特集●米中覇権戦争の行方

社会的弱者を排除しない公教育の形成へ

多様性社会の実現に向けた課題とは

京都教育大学大学院非常勤講師 亀口 公一

社会的弱者へのまなざし

「弱い者いじめはするな」と大正生まれの父に直接言われた記憶はない。しかし、私は、旧制中学校ではない高等小学校卒(尋常小学校6年卒後に高等小学校3年修学、15歳で卒業)の父の態度(人生)から何故かそう学んだように思う。私は子ども心に「強い子とのケンカはいいが、弱い子とのケンカはダメ」という家訓(家庭教育)を勝手に身に付けた。

もうひとつ、なぜか父は「人様に迷惑をかけるな」とは言わなかった。普通、子育て中の親がよく言う「人様に迷惑をかけるな」には、「人様から迷惑をかけられるな」という裏メッセージが含まれている。私はいつのころからか、この言葉に「よく知らない人とは関わるな」という「排除のまなざし」を感じるようになっていた。今にして思えば、戦後のレッドパージと国家公務員法成立前夜の激動期に労働組合に関わり、その後家族を養うために離脱(転向)した父は、「人は一人では生きていけない、迷惑をかけるのはお互いさまだ」とそれとなく3人の息子に遺したかったのかもしれない。

もう一つ、私には子ども時代に「排除のまなざし」を感じたエピソードがある。私が小学2年生に進級したばかりの4月に、知らない先生が教室に入ってきて、クラス替えのためまだよく知らない同じクラスの男の子を連れ出し、その子が次の日から来なくなったという出来事があった。その子の名前は今でもはっきりと覚えている。その子が校舎の端の家庭科室近くに新しくできた特別な学級にいるらしいと聞いたのはその後少し経ってからである。その後長い間、私が大学で知能テスト批判や障害者解放運動に関心を持つまでは、その子のことを思い出すことは全くなかった。

私は、社会的弱者の中で最も弱い立場にある人は「障害者」でも「老人」でもなく「子ども」だと思っている。なぜなら、「子ども」は自己選択、自己決定、他者評価(選挙権・所有権等)という人間としての権利と責任を持っていないからである。確かに「子ども」という存在は、大人の自由を奪う存在である。だからこそ、子どもへの社会的まなざしには、子どもを生かすことも殺すこともできる「受容のまなざし」と「排除のまなざし」がある。大人は子どもの生殺与奪権を持っていることを忘れてはならない。

自然とともに生きる子どもたち

旅行写真家のジョエルサントスが撮ったウラル地方の遊牧民の子どもの写真集がある。その写真集の中に、子どもが草原で一休みしているトナカイ(レインディア)のお腹を枕にして昼寝している一葉の写真がある。その男の子はおそらく就学前の年齢と思われるが、大草原の風の音と彼の寝息が聞こえてきそうである。優しい目をしたトナカイの呼吸と彼の心臓は同調し、安心と信頼で結ばれているように見える。まさに自然が子どもを受け入れ、子どもが自然を受け入れ、互いにあるがままの様子が見て取れる。しかし、彼の家族が、ウラルの滅びゆく少数民族の一員であることも現代社会の現実である。

そうだとしても、子どもが自然と共に同調する姿は、人間と自然との相互作用によって誕生する人間社会の原風景ではないだろうか。そして、その原風景を産み出すもう一つの力こそ時の力である。それが、子どもと自然が出会う時(タイミング)にほかならない。

中国の禅宗に啐啄同時という言葉がある。啐(ソツ)とは、雛が殻を中からつつく音で、啄(タク)は母鶏が殻を外からつついて破る音を字源としている。師弟関係や親子関係は一瞬のタイミングで成立することを意味している。これこそ、子どもは啐啄同時という自然の摂理によって誕生するのであり、まさに子どもの産声の瞬間(タイミング)である。

私は、滅びゆく遊牧民の子どもの写真を見るたびに、「人間は環境と教育との産物である。しかし、環境がまさに人間によってこそ変えられること、そして、教育者自身が教育されなければならぬことを忘れてはいけない」と言ったマルクスの言葉を思い出す。現代社会においても、環境と教育が人間を形成するからこそ、その環境と教育を変革できるのも人間であることは今も変わりない。

やまゆり園「障害者」殺傷事件が問いかけること

2016年7月26日未明、障害者福祉施設「神奈川県立津久井やまゆり園」において、「重度の障害」を理由に19人(男性9人、女性10人)の尊い命が奪われた。負傷者24人を加えれば、施設で暮らす「知的障害者」43人の命と人権が、たった1人の元「やまゆり園」職員植松被告によって奪われた。

私がこの大量殺傷事件で最も注目していることは次の2点である。ひとつは、植松被告が大規模入所施設の元やまゆり園職員として、深夜(午前2時ごろ)にはほとんどの「入所者」が睡眠薬等の薬物によって何ら抵抗できない状態であると知っていたから計画したのではないか。今ひとつは、彼がかつては教職をめざしていた時、どのような教員養成環境で誰から「生産性のない人間は生きる価値がない」という優生学思想を学んだのかである。

植松被告が事件を起こす5か月前に衆議院議長に送った手紙には、三つの小見出し(衆議院議長大島理森様、植松聖の実態、作戦内容)が付いていた。大島議長宛の小見出しには、「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません」とまさに優生学思想そのものが書かれていた。

しかし、この犯罪を極端な優生思想として植松個人の特性に終わらせてはならない。個人の「優生思想」と国家の「優生学思想」は全く異なる思想である。広辞苑(第5版)には「優生学」とは、「人類の遺伝的素質を改善する目的で、配偶者の選択などにより、悪質の遺伝形質を淘汰し、優良なるものを保存することを研究する学問。1885年英国の遺伝学者ゴールトンが首唱」とある。つまり、自らを優秀な家系と自負するゴールトン(進化論学者ダーウィンの従弟)が提唱した「優生学思想」には、国家の「障害者排除を積極的に推し進める価値観」が深く刻み込まれている。

一方、個人の「優生思想」は、普通の人々の暮らしの中での「健康願望」である。元気で健康でいたい、良い成果を上げたい,賢い人間でありたいという個人の夢や希望である。この「やまゆり園事件」で学ぶべきことは、決して私たちの「内なる優生思想」との闘いではない。強制不妊手術や新型出生前診断という「国策としての優生学思想」との闘いである。自ら骨形成不全の障害をもつ心理カウンセラーの安積遊歩さんは、「生まれながらに優生思想をもっている赤ちゃんはいない」と言い、何よりも「それが希望です」と力強く語っている。

子どもの今が日本の戦後教育を総括する

19世紀末の英国の教育学者が、「20世紀は子どもの世紀だ」と予言した。その20世紀も終わり21世紀になった今、その予言が全く当たらなかったことは確かである。むしろ「20世紀は戦争の世紀」と言うべきだし、その最大の犠牲者こそ「子ども」にほかならない。世界中の「子ども」が、西側であれ東側であれ、「語ることができないサバルタン(権力から疎外されたもの)」として大人社会から排除されたことはあらゆる戦争資料が証明している。

日本においても「20世紀は子どもの世紀」ではなかった。特に1960年代半ばの大量生産・大量消費の高度成長期以来、子どもと自然環境との密接な関係は希薄となり、同時に学校環境は、「教育投資」論や「学校経営」論によって大きく変わってきた。多くの子どもが受験産業、「選別・別学」の障害児管理教育、国の「あるべき子ども像」などの弱肉強食の競争原理の下で子ども時代を過ごしてきた。

1970年代には「子どものブロイラー化(養鶏場の鶏は平飼いにしても身動きできない)」を心配する物理学者が、子どもの自主性・自発性の欠如に警鐘を鳴らしていた。

1979年の埼玉・中1少年いじめ自殺事件を皮切りにいじめを苦に自殺する中学生が未だ後を絶たない。「教育の荒廃」が叫ばれて久しいが、その荒廃をもたらした国や大人の責任は問わずに、「いじめた子の責任を問うべきだ」との大人の声だけが大きくなるばかりである。思春期の「発達の危機」と向き合う中学生にとって「いじめる-いじめられる」関係性はそれほど単純な関係ではない。

1980年代に起こった中学生による横浜「浮浪者」殺傷事件の理由は、体臭という個人情報であった。「浮浪者」を殺傷した中学生は「やつらはくさい。くさいことは許せない」と言ったそうだ。その頃はトイレやお風呂の消臭剤や芳香剤(花の香)の商品が次々と開発され始めた時代であった。小さな子どもにとっては、路地の金木犀や沈丁花の花の香りもトイレやお風呂を連想してしまう情報幻想(操作)の時代になってしまった。私は、自分の汗の匂いは自分が発信する個人情報(顔の表情、体つき、態度など)なのになぜ隠したり消したりしなければならないのか未だ理解できない。

戦後の日本社会は、多くの尊い命を犠牲にして、とりあえず民主主義社会を手に入れた。産業革命が百年早く始まった欧米に追いつけ追い越せの明治維新と同じように、戦後日本は高度経済成長へと突き進んだ。その後を追うように戦後教育は、多くの子どもを能力主義の受験戦争という新たな戦場へと送り込んだ。教育者は「競争と協調の二重拘束(ダブルバインド)」で子どもたちの手足を縛った上で自主性を強要するような管理教育を推し進めた。そのことを子どもに関わるすべての大人は自覚しなければならないし、今こそ「教育者自身が教育されなければならない」と考える。

「インクルーシブ教育」と「リベラル高等教育」が多様性社会を実現する

1994年ユネスコの「サラマンカ宣言」が提唱したインクルーシブ教育とは、「誰も排除しない教育」のことである。そもそも、「通常の学校」とは、障害児、英才児、ストリート・チルドレン、遊牧民の子、言語的・民族的・文化的マイノリティーの子など「すべての子どもたち」を受け入れるところと多くの国は考えている。したがって、このインクルーシブ志向をもつ「通常の学校」こそ、「すべての人を喜んで受け入れる地域社会をつくりあげ、万人のための教育を達成する最も効果的な手段」であると位置付けている。

2014年には、日本が「障害者権利条約」を批准したことによって、「インクルーシブ教育」の推進は日本の国際的な義務となっている。しかし、日本では長い間、「特別支援教育(障害児教育)」が、障害児教育は専門教員に任せるべきだとして地域社会から離れた特別な学校での別学体制(分離教育)に固執したままであり、「インクルーシブ教育」がほとんど進んでいない。

「特別支援教育」は、個人の「障害の克服」を目的とした医学モデルによる個人の能力を伸ばす個別支援教育である。一方、「インクルーシブ教育」は社会モデルに基づき、誰も排除せず多様な個性を受け入れる「受容のまなざし」を持っている。もちろん、ただ一緒にいるだけでは教育とは言えない。事実、日本の小学校・中学校の現場において「合理的配慮」に基づく「インクルーシブ教育」を実現することは大変困難である。

通常学校における「インクルーシブ教育」では差別的態度と闘う「合理的配慮」を提供しなければならない。「合理的配慮」とは、障害のある子もない子も「ともに生きともに学ぶ」ために必要な変更・調整を行う「社会的な思いやり」のことである。

では、この思いやる当事者は誰か。もちろん、特別な教育的ニーズをもつ障害のある子自身とその他すべての子どもひとりひとりであるが、誰よりもすべての通常学校の教育者が「合理的配慮」を提供すべき当事者であることを認識しなければならない。したがって日本の「インクルーシブ教育」実現のためには、すべてのクラスで「合理的配慮」を提供できる教員養成から始めなければならない。

日本における教員養成の歴史は、明治政府以降まさに教育立国の名にふさわしく国家規模で行われてきた。しかし、その教員養成はあくまで国家のための養成教育であり、子どもひとりひとりが教育を受ける権利を保障するための教員養成ではなかった。

話が少し横道に逸れるが、日本には明治時代に「高等遊民」という言葉があった。夏目漱石の造語だが、「高等教育を受けながらも、定職につかずに暮らしている者(広辞苑)」を指すらしい。まさしく、現代の英国のニート(無職、未就学の若者)の出現を予言する言葉である。私は決して「高等遊民(ニート)」の存在を肯定するわけではないが、多様な青年期のあり方として大人でも子どもでもないモラトリアム期(エリクソンの言う)があってもよいと考える。

また近年、特別支援学校の高等部が変質してきている。高等学校全入時代に入り、いわゆる「軽度の発達障害」の中学生が職業訓練校として特別支援学校高等部を多数希望し、いわゆる従来の「障害児」の行き先がなくなるという倒錯した事態が生じている。

日本における高等教育の基本は、「殖産興業・富国強兵」を国是とした明治時代とそれほど変わっていない。旧帝大の大学院を頂点に「科学技術は善きもの」とする科学信仰(幻想)は、福島原発事故やクローン人間誕生の現実を目の当たりにしても何ら本質的に変わっていない。しかも、国公立大学において教養学部が廃止されて以来、大学が職業教育(vocational training)に重点を置き、あたかも高機能労働者養成機関になって久しい。

私は、まず大学に教養学部the liberal artsを復活させ、教員養成課程の高等教育(higher education)を立て直さなければならないと考える。高等教育higher education には、①職業教育vocational trainingと②一般(教養)教育liberal educationの2つの役割がある。liberal educationとは、職業・専門教育より人格・教養教育を主とする人格教育に重点をおくリベラル(教養)教育のことである。

私は、全国の中学生・高校生が「インクルーシブ教育」の「合理的配慮」によって社会的経験を積めば、おそらく現在のいじめ/不登校/ひきこもりの件数は半減するものと確信している。ここでいう「合理的配慮」の具体例とは、①号令をかけない、②同調圧力をかけない、③大声で威圧的に指示しない、④生徒の長所を見つけてほめる、⑤「社会のカベ」の高さを乗り越えられるように調整することなどである。そして、思春期の中学生にとって最も大切な「合理的配慮」は、⑥生徒を信用することである。

人類の遺伝システムは命の選別を許さない

「やまゆり園」の被害者の名前も年齢も未だ公表されていない。家族は追悼式で「この国には優生思想的な風潮が根強くあり、すべての命は存在するだけで価値があるということが当たり前ではないので、とても公表することはできません。」と言われたそうだ。人が人を信頼できないことほど不幸なことはない。そのことが互いに不信を生み、互いに排除し合ってさらに疎外を深めていく。

人間の予断偏見による差別はほとんどが無知からくるものである。人間自身のことで最も未知の分野は遺伝に関するものであろう。しかし、近年の遺伝子研究は凄まじいスピード進んでいる。それだけに人類が原子力と同様に介入してはいけない、あるいは制御できない領域があることも明らかになりつつある。

通常、人体を構成する約60兆個の体細胞の核には23対で構成される46本の染色体が収められている。その内の生殖細胞だけが思春期になるとスイッチ(DNAに書き込まれた指令)が入り減数分裂を始める。男性も女性も生殖細胞の23対の染色体が分離して、23本だけの染色体を持った精子と卵子になる。この減数分裂の際、遺伝子交換(キアズマという)が行われ、子の代には親とはできるだけ異なる組み合わせをする遺伝の仕組みができている。ただし、時には減数分裂の際に自然のいたずらで不分離の対の染色体を持った24本の精子か卵子が形成される。その結果、縁あって結ばれた夫婦がダウン症の子ども(染色体23対で47本)を授かるという遺伝システムが人類の誕生以来連綿と引き継がれている。

まさに人類の遺伝システムは減数分裂の不分離も含めて自然の摂理であり、染色体は人類の多様性を担保する保証書にほかならない。間違った遺伝理解による優生学思想を一日も早く払しょくし、予断と偏見による障害者差別を解消して「すべての命は存在するだけで価値があるということが当たり前」の社会を実現しなければならない。

参考文献

青木 悦著『アスファルトのたんぽぽ-「いじめ」は戦後社会の総決算』(坂本鉄平事務所 1995)

今井 恵著『心理学史』(岩波書店 1962)

亀口公一共著『福祉と人間の考え方』(ナカニシヤ出版 2007)

河合雅雄著『子どもと自然』(岩波新書 1990)

日教組インクルーシブ教育推進委員会編 「インクルーシブのつぼみ」(2017)

藤田弘子著「染色体異常ガイドブック」(障害乳幼児研究会編 1982 )

堀 利和編著『私たちの津久井やまゆり園事件』(社会評論社 2017)

リン・ホフマン 亀口憲治訳『システムと進化-家族療法の基礎理論』(朝日出版 1986)

かめぐち・こういち

1950年福岡県生まれ。1975年公立心身障害児通園療育施設入職。2007年NPO法人アジール舎設立、現在顧問。2008年児童デイサービス事業所開所。日本臨床心理学会会長(2015~2019)。心理臨床歴44年、心理カウンセラー。京都教育大学大学院非常勤講師。

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