科学的知見に基づく政策決定を党利党略が歪めたとの批判もあるが、そのような議論は原子力行政の構造的差別性を無視している注14。同プロジェクトは、トランプ共和党政権下で再開された。

これまで迷惑施設建設に用いられてきたのは、DADアプローチ注15とよばれる上意下達的な政策手法である。それが大規模な反対運動を引き起こしたため、放射性廃棄物最終処分場の立地選定でも透明性ある手続きと市民参加を通じた社会的合意形成が不可欠との認識が、先進諸国では共有されるようになった。潜在的受入自治体をステークホルダーとし、その同意を得る協議という意味で興味深いのは、イギリス・西カンブリアでの経験である。

 

4.パートナーシップと「退出の権利」 - イギリス 西カンブリア地方

図4 イギリスの原子力施設(Blowers 2017: 80)

風光明媚な湖水で知られるカンブリア地方は、原子力開発の暗部でもある。イギリス独自のマグノックス原発(黒鉛減速型ガス冷却炉)がウィンズケール(現在の名称はセラフィールド、図4の中央)に建造され、敷地内の再処理工場でプルトニウムが分離・抽出された。当地には、他地域から持ち込まれたものも含め、多量の放射性物質が蓄積する。1957年10月に起こったプルトニウム生産炉の火災は、チェルノブイリ原発事故(1986年)までは、軍事用核施設以外では世界最悪の核事故だった(秋元 2012: 279)。大地やアイリッシュ海の放射能汚染も尋常でなく、1983年にテレビ放送された「ウィンズケール・核の洗濯場」は、セラフィールド周辺で小児性白血病の多発を確認したと主張した。

放射性廃棄物に関しては、イギリスも地下の最終処分場建設を基本方針とする。長期的な最善オプションを提言すべく2003年に設立された放射性廃棄物管理委員会(CoRWM)には、環境団体、公衆参加の専門家、社会科学者、原子力産業関係者などが参加する。その報告書を受けて作成された放射性廃棄物管理に関する白書(2008年)では、ボランタリズムとパートナーシップに基づくアプローチこそ最良の方策との政府の信条が表明された(Defra 2008: 47)。選定プロセスの第一段階として「関心の表明」(政府との協議に参加するが受入責任はないもの)、第二・第三段階として「参加決定」(地方自治体は最終処分場選定過程に参加する決断を下すが、受入責任はないもの)が想定される。政府は「立地自治体パートナーシップ」を立ち上げて「受入自治体、政策決定主体、広範な地域的利害関係者が原子力廃止措置機関のデリバリー組織や重要な利害関係者との協働により有意義な結果を得ること」を推奨する。

呼びかけに応じ「関心の表明」をしたのは、セラフィールド周辺の3つの自治体(カンブリア州、アラーデール地方、コープランド地方)だけだった。これらは、2008年白書に基づく西カンブリア放射性廃棄物安全管理パートナーシップにおいて熟議を行った結果、2013年、白書が保障する「退出の権利」を行使した。つまり立地選定は挫折に終わった。

 

5.欧米スタンダードと日本の放射性廃棄物問題

欧米諸国の事例から、一種のスタンダードが見て取れる。第一に、最終処分場選定過程での複数候補地調査の義務づけである。アメリカやフランスではこの約束は実質的に守られなかった。ドイツでは、ゴアレーベンを唯一の候補地とする政府や経済界の強硬姿勢が和らぎ、(少なくとも一時的には)事態打開の見通しが出てきた。第二に、地方自治体の自発的意思を尊重し、いつでも交渉から退出する権利を保障することである。

筆者は思う。複数候補地調査と自治体の自発的意思の尊重について、日本の言説空間で論じる余裕はないのだろうか。わざわざ「白羽の矢」を増やすなとか、最終処分場ありきの議論に加担するなとか言われるかもしれない。しかし、数少ない選択肢から危険承知で財源確保の道を選んだ地方政治家を非難するだけで、十分だろうか。深刻な分断社会で立場の弱い人たち(地域)が孤立無援というのは、原発推進側の思う壺である。自治体の自発的意思をほんとうの意味で尊重し、退出の権利を行使しても多数派や大都市住民からバッシングされない雰囲気を作りつつ、長期的展望を模索する戦略が重要ではなかろうか。

とはいえ、放射性廃棄物管理について論じる前提条件は各国で異なり、欧米の経験を横滑りさせられないのも事実である。近年の日本の展開を、グローバルな知見との相互関係において位置づけ直すことで、問題の本質がより明確になるだろう。

 

6.グローバルな視点からの再定義

(1) 透明性のある手続と市民参加の重要性

何をもって放射性廃棄物問題の「解決」とするかは、論者により異なる。原発推進側にとっては、手続きや社会的合意がどうであれ、最終処分場を確保できれば成果だろうし、反原発運動の一部には、自らの地域への建設阻止こそが目的だと考える人もいる。前者にとり、候補地を選定できなかった以上、イギリス・西カンブリアの試みは失敗例だったわけだが、後者の立場では「退出の権利」が重要視される。この問題の背後には、デモクラシーや熟議に関わる数十年来の議論がある。

上述のように、透明性ある手続きと市民参加の重要性は、上意下達的なDADアプローチへの反省を通じて認識された。その方向性を徹底した西カンブリアの地元協議がこのような結果に終わったのなら、関係自治体のボランタリズムを尊重した候補地探しなど幻想に過ぎない、との強権的発想が復活するかもしれない。だが、理論的にも実証的にも未解明のものが残されているのなら、悲観的結論を導く前になすべきことはあるのではないか。

逆に、日本の経験がグローバルな議論に投げ返すものは何だろうか。日本は核兵器非保有の原発大国である。しかし、脱原発を決めたドイツと異なり、使用済み核燃料の総量管理もままならぬ中で最終処分場候補地を探さねばならない。将来世代を視野に入れた「不利益の公正配分」のための努力が、原発推進側の思惑に絡め取られてしまう危険は多分にある。ちょうどイギリスで、関係自治体との対等なパートナーシップの中で議論を尽くす試みが、手っ取り早い候補地選定を求める政府や電力業界の意向と齟齬を来したように。

日本の場合、透明性ある手続きと市民参加という意味での「熟議的転回」が、理論的にも実践的にも、欧米諸国に比べて未成熟なのではないか。だとすれば、強権政治が復活する兆しを見せた時の免疫力は強くない。沖縄米軍基地問題(普天間飛行場の辺野古移設)への対応を見るにつけ、そのような不安が頭をよぎる。さらには、コロナ禍があぶり出した同調圧力の強さも、今後の最終処分場の立地選定に影を落とすのではなかろうか。

 
(2) 寿都町の動きは自発的と言えるのか

重要な論点は他にもある。ボランタリーな候補地選定は、実際には補償措置をめぐる議論とワンセットで行われる。日本の読者なら悪名高い電源三法交付金を思い出すかもしれないが、最近になって欧米でも、最終処分場立地への補償や地域振興がさかんに論じられるのには、複雑な思いを禁じ得ない。「不利益の公正配分」の手段として経済的補償を考えるのは当然だが、カネさえ払えば問題は解決できるとの安易な姿勢が、原発推進の論拠となることは避けられねばならない。

財政難に苦しむ自治体を「結果的に」最終処分場候補地に誘導するような方策には、道義的にも問題がある。だが、比較研究が示唆するのは、原子力オアシスの中の多様性である。周辺部の弱小自治体は「負の遺産」を押しつけられやすいとはいえ、ドイツのゴアレーベンのように反原発運動の一大拠点となっているところもある。寿都問題をこの文脈上でとらえ返すなら、何が見えてくるだろうか。

放射性廃棄物が既存施設の周囲に集積するという「原子力オアシス」論の知見は、抗いがたい。逆にいえば、原子力と無関係な地域に新たな施設を作る試みは、激しい抵抗に遭遇する。寿都町は、近くに泊原発があるとはいえ、基本的には原子力と縁遠かった。そのような自治体が「自発的に」文献調査を申し出たのは、世界的にもおそらく前例がない。

もちろん、ナショナルレベルの原子力行政が生み出した不条理を(最終処分場を受け入れる)自治体が負担するという暗黙の了解がある以上、寿都町の行動を「自発的」とは言い得ない。事実、同町の文献調査応募には、町内外で強い反対の声があった。この意味では、寿都町は「中程度」の自治体である。ほんとうに小さな自治体の場合、不利益の押しつけに対する抵抗力を持たず、しかも世論から忘れられた存在となる場合も少なくない。フランスのビュールや、スペインで暫定貯蔵施設予定地となった村などがそれに該当する。これに近いのは、寿都町ではなく神恵内村のほうかもしれない。

 

おわりに

タテマエではあっても、欧米では、最終処分場の立地選定には透明性ある手続きと市民参加が不可欠との認識がスタンダードになりつつある。どうやってそれを実現するのか。理論的にも実践的にも、究明すべき論点は残されている。「熟議的転回」が決して十分とはいえない日本では、原子力開発の「負の遺産」を立場の弱い人(地域)に押しつける安易な解決策が、いくぶん強権的な手法でなされる可能性も排除されない。放射性廃棄物問題は難問だが、人類の英知を総動員して解決せねばならない問題である。

 

本稿は、『北海道自治研究』2021年2月号に掲載された記事を、発行元の北海道地方自治研究所の承諾を得て転載したものである。放射性廃棄物問題を、一地域の問題に矮小化せず全国規模で議論することは重要だが、同号に掲載された「放射性廃棄物処理施設立地等回避条例の論点」という記事もあわせて参照されたい。

【参考文献】

Blowers, Andrew (2017) The Legacy of Nuclear Power. Oxon: Routledge.

Bundesanstalt fr Geowissenschaften und Rohstoff (2007) Endlagerung radioaktiver Abflle in Deutschland:Untersuchung und Bewertung von Regionen mitpotenziell geeigneten Wirtsgesteinsformationen.

Defra (2008) Managing Radioactive Waste Safely: A Framework for Implementing Geological Disposal: A White Paper by Defra, BERR and the developed administrations for Wales and Nothern Ireland. June 2008.

International Atomic Energy Agency (IAEA) (2016) IAEA Safety Glossary: Terminology Used in Nuclear Safety and Radiation Protection: 2016 Revision.

Seier, Sebastian (2016) Mal mehr, mal weniger Partizipation: Die Suche nach einem Atommll-Endlager in Frankreich und Schweden im Vergleich. in: Achim Brunnengrber (ed.), Problemfalle Endlager: Gesellschaftliche Herausforderungen im Umgang mit Atommll. Baden-Baden: Nomos, pp.359-387.

青木聡子 (2013) 『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開/環境志向型社会へのイニシアティヴ』ミネルヴァ書房。

秋元健治 (2012) 「イギリスの原子力政策史」若尾祐司・本田宏(編)『反核から脱原発へ/ドイツとヨーロッパ諸国の選択』昭和堂、第7章、263-301頁。

安全なエネルギー供給に関する倫理委員会 (2013) 『ドイツ脱原発倫理委員会報告/共同社会によるエネルギーシフトの道すじ』吉田文和、ミランダ・シュラーズ編訳、大月書店。

小野一 (2019) 「放射性廃棄物の『取り出し可能性』をめぐるクロスオーバーな研究の可能性/脱原発後のドイツ政治の展開から示唆を得て」『工学院大学研究報告』125号、73-81頁。

倉澤治雄 (2014) 『原発ゴミはどこへ行く?』リベルタ出版。

日本学術会議 (2015) 「高レベル放射性廃棄物の処分に関する政策提言/国民的合意形成に向けた暫定保管」。

 

【脚注】

注1 電力消費地(大都市など)や政策決定中枢との大雑把な対比の上で「立地地元」の語が使われるが、実際にはもっと細かい区分が必要である。ここで言う最大20億円の交付金は、周辺市町村や都道府県も対象に含み、文献調査に応じた自治体のみが全額を受け取るわけではない。一般に、受入自治体よりも周辺地域のほうで反対が強い傾向にある。原発とその関連施設(廃棄物処分場も含む)の特性の違いにも留意する必要がある。

注2 同制度は、「電源開発促進税を原資として、電気の生産地にも消費地が享受する恩恵の一部を還元するため、電気の生産地に対して交付されるもの」である(経済産業省資源エネルギー庁「電源立地制度について」)。電源開発促進税法は、後述する「電源三法」のひとつとして1974年に制定された。

注3 NUMOの地層処分の構想

注4 経済産業省資源エネルギー庁のウェブサイトに掲載。

注5 「放射性廃棄物の適切な処分の実現に向けて」

注6 毎日新聞(2020年9月8日9面)のインタビュー。

注7 毎日新聞(2020年9月4日22面)。

注8 候補地選定法(2013年)に基づき設置された最終処分場委員会は2016年7月に最終報告書を出し、その中で取り出し可能性に言及した。これは、AkEndとよばれる作業部会が2002年報告書の中で、取り出し可能性が念頭にあると地理学的に有利でない場所が選ばれかねないとの理由で否定的な立場をとっていたのとは対照的である。

注9 福島原発事故後に設置されたドイツの倫理委員会は、「放射性廃棄物を将来的にも取り出し可能な仕方で、最高度の安全性要求のもとで貯蔵管理することを提言」する(安全なエネルギー供給に関する倫理委員会 2013: 133)。

注10 キャスクは高レベル放射性廃棄物輸送用容器。フランスなどで再処理されたドイツ原発の使用済み核燃料がゴアレーベンの中間貯蔵施設へ陸上輸送される際、大規模な反対運動が起こった。キャスク輸送は、2011年末までに12回を数えた(青木 2013: 229)。

注11 連邦地質学資源局(BGR)報告書(Bundesanstalt für Geowissenschaften und Rohstoff: 2007)5頁の掲載資料。

注12 処理せねばならない放射性廃棄物の全体量を把握すること。

注13 原子力オアシスの例としてハンフォード(図3の左上)、ラ=アーグ(図2の左上)、セラフィールド(図4の中央)とともにゴアレーベンの名が挙がる(Blowers 2017他)。

注14 核実験場の建設以来、先住民族の権利はほとんど無視されてきた。ネバダ州を除くすべての州がユッカマウンテンプロジェクトを支持したのも、当該施設のNIMBY性を物語る。社会全体には必要だが立地地元の負担が大きいため忌避される迷惑施設への反対運動は、しばしば「自分の家の裏庭に作られることには反対(Not In My Back Yard)」という表現形態をとるため、このようによばれる。NIMBY施設は、結局は立場の弱い者(地域)に押しつけられる場合が多い。

注15 決定decide、宣言announce、防御defendの頭文字をとったもの。

おの・はじめ

1965年生まれ。専門は現代ドイツ政党政治、脱原発政策など。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程(1998年単位修得退学)。1998年より工学院大学、2017年より教授。著書に『ドイツにおける「赤と緑」の実験』(御茶の水書房、2009年)、『緑の党/運動・思想・政党の歴史』(講談社選書メチエ、2014年)『脱原発社会を求める君たちへ』(幻冬舎ルネッサンス新書、2018年)など。

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