コラム/若者と希望

息苦しい今の世をぶちぬきたい

"伊藤野枝さんにあこがれて"

舞台役者・肢体不自由児支援事業職員 笠井 幽夏子

伊藤野枝の本を読んで燃えている。ああ私もアナキストだ、今までもずっと潜在的アナキストだったんだ!そしてどうせはみだし者なら、これからも一切の支配や強制を嫌い、敵を作り喧嘩して、嘘つかず正直なこと言って、自分のことは自分で決めて飯食って寝て生きるしかない。その結果、もしロクでもねえ世間とか権力を敵に回して死ぬしかなくなったら相手にゲロぶちかけながら死んでやれば良いんだわ、なんてシンプルすばらしい。

野枝さんに恥ずかしくない生き方をしよう、私だって憲兵にぶっ殺されるくらいもっともっと反権力の生き方していかないとダメだ。野枝さんの時代には無いに等しかった言論の自由、それを私は持っていて、しかも現在も脅かされてる自由であり、それを守るためにももっと言いたいこと言っていかないとだめだ、と燃えている。

今までは人目を気にする部分があったので言いたくても言わないこともあった、でも今の私は"憲兵にぶっ殺される"を目標にしてるくらいですからどんどん言う。書く。自分のことは自分で決める。ね、野枝さん。

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最近ツイッターに書いたアベ周りの腹立つことを載せていく、ただツイッターは文字数制限があり無理矢理要約することが多いのでせっかくFacebookに書くのだから補足ものびのびと書く。

↑「これを読む我が友人の皆さんにそんな考えの人はいないことを望みますが、"アベさんが可哀想"という言説は全くの誤謬です。国民が国家権力を見張るのが民主主義国家です。そんな事も知らずに最高権力者を道端のお花かなにかのように可哀想がるのは、それは優しさではなく致命的に愚かで有害な無知です」

これを書いた数日後、木村花さんがネットでの誹謗中傷を苦に亡くなった。そしてネトウヨが木村花さんの死に便乗して「アベさんへの誹謗中傷をやめてください」「アベさんが自殺しちゃったらどうするんですか」とツイートしているのを見、怒り狂って、以下↓

「法秩序を壊し弱者の声を踏み潰し、権力者同士でニコニコつるみ独善と隠匿と改竄にまみれ自殺者まで出ても尚、何も省みない、最低最悪の国家権力の長に対して主権者である国民が"辞めてくれ"と声をあげることが"誹謗中傷"? この国の奴らほんと、なんなの?

察するにネトウヨ諸君は自分に自信が無いから、"強いニッポン"などの偶像に自己投影して自分も大きく強くなった気になりたいんでしょう、そのシンボルがアベなんでしょう。今(全く正当な理由で)糾弾されているアベを見て「私のシンボル、否私自身がイジメられている!」とでも錯覚してるんだろうね、知性の墓場かよここは。

芸能人、有名人相手に腐った奴らが酷いこといっぱい言って傷付けて傷付けて自殺に追い込むという最低最悪の話と、民主主義国家において国家権力のトップである首相に国民が声をあげるという至極当然な話の、違いが分からないって一体??? 国民がこんなんなら首相が変わっても意味ねえな、は~やだ

(冷静さを欠いているように読めると思いますが当時怒りに燃えてますから当然です)(ここで一晩寝て翌朝↓)

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国民に政策を批判されて"傷付いちゃう"国家最高権力者が居るならその人は向いてない(というか民主主義の仕組みを理解してない)し、政治にこんな苦しめられてる国民が首相のメンタルにまで気を遣って発言せねばならぬとは笑止千万、首相の座には「大人」が就いてくれ。

"アベの自殺を危惧する声"。自殺することで恐しい悪事の責任追及から逃げたあのヒトラーを、アベに無意識に重ねてるからそう思うのでは?「自分のした悪事の重さと国民からの批判に耐えきれなくなって自殺しちゃうよ!どうするんだ!」え、なにその心配?

「死なれたら事実が永遠に分からなくなるから死なれては困る」が論旨なら賛成します。

#赤木さんの再調査を求めます (注=「赤木さん」とは財務省近畿財務局職員の赤木俊夫氏。森友学園・国有地売却にからむ公文書改竄を苦に自殺)

その後、ネトウヨではなくリベラル派の中から「安倍首相や内閣の政策を批判するのは国民の権利だからもちろん正しいが、批判はOKでも誹謗中傷は良くない。たとえば子どもがいないことや持病について、妻についてを持ち出すのは良くない」という意見が出てるのを散見し、また怒り狂って以下↓

「子どもがいないとか持病とかは誰に対してもアウトにきまっとろうが!わかっとるわそんなもん!かたや妻は、夫が"うちの妻は私人である"と閣議決定したらしいけど、相変わらず本人が公人然としてふるまってるのだから批判でも非難でも誹謗でも罵倒でもされて当然(中傷はダメだけど)。そのへんを峻別せずに、なにいい子ぶってトーンポリシングしてんの?よく聞けよ貴様ら。

アベが首相の座に居続けると私は実害を被り続けるし、今までの蓄積した憎しみがある。発言者の私に"冷静で大人で中庸"な聴衆の顰蹙を買う覚悟さえあれば、『権力者相手に限って』、誹謗中傷も上等、それほど恨んでいて、それほど辞めて欲しいんだもん。人の真摯な憎しみを安易に諌めようとするな」

(↑私は芸能人を暇つぶしにいじめて楽しんでる人間とは明確に異なる。自分たち国民の代表、私の生活にモロに関係のあるそいつが悪いことばっかして嘘ばっかついてるからいい加減にしてくれと訴えているのだ、私の命にだって関わる話をしてるんだ、そんなときに言葉が強く荒く下品になることだってあるだろう。だって、それほど憎んでるんだよこっちは。むしろその憎しみを伝えるためにあえて口汚く罵ることだってあるくらいだよ。それで良いじゃねえか相手は国家権力だぞ、なぜ我々の側が"上品なオトナ"になる必要がある? ふざけんな、ってこと)

(ついでにこういうこと言うリベラルもむかつく、こういう奴はすぐ"落ち着け""冷静になろう"とか言ってきそう。てめーらの"冷静でオトナで中庸であれ"バイアスもくそくらえだわ。私は私のことは自分で決める、私がアベを口汚く罵って"理性的"なあなたがたが私を遠ざけても別に全然良い、そんなの承知のうえ。私はおめーの指図で落ち着きもしねーし、冷静になんかもならねーーーーんだわ!!!てことでもある)

更に、たとえば「民主主義国家においては国民が国家権力を見張り、声をあげ続けることが是とされなければならない」ことも平気で知らないで、「耐え忍ぶことが美徳」だと未だに思ってる人がいっぱいいるこの国で、せっかくコロナの"おかげ"でやっとアベに声あげる人が増えたのに。「批判は冷静に」なんて謎のバイアスかかったら拡大解釈されて「あ、やっぱ言っちゃいけないんだ……」みたいになって、またみんな何も言わなくなりそうではないですか。

リベラルがそんな危機作ってんじゃねーよ、てかその謎バイアスって「(議論の対象の法律などについて)知らないなら批判するな」のネトウヨのクソいちゃもんと、そんな変わんねーじゃん(ちなみに知らなくたって声あげましょう。「なんとなく"嫌な予感"がする」だけで充分意見でしょう、そしてアベ政権においてはその"嫌な予感"はきっと当たる)、てことでもある。

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☆また一晩寝て翌朝。

「そもそも国家権力のトップに対しての名誉毀損とかどういうふうに定義されてるのかしら?!!」と腹立ちまぎれに調べた↓

「刑法では,首相など公務員について摘示された事実が真実であることの証明があったときは処罰されないと定めています(刑法第230条の2第3項)。また,判例では,真実であることが証明できなくても,確実な資料や根拠に照らして真実だと信じた場合にも,名誉毀損罪は成立しないとされています(最高裁大法廷昭和44年6月25日判決など)」

(「政治家に対する名誉毀損」 弁護士法人 名古屋法律事務所)

(ちなみに一般の人相手に誹謗中傷した場合は「摘示された事実(悪口の内容)が事実であっても」アウトらしいです)

☆ほれみろよ?!と思ってまだ調べた↓

マツコ・デラックス「安倍首相は馬鹿の象徴」発言にネトウヨが炎上攻撃! 総理への揶揄は名誉毀損じゃない!

(記事引用―裁判所は総理大臣など「公人のなかの公人」と言える人物に関しては、「厳しい批判」や「揶揄」も「受忍すべき」という判断を明確に示したのである。当然だろう。それがいかに辛辣で品位を欠く表現であろうが、為政者に対して自由に批判できることこそが民主主義国家としての絶対条件、最後の砦なのだ。

☆↑この元首相の森(今もいるけど)の裁判が2000年。当時の司法界が健全だったことの証拠。司法が腐った今はもう全く違う判決になるんでしょうが。とにかく「司法が健全だったらこの結果になるんだよ!!!」てこと。

☆で怒りのツイート↓

「『人権』も『表現の自由』も、『国家権力からの自由』である。国民が権力によって迫害されないように存在するものである。最高権力者が自分で自分のこれらを主張する、つまり権力そのものが権力からの保護や自由を主張するのは論理の破綻、前代未聞の幼稚さである。

"僕ちゃんにだって人権が"のアベ、"アベさんが可哀想"のネトウヨ、"誹謗中傷を避け紳士的な批判を"の冷静リベラル、全員むかつく」

☆アベももちろんだけど↑の記事での森も己の人権やらを主張してたようだ。「権力そのものが権力からの保護や自由を主張する」という流れは自民党の腐敗層に綿々と受け継がれているのですね。で、この幼稚すぎる発想が斜め上すぎ、人類の権力者史上前代未聞すぎて、さっきボロクソ言っちゃったけど善良なリベラルの皆さんとかは「はっ、でも言われてみれば首相にも人権ってある…ノカナ…?」ってなったのかなとも思うし、その気持ちはよく分かるけど(こんなとんち出されたらフリーズするよね)でも絶対おかしいよ、論理の破綻だもん、人権が欲しいなら権力捨てれば良いじゃん。

☆で、国家の最高権力者、この国で"いちばん強い"者に媚びて、その身を案じてせっせと心配するという甚だ見当違いで同時にとても"不気味な優しさ"が蔓延して、"主人"を"奴隷"が自ら進んで身を呈して守ってみせたりして、またその自己犠牲が奴隷根性を更に燃え上がらせてその姿が美徳みたいに言われたりして。

そのくせほんとに困ってる人たち、には見向きもしない、むしろ積極的に迫害する、っていう今のこの国はまじで闇深い。

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ここで宮台真司さんのめっちゃイケてる記事をひとつ↓

社会学者の宮台真司さん 友達って何?/プロに聞く

☆正義についての言及がある。

"自粛警察"について「いきすぎた正義」などと表すのは誤りだ。連中は他人の痛みを知ろうとせずお上に依存、周囲に同調して噴き上がっているだけのクズである、心底同意。

こういう甚だ間違った場面で「正義」という言葉が使われると、「ああ、いきすぎた正義って怖いな、私の正義があの人の正義だとは限らないもんな、そもそも普遍的な正義なんてないよな、正義を持つこと自体間違ってるんだな、正義は悪だ」みたいなことになりそうで怖いんだよ!!!全然関係ないのに正義の言葉を冒涜しないであげてよ!!あと正義はあるよ、もちろん正義は確かに常に己をていねいに省みることを必要とする観念だけど、私は文化的現代人の持つべき正義は「自分より弱いものに寄り添うこと、彼らの声を聴き、彼らと共に闘えるような自分になること」だと信じます、「自分より強いものにおもねること」では決してなく。

あとこの記事のラスト部分がイケイケすぎて夫とツイッターで「宮台イケてすぎなんだが」と盛り上がってたら、ご本人にいいねとリツイートしてもらい、その瞬間体温が少し上がりました。呼び捨てにしてごめんなさい。お慕いしてます。

*本稿はフェイスブックに掲載されたものを編集部で改行等の一部修正を行ったものです。

かさい・ゆかこ

1987年生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。2010年劇団俳優座入所、2019年退団。現在、主に小劇場演劇界で芝居をしている。2019年から放課後デイサービスの職員としても働き始める。

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