論壇

社会民主主義研究ネット報告(第4回)

政治世界では日本の社会民主主義は消滅しているが、ヨーロッパ社会民主主義も存亡の淵にある。ナショナリズムとポピュリズムの奔流に呑み込まれている。苦し紛れにその流れに乗ろうとする左派を批判したのがコリン.クラウチである(小川報告)。

「社会民主主義は生き残れるか」と題した近藤康史の著書は今日の危機に焦点を置いたものではないが、政党組織の条件に沿って、イギリス、ドイツそして日本社会党の改革史を丁寧に分析している。(研究ネット事務局長 小川正浩)

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1――2019年4月例会∕報告者 小川正浩

◇社会民主主義は「国境に戻る」のか?

C.クラウチ『グローバリゼーション・バックラッシュ』を読む

90年代半ばのヨーロッパは、リベラル・ソーシャル・デモクラシーが政治の指導原理になっていた時期だったと言えよう。東欧革命によって東ヨーロッパに民主主義と立憲主義が広がり、一方では社会的市場経済を基本価値にしたEUが発足し、ついで西欧15か国中13か国で社会民主主義政権が実現した。新しい国際関係と秩序への期待が膨らみ、日本では前後して「国境を超える」あるいは「国境を超えた」社会民主主義という書籍が編まれた。

ところが四半世紀を経た今日、様相は一変している。この間に起きた金融危機とユーロ危機、そして中東アフリカからの大量の難民と庇護申請者に寛容な姿勢をとった社会民主主義は相次ぐ選挙での得票率の急落に苦しんでいる。かくして国境を超えるどころか逆に「国境に戻る」動きがつよまっている。左翼ナショナリズムや左翼ポピュリズムといわれる現象がそれである。

C.クラウチの『グローバリゼーション・バックラッシュ(揺り戻し)』(未邦訳)はこうした左翼の動きに焦点を当てながら、警鐘を鳴らし、新自由主義グローバリゼーションに反対し、超国家的規制に力を注ぐことが左翼の使命でありつづけるべきだと強調する。

現在のナショナリズムの再燃とポピュリズムの勢いはいずれの国でも右翼政治から持ち出されたことは言うまでもない。しかしナショナリズムは右からだけではなく、左翼からも形を変えて主張されるようになってきた。その契機はグローバリゼーションの揺り戻しである。1990年代のグローバル化への抗議行動は新自由主義的グローバル化に向けられ「もう一つのグローバル化」を求めたもので、決してナショナリズム的でも排外主義的(ゼノフォビア)でもなかった。そうした性格を濃くしたのは21世紀になってからの金融危機とユーロ危機と移民・難民の流入である。

ヨーロッパの場合は反EUと反ユーロとしての国民国家と経済主権の強調として現れる。

左翼がナショナリズムに傾くのは彼らが以下のようなグローバリズム認識をもっているからだとクラウチは言う。①グローバル化は国民的な規制障壁を破壊することによって資本主義を世界に広めた②国民国家こそが民主主義的ガバナンスの最高レベルである。超国家空間(例えばEU)は資本主義エリートの専横的コントロール下に置かれる③国民国家は民主主義レベルの形態の問題だけではなく、普通の働く人びとがそれと一体化し、進んで自分をコミットさせる実態でもある④福祉国家は国民的な構築物であり、国民構成員が共通の共同体メンバーであると感じることのできる連帯を根拠にしている⓹最強の福祉国家はエスニックも文化も同質性の高い北欧で発展してきた。近年の北欧福祉国家の細分化は異民族・文化圏からの大量の移民や難民や庇護申請者と深く関連している。強い福祉国家とリベラル多文化主義とはトレード・オフの関係にあるなら、左翼は後者をあきらめるべきだ⑥社会民主主義にとってグローバル化と多文化主義とは敵対的である。資本移動規制、経済保護、厳しい移民制限に舵を切るべきだ。

その事例として取り上げられている社会民主主義と左翼集団が、EU懐疑派のコービン率いるイギリス労働党、「不服従のフランス」(メランション)、イタリア「五つ星運動」であり、6月5日に行われた総選挙で右派顔負けの移民規制強化と福祉国家防衛を打ちだし政権に返り咲いたデンマーク社会民主党である。

もちろんここでの集団が六つのグローバリズム認識を等しくしているわけではない。しかしEUという多国間・国際主義に背を向け、主権国家経済への回帰を示している点では共通項があるようだ。

クラウチは次の二点でかれらの主張への批判を深めていく。

第一は介入主義的主権国家論である。介入主義的主権国家論をひらたく言えば、資本主義に立ち向かうためには経済に対する強力な国家介入が必要である、という考え方である。国家がこの機能を果たすために必要な主権権力が集中的に発揮できる唯一の場が国民国家である。そのためには国民国家はすべての障害から自由であるべきだとする。これはEU加盟国がイギリスの例にならってEUから離脱すべしという主張につながる。例えばEUがユーロ加盟国政府に対して厳しい公的債務引き受け限度を課しているのは「反ケインズの束縛」であるという。クラウチはケインズの議論は巨額の慢性的債務を抱えている国ではなく、財政黒字国を対象にしていると批判する。また欧州中央銀行が自国の債務状況を管理できている政府が妥当な需要管理政策を打つことを邪魔している政策はないとも指摘する。

第二は「一国福祉国家」論である。前述のように福祉国家はつねに国民的プロジェクトであったし、国民共同体を構成する人びとによる相互義務――スウェーデン「国民の家」やドイツ「わがふるさと」論に込められている――という論者からのものである。クラウチがここで取り上げるのは日本でも知られているW.シュトレークである。シュトレークは民主主義と共存する資本主義が危機の中で時間かせぎをしていることを論じた『時間かせぎの資本主義』という本において、EUを新自由主義のマシーンと断じ、欧州司法裁判所の決定をつうじたスト権や共同決定権への疑義を示したり、北欧やドイツにおける調整型団体交渉を弱めることに手を貸してきたと批判する。またユーロ導入は「軽率な実験」であり、ユーロ危機を解決するにはユーロを解消し、かっての国民国家の民主主義的な経済政策に退却するよう提案している。国民国家の装置のなかで「生き残った政治制度」たとえば福祉国家を防衛し、その制度の助けを借りて市場的公平性を社会的公平性に置き換えることができるかも知れない。

クラウチはシュトレークの分析には一定の説得力があることを認めつつも、民主主義を国民国家のなかに退却させたとしても、新自由主義が超国家レベルすなわちEUを支配しつづけることにはなんらの変わりはないと批判する。政策決定における民主主義が国民国家の枠内に閉じ込められることによって、逆に新自由主義を制限する領域が狭められる。さらにはそもそも福祉国家を備えた国民国家においてすらこの間新自由主義政策が進んだという事実もある。

クラウチが強調するようにグローバル経済の下で国家による経済主権はすでに幻想である。グローバル経済に害が多いからといってシュトレークやあるいはD.ロドリック(『グローバリゼーション・パラドクス』)が提示するような国民国家と民主主義をセットにした「ブレットンウッズの妥協」の体制に戻ることはノスタルジーというしかない。われわれにとっての選択肢は、「主権のプール化」(クラウチ)しつつ、グローバル・デモクラチーを少しでも前進させ、ネオ・リベラル的グローバル化を規制しつつ、グローバリズムが世界の福利の結びつくように努力し続けることである。

(質疑)

Q;本書ではソーシャル・ヨーロッパの評価はどうされているのか

A:EUはパローゾ委員長時代(2004~14年)に新自由主義に接近し、アメリカの弱い労働権が欧米の経済パフォーマンスの差の主因と考え、労働市場政策の規制緩和に取り組んだ。21世紀初頭にはソーシャル・ヨーロッパはつぶれてしまったと述べている。しかしクラウチは民主主義がグローバルレベルで経済権力に立ち向かうためにはジャック・ドロールの遺産が奪還されるべきだと強調し、2017年「欧州社会権の柱委員会」など復活の芽は出始めていると言っている。それでも楽観できるかどうかわからない。

Q:福祉国家は社会民主主義の歴史的財産だったわけだが、今は、ナショナリズムの基盤みたいになって逆機能しているように見える。

A:福祉国家は元来「一国的」なもの。しかし逆機能させないために、EUの労働法制指令をとくに組合組織率が極端に低い東中欧地域に広げていくことが重要になっていくのではないか。EU指令を活用して国内の労働法改善に結びつけたイギリス労働運動の経験が参照されるべきだろう。

Q:シュトレークは最近ますますヨーロッパに悲観的になっている。

A:悲観的になって国民国家の枠内に閉じこもるのは危険だ。国民国家と民主主義を強調したロドリックはEU離脱運動を評価したそうだがそれで良いのか。私はクラウチやハーバーマスの議論(岩波現代文庫『デモクラシーか資本主義か』)の方に理があるように見える。

  

(おがわ・まさひろ 総評国際部長、日本社会党政策審議会事務局次長を経て、(一般社団法人)生活経済政策研究所元専務理事・研究部長。社民研ネット事務局長)

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2――2019年6月例会∕報告者 芹生琢也

近藤康史著『社会民主主義は生き残れるか―政党組織の条件』を読む

・政治環境や社会からの要請が変化する中で、政党はつねにそれに対応する政策の転換や戦略の革新を求められる。社会民主主義政党において、そうした路線転換の成否を左右する要因は何か。――著者は、政治組織のあり方に着目し、イギリス労働党、ドイツ社会民主党、日本社会党の事例の分析を通じて、政治組織の変化は社会環境への単純な対応というよりも、その組織内のアクター間の対立や連合をめぐる、政治的動態の結果として生み出されることを例証する。

・イギリスでは、労働党はもともと労働組合が議会へ代表を送り込む装置として結成されたという歴史的経緯を反映して、党内では労働組合が強大な権限を有していたが、1983年選挙の歴史的敗北をうけてキノック党首以降、党改革に動き出し、立候補者選出ルール、党大会における議決ルールの改革(一人一票制の導入など)が行われた。それを可能にした背景には、〈議会指導部+労働組合〉から〈議会指導部+個人党員〉への優越連合の組み換えがあり、その結果、指導部の自律性が強化され、1997年に「ニューレーバー」「第三の道」の旗を掲げたブレア党首のもとで政権復帰につながった。

・ドイツでは、社会的変化の中で社会民主党が綱領の見直しを重ねてきた。1959年のバート・ゴーデスベルク綱領で階級政党から国民政党への転換を果たし、1966年の大連立政権参加を経て1968年総選挙で勝利し、ブラント党首の下戦後初の社民党首班政権を樹立した。その後、1989年ベルリン綱領を採択してエコロジー問題への対応や「新しい社会運動」の取り込みを図ったが、一貫したビジョンの提起には失敗、90年の選挙に敗北する。2007年にはハンブルク綱領を採択するが、「妥協のマニフェスト」に終わる。シュレーダーは優越連合を形成してリーダーシップを発揮することなく、党内左派との間で「非決定」という力学(合理的な均衡)が働いていた。

・日本社会党は1970年代から80年代にかけての危機から回復せず、90年代には存続にかかわるレベルまで衰退に追い込まれた。社会党は党員数が少なく、そこから得られる票や資金は限られているため、労働組合に依存し、「総評―社会党ブロック」といわれるインフォーマルな関係が出来上がる。議員派閥と活動家(社会主義協会)が結びついた「左傾化」の時代に「日本における社会主義の道」(1966年)が採択されるが、選挙の敗北と再建論争を通じて党内対立が激化、総評社会党員協議会と社会党支持団体の強力な圧力の下で1986年「新宣言」の採択に至る。1989年の労働戦線統一で総評が解散、連合と新しく生まれた民主党の中で、社会民主主義勢力は埋没して影響力を低下させるとともに、不満の受け皿としてすら消滅していく。

・21世紀、社会民主主義は新たな低迷(第二の危機)に陥っている。第一の危機では中間層の支持をいかに獲得するかが課題であったが、現在はかつて固定的な支持層であった労働者内での二極分化(インサイダーとアウトサイダー)、その一方の社会民主主義からの離脱が問題となっている。それを生み出したのは、20世紀の改革政策にほかならない。著者は、社会民主主義政党は「政党改革の第二のステージ」に立っていると指摘するが、それに対する明確な展望について何ら示していない。

<報告者のコメント>

・「新宣言」で日本社会党は路線転換を果たしたか。大嶽秀夫は「ノー」といい、新川敏光は「イエス、バット…」という。だが、「新宣言」による転換よりも、1994年村山政権成立時の「自衛隊合憲・安保容認」への政策転換の方が、はるかに大きな政治的インパクトがあった。日本社会党は「社会民主主義」の党という以上に、「護憲・平和」の党だったからである。

・社会民主主義に未来はあるか。いまヨーロッパでも日本でも社民政治は混迷を深め、衰退の道を歩んでいる。その再生は「政党組織の条件」のレベルにとどまらず、存立根拠となる「新たな社会モデルを提示できるか、どうか」にかかっている。こんにちの危機が、社会民主主義の存続自体が問われるものだからである。いまわれわれは、社会民主主義の脈絡からいったん離れて、「現代社会はどこに向かうのか」についてより広く深く考察する必要があるだろう。

<質問と議論>

イギリス労働党の組織改革やドイツ社民党の綱領論争など、党大会の議論を中心として問題を提起しているが、この30年間ほどの経済構造の変化(ブルーカラー労働の衰退など)やグローバル化の帰結など、構造的要因の視点が欠けている。こちらのほうが重要であったのでは。

また日本社会党を社会民主主義の視点から論じることには違和感があるという意見が、旧社会党・旧総評経験者からだされた。社会党・総評で社会民主主義というと、何よりイギリス労働党を意味し、ドイツ社民党は、土井社会党になった前後に限定されている。しかもほとんど否定的な議論であり、社会党・総評のリアルな課題としてではなかった。

そもそも総評運動からみれば、社会党も総評の政治部というポジションであり、政権獲得構想や、まして福祉国家よる資本主義の改革という、欧州社会民主主義政党の本質的な政策課題を社会党はテーマとしていなかった。フェビアンの社会改革政策や理論にもあまり関心をもたなかった。欧州労働運動と政治という点では、むしろイタリア労組などの政権との、賃金や雇用をめぐる直接交渉(政治的交換論)の方に関心が寄せられ、学習もした。欧州社会民主主義政党の雇用、福祉、生活問題などの基本的な要求は、総評・社会党では、社会民主主義の名の下ではなく、国民春闘の諸要求や社会党の重点政策などにおいて行われた。

90年代の政治改革の時代、社民勢力の総結集論や、社会党党改革をめぐり、社会民主主義路線に転換するための宣言が何度も起草されたが、それらが社会党の党改革に何らかの貢献をしたとは思えない。結局、総評運動が連合に合併され、地区労が解体されていく中で、社会民主党となった社会党は、党消滅に向かって進んでいくことになったのでは。この意味では、イギリス労働党、ドイツ社民党と比較して80年代~2010年代までの日本社会党の変容を論じるのではなく、総評・社会党論として独自の視点で論じることが必要なのでは、という意見もあった。(この項文責・住沢博紀)

(せりゅう・たくや 連合経済政策局長、総合企画局長を歴任後、中央労働委員会委員、労委労協事務局長を勤める)

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