特集

限界に直面する先進工業諸国G7の20世紀自由民主主義世界像

ドイツと日本の2025年の政治状況を通して

語る人 上智大学教授 、フリードリッヒ・エーベルト財団東京事務所代表 サーラー・スヴェン

聞き手 本誌代表編集委員(日本女子大名誉教授)住沢 博紀

1.問題を先送りしたメルケルの「安定の時代」

住沢 プーチン、トランプとも対峙したアンゲラ・メルケル元ドイツ首相の自伝が出版されました(『自由  回想―1954-2021』2024)。KADOKAWAからの邦訳出版に合わせてメルケルも5月に来日して、日経新聞主催のトークイベントに参加しました。2005年から2021年までの彼女の首相在任期間は、アメリカを軸とするG7の世界秩序が大きな転換を余儀なくされる、「危機の潜在期間」でもありました。メルケルは16年間の長期政権のもと、いろいろな危機を乗り切りましたが、現在の視点からは、安定優先で必要な国内構造改革や対プーチン戦略を先送りしたともいわれています。

最初の質問は、メルケルの自伝についてです。特に、首相になってからの後半部分で、印象に残っている部分はありますか?

サーラ 住沢さんも注目されているように、2015年の難民受け入れの決定や脱原発について書かれた内容について特に関心を持ちました。

皆さんは難民問題と言いますが、私はあえてその言葉を避けています。当時問題だったのはシリアの内戦であり、難民が発生するのは当然のことだったからです。ご存知のように、ほとんどの難民はレバノンやトルコに滞在しており、いまだに何百万ものシリア人がそこに住んでいます。そのうちの数十万人がさらにヨーロッパへ移動するのは自然な流れでしょう。私が当時感じていたのは、難民が押し寄せてきたら、どうすることもできなかったのではないかということです。

メルケル首相は良い雰囲気を作りたがっていましたが、EUの一員として、オーストリアとの国境で「ここから先には入れません。オーストリアに留まってください」と言うことはできなかったはずです。それは、現在のメルツの政策にも繋がっていますが、当時は数十万人単位で難民が隣国のオーストリアやハンガリーに押し寄せており、ハンガリーは最終的に国境にフェンスを築きましたが、いったんドイツに入国させないと、さらに大きな危機に展開するはずでした。人道的な観点から、難民として受け入れざるを得なかったと思いますし、現実的には選択の余地はなかったと言えるでしょう。

その後、難民をどのように社会に統合させるか、いつまで滞在させるか、いつシリアに戻すかといった問題が浮上し、メルツ首相は現在もそのテーマに取り組んでいますが、メルケル氏は相変わらず当時の決定は正しかったと主張しており、私も同感です。

住沢 メルケルの自伝には、シリア難民を受け入れなかったら、それは「私の国ではない」という言葉が、勝手に「もはや私の国ではない」と一部のメディアで歪曲して強調され、メルケルはドイツ連邦共和国から距離を置いたと、真逆のことが喧伝されたと述べています(邦訳 下161頁以下)。

サーラ ご存知のように、憲法でアジール(亡命)が保障されており、難民が来た場合、それを受け入れなければならないという法律があります。国際的にも、どこかの国で内戦が起きて難民が発生した場合、協力して難民を受け入れるのは、国際関係の一環でもあります。そして、メルケルは人間的にも、困っている人々を助けなければドイツとは何なのか、と考えたのではないでしょうか。

住沢 分かりました。後でこの問題に戻りますが、現在問題となっているのは、難民受け入れ後の状況で、ほとんどが自治体の負担になっていることです。特に、人口が減少している旧東ドイツの小さな自治体に、住民人口比では難民が多く集まっており、そこに施設が作られています。そのため、AfD(ドイツのための選択肢)など、排外主義の右派勢力が力を増しているという話があります。

サーラ その議論は2015年以降ずっと続いており、AfDが台頭した理由の一つでもあります。ただ、どちらかというと、東ドイツは経済力が西側よりも低いので、難民の大半が西側にいます。経済力にしたがって難民が配置されます。そのため、東のほうが負担が大きいということはありません。もちろん、東にも難民がいないわけではありませんが。地方自治体の負担が大きいというのはその通りで、現在も議論されており、それに対して様々な工夫や法整備が必要です。それは正しい指摘だと思います。

    難民申請者の各州への配分比率 2024年度

        州名 難民配分比率 (%)
ノルトライン・ヴェストファーレン 西)21.08
バイエルン 西)15.56
バーデン・ヴュルテンベルク 西)13.04
ニーダーザクセン 西)9.40
ヘッセン 西)7.44
ベルリン 5.19
ザクセン  東)4.98
ラインランド・ファルツ 西)4.82
シュレースヴィヒ・ホルシュタイン 西)3.41
ブランデンブルク  東)3.03
ザクセン・アンハルト 東)2.70
テューリンゲン 東)2.63
ハンブルク 西)2.60
メクレンブルク・フォーポッメルン 東)1.98
ザールランド 西)1.20
ブレーメン 西)0.95

  出典:連邦移民難民局

2.プーチンのウクライナ侵攻とショルツ政権の「時代の転換」宣言

住沢 それでは、次の質問に移ります。メルケル首相の政策は、2022年のプーチンによるウクライナ侵攻によって大きく変わりました。SPD(社会民主党)、緑の党、FDP(自由民主党)の3党連立政権は、この危機的状況に直面し、ショルツ首相は2022年2月、「時代の転換」を唱えましたが、実際にそれにふさわしい転換政治が行われたのかどうか、ドイツ国民の多くは評価していません。サーラさんの視点から見て、あるいはSPDの立場から言えることがあれば、ショルツ3党連立政権をどのように評価されますか?

サーラ そうですね。ご存知のように、3党連立政権は戦後ドイツでは初めての経験で、その中の政権運営がなかなか難しいことです。特に、各党の規模が大きく異なり、社会民主党が最も大きく、緑の党がそれに次ぎますが、FDPは小規模です。しかし、ショルツ首相は比較的平等に大臣の数を割り当てました。

11,5%の得票率FDPは4つの大臣を出し、14,8%の緑の党は5人、SPDはショルツ首相を含めて7人でした。その点は非常にうまくいったと思います。日本では、自民党と公明党が長年連立を組んでいますが、公明党は小さくないのに、大臣は必ず1人だけですよね。ドイツから見ると、それは非常に驚くべきことです。

ですから、そういう意味では安定した政権を作ったというのが私の最初の印象でした。結局、これは日本の2009年から2012年までの民主党政権と同じで、周囲の状況が厳しいため、政権運営は難しかったです。ドイツの場合、それはウクライナ戦争です。政権発足後まもなく戦争が始まったため、どの政権でも対応は困難だったでしょう。

国際関係やウクライナ支援の是非だけでなく、エネルギー政策にも深く関わっていました。ショルツ首相は非常に冷静で、地味な首相でもありますが、当時冷静に対応したのは素晴らしいと思いました。もし当時メルツ首相だったら、すでに第三次世界大戦が始まっていたかもしれません。ショルツ首相は事態がエスカレートしないように細心の注意を払い、今から見てもそれは正しい判断だったと思います。

ドイツでは当時、ウクライナにヘルメットだけを送るのか、といった批判が毎日のように報道されていましたが、最初から戦車やロケットをウクライナに送るとなれば、ドイツのロケットがロシア人を殺すことになり、ロシアがドイツに報復を仕掛けてもおかしくない状況でした。しかし、今でもロシアは特に報復していません。戦争への対応も、これ以上の対応があったのかどうか、もちろん批判はたくさんありますが、それは後知恵です。

ただ、日本の民主党政権と同じように、ショルツ政権がメディアに批判され、評価は悪かったですが、将来少しずつ事実が明らかになれば変わっていくと思います。

住沢 エネルギー価格高騰や、緑の党の経済大臣(当時)ハーベックが推進した、家庭内化石燃料暖房を再生エネルギーに転換する法案に対する強い抵抗、FDP党首で財務大臣のリンダウとの対立と連立離脱など、後半は様々な不一致がありましたが、支持率が低下した結果、今回の選挙で社会民主党は非常に低い得票率にとどまりました。これはメディアの責任ですか、それとも誰の責任ですか?

サーラ 責任は、もちろん政治家と政党にあるのです。ただ、社会民主党自身が、自分たちの政策を十分にアピールできていないと感じます。ショルツ首相は威張るようなタイプではないので、インタビューでも地味に答えるだけで、国民に声が届いていないのです。それは社会民主党だけでなく、すべての既存政党に言えるかもしれません。メディアを通じて国民に訴える力がなくなっていると思います。

これは日本にも共通する問題ですが、ソーシャルメディアが普及し、ほとんどの人がそこからニュースを得るようになったにもかかわらず、十分に活用できていません。活用しようとしても、下手なビデオをTikTokに投稿するだけ、という状況です。ですから、結局は政治家の責任ではありますが、国民の責任でもあると思います。

さきほども言ったように、3党連立政権を批判するのは簡単ですが、結局のところ、国民がこの政権を選んだのです。選挙でこのような結果が出たということは、CDU(キリスト教民主同盟)に圧倒的な過半数を与えず、社会民主党にもっと強い地位を与えなかったということです。国民は、日本でも言われているように、多党化を求めています。しかし、多党化は政権運営を難しくするので、それを覚悟しなければなりません。ですから、これを選んだ国民にも責任があり、政権運営をする政治家だけの責任ではありません。国民は、どのような政権を求めているのか、よく考えるべきだと思います。

3.EUはグローバル・プレイヤーか地域プレイヤーか

住沢 それでは、質問3に移ります。現在のドイツ、EUの混乱の一つとして、EU統合の求心力が2004年、2005年あたりから弱まったという見方があります。その背景には、統一通貨ユーロを導入され、2004年にEUが旧東欧諸国に拡大したものの、そうした国ぐにでは成功した起業家や地域と、取り残された人々や地域の格差が拡大し、またEU中心国への人口流出など、新加入の国々でEUへの失望感も生まれました。

また独仏英や北欧などEU中心国でも、新たな移民流入で排外主義に立つ右派勢力が増大し、政権が不安定になりました。2005年欧州憲法がフランスやオランダで批准されなかったこと、2009年のギリシャからのユーロ危機、イギリスがブレグジットでEUを離脱したことなど、EUは未来への発展イメージから、弱体化を防ぐ防御イメージに転換した印象があります。ドイツあるいはSPDは今後どのような方針で臨むのでしょうか?

サーラ まず、弱体化という点についてですが、私は弱体化とは考えていません。EUは拡大と深化を同時に進めてきました。深化に関しては、もともと1990年代から複数のスピードやゾーンを設定し、それぞれを区別するという議論があり、そうした方が良いのではないかという意見がありました。例えば、シェンゲン協定にはイギリスが参加していませんし、ユーロにはデンマークやスウェーデンが参加していません。そのような個別事情があっても、デンマークやスウェーデンがユーロに加盟しなくても、他の国々が良いというのであれば、それは弱体化ではなく柔軟化です。深化と拡大を同時に進めようと思ったら、それしかないと思います。

しかも、ご存知のようにEUは全会一致制を採用しており、何か法律を制定するには全員の賛成が必要です。その中で、比較的うまくやってきているのではないでしょうか。そして、来年からはブルガリアがユーロ圏に加わる予定です。ですから、EUは相変わらずある意味で成功例ではないかと感じています。もちろん住沢さんがおっしゃることもありますが、一方的にEUが危機に瀕しているとは感じていませんし、ヨーロッパでもそのような見方は一般的ではありません。

いつも日本にいて日本の新聞を読んでいると、そのような雰囲気があるかもしれません。1990年代以来、EUの一員が一つの条約(マーストリヒト条約、リスボン条約等)を批准しないと、もうEUは終わりだ、というような報道をよく目にします。しかし、今は2025年です。日本はEUが終わりだと決めつけているような印象を受けますが、EUでは複数のスピードや例外を許容し、柔軟に対応しているので、今後も成功できると思います。

ただ、各国でナショナリズムとポピュリズムが広がっていることは懸念されます。各国でナショナリズムとポピュリズムが強まると、EUの根幹が危うくなる可能性もあります。現在、ハンガリーや多少はポーランドでは脱EUのような考え方がありますが、ハンガリーは小さい国なので、EUから多額の資金を受け取っており、オルバンはそれを自分の友人に配っているから政権が安定しているのです。ですから、EUから離脱することはできません。離脱したら、オルバン政権は終わります。

ただドイツやフランスでそのようなことが起きると事態は深刻になります。例えば、フランスではルペンが大統領になる危険性が常にあります。彼女が大統領になったらどうなるかわかりません。イタリアには、やや右翼的な首相が登場しましたが、イタリアもEUからの資金に依存しているので、EUから離脱することはできません。そのメローニ首相の政治思想はEUと合致しないかもしれませんが、現実的にはEUから離脱できませんし、かなりロシアを批判する右派政治家でもあります。これは珍しいことです。普通の右派は親ロシアですが、メローニさんは反ロシアなので、イタリアはそういう政権になっても、特にEUが危うくなっているということはありません。

住沢 日本の視点からいえば、1990年代のドイツ統一を契機にECがEUに発展・拡大され、ユーロが導入される中で、ドル圏と並ぶユーロ圏として、EUはグローバルな意味で政治的にも経済圏としても、アメリカに並ぶような別の極を形成するのではないかという大きな期待感がありました。また中国の一帯一路戦略と対応して、ユーラーシア大陸勃興論もありました。しかし、プーチンのロシアは「敵」となり、習近平の中国との関係は難しく、現在EUは地域プレイヤーになってしまい、グローバルな影響力は1990年代や21世紀初頭に比べて低下したのではないでしょうか。その点について、どうお考えですか?

サーラ グローバルな視点から、例えば中国やアメリカと比較すると、EUは衰退しているわけではありませんが、深化は少し停滞していると感じます。例えば、EUはいつか連合ではなく、一つの合衆国になるのではないかという予測が政治学の世界にはありましたが、ナショナリズムが台頭している現在、そのような段階に進むのは難しいでしょう。そのため、EU内部での政治決定プロセスもますます難しくなってきており、まとまらないところがあります。特に、対外的にはEUが単一の声を発することができず、積極的な政策を実行できていません。そういう意味では、グローバルなプレイヤーとは言えません。

ただ、それは中国が強くなってきたという背景もあります。中国は強力な中央集権国家です。EUはそのような中央集権ではないため、中国に対抗できません。明日、EUと中国の対話が行われる予定ですが、本来はヨーロッパで開催されるはずだったのに、中国はEUのフォン・デア・ライエン委員長らが北京に来るように要求しました。ある意味で、中国の言いなりになっています。

アメリカも強力な一国中心主義的な政策を実行していますが、それに対してEUがまとまって何かできるかどうかは、これから見極める必要があります。ドイツもEUも日本と同じように関税について交渉しており、日本は良いディールを得られるだろうと石破さんが発表しました。EUも同じように良いディールを得られれば、フォン・デア・ライエン委員長は続投できるかもしれませんが、そうでなければEUの政治状況は厳しくなるでしょう。

4.イスラエルのガザ侵攻に対するEU諸国・ドイツの立場と変化

住沢 EUとイスラエルの関係についてお伺いします。イスラエルのガザ攻撃に対して、フランス、イギリス、ドイツをはじめとするEU諸国は基本的にイスラエルを支援していますが、とりわけドイツは、メルケルが著書の中で、イスラエルの存在はドイツ連邦共和国の「国是」であると述べています。メルツも、イスラエルの防衛はドイツの問題だと発言しており、戦後ドイツとイスラエルを強く結びつけています。しかし、イスラエルはハマスへの攻撃をパレスチナの人々への攻撃にまで拡大させ、自国の生存権を超える作戦を実行しています。その矛盾をドイツではどのように考えているのでしょうか?

サーラ ご存知のように、ドイツの歴史、特にホロコーストの遺産が背景にあります。ドイツはホロコーストで600万人のユダヤ人を殺害し、その結果、1948年にイスラエルという国が建国されました。その後、1949年に西ドイツと東ドイツが建国された際、西はイスラエルを支援することを表明しました。それは今でも変わっていません。

もうひとつの背景は、反ユダヤ主義です。ドイツでは、反ユダヤ主義は今でも消えていません。反ユダヤ主義を隠蔽する方法として、イスラエルを批判するという手段が用いられることがあります。これは、現在のガザ紛争とは関係なく、昔からイスラエルを批判する人を調べると、右翼的な人物であることが多いのです。これはドイツの現実です。そのため、今回のような行き過ぎた戦争に対しても、ドイツはイスラエルを公然と批判することができませんでした。

しかし、ここ数日間で変化が見られています。まず、イギリスはいくつかの国と共同でイスラエルを批判する声明を発表しました。一部の政治家や国民、NGO、知識人の中には、イスラエルを批判する人がいますが、ドイツ政府としてはそれはできませんでした。しかし、昨日、ドイツでもその件について動きがあり、社会民主党でもイスラエルを批判すべきではないかという議論が出てきました。政権全体としてはまだ動いていませんが、政権に参加している政党の一つとしてそのような意見が表明されたことは、ドイツの状況が変化してきていることを示唆しています。

5.メルツCDU・クリングバイルSPD連立政権は維持できるか

住沢 それでは、次の質問に移ります。ショルツ政権が問われた今年の2月の選挙では、メルツのCDU/CSUは28.6%、SPDは16.4%と最低の得票率でした。メルツ、クリングバイルの「大連合」も、第2党となった右翼ポピュリスト政党AfD、そして躍進した左翼党という左右の批判勢力に挟まれ、わずかな多数派でしかありません。

先ずSPDの退潮からお聞きしたいのですが、シュレーダー政権時のアジェンダ2010以後の党分裂(左派の離脱)から回復できていないと思います。しかしそれ以上に、ジグマール・ガブリエル党首(2009~2017)以後は、世界の社民政党に対して党の顔となるレベルのリーダーの欠如が目立ちます。党首のクリングバイルは副首相兼財務大臣として、もう一人の女性党首バス(前連邦議会議長)は労働・社会大臣として入閣しています。二人とも連邦議会内での活躍はありますが、メルツ政権の下でどこまでSPDの独自性を示せるか未知数です。まだ党幹事長に就任した若きクリュッセンドルフのほうが党の未来を示しているような気がしますが。

サーラ クリングバイル氏は党の理事会で選出されましたが、通常は90%以上の得票率で選ばれるのに対し、彼の得票率は64,9%でした。これは、社会民主党内でクリングバイル氏に対する不信感が高まっていることを示しています。それは、今の石破さんと同じで、前回の選挙で16%という低い得票率に終わったのは、彼の責任ではないかというメッセージです。すぐに辞任しろとは誰も言っていませんが、次の選挙で社会民主党の議席数と得票率が大幅に向上しなければ、難しいでしょう。

SPDは実は多くの国民にとって良い政策を実行しているのですが、それが伝わっていないのは人気のなさの主な理由ではないでしょうか。例えば、日本でも議論されている最低賃金ですが、ドイツでは比較的最近まで、導入されていませんでした。社会民主党以外は、最低賃金に関心を持っていませんでした。結局、社会民主党の提唱で、ついに2015年に導入したのです。当時は8.5ユーロでしたが、現在は12.82ユーロまで上がっています。今回の連立政権は15ユーロまで引き上げることを約束しています。CDUも反対できないでしょう。

日本と同じように、賃金が上がらないとインフレもあって経済が回らなくなるからです。企業は文句を言うかもしれませんが、結局、企業も良い給料を払わないと、自社の製品を買ってくれません。日本も同じでしょう。日本の経済が回らないのは、みんなお金がないからです。消費が伸び悩んでいるのです。

ですから、ドイツは最低賃金が15ユーロに引き上げられることは良いことだと思いますが、それによって数百万人の有権者が社会民主党に戻ってくるかどうかは、メディア戦略やコミュニケーションの問題であり、それがうまくできるかどうかは難しい問題です。

6.ドイツと日本における右翼ポピュリズム政党の台頭と相違

住沢 右翼ポピュリスト政党AfDが躍進した背景ですが、とりわけ旧東独地域の選挙区では、AfDがほとんど勝利を独占する結果となりました。旧東独州ではAfDは、すでに社会に基盤を形成しているという指摘もあます。当初、旧西ドイツから右翼政党の活動家たちが東ドイツに行き、様々な地域の経済団体や社会団体に入り込み、人脈を築いていったというわけです。

日本の場合、これまでポピュリズムの対象となるような層は、支持政党なしや投票に行かない人が多かったのですが、今回、躍進した参政党は地域組織を作り、ほとんどの小選挙区で候補者を擁立し、自民党候補や既成野党と争う構図を作り出しています。

フランスやイタリアと異なり、ドイツも日本も、こうしたいくつかの右翼ポピュリスト政党が政権に就く可能性は現段階ではありませんが、むしろ伝統的な保守政党、ドイツではCDU・CSU、日本では自民党が、こうしたポピュリスト政党の例えば難民問題、外国人問題への排外主義的な政策に引き付けられるリスクが指摘されています。

サーラ その点について日本とドイツは似ていると思います。自民党も今回の選挙で、外国人問題を扱うチームを作ると発表しました。これは参政党に刺激されて、何らか対策を講じなければならないと考えたのでしょう。メルツ氏も政権につく前に、選挙の直前にAfDに近づくような行動をとりました。そのようなこともあり、首相としての最初の投票で敗北し、2回目の投票が必要になったのだと思います。メルツ氏のやり方を良く思わない議員もかなりいるでしょう。CDUでも。

AfDは東ドイツが中心だと言われていますが、最近の選挙では比例の得票数では西の方が多かったです。なぜならば人口が多いからです。東ドイツの人口を全部合わせても、西のノルトライン=ヴェストファーレンの一州に及びません。あるドイツの政治学者は、東ドイツの比例票がゼロだとしても、現在のAfDの議席数はそれほど変わらないと言っています。もはやAfDは東ドイツの現象とは言えません。(編集者注:ただ旧東独の小選挙区ではほとんどAfDが勝利している)

住沢 分かりました。その関連で右翼ポピュリズムの台頭に関して、日本とドイツの共通点と相違点を簡単にお聞かせください。

サーラ これまで、そして今もそうですが、日本ではポピュリズム的な政党が次々と現れても、あまり大きく成長していません。今回、テレビなどで参政党について騒がれていますが、参議院で15議席を獲得しても、決定的な影響力を持つには至りません。決定的な影響力を持つかどうかは、次の衆議院選挙で議席を大幅に増やせるかどうかにかかっています。

しかし、ドイツではAfDが現在152議席、21%の議席を占めています。第一野党として、様々な委員会の委員長を務めたり、法律の整備を妨害したりすることができるため、連邦議会での法律の制定が混乱しているようです。ドイツの議員と話すと、会議の雰囲気も右からの圧力を感じ、普通に議論できない状況になっているそうです。日本はまだそこまで至っていないので、15人の参政党議員が誕生しても、大きく変わることはないでしょう。

ただ、現象としては、日本もドイツと似てきているところもあります。参政党が地域で根強く活動している点は、ドイツと似ています。また、支持の由来も似ています。参政党もAfDも、外国人増加という問題を主なテーマにしていますが、ドイツの場合は難民であり、日本の場合は観光客です。観光客を減らしたいのであれば、安倍晋三政権時に導入された観光政策を見直す必要があります。観光客は偶然日本に来ているのではなく、JTBが世界中で宣伝して、日本に来るように働きかけているからです。最終目的は6千万人で、これからまだまだ増える政策です。なので、普段、皆さんが外国人に出会うのは、観光客が多いはずですが、ポピュリズム政党のデマはそういう区別はしません。結局は、排外主義的なデマで社会分断をもたらす可能性があります。

日本に定住している外国人の数も増えていますが、1億2500万人の国で300万人の外国人が暮らしていても、東京以外は普段はほとんど関係ないでしょう。一方、観光客は3000万人、4000万人もいるので、その影響は非常に大きいのです。要するに、外国人を減らしたいのであれば、まず観光客を減らすべきだと思います。

7.20世紀の歴史を刻印するドイツ基本法と日本国憲法の21世紀の意義

住沢 あと2つだけ、大きな問題について質問させてください。現在、トランプやプーチンによって国際秩序が大きく揺さぶられています。プーチンが侵害している国連憲章や、トランプが攻撃している数多くの国際的な協力機構や法治制度、これらの理念や制度のもとにドイツの基本法や日本国憲法が生まれ、またドイツも日本も、こうした20世紀後半の国際的な協調システムの制度化に貢献してきました。この意味では、ドイツの基本法も、日本国憲法も、20世紀の戦争と独裁の悲惨さから生まれた、文明史的遺産ともいえるのではないでしょうか。

権力を制限する立憲主義や、国際的な平和を求める国連憲章の理念が、人類にとって普遍的なものであるとすれば、ドイツの基本法と日本国憲法を、この21世紀の混乱する現在に生かす方法はあるのでしょうか。

サーラ それは難しい質問ですね。おっしゃる通り、ドイツも日本も敗戦国として、その教訓を生かして、日本は平和国家、ドイツは反独裁・反人種差別国家を作ろうとしてきました。そして、それぞれが良い役割を果たし、今でも果たしていると思います。しかし、それが生き残れる国際環境なのかどうかは、危うくなってきています。

国際協調を重視しないアメリカや、強硬な姿勢を崩さない中国に、日本とドイツはどう対応していくのか、場合によっては、対峙していくのか。なかなか難しい問題です。ドイツと日本が理念を大切にして外交を行うのは、今の時代では難しくなってきており、軍拡を求める声も上がっています。

ただ、ドイツの場合、EUというバッファがあります。EUでは、各国の主権をEUに委譲しています。特に貿易や通貨において。しかし、東アジアにはそのような組織がないため、日本は心配です。アメリカに対する信頼が揺らいでおり、アメリカとの関係が悪化すれば、日本は孤立してしまいます。ですから、日本は近隣諸国との協力関係を改善していくことが重要です。韓国はともかく、中国ともっと交渉したり、仲良くしたりするべきだと思います。その方が、日本が生き残れる環境になると思います。

住沢 その意味で、行動を共にする唯一の共通点はG7です。G7の運命は、もう燃え尽きているのでしょうか?あまり将来性はないのでしょうか?

サーラ アメリカがそこから離脱してしまえば、G7に意味があるのかどうか分かりません。先日開催されたG7サミットでも、何らかの声明は出されましたが、本当に協力するのかどうかは疑わしいですね。

住沢 そうですか。分かりました。それでは、最後にもう一つ質問させてください。GDPの5%を防衛費に充てるというトランプの要求ですが、ドイツではロシアの脅威があるため、現実問題として何が必要なのかという議論が出てきており、財政的にも特別会計で4000億ユーロを10年間で支出することを決定しています。しかし、日本の場合、何をすべきなのか、誰が負担するのかが曖昧です。ドイツ社会民主党は、この点についてどのように対応していくのでしょうか?また、SPDのピストリウス国防大臣が徴兵制を導入すると言い出したら、どのように対応するのでしょうか?

サーラ 徴兵制の議論は多少ありますが、盛り上がっていません。どちらかというと、軍事予算が議論されています。GDPの5%を防衛費に充当できるのかどうか。ドイツはここ10数年間、財政規律を守ってきたので、お金を出す力がないわけではありません。しかし、日本は多額の債務を抱えているため、難しいでしょう。

ただ、SPDの中にも少数派ですが、軍拡だけで平和を守れるのかと疑問を抱いています。軍事予算を増やしても、平和と安定が実現するとは限りません。むしろ軍拡スパイラルになる可能性があります。逆に、外交も重要です。特に東アジアはまだ戦争になっていないので、外交を重視すべきではないでしょうか。

ドイツの場合、ショルツ首相が2022年に「時代の転換」を唱え、多額の資金を軍隊に投資すると言いましたが、3年経ってもプーチン大統領は戦争をやめていません。いくらお金を投入しても、プーチン大統領は降伏しないのです。実はEU全体がすでにロシアの何倍もの軍事予算を持っています。西ヨーロッパは軍事費にお金を使っていないわけではありません。問題は、組織・政策等が統一されていないことです。これは、先ほど住沢さんがEUに対して抱いた疑念につながります。EUは深化すべきなのですが、外交・防衛政策の面ではなかなか深化は進んでいません。ヨーロッパが統一された軍隊や軍事予算、軍事組織、軍事作戦を構築することが、お金の問題ではなく、話し合いの問題であり、これからEUの最も重要な課題になるのではないでしょうか。

住沢 どうもありがとうございました。

サーラ・スヴェン(Sven SAALER)

1968年ドイツ生まれ。1999年ボン大学文学部博士号取得(日本研究、歴史学、政治学)。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授、上智大学国際教養学部准教授を経て、2016年より上智大学国際教養学部教授(日本近現代史)。2008年よりフリードリヒ・エーベルト財団の東京代表、主な著編書には、Politics, Memory and Public Opinion(『政治・記憶・世論』)(2005)、Pan-Asianism in Modern Japanese History(『近代日本史における汎アジア主義』)(2007)、A New Modern History of East Asia (『新しい東アジア近代史』)(2018) などがある。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

特集/いよいよ日本も多極化か

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