特集 /人間の正邪問うコロナ  総選挙近し   

権力に迫っているつもりなのか?

匿名だらけの政治報道

同志社大学大学院教授 小黒 純

襲いかかる「第4波」に菅政権は…

コロナ禍は2年目の春を向かえた。3月下旬からの「第4波」は、昨年末からの「第3波」を超える勢いを見せている。2度目の緊急事態措置が解除されたばかりなのに、収束に至らずに跳ね上がった。政府や都道府県の対応は適切だったのだろうか。誰に責任があるのだろうか。そして、ジャーナリズムは果たすべき仕事をしているのだろうか。

経緯をざっと確認しておこう。関西3府県の知事は2月23日、西村康稔経済再生相と協議し、新規感染者数の減少や病床の逼迫が緩和されたとして先行解除を求めた。大阪府の吉村洋文知事は、「感染症対策と社会経済活動の両立をめざすべきだ」と強調した。しかし、その思惑は大きく外れ、新規感染者数は東京都を上回る事態となった。東京都も4月に入って1日の感染者数が再び500人を超えた。関西の急拡大を追う形で、関東そして全国で大きなリバウンド傾向が顕著になった。耐えきれずに、大阪府などでは4月5日、東京都では4月12日に「まん延防止等重点措置」が適用された。地域ごとに細かく「緊急事態宣言」が出されたようなものだ。

菅義偉首相は2度目の緊急事態宣言を全て解除した3月18日の記者会見で、こう述べた。「感染拡大を2度と起こしてはいけない、その決意を今回の宣言解除に当たり、改めて私自身、自らにも言い聞かせております。お一人おひとりが意識を持って行動していただく中で検査を拡大し、意識を持って行動していただく中で早期にリバウンドの端緒をつかみ、ワクチンの接種により発症と重症化を抑えながら医療体制を強化していく、命と健康を守っていく、そうした対策を徹底してまいります。皆様に制約をお願いする以上、国も自治体と一丸となって、できることは全てやり抜きます」

予想していた変異種の猛威

「2度と起こしてはいけない」と菅首相が自身にいくら言い聞かせたところで、都市部ではリバウンドが起こってしまった。とかく変異株のせいにされているが、菅首相も十二分に認識していた。この会見でも、対策の5本柱の一つに「変異株への対応」を挙げた。検査体制を強化し「変異株を割り出すとともに、感染源をきめ細かくたどることで、拡大を食い止めていきます」。

質疑応答に入り、ジャパンタイムズの記者が次のように尋ねた。「状況が悪化した際は、総理はどう責任を取るのでしょうか」。これに菅総理は正面から答えようとしない。「再び緊急事態宣言を出すことがないように、こうした5つの対策をしっかりやるのが私の責務だというふうに思っています」と逃げた。

となりにいた、政府分科会の尾身茂会長はとんでもないことを言い出す。「これからのやるべき対策を一言で言えば、私は、今までの延長線上にはない対策を打つことだと思います」。1月の緊急事態宣言時には「急所を押さえる」として、飲食店への対応を強調していた。それをいとも簡単に、反省もないままに全否定。尾身茂会長は責任ある立場にはないのか。

感染拡大はこの有り様である。新たな対策を行うには遅すぎた。東京都は1月8日から3月18日まで緊急事態宣言、そして4月12日からは23区などに「まん延防止等重点措置」だから、息つく間もない。市民の間で「自粛疲れ」あるいは「自粛慣れ」の空気が広がるのはやむを得ない感じさえする。

このように振り返ってみると、今年に入ってなお、政府の対策が場当たり的である印象は否めない。国民の命を左右する政策の判断がどう行われているのか、不透明極まりない。政策決定過程を追い、チェックするのがジャーナリズムの本来の役割である。

「政権幹部」「官邸幹部」「首相周辺」…

本稿で問題を指摘したいのは、コロナ禍に関する政治報道についてである。

朝日新聞の記事を部分引用する。4月8日の「急転直下の『まん延防止』要請 爆発的感染は防げるか」は、東京都に「まん延防止措置」を適用するかどうか、政府内でどのような動きがあったかを追っている。

政権幹部らはできるだけ措置の適用を避けたかったのが本音だ。3月22日に緊急事宣言を解除したばかりでもあり、国民の「コロナ疲れ」は色濃い。私権制限を伴うだけに、効果が上がらなければ政府に批判の矛先が向く可能性もある。

「適用するかどうかは、週末の感染状況を見てから決めたい」。官邸幹部は、小池知事が政府に要請する考えを明らかにした7日の段階でも、適用に慎重な考えを示していた。

だが、事態はそんな様子見の姿勢を許さなかった。

東京での新規感染者数は日に日に増加し、8日には2日連続で500人を超えた。政府内では元々「東京で500人を超えてくれば、何らかの対応が必要」(首相周辺)との声があった。対応が遅れて感染状況がさらに悪化すれば、小池知事に批判材料を与えることになる――。政権内には、そんな危惧もあった。官邸幹部は「首長が措置が必要だと政府に要請してくるなら、尊重するしかない」と漏らした。

そんな官邸幹部らも、重点措置の実効性に自信があるわけではない。3月22日に解除した緊急事態宣言も、終盤には感染者数が減らずに効果の薄れがうかがえた。「その宣言よりもゆるい重点措置に『宣言ではないでしょ』と思われ、深刻に受け止められないだろう」(政府関係者)との懸念が上がる。

飲食をターゲットにする重点措置は人の動きに抜本的に歯止めをかけるわけでもなく、都が警戒する変異株の感染拡大にどれだけ効果があるかも分からない。「措置で何かが劇的に変わるわけじゃない。まず効果を見極めたい」。首都で始まる手探りの措置に、首相周辺はそんな見方を示す。

記事中、登場する固有名詞は東京都の小池百合子知事だけである。全6段落の中で8回、情報源と思われる表現が登場する。「政権幹部」「官邸幹部」「政府関係者」「首相周辺」など、強調表示部分である。これらの人物は、社内では、誰を「政権幹部」と表現し、誰を「官邸幹部」と表現するのか、ルール化されているのかもしれないが、一般読者には到底区別がつかない。例えば、「首相周辺」にいるのは大抵「官邸幹部」だろう。

ここでは、匿名化のルールが存在するのかどうか、そのルールが守られているのかを問題にすることが目的ではない。いずれにしても、これらの情報源が、一定の責任が伴う「国のお偉いさんたち」であることは間違いない。平たく言えば、国民の生活のために仕事をしている、責任ある地位の人たちである。

あらためて確認しておきたいのは、記事中の発言内容は、彼らが自分の趣味の話を、飲み屋で気ままに語り合っている類いではない。職務に関する事柄を、取材記者の前で語っている。記者はその一部を切り取り、つなぎ合わせて記事に仕立てている。それをデスクがチェックし、さらに編集局内で何段階かのチェックを受け、記事として紙面に掲載されることになる。つまり、この記事を書いた記者だけでなく、掲載した朝日新聞全体が責任を持たなければならない。

無責任な発言を放置

この記事に対する、筆者の率直な感想は、「こんな書き方がよく通るな」「どうして許されるのか」というものである。彼らの発言内容は、いずれも「まん延防止措置」の適用をめぐる政府内の判断に関するものだ。つまり、国民の命と健康に直結する政治判断そのものである。

「まん延防止措置」が適用されれば、国民の生活は制限される。例えば、飲食店は営業時間が制限される。テレビのニュースでは、「死活問題だ」と話す店主や従業員の様子が、しばしば報道される。病院の病床が逼迫する事態を憂う医師や看護師の表情も伝えられている。

ところが、匿名になっている政府の中枢の人たちは、何の痛痒も感じていないかのような言葉を口にしている。

「その宣言よりもゆるい重点措置に『宣言ではないでしょ』と思われ、深刻に受け止められないだろう」

「措置で何かが劇的に変わるわけじゃない」

こうした無責任極まりない匿名の「国のお偉いさんたち」の言葉を集め、記事の地の文で記者はこう書いている。「そんな官邸幹部らも、重点措置の実効性に自信があるわけではない」。まさにその通りだ。効果があるという見通しがないまま、措置を適用しようとしている。

政府の中枢にいる人たちが、「まん延防止措置」の実効性を疑問視している。逆に、記事の中では、「感染抑制の効果が上がるはずだ」と考えて、適用を決めようとする「お偉いさん」の声はない。極めていい加減な、無責任極まりない政治判断がなされている。国民の命と健康がないがしろにされている。

それにも関わらず、この記事は、発言自体を問題視することなく、本人たちが発言の責任を取らずに済む形で報じている。批判は一切なし。これでは政府を監視する仕事をしていることにはならない。効果があるかわからないまま、政治判断を下す「お偉いさんたち」の責任は大きい。その一方、こうした形で、無責任な発言や、いい加減な政治判断を取材していながら、ただ発言をつなぎあわせて、もっともらしい記事を流してしまうジャーナリズムの責任も大きい。

ひょっとしたら、この手の記事は、「お偉いさんたち」に食い込み、本音を聞き出した記事だと、新聞社の社内で評価されているのかもしれない。だから、「匿名だらけ」の記事が横行しているとしたら…。権力に迫っているつもりならば、大間違いである。

五輪選手へのワクチン優先接種は…

他にも「匿名」の例を追ってみよう。共同通信は4月7日、次のような記事を独自ダネとして配信した。

政府、五輪、パラ選手への優先接種検討

政府は東京五輪・パラリンピックに出場する日本代表選手を対象に、新型コロナウイルスワクチンの優先接種を可能とする方向で検討に入った。政府関係者が7日、明らかにした。五輪選手については6月下旬までに2回の接種を終わらせる日程を想定している。

この報道内容についてネット上では問題視する声が相次いだ。主要国に比べ日本国内ではワクチンが不足し、接種のスケジュールが遅れているのに、なぜ五輪選手を優先するのか。そうまでして五輪開催を強行するのか。批判が高まったのを受け、丸川珠代五輪相が9日の閣議後会見で「これから先も具体的な検討を行う予定がない」など、報道の内容を否定するなど、火消しに動いた。

共同通信の記事は、情報源を「政府関係者」と、匿名にしている。先の記事に登場した「政権幹部」も「官邸幹部」も「首相周辺」も、いずれも「政府関係者」に含まれてしまう。発言者を特定できるはずもない。どのような立場にいる者が、どこで検討しているのかも確認する術がない。永田町の反応や、国民の反応を見るために、政府の誰かがいわゆる「観測気球」を上げたのかもしれない。そうだとしたら、共同通信は官僚に利用されたことになる。その自覚はあるのだろうか。

見出しに「政府高官」

東京五輪関係では、こんな記事も掲載された。3月25日、福島県内で五輪の聖火リレーが始まった。それに合わせて、菅首相が記者団の取材に対し、東京五輪開催に意欲を示したという朝日新聞の記事である。

見出しは、「聖火リレー『始まったら、もうやめられない』 政府高官」。筆者が驚いたのは、「政府高官」は見出しだけではなく、記事の本文の中でも「政府高官」だったことだ。段落ごと引用する。

24日はでの感染者が1週間ぶりに400人を超えるなど、の全面解除後、全国的な(感染再拡大)の懸念が高まっている。首相は五輪開催への影響について問われ、「対策には万全を期し、それぞれの地域と連携しながら感染拡大防止を徹底し、安全安心の大会にしていきたい」と述べた。政府高官は「開催が前提だ。聖火リレーが始まったら、もうやめることはできない」と話した。

感染拡大は止まらない中、聖火リレーが強行されている、と感じる人は少なくない。

SNSなどでも批判の声がいくつも掲載されている。この政府高官は、問題があるとしても、始まったらやめられない、という見解を述べている。東京五輪会開催や聖火リレーの実施に反対する人にとっては、神経を逆なでするような発言だと言える。

ところが、この記事は「政府高官」を見出しにまで取り、この発言を意義づけすることなく掲載している。何がなんでも突き進もうとする政府の動きを批判しているわけでもない。始めたら止めない、すなわち方針が「ぶれない」と、評価しているわけでもない。この記事においては、この記事においては、権力を監視しているという自覚はゼロだと言ってよいだろう。

福島原発・処理水放出の「舞台裏」 

もう一つ報道事例を挙げる。4月13日の朝日新聞は「処理水放出、トップ会談で整った 政治判断までの舞台裏」と題する記事を掲載した。菅首相は同日、東京電力福島第一原発で増え続ける汚染水を、海洋放出することを決め、記者団に「避けて通れない」と説明した。そのタイミングに合わせ、「政治判断までの舞台裏」が報じられた。

記事の中には、固有名詞として菅首相や梶山弘志経産相らが登場する一方、肝心な部分では、「首相周辺」「政府関係者」など匿名の情報源が幅を効かせる。記事を締めくくる段落を部分引用する。

「政権は貧乏くじをひいた」。閣僚のひとりはそう漏らした。夏の東京五輪や秋までにある衆院解散・総選挙への影響を警戒し判断の先送り論もあったが、この閣僚は「もうタイムリミット。やるしかなかった」。首相に近い自民党幹部は「いまはやることをやる時期だ」と述べ、直近の衆院解散の可能性は低くなったとの見方を示した。別の閣僚は「日米首脳会談で成果をアピールすれば、政権への批判も収まるだろう」と話した。

閣僚、すなわち国務大臣は菅首相を除くと20人。「閣僚のひとり」と「別の閣僚」の2人を特定することはできない。

汚染水の海洋放出については国民の賛否が分かれている。安全性について不透明な部分があり、不祥事が続く東京電力に対する不信感も高まっている。こうした中での菅首相の政治判断は、国民に対して重たい責任を負うものだ。

ところが、重要な政治判断に関連した考えを、匿名でしか語れない閣僚が菅政権の中にいる。そして、それを許して「舞台裏」を描いたつもりになっているジャーナリズムがある。上っ面の「舞台裏」話では、権力を監視したことにはならない。記事を読む限り、取材記者が何としてでも実名で語らせようとした、つまり、発言に責任を取らせようとした節はうかがえない。2人の閣僚の発言を担保するものは何もない。

実力を暴くコロナ禍

元共同通信論説副主幹で上智大学教授を務めた故藤田博司氏は、情報源明示の必要性を訴えてきた。2010年に著した『どうする情報源 -報道改革の分水嶺』(リベルタ出版)では、米国のジャーナリズムと比較しつつ、あいまいな情報源があふれかえる報道に警鐘を鳴らした。出版から11年が経過しているが、政治報道では情報源は「匿名だらけ」であり、むしろ当時よりも後退しているようにも見える。本稿で取り上げた例はごく一部に過ぎない。同種の「匿名だらけ」の記事は簡単に見つけることができる。

コロナ禍の下では、それぞれの実力が如実に出る。国民の命に直結する問題について、政治家や官僚が、科学的な知見に基づく確固たる判断ができない。無責任な本音。ジャーナリズムは批判することなく、放言・放談の類いをそのまま「 」(カギ括弧)でつないで、「舞台裏」を報じたつもりになっている。コロナ禍が、ジャーナリズムの実力までも暴いてしまったのかもしれない。(2021.4.20記)

おぐろ・じゅん

広島市生まれ。同志社大学社会学部大学院教授。上智大学法学部卒。三井物産で商社マン、毎日新聞で記者職。上智大学と米オハイオ州立大学で修士号。共同通信で脳死臓器移植や外務省機密費問題など調査報道に当たる。2004年から龍谷大学、12年から同志社大学でジャーナリズムの教育・研究。調査報道サイト「ウオッチドッグ」で地域ジャーナリズムを実践。NPO「情報公開クリアリングハウス」理事。2021年4月から調査報道サイト「InFact」代表理事。

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