特集 ● いよいよ日本も多極化か

現代日本イデオロギー批判 ―

単なるリセットは破壊しかもたらさない

戦後80年、何を忘れてはならないか

神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠

「長い戦後」は簡単には終わらない

今から25年前の2001年、アメリカ合州国の日本近現代史研究者9人が集まって、それぞれの戦後日本史像を提示した『歴史としての戦後日本史』上下(アンドルー・ゴードン編・中村政則監訳)という本が刊行された。英語の初版は、1993年に刊行されているから、1990年代の研究成果ということになる。つまり、戦後の冷戦体制が終わり、世界が新しい歴史段階に入っていった時期にまとめられたものである。その本の著者たちの間で、日本の戦後が「長い」という認識が共有されていたように見えた。

戦後という時代感覚は、せいぜい1950年代までと考えるのが一般的な米国社会から見ると、日本社会に広く浸透している「戦後」という時代認識は、新しい時代状況に対応できない特殊に「長い」認識のように感じられたのかもしれない。敗戦国という立場が、より深く、より長く「反省」を要求されるということもあるだろう。そして何よりも、高度成長期に分厚く形成された中流階級が「生活保守主義者」になり、「『戦後』というのは、それを捨て去ると、システム全体が問いかけにさらされることになる、魔除けのお札だった」(キャロル・グラック「現在のなかの過去」前掲書所収)というように、「敗戦」から始まった「新しい時代」は「解放」と「豊かさ」の始まりとして長く続くことが期待されたということもあった。また、この「戦後」は、国際関係としては冷戦体制の中でアメリカ合州国の「庇護」の下に安全を保障され、アジアに対する侵略者としての過去に直面することを避けることができたという側面も持っていた。

戦後という時代認識の持続性が、グラックがいうように、戦後復興から高度経済成長へ生活条件の順調な改善がもたらした「生活保守主義」によっているところが大きいとすれば、経済成長の鈍化と冷戦終結という国際関係の変化によって時代認識が決定的に変わるはずであった。グラックは、次のように書いている。「戦争と『戦後』を経験した者たちが長きにわたって保持してきた支配的な地位を、生まれた時期こそオイル・ショックだったものの、昭和時代全体は『遠い、遠い昔』だと受けとめる子どもたちに、ついに明け渡すときに、劇的な世代交代が起きるのだった。『長い戦後』が終わり、ポスト戦後の記憶をみんなでつくり出すという作業がついにはじまったのだ」と。

しかし、グラックの予測ははずれたように見える。たしかに、生物学的必然としての世代交代は起こった。「戦後最高」とか「戦後はじめて」というような慣用句もめったに耳にしなくなった。しかし、時代認識としての「戦後」は依然として根強く残り続けた。年中行事化しているのではないかと批判を受けながらも、毎年八月になると、テレビでは戦争にかかわるドキュメンタリーやドラマが放送され、新聞紙上では体験やその伝承を掘り起こした記事が掲載される。日本が直接戦闘に参加する、あるいは巻き込まれるようなことはなかったにしても、世界中で絶え間なく発生した局地的戦争は、日本国内でも世界大戦の記憶を呼び覚ましてきた。それだけの社会的感受性が維持されてきたといってもよいかもしれない。

さらに、政治の世界では、村山富市内閣総理大臣が戦後五十年にあたって閣議決定に基いて「戦後談話」を発表し、その後も十年ごとの節目の年に時の総理大臣の名で発表されてきた。戦後レジームからの脱却を唱えた安倍晋三も、戦後七十年談話を発表した。安倍の談話は、村山談話を一部踏襲しているように見せかけながら、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という言葉に示されているように、戦後をめぐる問題に事実上の終止符をうつ狙いがあった。しかし、その狙いは、戦後八十年の今日にいたるまで実現したとは言えないことは後に述べるとおりである。

それはともかく、「戦後」は、現在でも、元号よりも時代を認識する枠組みとして日本社会に定着しているといってよいであろう。実際、昭和も、平成も、令和も歴史を担う言葉としての力はない。明治維新後に成人した評論家が、「天保生まれの老人よ、去れ」と世代交代を叫んだり、明治生まれの俳人が「明治は遠くなりにけり」と慨嘆したようには、時代の変化を象徴する言葉にはなりえていない。「戦後」という時代認識は、天保や明治のように完全な過去になり切れていないといってもよいかもしれない。

「日本は終わった」か ?

ただ、そうはいっても時代認識を変えるような変化が起こっていないわけではない。七月に行われた参議院議員選挙でのキャンペーンの傾向と選挙結果に示された新しい右派政党の「躍進」という事態は、戦後という時代認識を変えさせる可能性を示すに十分であった。

「戦後」という時代認識は、反戦平和と民主主義という概念と親和性の高い認識枠組みであった。戦後は、悲惨な残酷な死の恐怖に満ちた戦争の終わりであり、圧制・抑圧からの解放でもあったからである。保守・右翼からすれば、戦後は敗北の処理の時間であり、できれば無かったことにしたい、あるいはできるだけ短時間に終了しなければならない時間であった。保守論客からは、絶え間なく「最早戦後ではない」「今更戦後でもあるまい」という発言が繰り返されてきた。

今回の参議院選挙で争点になったのは、物価対策、消費税・財政問題、世代間格差、少子高齢化対策など、生活直結型の政策論が中心であったが、それに関連する形で外国人・移民問題が取り上げられ、選挙の後半には主要な論点であるかのような雰囲気が出来上がってきた。この外国人・移民問題は、新興の保守・右派政党によって、外国人や移民が優遇されている、犯罪の増加による社会秩序破壊の危機が生まれている、土地・資源が買い占められているなどの虚偽あるいは真偽不明の情報に基づく主張が声高に主張されるという形で、主要にネット上で広がっていった。

この外国人・移民問題は、直接時代認識に関係しているわけではないが、このキャンペーンが「日本は終わる」とか「もはや日本はオワコン」という煽情的な主張と結びつけられると、まったく別の意味を帯びてくる。反戦平和・民主主義・人間の普遍的権利としての人権の尊重という、戦後という時代に社会の基底にある価値として共通に認識されてきたものが否定される、あるいは脇に追いやられる事態が現実味を帯びてくるのである。

「日本が終わった」とか「日本の没落」というような言説は、今に始まったことではない。最初はバブル経済崩壊後、なかなか経済成長が回復しない状態を「失われた十年」といわれたことから始まった、その後、景気回復の時期もあったが、経済の停滞感は払しょくできず、「失われた二十年」になり、「三十年」になった。この間、日本の人口構成は高齢化が進み、出生率は低下する一方で回復不能なほどの人口減が現実となり、財政赤字は世界最高水準、GDPは中国に抜かれ、ドイツにも抜かれ、まもなくインドにも抜かれるといわれ、不安定雇用は拡大し、賃金は上がらず、税金・社会保険料は増加し、デフレが収まったかと思えば物価の上昇に苦しめられる、たしかに庶民の目から見ればまさに「失われた三十年」というべき深刻な事態が続いている。

こうして、「失われた三十年」という言葉が、保守・リベラルの別なく発せられることになったが、その背後で、別の事態も動いていた。企業の内部留保は2000年約200兆円から2024年の約600兆円、対外純資産は2024年に533兆円、米国債保有額は1兆0598億ドル、そして純金融資産1億円以上の富裕層は2005年86万5000世帯総資産額213兆円から2023年165万3000世帯469兆円。手元にある統計数値で、必ずしも正確ではないが、「失われた」といわれる時期に、いろいろなものを獲得した者が、少なからずいたということは明らかであろう。

「日本は終わった」という言説は、この「失われた三十年」の別バージョンであり、より表現を過激化させたものである。実際、指摘されている日本の問題点はほとんど同じであるが、とくに「終わった」論は、外国との比較や国際的地位の低下などを強調している点が目立つ。ようするに、経済的な問題に傾斜している「失われた」論に対して、日本という経済を超えた大きな概念を危機にあると提示することによって、よりナショナルな感情を刺激する言説に変化しているのである。さらに、日本が危ないという意識は、外国人犯罪が増加している、健康保険制度や生活保護制度は不正に利用されている、外国人留学生は日本人より優遇されている、土地もマンションも外国人に買い占められ日本人が追い出されているなどなど、根拠はないがいかにもありそうな日常生活が脅かされているという身近で具体的な問題と結び合わされ、心理的に危機状況として感じやすいように情報が操作される。そこに米国大統領トランプまがいに「日本人ファースト」というスローガンがかぶせられる。日本が危ないという意識が、具体的イメージをともなって浸透していく。その不安感が、極端なナショナリズム勢力へと導く通路を切り開く。

しかし、振り返ってみると「日本は終わった」「日本は危機的状況下にある」というような言説があふれたのは、最近に限ったことではなかった。思い出してみると、1990年代の後半に「日本は本当にダメか」という文章を書いていた(拙著『終わりなき戦後を問う』所収)。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われていた時代が終わり、バブル崩壊後なかなか経済が回復しない状況の中で、「日本はダメだ」「このままでは、日本は滅びる」「日本をダメにしたのは誰か」というような言説がマスコミをにぎわした状況を批判的に評論した文章である。

そこでは、「若手」論客福田和也、「老」論客江藤淳、異色の作家野坂昭如を取り上げている。かれらは、一様に日本の現状に厳しい言葉を投げつけていた。「『暴力』と戦わず、『名』より『命』を惜しみ、『気分』の海を漂いつづける醜悪な日本人」(福田)、「改めて『国の栄辱』と『独立自尊』を問う」(江藤)、「昭和二〇年八月一五日、日本人は思考を停止した。『平和』と『民主主義』の結末を問う」(野坂)という具合である。

彼らがそうした激しい言葉で問うたことは、日本人の倫理・思想の問題であった。日本人は戦後を主体的に生きたか、という問題であった。主体的に生きるという場合の具体的方向は、福田・江藤と野坂とでは正反対だとしても、この三人には、主体的であることの重要性を自覚しているという意味では共通するものがあった。

しかし、エコノミストや政治家・評論家を中心としてインターネット上で繰り広げられている現在の日本ダメ論には、そういう倫理・思想レベルの問題意識はほとんど見受けられない。ダメなのは経済であり、構造改革の不十分さであり、技術革新の遅れである。スタートアップ、ベンチャー、イノベーション、規制緩和、IT、AIなどの言葉が並べられ、生産性・コストパフォーマンス、効率そして利益などの向上・増加が求められ、それにこたえられない老化した日本社会が攻撃のやり玉にあげられる。そして、社会秩序に危険をもたらすのは外国人・移民であるから、かれらを排除するか、厳しく自分たちのルールに従うように強制して安全を確保する。即物的といえばあまりにも即物的な日本ダメ論である。

こういう日本ダメ論が横行する状況では、戦後八十年を「日本人」としてどう主体的に総括するかという思想的・倫理的問題などは頭から問題にならない。戦争と戦後史についてどんなに無知をさらけ出しても何ら恥ずることもなく、効率だけを問題にする頭からは「核武装が最も安上がりで、最も安全を強化する策の一つ」などという発言が飛び出しても不思議ではない。まるで、「日本がダメになる」という言葉は、「長い戦後」という時代認識を消し去るためのリセットボタンの役割を果たしているかのように見える。

世界の中の「長い戦後」

以上「長い戦後」は、日本特有の問題であるという前提で論じてきたが、最近の世界情勢を見てみると、「戦後」はまだ完全に過去のものになったとは言えないような事態が起こっている。ロシアでは、プーチン大統領が五月九日に対独戦勝記念日を大々的に祝い、ロシアによるナチスドイツに対する勝利を最大限に称賛すると同時に、対ウクライナ戦争を対ナチス戦争になぞらえ、正当化する演説を行った。つまり、対ナチス戦争を引証基準として歴史の中から蘇らせ、自らの軍事行動の正しさを国内外にアピールしようとしているのである。

また、トランプ米国大統領は、五月八日を「第二次大戦戦勝記念日」とする大統領令に署名し、ヨーロッパ戦線での勝利を「世界史上、自由を擁護する勢力にとって最も英雄的な勝利の一つ」だとし、この日を記念することによって「米国と世界全体の安全と安定、繁栄、自由を守る誓いを新たにする」ものだと宣言した。しかし、本音は「勝利はほぼ我々のお陰で達成された。我々はあの戦争に参加し、勝利した。80年前、敵を打ち破ったのはアメリカの戦車・艦船・トラック・航空機、そして軍人だ。アメリカなくして解放はなかった」とアメリカの貢献を誇り、ヨーロッパに「恩を売る」ところにあった。いうまでもなく、これはトランプの仕掛けた関税戦争を意識しての発言であった。

さらに日本に対しては、直接、同様の発言は見られなかったが、イラン核施設への無法な直接攻撃を広島・長崎への原爆投下になぞらえ、戦争終結に貢献したという戦後アメリカの自己正当化の誤った論理を繰り返した。これも安全保障日本ただ乗り論と連動した発言で、関税をめぐる日米交渉に有利な立場を確保しようという意図が透けて見える。

中国では、習近平政権が、九月三日に大規模な「中国人民抗日戦争勝利・世界反ファシズム戦争勝利80周年記念式典」を挙行する予定だという。そこでは、米国大統領トランプ、ロシア連邦大統領プーチンを招待するとされる。それが実現すれば、米中ロ3カ国首脳がともに対日戦争勝利を祝う歴史的な行事になるとされる。

ようするにこれら三国は、それぞれの国内事情や対外政策に必要とあれば、いつでも、第二次世界大戦の勝者である立場を強調し、敗者の側に敗者であることを思い出させる行動をとる可能性があるということである。敗者の側が、国内で敗戦の事実を忘れ、もはや戦後ではないといったところで、その論理は国際社会ではまったく通用しない。

たとえば、まだトランプ大統領と蜜月関係にあったイーロン・マスクが、今年2月ドイツの極右政党AFDの選挙集会に「過去の罪悪感に過剰に焦点を当てすぎている」「子どもたちには親の罪、ましてや曾祖父母の罪について罪悪感を抱くべきではない」というメッセージを送ったという。しかし、このマスクの見解は、トランプ政権の公式の見解でもなければ、アメリカ社会の多数派の意見でもない。トランプ政権は、反ユダヤ主義を許さないという名目のもとに、リベラルな大学とイスラエル軍事行動に抗議する学生への弾圧・攻撃を繰り返している。国際的にも批判されているネタニヤフ政権を依然として支持し続けている。ドイツがパレスチナ国家の承認問題についてもフランスやイギリスのような自由な行動がとれないでいるのも、トランプ政権への配慮と国内における非ナチ化という戦後に確立してきた原則との関連によるものであろう。その意味では、世界においても「戦後」は、けっして終わってはいないのである。

戦後80年、忘れてはならないこと

世界史的問題として戦後という時代認識を検討する場合、現在、起こっていることの最大の問題は、戦後、戦争への反省を踏まえて作られてきた国際機関、国際法的原則、国際的に共有されてきた価値観等が危機にさらされているということである。そしてその危機を作り出しているのが、戦後国際社会の秩序・原則を形成するのに中心的役割を果たしてきた戦勝国とくに上に論じてきた3カ国であるという現実である。気に入らない国際機関からは脱退する、負担金が不公平だと言って拠出金を停止する、最大の国際機関=国際連合安全保障理事会では拒否権を行使して機能不全に陥らせる、自国に不利だとする環境問題のような国際枠組みからは一方的に離脱する、自国が訴追される恐れのある国際刑事裁判所には加盟しない、対テロ戦争の名目で他国の主権を無視して軍事行動を起こす、国内法の問題だとして世界人権宣言や国際人権規約を無視する等々、三カ国それぞれが、そのすべてに関与しているわけではないが、少なくともそのいくつかには主要な役割を担っている。

それらの問題についてすべて論じることはできないが、国際的人権保障について特に触れておきたい。というのは、それは1941年1月米国大統領フランクリン・ルーズベルトの一般教書演説で提唱した「四つの自由」――言論・表現の自由、信教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由――に発するもので、第二次大戦中、連合国側の実現すべき目標とされ、戦後世界人権宣言・国際人権規約に結実したものだからである。敗戦国は、ここで提示された、国籍を超えた普遍的人権という原則を受け入れることによって国家としての存続が認められたといってもよい。敗戦国たる日本やドイツは、戦後この原則を実質的に受け入れるべく努力をしてきた。両国憲法における人権規定が人類史上まれなほどの広範な権利を規定しているのは、そういう由来による。

今回の参議院選挙で躍進したとされる新興右派政党は、その憲法草案=新日本憲法(構想案)を発表したが、驚くべきことにそこには具体的な人権規定がない。戦後のなんたるかについての無知のゆえにもはや戦後は死語だと思っているのであろうが、「戦後」を忘却のかなたに送り込みたいばかりに、戦後もっとも忘れてはならない大事な原理を捨て去ってしまうとすれば、それほど残念なことはない。

「四つの自由」を提唱した米国の現在の大統領は、その不法移民対策として不法な人権蹂躙を繰り返して、一向に恥ずる気配もない。「戦後」という時代認識を自分の利益のためだけに自由に操ろうとして、つまり、いつでも好きな時にリセットボタンを押せばいいという傲慢は後世に破壊しかもたらさない。「長い戦後」を過ごしてきた者こそ、その傲慢のまねをするのではなく、それに正面から向き合い、問題をつきつけることが求められているのではなかろうか。

きつかわ・としただ

1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任。現在名誉教授。本誌前編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。

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