コラム/ある視角

戦隊ヒーローの腕時計

原型としての『冒険ダン吉』

全国高等教育ユニオン 吹田 映子

戦隊ものの特撮テレビドラマはいつからあるのだろう。子供の頃に私が見たのは『高速戦隊ターボレンジャー』だった。弟が関連商品の「ターボブレス」を持っていたのでよく覚えている。ターボブレスは右腕用と左腕用と二つあり、主人公はこれらを使って変身したり通信したりする。これを、例によって赤がトレードマークのリーダーだけでなく、他に四人いる隊員全員が両腕につけている。普段は高校生の彼ら(うち一人は女性)は、敵の「暴魔」と闘う必要に迫られると「ターボレンジャー!」の掛け声に合わせてターボブレスを起動させ、変身するという段取りになっている。

『ターボレンジャー』は1989-1990年に放映された第13作目に当たり、シリーズ第1作目は1975-1977年に放映された『秘密戦隊ゴレンジャー』だった。このシリーズはすべて東映が制作し、テレビ朝日系列で放映されている。始まったばかりの最新作は『騎士竜戦隊リュウソウジャー』(2019年7月~)だそうだ。

戦隊ものの先駆けとして知られるのは1970年代から始まった「仮面ライダー」シリーズと、それより早く1960年代後半に始まった「ウルトラマン」シリーズである。とくに仮面ライダー・シリーズは1990年代を通して中断されていたものの、2000年から再開されて現在も人気がある。間もなく始まる最新作は『仮面ライダーゼロワン』という。キャッチコピーを見て驚くなかれ。「世界最強の社長はただひとり!オレだ!」。

「ゼロワン」という名前に込められているのは、令和元年であること、主人公が業界No.1の社長であること、その業界は人工知能の技術開発を専門としていることの三点である。社長みずからAIロボに変身し、AIのハッキングによって人類滅亡を企む「サイバーテロリスト」を日本政府のために逮捕する。仮面ライダーもついに一介の警察官になってしまった。

「テロ」との戦い、令和元年、業界No.1社長…。発展する科学技術に想像力が鼓舞されてSFが生み出されてきたとすれば、現在この想像力は現実に凌駕され、いわば枯渇した地点にあると受け止めてよいだろうか。これほど現実にまみれた番組なら、現代社会そのものを戯画的に表わしている点で評価されるかもしれない。その場合の現代社会は、新自由主義とナショナリズムとが蔓延し、そのために人々が想像力を発揮できずにいる社会を意味する。放映に先駆けてバンダイは「変身ベルト DX飛電ゼロワンドライバー」を6,980円で発売中だが、躊躇せず子供に買い与えられる親の割合はどのくらいだろうか。

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仮面ライダー1号以来、ヒーローに変身するための最重要アイテムはこの「変身ベルト」である。それは関連商品の生産・販売とともに重要性を増し、今日まで特撮ヒーローには欠かせない装身具となっている。しかし、もう一方で必須なものとして、腕時計にモデルがあると思しきブレスレット型のアイテムがある。弟が持っていたターボブレスはその好例であり、戦隊シリーズの元祖『ゴレンジャー』においても隊員全員が通信機をやはり腕に装備している。

これに対し、仮面ライダー・シリーズでは一見するとブレスレット型のアイテムは登場が少ないように思われる。しかし改めて考えてみると、変身ベルトの形状はそもそも腕時計をモデルにしたのではないかという推測もできる。「へーん、しん!」の号令によって回転し始める仮面ライダー1号のベルトの中心部は、文字盤の上を針が高速回転する様子に見え、全身とベルトの関係は、手首と腕時計の関係に相似する。装身具を持たないかに見えるウルトラマンも、みぞおちには「カラータイマー」が付いており、これもまた地上に滞在できる時間のリミットを知らせる一種の時計であるだろう。

この点で示唆に富むのは、ごく最近まで放映されていた『仮面ライダージオウ』(2018-2019年)である。「ジオウ」という名前は、漢字にすると「時王」となる。それは主人公の人生が「時間」をテーマとしているからに他ならない。実際、変身後の彼の全身は時計の意匠で出来ている。顔は文字盤、額にはV字を示す針の装飾、首から胴体にかけては金属製のベルト模様という具合に。

面白いのは、主人公が大叔父の経営する時計店「クジゴジ堂」に居候しているという設定だ。同時に彼は「王様」になりたいと強く願っており、これは「8時間労働から逃れたい」という視聴者の潜在的な願望を刺激する意図があるのかもしれない。とはいえ本来想定される視聴者は子供たちのはずで、8時間労働が彼らにとっても切実な問題だとすると空恐ろしい。

この世俗にまみれた主人公が敵と闘う必要に迫られると、「ライドウォッチ」を腕に装備して変身する。ただしこれは単なる変身トリガーではない。両腕に二本ずつあるバンドに、その都度必要な「ウォッチ」を嵌めることで、特殊な能力(歴代のライダーが有した個別の能力)を装備するという仕組みである。

ここに見出せるタイムワープ的な機能は、そもそも敵が50年後の自分である(2068年に彼は悪の王者となっている)という設定と相関し、「時間」というテーマを立体的に印象づける。興味深いのは、ジオウの全身に散りばめるかたちで装備された数々の時計には、彼が現在いる世界の「年」が表示されると聞くが、果たしてその表記は西暦なのかという点だ。なぜなら『ジオウ』の次に来るのは改元を記念した『ゼロワン』なのだから。なお、ライドウォッチも案に違わずバンダイから発売中とのこと。

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さて、ヒーローには腕時計が付き物だとすると、その最初の例はどこにあるのだろうか。黒人表象をめぐって調べものをしていた際、ふいに発見したのは『冒険ダン吉』である。私が参照したのは1970年に講談社から出た復刻版だが、この漫画(現代の感覚からすると挿絵入り小説)の連載が始まったのは1933年の『少年倶楽部』誌上である。この雑誌は1914年に創刊し、1931年からは田河水泡の『のらくろ』の連載を始めて爆発的な人気を誇った。『ダン吉』作者の島田啓三によれば、これに続いて「冒険ダン吉時代という、漫画史上空然のブームがわき起こった」。

1970年の「復刊の辞」において島田が示した物語の要点を引こう。「冒険ダン吉が発表されたころの少年たちの未来像は、末は大臣であり大将であった。その夢を野蛮島の王さまという形で実現させ、蛮公や猛獣どもを駆使して文化国家を建設、一大ユートピア境を出現させていく愉快な冒険漫画で、とくに従来の漫画形式とは変わった物語形式としたことが、少年たちの興味をひいた誘因でもあると思う」。

具体的には、主人公のダン吉がカリ公という賢いネズミをお伴に釣りに出かけ、二人して釣り船で寝過ごしたために「熱帯の野蛮島」に流れ着く。この島には「黒ン坊」である「人喰蛮公」の部族が複数暮らしているが、ダン吉は「白ン坊」の「文明國人」であるために、次々と酋長たちを降伏させ、彼らに君臨して軍を組織し、支配域を広げながら教育や医療を施してゆく。なかでも衝撃的な場面は、ダン吉が川を渡るのに「蛮公」たちの頭を並べて踏み台にしたり、あるいは同じように彼らの頭を踏んで椰子の木の頂に登り、日の丸を掲げて敬礼を命じるといった場面である。それが当たり前のように描かれている。

ダン吉は初め、制帽にポロシャツ、半ズボンという出で立ちをしている。島に到着して「黒ン坊」に追われたため、カリ公の指示に従って泥を全身に塗り、腰蓑をつけるという変装を行う。泥が剥げて「白ン坊」であることがバレてしまうが、計略によって酋長を負かし、その王冠を委譲される。こうして物語が始まって間もなくダン吉は、王冠と腰蓑、それに冒頭から左手首に付けていた腕時計という三点装束を完成させる(なお、黒い靴のようなものも冒頭から履いているが、アイテムとしては非常に雑に描かれているためここでは度外視する)。

腕時計は、画中では非常にはっきり目立つように描かれている。しかし不思議なことに文中では一切言及されることがない。このアイテムに必然的な役割があるとすれば、例えばダン吉が「蛮公」や動物に変装する場面において、ダン吉をダン吉として認識させるための目印ということぐらいである。しかしその役割も稀にしか果たされず、腕時計はつねに不自然なまでの存在感を示している。内容から考えられるのは、腕時計は「文明國人」の証ということか。

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今では当たり前のように使われている腕時計も、『ダン吉』が連載されていた当時(1933-1939年)は相当な高級品であった。そもそも実用的な懐中時計が登場したのは「時が金」になった18世紀のイギリスであり、それが大衆化したのは19世紀の半ば以降、スイスとアメリカで時計工業が発達してからである。この流れで腕時計の生産も始まり、世界的に量産が始まったのは1891年以降と言われる。国内では精工舎(現SEIKO)が1895年に初めて懐中時計「タイムキーパー」を開発し、その後1913年に国産初の腕時計である「ローレル」を開発。以後、1923年の関東大震災を境に、携帯時計の中心は懐中時計から腕時計に移っていく。とはいえ腕時計が真に大衆化するのは安価で精度の高いクオーツ時計が普及し始める1970年以降のことであり、それまでは懐中時計にせよ腕時計にせよ、携帯時計は限られた階級のみ手にできるステイタス・シンボルであった。

懐中時計もおそらくそうだろうが、腕時計の開発には、戦場における兵士の集団行動に資するという目的があった。日本においても、いち早く使用していたのは軍人である。「日本兵は伍長でさえも腕時計、羅針儀、双眼鏡を携帯している」という日記を、当時北京に派遣されていた『ロンドン・タイムズ』の記者ジョージ・E・モリソンが1900年の義和団事件の直後に残している。また、1905年に作られた軍歌「戦友」の一節には「空しく冷えて/魂は/くにへ帰った/ポケットに/時計ばかりがコチコチと/動いているも/情なや」とある。この場合は懐中時計だが、戦時下における時計の重要性がよくわかる。「末は大臣であり大将であった」のと同様に、人々は腕時計を嵌めた手首に憧れた。

ダン吉の腕時計は、したがって作中の「蛮公」に対してよりも読者である戦時下の少年たちに対して、また、「文明」という抽象的な観念としてよりも「立身出世」という具体的なスローガンとして機能したと考えられる。いいなあ、かっこいいなあ、あれ欲しいなあ。『ジオウ』のライドウォッチと『ダン吉』の腕時計は、外見は大いに異なれどさほど違ったものではないようだ。

このコラムを書くに当たってセイコーミュージアムで時計の歴史を見学してきたが、「ローレル」以降、様々な種類・性能・デザインの腕時計が開発されてきたにも拘らず、結局は何も変わっていないという印象を受けるのは私だけではないだろう。一日の労働時間について「8時間」が目標として提起されたのは、携帯用時計の普及が始まったのとほぼ同じ頃の1866年だが、私たちの多くはいまだに時計に身を包みながら、同じ目標を達成できずにいる。過労に倒れた人々の手首の上で、時計は今日もコチコチと音を立てている。

すいた・えいこ

1982年生まれ。自治医科大学医学部総合教育部門・助教(文学)。専門は西洋近現代美術史(主にルネ・マグリット、シュルレアリスム)。著書に『ベルギーを〈視る〉:テクスト―視覚―聴覚』(共著、松籟社、2016年)。

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