コラム/経済先読み

「マイナス春闘」と「ジョブ型雇用」

賃金制度は本来労働組合が闘い取るもの

グローバル産業雇用総合研究所所長 小林 良暢

主役はいずれも日立

21春闘は、ベースアップとジョブ型雇用の二つが話題になった。ベアの方は、パターンセッターの電機連合・日立労組が、前年比マイナス300円の「マイナス春闘」で終わった。一方の「ジョブ型雇用」も日立労使が団体交渉の場に上げるところとなり、いずれも日立製作所が主役の春闘だった。

日立製作所の第1回春闘交渉で向かい合う中畑英信専務(左)と労組の半沢美幸中央執行委員

21春闘の日立の団体交渉は、写真のように労使代表の二人だけ。組合側の本部中執と支部役員150人は組合事務所でモニターを見守るZOOM団交だった。日立労組の歴代初の女性中央執行委員長・半沢美幸がベア要求を説明したのに対して、執行役専務の中畑英信は現場の組合リーダーに向けて話せる絶好の機会と、直接「ジョブ型雇用」について語りかけたという。 

この「ジョブ型雇用」は、昨年の春闘で、経団連の中西宏明会長が直接手を入れて仕上げたという「2020経営労働政策特別委員会報告」の中で提起したものである。21春闘では、日立の中畑英信執行役専務は、このジョブ型雇用について「優秀な人材を成長性の高い事業に振り向け、女性や高齢者、転職志向の強い若者など多様な人材が活躍できるようにする」と、その狙いを日経新聞やNHKテレビなどで語っている。このように、雇用をジョブ化すれば、賃金だって欧米のような「ジョブ型賃金」になると、論壇は一気に盛り上がっている。

日本労働運動における職務型賃金闘争の歴史

こうした欧州のような「ジョブ型賃金」については、戦後ずっと、労働組合が欧州の横断賃率論や職務給をめざして闘ってきた足跡を残している。

全自・日産分会の職務給要求

第二次大戦後、最初に労働組合自らつくった賃金体系を掲げて会社に闘いを挑んだのが、1953年の全自(全日本自動車産業労働組合)・日産分会の争議である。

53年は、スターリン暴落、朝鮮戦争休戦による大不況で、時の吉田総理の国会におけるバカヤロー発言で解散、少数与党内閣に転落した後に、吉田がそれを挽回すべく財界と組んで賃金抑制を目論んだ年であった。

これに対して、産別会議の傘下でも最強の戦闘力を誇るといわれた全自・日産分会は、東大法学部卒の伝説の組合指導者“マステツ”こと益田哲夫の指導の下、ワンマン吉田に闘いを挑んだ。

その要求たるや、ベア要求闘争であるが、自動車労働者を経験年数に応じて未熟練、半熟練、初級熟練、中級熟練、上級熟練、高級熟練の6段階に格づけし、経験ゼロの最低保障賃金を1万円とし、経験年数に応じて加算させようとする要求方式で、欧州型産業横断賃金に日本で初めて取り組む画期的なものだった。だが、ストライキとロックアウトを100日にわたって繰り返して、「労使決戦の関ヶ原」と言われたが、最後は学卒組合員を中心とした民主化グループの「新労」の結成で、組合分裂の末に敗北した。

鉄鋼労使の職務給導入

次に職務給の動きが出たのは、1960年代になって、八幡、富士、鋼管の鉄鋼大手三社であった。会社側からの職務給の提案を受けて、1962年から労使協議を積み上げて導入に至った。この動きを受けて、63年に総評が春闘白書で「ヨーロッパ並み賃金の実現」を掲げ、横断賃率論や同一労働同一賃金など、構造改革論(派)の研究者の間から職務・職種給が提言された。

全建総連の結成と産別協定賃金の闘い

敗戦で焦土と化した国土の戦後復興を担ってきた建設土建産業では、土建総連、全建労、東建産(東京建設産業労働組合)の3組織が、さらに全建労をも巻き込んで、1960年に全建総連(全国建設労働組合総連合)を結成した。

この組織統一を機に、全建総連は産別協定賃金運動を本格化する。

世はまさに、高度成長に乗って東京オリンピックに向かう建設ブームを背景として、建設労働市場は極度に逼迫、建設労働者は中小零細業の親方をも含めて、大手建設資本と闘う戦線を拡大する。

全建総連の協定賃金運動が、日本の賃金決定のメカニズムと決定的に異なることは、大工、左官、石工、水道・電気工など、労働者・職人の地域別の職種別賃金であるところである。例えば60年の大工の賃金は日当 800円で、 日雇い労働者は494円など、具体的でわかりやすいものである。

総評「ヨーロッパ並み賃金」と横断賃率論

1963年、総評が春闘白書で「ヨーロッパ並み賃金の実現」を掲げたが、これを横断賃率論と同一労働同一賃金の要求の柱として、構造改革論(派)の研究者の間から職務・職種給が提言された。また、同盟会議も横断賃率論に同調する姿勢を明確にした。だか、総評は「横断賃率論」には否定的な態度をとった。これは、横断賃率論について、構造改革派と同盟会議の後手に回ったことから、社会党・総評ブロック内の左派と共産党が政治的に反発したもので、労働組合運動の土俵の外からイデオロギーを持ち込む悪しき傾向が、この大事な局面で表面化したのである。

それでも、全国セメントが熟練度別賃金を掲げ、合化、私鉄、全硝労が足並みをそろえたことは一歩前進であった。

松下電器の仕事別賃金

高度成長の真只中、三種の神器と3Cブームに沸く家庭電器業界では、その雄の松下電器の会社側から組合に対して、職務給を導入する旨の提案をしてきた。これを受けた労働組合は、これに反対するのではなく、労働者にとって不利な点を現場の意見に沿って洗い出し、自ら「仕事別賃金」の対案を策定し、それを会社に逆提案、労使協議を重ねて労使合意にこぎつけたのである。

その内容は、本人給はG1からH3までの7グレードに職務格付けして、初任のG1の1000円からH5の5400円の職務賃金に配したものである。

この松下方式は、直ちに関西家電メーカの労使でも同様の方式を以て合意され、関東の日立・東芝にも職務給要素が取り入れられ、さらに67年には電機労連が第一次賃金政策を策定し、職務給を産別方針として取組むことを掲げたのである。

日経連が「能力主義賃金」で反撃

こうした労働側の職務給攻勢に対抗して、日経連は1969年に「能力主義管理」を発表、職能資格制度の導入とそれにリンクした職能給で反撃の狼煙を上げた。これから1970年から80年代の労使は、「職務・職種給」vs「職能賃金」を対抗軸にしてせめぎ合いの時代に入る。

しかし、時の趨勢は次第に経営側に傾き、処遇においては職能資格制度をベースに、賃金は職務能力に基準を置く、職能賃金への移行期に入る。具体的には、とくに大企業において、例えば鉄鋼の職務給も松下型の仕事別賃金も職能賃金の方向へと蚕食されてゆき、次第に我が国賃金制度は職能給に換骨奪胎されてしまうのである。

だが、会社側が能力主義を武器にして、労働組合から賃金制度の主導権を奪還したといっても、年功的人事慣行と終身雇用を岩盤とした日本型能力給では如何ともし難く、経済界からは苛立ちが絶えなかった。

そこにアメリカから進出してきたヘイシステム(職務分析、職務評価方法)になびく企業が増えていったが、それもアメリカ型システムには馴染めないとして、大勢を占めるには至らなかった。

富士通の成果主義賃金

高度成長が終わった1990年代に入ると、連合総研が「90年代の賃金」(1992)を発表、ジョブディスクリプション(職務記述書) とスキルにリンクした完全仕事給を提言した。

この時期になると、グローバリゼーションに直面した日本企業は、海外人材と国内人事制度との桎梏に直面して、世界競争に勝ち抜くという名目から、成果主義賃金がブームとなる。

その「成果主義」の先駆となったのが富士通の労使である。富士通は労使共同でアメリカに調査団を派遣、1989年と2001年に賃金制度の部分改定を行った。この01改定が朝日新聞に「成果主義賃金、富士通見直し」と一面トップで報じられたことから、成果主義賃金ブームに火がつき、「成果主義型人事処遇制度」として広く知られるようになった。その肝は、世界共通の職務等級によるグローバル・グレードである。

しかしながら、富士通元社員で成果主義賃金に携わったと称する城繁幸が、2004年に『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』を上梓して、世間を騒がした。これが原因ではなかったが、富士通を追いかけて成果主義を導入した企業では、年俸制をとれば成果主義、あるいは定期昇給を廃止すれば成果主義といった類いが続出して、富士通の挑戦は広がるには至らなかった。

賃金制度は力で勝ち取るもの

以上、労働組合の職務給をめぐる長い闘いを振り返ってみると、今度のジョブ型賃金は、確かに経団連の中西会長の発言に端を発した、経営側の反撃である。だが、賃金体系は経団連や連合がなんと主張しようが、それで決まることはないことは、この小史でもわかることである。

賃金制度というものは、企業内の労使の陣取り合戦の結果によって決まるのである。ジョブ型賃金が、資本の論理に飲み込まれるか、労働組合が巻き返せるかは、結局力で勝ち取ることでしかない。

こばやし・よしのぶ

1939年生まれ。法政大学経済学部・同大学院修了。1979年電機労連に入る。中央執行委員政策企画部長、連合総研主幹研究員、現代総研を経て、電機総研事務局長で退職。グローバル産業雇用総合研究所を設立。労働市場改革専門調査会委員、働き方改革の有識者ヒヤリングなどに参画。著書に『なぜ雇用格差はなくならないか』(日本経済新聞社)の他、共著に『IT時代の雇用システム』(日本評論社)、『21世紀グランドデザイン』(NTT出版)、『グローバル化のなかの企業文化』中央大学出版部)など多数。

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