論壇

「働き方改革」は戦後労働法破壊の総仕げ

戦後70年の歴史から労働法制の規制緩和を跡付ける

東京統一管理職ユニオン 執行委員長 大野 隆

私たちは、最近の労働法制改悪・破壊の進展を「安倍・働き方改革」と呼び、それが近時の安倍政権による民意を無視した政権運営の所産であり、安倍個人の意図を体現したものであるかのように理解している。だが、本当に安倍の意図のみで急速な「労働者保護」の解体が進められたのだろうか。ここでは、「安倍・働き方改革」が一日にしてなったものではない、と述べたいと思う。

労働基準法研究会が戦後労働法制破壊の始まり

そう考えていたところ、1969年(昭和44年)9月発足の労働基準法研究会に関して、ちょうど労働組合運動に関わり始めた当初の私自身が関心を持っていたことを思い出して、いろいろインターネットで資料を探った。

もちろん、安倍労働法制解体は特別であり、その実行はとてもスピードが速いところが際立っている。第二次安倍政権より前は、たとえば派遣法なり、労働時間法制なり、労働法制改訂のテーマは大きなひとつの問題に焦点が当てられ、それを年単位で時間をかけて議論していた。労働政策審議会の議論も1ヶ月に1回程度の割合で進行し、私たちも議論の推移を見極め、意見を言うことができた。しかし、現在は、いくつものテーマが同時に労働政策審議会で議論され、それも週に1回のペースで行なわれることもまれではない。異様としか言いようがない状況である。

それでも、その戦後労働法制解体(一般的に言えば、労働法制における規制緩和)の流れは、実に50年前から着実に進められてきたのであって、その経緯を全体的に把握しておくことにも意味があると思うのである。

「戦後」労働法制は、太平洋戦争の敗戦を受けて、占領政策の「民主化」の大きな柱として成立した。日本の労働者保護法制は、戦後改革によって初めてつくられたと言っても過言ではないであろう。私たちの戦後ベビーブーム世代は、その中で育ち、憲法や労働法のことを学校教育の中でも学びながら、社会に出た。おそらくその頃の労働法制は、労働者を広く捉え、一定に力をもっていた労働組合運動ともあいまって、それなりに「労働者保護」を実現していたのである。

戦後20年あまり経って、そうした「労働者保護」をだんだん狭く制限しようと動き始めたのが、先に述べた労働基準法研究会の発足ではなかったかと思う。労働基準法とか労働基準監督署の存在は広く行き渡った社会的常識であり、「労働者の権利」はそれなりに幅広く社会に受け入れられていた。

しかし、それを政府や資本家は快く思わず、その「保護」や「権利」を具体的に制限しようとし始めたのである。それに取り組むことが、今から思うと、労働基準法研究会の存在意義だったのではなかろうか。発足した1969年は、全共闘が退潮を始める年であったことが、何か象徴的な印象を与える。

労働基準法研究会報告

その労働基準法研究会は、長く活動を続け、主立った報告として1979年(昭和54年)にまず 「賃金関係」について報告書 を提出する。その内容は、たとえば、退職金の不利益変更については、退職金の特殊的性格に着目して、「変更時点における各労働者についての旧規定による退職手当相当額は保障すべきであるが,変更後の勤務期間については,従前より条件が低下するとしてもそのことをもって直ちに不合理とするのは妥当でない」とするなど、「保護」の制限を目指す姿勢は明快だったように思う。

続いて1985年(昭和60年)12月、労働基準法の「労働者」の判断基準について報告がなされた。これも「労働者の範囲」を狭くする議論であり、現在に至る「労働者性」問題の解釈基準とされるところとなっている。ここでも「保護」の制限が追求されていた。

その他、「就業規則に関する問題点と対策の方向について」、「今後の労働時間法制のあり方について」、「深夜交替制労働者に関する問題点と対策の方向について」など、細かな報告がなされ、特に就業規則に法規範性をもたせるということが議論されて、私などは大いにそれに反発した記憶がある。日弁連もこれら(特に労働時間法制、女子保護)に関して「決議」を上げるなど、社会的な関心は広がっていたと思われる。

ということで、労働基準法研究会を象徴として、労働法の規制緩和が始まり、その後連綿と続いたその歴史が、「安倍働き方改革」に行き着いた、ということを述べたい。したがって、特に私の主張をするというよりは、その経過をできるだけ説明することとするため、引用が多くなることをお許しいただきたい。

戦後の労働法制の変遷―「働き方改革」の前史

まず、「働き方改革」に至る戦後の労働法制の変遷をまとめよう。少し長いが、多少なりとも労働運動に関心のある方は、労働法制がなし崩し的に改悪されていった経過を思い出されるだろう。

これは、主として厚生労働省の資料 「これまでの労働政策の主な動き(主要な制度改正とその背景)」 によるものである。そのため、言葉づかいに違和感をもたれる向きもあろうが、お許しいただきたい。

1945(昭和20年) 労働組合法(旧法)制定――労働三権(団結権、団体交渉権、争議権)を保障。 GHQによる戦後日本の民主化の要請

1946(昭和21年) 労働関係調整法制定――労働争議の調整手続き、労働委員会の労使紛争解決手続等

1946(昭和21年) 労働基準法、労災保険法制定――労働条件の最低基準の設定、労災保険制度の創設

1947(昭和22年) 職業安定法制定、失業保険法制定――公共職業安定所による職業指導・職業紹介等、失業保険制度の創設

1949(昭和24年) 労働組合法(現行法)制定――労働組合の自由設立(届出制の廃止)、組合の民主制・責任制の確保、正当な組合活動の保護、官公職員の労働基本権の制限

1958(昭和33年) 職業訓練法制定――高度成長を迎える中で、労働者に対する職業訓練に関する制度を整備

1959(昭和34年) 最低賃金法制定

1966(昭和41年) 雇用対策法制定――雇用政策を国政全般の中に位置づけ、政府全体が雇用政策を重視

―――因みにこれが今次「働き方改革」で「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」と改称され、「生産性の向上促進」が謳われるようになった。

1972(昭和47年) 労働安全衛生法制定――労働災害の防止のための危害防止基準の確立

1974(昭和49年) 雇用保険法制定――失業給付中心の失業保険制度を転換し、雇用対策に関する諸事業を実施

―――この頃「労働基準法研究会」の議論が始まり、「保護」の範囲を狭めるとともに、法の目的が労働力政策の実現の道具となっていく。

1985(昭和60年) 労働者派遣法制定――適用対象業務を限定した上で労働者派遣事業を制度化

1985(昭和60年) 男女雇用機会均等法制定、職業能力開発促進法制定――雇用における性別を理由とする差別の禁止。職業訓練及び職業能力検定の内容の充実等(職業訓練法の改正)

1986(昭和61年) 高年齢者雇用安定法制定――定年の法定化(60歳努力義務化)等

1987(昭和62年) 労働基準法改正、障害者雇用促進法制定――法定労働時間の目標を週40時間に設定(段階的に短縮)。ノーマライゼーションの理念の明確化(身体障害者雇用促進法を改称)

1991(平成3年) 育児休業法制定

1993(平成5年) 労働基準法改正、パートタイム労働法制定――週40時間の法定労働時間の実施、割増賃金率の引上げ等。短時間労働者の雇用管理の改善、通常の労働者への転換の推進

1995(平成7年) 育児・介護休業法制定(育児休業法の改正)

1996(平成8年) 労働者派遣法改正――派遣契約の解除、苦情に係る措置、無許可事業主からの派遣受入等に対処

1997(平成9年) 男女雇用機会均等法改正――男女均等取扱いにかかる努力義務措置の義務化、セクハラ防止義務付け

1998(平成10年) 労働基準法改正――企画業務型裁量労働制の新設

1999(平成11年) 労働者派遣法改正、職業安定法改正――適用対象業務を原則的に自由化(ネガティブリスト化)。有料職業紹介事業の取扱職業の範囲を原則自由化(ネガティブリスト化)

2003(平成15年) 労働者派遣法改正、職業安定法改正――物の製造業務への労働者派遣の解禁、派遣受入期間の延長等。地方公共団体等が行う無料職業紹介について届出制の創設等

2003(平成15年) 労働基準法改正――有期労働契約の上限延長、解雇権濫用法理の法定等

2004(平成16年) 労働組合法改正――労働委員会の不当労働行為に係る審査体制・手続の整備

2006(平成18年) 男女雇用機会均等法改正――男女双方に対する差別の禁止、妊娠・出産等を理由の不利益取扱い禁止等

2007(平成19年) 労働契約法制定――労働契約と就業規則の役割の明確化、就業規則変更のルール制定等

2008(平成20年) 労働基準法改正――時間外労働の割増賃金率の引上げ等

2012(平成24年) 労働者派遣法改正――日雇派遣の原則禁止、労働契約申込みみなし規定の創設等

2012(平成24年) 労働契約法改正――通算5年を超える有期契約の無期転換、雇止め法理の明文化等

2014(平成26年) パートタイム労働法改正――差別的取扱いが禁止されるパートタイム労働者の対象範囲の拡大等

2015(平成27年) 女性活躍推進法制定、労働者派遣法改正――派遣期間規制の見直し、キャリアアップ措置・雇用安定措置等

「働き方改革」までの労働時間法制改悪

上記の変遷のうち、労働時間関係の法の変遷は次のとおりである。およそ5年に1回、定期的に改訂(改悪)されているのがよくわかるだろう。この資料も、厚生労働省 「労働時間法制の主な改正経緯について」 である。より詳細には上記URLにアクセスされたい。

1.1947年(昭和22年)法制定

(1)通常の労働時間制(1日8時間、1週48時間)

(2)割増賃金は、時間外労働、深夜労働、休日労働について2割5分以上

(3)4週間以内の期間を単位とする変形労働時間制

2.1987年(昭和62年)改訂

(1)法定労働時間の短縮(週40時間労働制を本則に規定)

(2)変形労働時間制の導入(フレックスタイム制、1か月単位・3か月単位の変形労働時間制等の導入)

(3)事業場外及び裁量労働についての労働時間の算定に関する規定

3.1993年(平成5年)改訂

(1)法定労働時間の短縮(週40時間労働制を1994年4月1日から実施。一定の業種について猶予措置)

(2)1年単位の変形労働時間制の導入

(3)時間外・休日の法定割増賃金率

(4)裁量労働制の規定の整備(対象業務を労働省令で規定)

4.1998年(平成10年)改訂

(1)時間外労働に関して、労働大臣は労使協定で定める労働時間の延長の限度等について基準(限度基準告示)を定め、関係労使は労使協定を定めるに当たり、これに適合したものとなるようにしなければならないこと等とした。

(2)企画業務型裁量労働制の導入

5.2003年(平成15年)改訂 ○裁量労働制に関するもの

(1)専門業務型裁量労働制導入する場合の労使協定の決議事項に、健康・福祉確保措置及び苦情処理措置を追加。

(2)企画業務型裁量労働制の対象事業場について、本社等に限定しないこととしたほか、労使委員会の決議について、委員の5分の4以上の多数によるものとするなど、導入・運用の要件・手続きについて緩和。

6.2008年(平成20年)改訂 ○時間外労働に関するもの

(1)1か月に60時間を超える時間外労働について割増賃金率を5割以上へ引上げ(中小事業主の事業については当分の間、適用を猶予)

(2)労使協定により、(1)の改正による引き上げ分の割増賃金の支払いに代えて、代替休暇を与えることを定めた場合に、労働者の当該休暇取得により使用者は、当該休暇に対応する割増賃金の支払いを要しないこととした。

以上の労働時間法制や派遣法の変遷を「規制緩和」の流れとして捉えた柳沢房子氏(国会図書館2008年4月レファレンス)のまとめがよく分かるので、できれば参照されたい。労働時間の規制緩和、 労働者派遣法の変遷、1990年代末からの職業紹介規制緩和と職業安定法の変遷に注目した詳細な論考である。

労働法制破壊と人材ビジネス

特に派遣法と職業紹介事業の変遷は、すべて人材ビジネスの拡大と結びついていることに注意したい。パソナ会長の竹中平蔵が、自分で法律・ルールをつくって、文字どおり人の取り引きでぼろ儲けしていることが、その典型である。

もともと人材ビジネスに関する規制緩和は、日米構造協議の中で、アメリカ側から強く求められたと言われている。マンパワーという会社はアメリカの人材ビジネス会社だが、1966年に日本法人を設立している。テンプスタッフの設立は1973年、パソナは公式には1976年設立とされている。

各社とも、派遣法成立の頃から業務を急拡張し、次々と吸収合併や社名変更などを繰り返して巨大化している。パソナは2003年に、テンプスタッフは2006年に、東京証券取引所第一部に上場している。要するに、労働法の解体過程は人材ビジネスの利益拡大とパラレルに進んでいるのである。

労働法制解体は新自由主義の政策だと言われるが、そのとおり、儲けになるものは人権を無視しても確実に自分のものにすることが、実際に事業として広く行なわれている。

労働力政策の道具になった労働基準法

こうして見てくると、上記労働基準法研究会の報告の時期以降、1985年頃から労働基準法やその関連法規が大きく変えられてきていることがわかる。男女雇用機会均等法や労働者派遣法の制定、労働時間法制の改悪などが続けて行われたのがその時期以降だった。「不安定雇用労働者」とか「非正規雇用労働者」と言われるパートタイマーや派遣労働が急速に広がり、その人たちが基幹労働を支える仕組みができてきて、一般的に労働条件の低下が進んだ。そして、本来の「労働者保護」が緩和されて、労働基準法制も実態に合わせて改悪されてきたのであった。

そうした中で、特に1993年の労働時間法制の改訂が大きな転機だったように思われる。政府は当時「1993年まで年間総労働時間を1800時間にする」と政策目標を立てていた。その目標は簡単に破綻し、現実に日本の長時間労働は25年後の今も続いているのだが、当時政府は労基法を変えて強行法規としての労基法を使用者に「守らせる」のではなく、労基法を目標として時間短縮を進めようとしたのである。その結果、本来の「最低基準」が逆に実現すべき到達点になってしまった。

この改訂は「週40時間労働」の原則を定めたものだったが、実際には「変形時間制」の拡大や、企業の規模等によりいくつも最低基準ができるという、複雑で極めてわかりにくい法律になった。本来の「これ以下の条件で労働者を働かせてはいけない」という「最低保護基準」が曖昧になったのである。一昔前には「労基法は資本から見ても労働者の再生産の最低基準で、これ以下では労働者が死んでしまうから、経営者も守るのだ」と説明されたものだが、そういう意味での「基準」でもなくなったのである。

ちょうどその頃、私たちは「解雇規制法」を求めて運動をしていたが、ダブルスタンダード、トリプルスタンダードの労働基準法ができる一方で、解雇規制の話は遠のいてしまった。運動の力が衰退し、労働基準法が変質したのがその頃であり、私は「労働基準法が攻めてくる時代」という言葉を聞いて、なるほどと思ったものだった。このような労基法の変質=政府の労働力政策実現の手段化について、「こんな労基法はいらない」という運動が必要なのかもしれないとまで言っていた記憶がある。

その「労働力政策実現の手段」としての労基法の役割は、その後拡大していく。1993年5月の労働基準法研究会契約法制部会の報告は「労基法は時代に合わない」として、ホワイトカラー労働の合理化や雇用期間の延長(最低を1年から5年に)による有期雇用社員を拡大すること等を提起した。裁量労働制や雇用期間の延長など、労基法改悪がすでに予言されていたのである。

これは95年の日経連の「新時代の日本的経営」と相まって、その後の労基法の度重なる改悪を実現する指針になった。有期雇用や派遣労働、フレックスタイム制や裁量労働制、年俸制など、この間に労基法も実際の労働条件も様変わりした。今や「新時代の日本的経営」が描いた、ごく少数の正社員と有期契約労働者とパートタイマーの3つの階層が、そのとおりにできている。それどころか、雇用によらない働き方までが喧伝されるようになっている。それを労基法体系が支えている。こうして、「労基法の変質」は完成したと言えるだろう。

労働運動の地盤沈下と現在の課題

そして、現実に労基法改悪の被害にあう人たちが、全く労働組合に組織されていないか、あるいは労働組合がその人たちと接点をもたない仕組みができてしまっている。いわば労働組合が必要なところに労働組合が存在せず、既存の労働組合はその人たちとほとんど断絶しているのである。言い換えれば、現在労働組合に組織されている人たちは、すでに「守られて」いるのであり、守られるべき人たちに働きかける機能がないのである。

1995年頃、会社とのトラブルで困ったらどこに相談するか、という問いに対する答えの1番目は「職業紹介雑誌の編集部」で、労働組合は6、7番目だと聞かされて衝撃を受けたことがあったが、労働組合の地盤沈下も激しかった。

派遣法で雇用関係が大きく変わる時代に、労働運動は「労働戦線統一」が進んだ。1987年の全日本民間労働組合連合会(民間連合)結成から、89年に連合が発足する。まともな労働運動が押しつぶされていく時代となっていった。そして1995年の日経連の「新時代の日本的経営」である。この時代のことを、もう一度振り返って見る必要が、私たちの責任かもしれない。その後、まっすぐに「安倍・働き方改革」につながってしまうのである。

以上の経過をたどって「安倍・働き方改革」に行き着き、政府・資本はの最後の仕上げにかかっているかのようである(その先に展望されているのは、雇用によらず働かせられる世界で、労働法制を適用されない「労働者」がどんどん増やされることになる。それを阻止するために私たちは運動を組織するが、それに関しては本誌16号「高プロ・非雇用が「労働者」を駆逐する! 『働き方改革』の行き着く先」で論じた)。

目下の私たちの課題は、次のとおりである。すなわち、「働き方改革」の延長としての裁量労働制の拡大問題、そして事業場を異にする場合の労働時間の通算制度の問題、賃金請求権の消滅時効の問題、解雇の「金銭解消制度」問題、派遣法の見直しである。以下、それぞれに簡単な説明を加える。

(1)裁量労働制の対象業務の拡大

先の通常国会で、裁量労働制に関する統計データに多くの不備や捏造と疑われる問題が発覚し、政府はこれを「働き方改革法案」から外さざるを得なかった。現在、厚生労働省は実態調査をするということで、詳しいアンケートを準備し、まもなく具体的に着手する予定であるという。8月9日に私も参加して行なわれた、雇用共同アクションによる厚生労働省への申入れでは、アンケートをおざなりに行なって、前回撤回した法案をそのまま提出するというようなことはしない、と回答を得たが、財界が一番望んでいる法改定なので、引き続き監視し、裁量労働制を拡大させないことはもちろん、そのような働き方の制度を廃止させることも目指して、取組みを強めたい。

(2)事業場を異にする場合の労働時間の通算制度

現在の労働基準法では、どの職場で働いても一日の労働時間は通算して計算し、たとえば最初の職場で7時間働いたあとに二つ目の職場で3時間働けば、二つ目の職場の2時間が時間外労働となり、割増賃金が支払われるとになる。しかし、「副業・兼業」を進めたいとする人たちは、この通算制度をやめようと動いている。7月25日「副業・兼業の場合の労働時間管理の在り方に関する検討会」が報告書を出して、制度の見直しが議論されるようになっている。

実際には低賃金と貧困のため、一日にいくつもの仕事をせざるを得ない人たちは、そうした制度の適用を受けることなく働いているのであって、本来現行法を厳密に適用することこそが、政府・厚労省の役割であることをまず強調したい。

長時間労働を抑制し、健康を守るという労働基準法の趣旨からすれば、通算制度を廃止する理由はないが、人材ビジネスなど「副業・兼業」や「雇用によらない働き方」を推奨する者たちが、そこで稼ぎやすくしようと積極的に動いている。経団連の主流はそもそも「副業・兼業」には積極的ではないと言われるが、何せ「竹中平蔵」問題であるので、今後の重大課題になるものと考えられるから、十分に注意を払いたい。

(3)賃金請求権の消滅時効

詳細は省略するが、2012年6月に民法が改正され、職業別の短期消滅時効が来年4月から廃止されることとなった。労働基準法115条は未払い賃金などの時効を2年としているが、これはもともと民法の規定では1年とされていたのを2年に延ばす趣旨の規定であった。ところがその元の「1年」がなくなってしまうので、規定の意味がなくなるばかりか、原則の5年を大幅に短くする、労働者に不利な規定となってしまう。

現在2年でも短いと考えられる時効の規定だが、一般則の5年、10年に揃えるのが当然と考えられる。しかし、経団連などは根強くそれに反対しており、簡単には進まない。労働基準法を変えなければ一般則の適用は始まらないので、やがて労働政策審議会でも議論されるだろうが、今から労働者の原則を鮮明にして、取組みを進めたい。

なお、この規定は、未払い賃金のみならず有給休暇の繰越にも関係するので、十分な議論も必要である。

(4)解雇の「金銭解決制度」

この問題は、すでにいつでも法案にできる段階だと言われている。当面は、「不当解雇であること」が確定し、「労働者が申し出た」場合にのみ適用するということで、確かに余り現実的に運用できる制度ではないようだが、やがて使用者側からの申し出が追加されるに違いない。いかなる形をとろうが、この仕組みはつくらせないことが肝要だ。

現実には、労働審判制度が金銭解決の場になってしまっているなど、裁判所の動きがこうした制度を後押ししているのではないかと思われる。労働事件に理解ある裁判官や元裁判官は多くが反対していると聞いてはいるが、「方程式に数値を入れてすぐに金額が出てくるような仕組み」を求める関係者も多いので、十分な注意が必要だ。

(5)派遣法の見直し

民主党政権下の2012年、派遣法が改正され、労働者保護が進んだ。特に日雇い派遣の原則禁止は、そのポイントだったが、今、政府・財界は日雇い派遣の解禁を進めようとしている。労働契約申込みみなし規定も改悪されようとしている。もっぱら派遣も解禁したいようだ。民主党政権時代に一定の歯止めをかけた派遣労働だが、その「自由化」がもくろまれている。すでに労働政策審議会で議論が始まっており、反対運動を進めなくてはならない。

おおの・たかし

1947年富山県生まれ。東京大学法学部卒。1973年から当時の総評全国一般東京地方本部の組合活動に携わる。総評解散により全労協全国一般東京労働組合結成に参画、現在全国一般労働組合全国協議会中央執行委員。一方1993年に東京管理職ユニオンを結成、その後管理職ユニオンを離れていたが、2014年11月から現職。本誌編集委員。

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