特集 ● 社会の底が抜けるのか

日本共産党からの批判に反論する

事実にもとづかない議論をしているのはどちらか

中央大学法学部教授 中北 浩爾

はじめに

私は2015年の安保法制反対運動とその後の野党共闘の進展を受けて日本共産党への関心を高め、結党100周年にあたる2022年に『日本共産党―「革命」を夢見た100年』(中公新書)を出版した(注1)。それ以来、新聞やテレビなど各種のメディアから、共産党についての論評を求められるようになり、①党員数や機関紙購読者数の減少にみられる党勢の後退、②国会や地方議会での議席の減少、③「市民と野党の共闘」の行き詰まり、という三つの困難に共産党が直面しており、抜本的な自己改革が不可欠であると主張してきた(注2)

そうしたなか、2024年2月21日付の『しんぶん赤旗』は、谷本諭氏(日本共産党理論委員会事務局長)の執筆による「日本共産党を論ずるなら事実にもとづく議論を―中北浩爾氏の批判にこたえる」(以下、谷本論文)を掲載した(注3)。その後、3月3日付の『しんぶん赤旗 日曜版』にも転載された。まず執筆の労をとってくださった谷本氏に感謝申し上げる。

ネット上で、すでに多くの人々が谷本論文に様々な批判を加えているが、私は次の二点について高く評価していることを予め書いておきたい。

一つは、谷本論文がタイトルで「事実にもとづく議論を」と説き、事実を物差しとして議論を行うという前提を示していることである。これは私との重要な一致点であり、有益な論争を期待できる。仮に日本共産党が「理論的な基礎」とする「科学的社会主義」を議論の土俵として設定した場合、その時点で対話可能性が失われていた。

もう一つは、正面から私に議論を挑んでいる点である。志位和夫議長は、上記の拙著を「学術書の体裁をとった攻撃」と決めつける一方(注4)、攻撃とは「根拠のない批判」であると定義した(注5)。400を超える注が付いている拙著のどこに根拠がないのか、『週刊東洋経済』(2023年5月27日号)のコラムを借りて質問したところ、志位氏は記者会見で「名指ししていないのでコメントしない」という趣旨の発言を行って、議論を避けた(注6)。それに比べると、正々堂々としている。

ところが、谷本論文は、拙著ではなく『東京新聞』Web版2024年2月11日のインタビュー記事(注7)を批判の対象とした。新聞などの論評は字数が限られていて、根拠を十分に示すことはできないし、記者がまとめた原稿に短時間で修正を加えるだけであるから、意を尽くすこともできない。事実にもとづくことを求めるなら、なぜ正々堂々と拙著を批判の対象としないのか。理解に苦しむところである。

そうした内容以前の問題をはらむ谷本論文ではあるが、以下、正面から反論を加える。それを通じて、谷本論文こそが事実にもとづく議論を行っておらず、随所で論理の矛盾を来たしていることが明らかになるはずだ。私の発言の引用は、上記の『東京新聞』Web版のインタビュー記事からであり、引用中などの太字は、私がそうしたものである。

なお、私は『週刊東洋経済』(2024年3月9日号)のコラムと「しんぶん赤旗」編集局への書簡によって、谷本論文に対する同一分量の反論文を『しんぶん赤旗』などに掲載するよう求めた。『サンケイ新聞』(現『産経新聞』)1973年12月2日付朝刊が、自民党による共産党批判の意見広告を掲載したのに対して、共産党は反論文の無料掲載を求めて裁判を起こしたことがある。

それにもかかわらず、『しんぶん赤旗』が一般紙とは異なり「多大な影響力」と「公共性」を持たないという自虐的な理由をもって、私の要求は拒否された(注8)。しかし、かつて赤旗編集局長の小木曽陽司氏は、「新聞であることと党の機関紙であることは両立しうるのか」という『朝日新聞』の記者の質問に対して、「両立しうるし、実際に両立している」と答えていたはずだ(注9)

こうした経緯を経て、『現代の理論』デジタルのご厚意で、長めの反論文を公表させていただく。

1.日米安保条約の容認について

谷本論文は、私が「安保容認の党になれ」と主張しているかのように書く。しかし、これこそ事実にもとづかない批判である。私は、「野党連合政権を目指すなら、日米安保の容認など大胆な政策の柔軟化が必要だ」と論じる一方で、「日米安保条約の廃棄など急進左派の立場を続け、外から政権を批判する」という選択肢にも言及している。共産党が野党連合政権を作りたいのであれば、「安保容認」が必要だといっているのであって、そうでなければ、安保廃棄でも問題はないというのが、一貫した主張である。正確に読んで欲しい。

谷本論文は「わが党が日米安保条約の廃棄の立場をとる」と書くだけで、志位議長が野党連合政権では自衛隊とともに日米安保条約を活用するという方針を打ち出し、同条約の第5条に基づき在日米軍に出動を要請する可能性に言及したことに(注10)、全く触れていない。立憲民主党などが安保・自衛隊を肯定しているという状況の下、志位氏と私は野党連合政権では安保・自衛隊を容認するしかないという点で一致しているが、この重要な事実を隠している。谷本氏は私を批判するのであれば、志位氏も批判すべきである。

もちろん、両者には違いもある。志位氏は野党連合政権の下でも共産党としては安保廃棄・自衛隊解消を主張するという立場をとっているが、私はそれに否定的であり、リアリティがないと考えていることだ。この点については拙著のなかで詳しく論じ、主に二つの理由を示した。

一つは、党と政府の使い分けが容易ではないという理由である。共産党として安保廃棄を主張するのであれば、国会で「思いやり予算」(在日米軍駐留経費負担)を含む防衛費に反対しなければ筋が通らないが、それでは予算が否決されかねず、政府も倒れかねない。また、尖閣有事などの際、野党連合政権がアメリカ軍に出動要請を行い、米兵に血を流すことを求ながら、共産党自体は国民世論に向けて安保廃棄のキャンペーンを張る、という矛盾した状態に陥ってしまう。自衛隊に関していえば、自らが支える野党連合政権が憲法違反であるはずの自衛隊を活用した場合、立憲主義に反するという批判を招く。

もう一つは、日本を取り巻く安全保障環境は静態的ではないという理由である。共産党は1998年の不破哲三委員長の整理に基づき(注11)、野党連合政権では日米安保条約や自衛隊について「留保」ないし「凍結」、つまり現状維持を認めつつも「現状からの改悪はやらない」という方針をとっているが、それでは中国の軍拡や新たな防衛装備品の開発などに対応できない。2015年に共産党が提案した国民連合政府は、文字通りの暫定政権であったが、その後の野党連合政権は長期にわたって存続することが想定されている以上、この点は明確にする必要がある。

谷本論文は、私が安保容認を唱えて日米安保条約の問題点を無視しているかのごとく主張する。しかし、翁長雄志前知事や玉城デニー知事をはじめ「オール沖縄」の保守系がそうであるように、安保容認を前提としつつも、在日米軍基地の縮小や日米地位協定の見直しを主張することはできる。

また、谷本論文は、「軍事同盟強化に代わる構想」として東南アジア諸国連合(ASEAN)に注目するが、そのメンバーのフィリピンがアメリカと米比相互防衛条約を結んでいるといった事実を無視する。この事実に示されるように、軍事同盟を必要悪として維持しながら、地域協力の枠組みを通じて緊張緩和を推進することは必ずしも不可能ではない。

例えば、西側の北大西洋条約機構(NATO)と東側のワルシャワ条約機構(WTO)が存在するなか、1973年から全欧安全保障協力会議(CSCE)が東西ヨーロッパ諸国と米加の35ヵ国が参加して開かれ、75年に武力の不行使や経済文化協力の拡大などを含むヘルシンキ最終議定書が採択された。同議定書が人権や人道の普遍的な重要性を明記し、その理解が東欧諸国で広まったことが、冷戦終結の一つの背景になったといわれる(注12)

確かに、容認よりも廃棄の立場をとったほうが、日米安保条約の問題点を鋭く批判することができる。繰り返しになるが、野党連合政権を目指さないのであれば、安保廃棄でも問題はないというのが私の主張である。

共産党は2020年の第28回大会の決議で、党創立100周年の22年までに野党連合政権を樹立する目標を定めた(注13)。それが失敗に終わったのに、党指導部は責任をとらなかったばかりか、失敗の原因について事実にもとづく十分な総括を行わなかった。深い考察を欠く谷本論文を読むと、そのツケが回ってきているのではないかと思わざるを得ない。

2.民主集中制の組織原則について

民主集中制について、谷本論文は混乱している。党規約で定める民主集中制の5つの基本に関して「近代政党ならしごく当たり前のこと」と述べる一方で、「わが党独自のもの」と断言し、矛盾を露呈している。

それでいながら谷本論文は、ドイツ左翼党が「党の規約から民主集中制を削除し、派閥を認めたことが、いくつもの派閥をつくることにつながり、その主導権争いがメディアで報道され、深刻な困難に陥っている」と書く。しかし、そもそも左翼党は民主集中制を採用した事実がない。前身の一つの民主的社会主義党(PDS)が、東ドイツの体制政党であった社会主義統一党(SED)から転換する段階で、すでに民主集中制を廃止して党内多元主義を保障し、様々な党内グループの存在を積極的に認めた。そのPDSと西ドイツの社会民主党左派の流れを引くWASGが合流して左翼党が成立したのであるから、民主集中制を採用するはずがない(注14)

谷本氏は、ドイツ左翼党がSEDから民主集中制を継承すべきであったと主張したいのであろうか。現在の日本共産党の綱領は、「ソ連とそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国で一九八九~九一年に起こった支配体制の崩壊は、社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった」と述べる。理論委員会の事務局長が、ソ連を後ろ盾に東ドイツの民衆を抑圧したSEDを高く評価するかのような文章を機関紙に掲載することは綱領上、許されるのであろうか。

谷本論文は、分派の禁止を伴う民主集中制がソ連(ロシア)共産党およびそれが指導したコミンテルン(共産主義インターナショナル)由来であることに一切触れず、「どこかの外国から持ち込まれたものではない」と強調する。拙著に書いた通り(注15)、私も日本共産党が歴史的経験から民主集中制の内実を一定程度、手直ししてきたことは認めるが、「わが党独自のもの」と断言するのは明らかに誤りである。日本共産党独自のものであれば、ドイツ左翼党のくだりで民主集中制という言葉が出てくるはずがないではないか。

そもそも日本共産党は、コミンテルンの日本支部として1922年に結成された。そのコミンテルンは、「加入のための21カ条の条件」で「民主主義的中央集権制の原則にしたがって組織されなければならない」(ここの太字は原文では傍点)と明記していた。だからこそ、日本共産党の前年に結成された兄弟党の中国共産党も、民主集中制の組織原則を保持している。これらは厳然たる歴史の事実である。

民主集中制について私が特に問題にしたいのは、その組織原則に従って行われている現実の党運営である。谷本論文は、民主集中制の5つの基本を「近代政党ならしごく当たり前のこと」という。だが、共産党は、松竹・鈴木両氏が本の出版の時期を相談しただけで、党規約第3条の「党内に派閥・分派はつくらない」という規定に基づいて分派活動と認定し、除名した(注16)。そのようなことは今日、日本の他の政党では「当たり前」には行われていない。それとも、そのような非常に厳しい処分を党員に行わない政党は、前近代的というのであろうか。

谷本論文は、「民主集中制がパワハラの温床」であるという私の主張を批判する。ところが、共産党の千葉県中部地区常任委員などを務め、衆院選や千葉市長選の候補者にもなったことがある元党員の大野隆氏は、党勤務員(専従)時代にハラスメントを受けながら、適切な対応を党が行わなかったこと、それが「上意下達かつ、厳しい上下関係の存在」という党運営の本質に根差していることなどをブログで詳細に明らかにしている。大野氏も書いているように、埼玉県草加市や大阪府富田林市など各地の党組織でハラスメントが明らかになり、二次被害が起きるような事態になっている(注17)。こうした不都合な事実から目を背けているのは、私ではなく谷本氏のほうではないか。

党大会直前の1月11日、6名の党員と1名の元党員が匿名で記者会見を開き、松竹氏らの除名撤回などを求めたが、そのうち一人の女性は党内でハラスメントが横行していると訴え、「被害者を泣き寝入りさせることが常態化している」などと語った(注18)。党大会後の2月15日にも11名の党員・元党員が匿名で記者会見を開き、田村委員長の「結語」でのパワハラを批判した(注19)。党規約第5条の「党の内部の問題は、党内で解決する」という規定によって処分されないため、一般の党員が匿名で記者会見を行って告発せざるを得ないという、他党には見られない異常な事態を生み出している。

谷本論文こそ、以上のような事実にもとづく議論をすることなく、民主集中制を擁護している。「異論を唱える党員を『支配勢力に屈服した』と糾弾する」という私の批判を「全くの事実誤認である」と断言するのであれば、上記の党員・元党員の告発をどのように説明するのか聞いてみたいものである。

現在、党員もSNSを通じて自ら発信し、党内外を問わず意見を戦わせ、繋がることができる時代である。「党内に派閥・分派はつくらない」「党の内部の問題は、党内で解決する」といった党規約を厳格に適用することは難しい。実際、SNS上には党員の匿名アカウントによる党指導部批判が溢れている。党指導部はそれを抑え込むのに躍起のようだが、やはり民主集中制とその下での党運営を見直し、一定の多元性を承認した上で党内民主主義を強め、党外にも開かれた組織に変えていくことが必要ではないか。

3.田村委員長によるパワハラについて

2024年1月15日から18日に開かれた第29回党大会の「結語」で、現在の委員長の田村智子氏が大山奈々子・神奈川県議に対して行ったパワハラについて、谷本論文は「発言者の人格を否定したり傷つけたりするハラスメントでは決してない」という。しかし、田村氏は「発言者の姿勢に根本的な問題がある」「あまりにも党員としての主体性を欠き、誠実さを欠く発言だ」「まったく節度を欠いた乱暴な発言」などと述べており(注20)、事実にもとづけば、人格攻撃というしかない。しかも、多数の代議員が出席するなか、副委員長かつ委員長就任予定者という巨大な権力を持つ立場からの発言である。口調も厳しく、谷本論文がいうような「発言内容」にしぼった「冷静な批判」とは到底いえない。

パワハラという指摘は、決して私だけが行っているわけではない。地方議員など党内からも同様の声が上がっており、産経新聞ばかりか、共同通信も報じている(注21)。こうしたなかで、もし共産党が事実をもってパワハラではないということを証明したいのであれば、完全に独立した第三者委員会を設置して徹底的に調査し、報告書を作成すべきである。例えば、性加害問題が発覚したジャニーズ事務所、過重労働やパワハラが指摘された宝塚歌劇団、不正な保険金請求が明るみに出たビッグモーター社についても、そうした方法での対処がなされた。「結語」が中央委員会総会で策定されたものである以上、党指導部は加害を疑われる当事者である。一方的に党指導部の主張を繰り返すだけの谷本論文は、全く説得力に欠けるといわざるを得ない。

谷本論文は、「中北氏は、わが党が「異論を唱える党員を『支配勢力に屈服した』と糾弾する」……などと批判しているが、全くの事実誤認である」と、私を声高に非難する。しかし、この論文は同時に「除名された元党員の問題の政治的本質が、「安保容認・自衛隊合憲に政策を変えよ」「民主集中制を放棄せよ」という支配勢力の攻撃への屈伏にある」と書き、結局、私が指摘したように、松竹伸幸・鈴木元両氏を「支配勢力に屈服した」と糾弾している。完全に矛盾しているではないか。

谷本論文は、松竹・鈴木両氏の除名について、「除名された党員は、「異論を唱えた」からでなく、規約のルールにのっとって党内でそれを表明することをせず、党外から党を攻撃したことが問題とされた」と述べる。ところが、大山氏の党大会での発言に関しては、「除名された元党員の問題の政治的本質が、「安保容認・自衛隊合憲に政策を変えよ」「民主集中制を放棄せよ」という支配勢力の攻撃への屈服にあるということへの無理解」に基づいていたという理由から、「結語で厳しい批判を行うことは、あまりにも当然」と主張する。やはり党指導部は、松竹氏らが「自衛隊合憲」などの「異論を唱えた」ことを問題視し、大山氏がそれを理解していないことを批判したのであり、松竹氏らが「異論を唱えた」から除名されたわけではないという記述と、矛盾を来たしている。

大山氏は党大会で「異論を唱えたから除名したのではないと繰り返しわが党の見解が報じられていますが、そのあとには松竹氏の論の中身が熱心に展開されますので、やはり「異論だから排除された」と思わせてしまう」と述べているが(注22)、谷本論文によって、この大山氏の発言の正しさが裏付けられた。つまり、「結語」での大山氏に対する批判が、人格攻撃を含むパワハラであったという疑いだけでなく、批判の理由についても不当なものであることが明らかになったといえる。

谷本論文は、共産党のあるべき姿として「誤りや不十分さがあれば、率直な自己・相互批判によってそれを克服し、互いに成長していく」と述べる。党指導部は、これを自ら率先して実践に移すべきである。党規約第16条でいう「上級の党機関」の高みから、一方的に党員を批判してはならない。

おわりに

これまで論じてきたように、谷本論文は事実にもとづかないだけでなく、多くの箇所で論理的な矛盾を来たしている。谷本論文は末尾で「“ゆがんだ「鋳型」にあてはめてすべてを裁断する”といった批判」を行っていると私を非難するが、私が書いた文章を正確に読み込まず、“鋳型”にあてはめて解釈し、批判を加えているのは、谷本氏のほうだといわざるを得ない。

山下芳生副委員長は2月20日、YouTubeの党公式チャンネルで党勢拡大に向けた「緊急の訴え」を発表し、そのなかで翌日の機関紙に「党大会後の日本共産党批判にこたえる個人論文が掲載される予定」であるとアナウンスし、「重要な論文なので是非、学習・討議し、力にしていただきたい」と訴えた(注23)。このような経緯を経て谷本論文が発表された以上、少なくとも山下氏ら党三役の一部は目を通していたはずである。

私は田村氏の委員長就任について『朝日新聞』にコメントを寄せ、「不破氏の引退も加わり、党の理論的水準の低下に拍車がかかりかねない」と述べた(注24)。図らずも、共産党の理論水準がすでに低下しているという事実が、新たに設置された理論委員会(責任者は田中悠副委員長)の初仕事である谷本論文およびその発表の経緯によって、裏付けられた。宮本顕治氏や不破氏ら、かつての党幹部が執筆した重厚な論文を数多く読んできた者としては、残念としかいいようがない。

最後に注目したいのは、谷本氏が私のインタビュー記事のなかでも触れていない箇所があることだ。

一つは、党勢衰退に関する部分であり、「今年1月の党大会に向けて党員数と「赤旗」の購読者数を3割増しにする目標を掲げたが、現状維持もできなかった。なのに科学的な総括はなされず、精神論で増やせと号令するだけだ」という指摘である。

もう一つは、共産党で自己改革が進まない理由について、「自由で公正な党首選挙を行わず、前任者が後任者を推薦して承認する方法では自己改革が難しい。最高幹部の最高齢は90歳代で、組織論は党勢が拡大した1960〜70年代のままだ」、「一般にはなかなか見えないが、実態は代々木(党本部)の専従活動家からなる官僚制が支配しており、その上に立つ党指導部は硬直的だ」と述べた部分である。

谷本氏がこれらの箇所に言及しないのは、事実であり、否定できないからであろう。私は、党員数と機関紙購読者数の減少に示される党勢の後退を食い止めるためには、民主集中制の見直しや党員参加の党首選挙の実施など抜本的な自己改革が不可欠だと考えている。実際、党大会後も党勢の後退が止まらず、「130%の党づくり」の実現は遠のくばかりだ(注25)。その結果、「日刊紙、日曜版の発行の危機が現実のものになりつつあるのが率直な現状です」「日刊紙、日曜版の大きな後退を許せば、中央機構の維持も、地方党組織の財政もさらに困難をまします」などと訴えざる得なくなっている(注26)。これこそ、党指導部が直視すべき最も重要な事実ではないか。

谷本氏による事実にもとづく再反論も期待するが、私が強く求めるのは、拙著を「学術書の体裁をとった攻撃」と決めつける一方、攻撃とは「根拠のない批判」であると定義した志位議長に、拙著のどこに根拠がないのか、自ら筆をとって明らかにしていただきたい、ということである。「根拠のない批判」という言葉は、私に研究者として失格であると述べたに等しい。拙著を書くにあたって、志位氏は多忙ななかでインタビューに応じてくださった。そのことには今でも大変感謝しているが、100年を超える歴史を刻む日本共産党の議長として、正々堂々たる対応を望みたい。

 

【注】

注1 中北浩爾『日本共産党』中公新書、2022年。

注2 最もまとまったものとして、中北浩爾「自己改革で日本政治のゲーム・チェンジャーに」(有田芳生ほか『希望の共産党』あけび書房、2023年)。

注3 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-02-21/2024022104_01_0.html

注4 『しんぶん赤旗 日曜版』2022年10月23日

注5 2023年4月27日の志位氏の記者会見。党幹部の記者会見の動画はYoutubeの党公式チャンネル(@jcpmovie)で視聴できる。

注6 2023年5月25日の志位氏の記者会見。

注7 https://www.tokyo-np.co.jp/article/308682

注8 『しんぶん赤旗』2024年3月12日。

注9 『朝日新聞』デジタル2020年11月28日

注10 志位氏の外国特派員協会での講演(『しんぶん赤旗』2015年10月17日)

注11 『しんぶん赤旗』1998年8月25日

注12 青野利彦『冷戦史(下)』中公新書、2023年、53-54、118ページ。

注13 「第一決議(政治任務)」(『前衛』2020年4月臨時増刊)139ページ。

注14 大笹みどり「1989年東独革命についての一考察」(大阪大学『国際公共政策研究』第3巻第2号、1999年)、星乃治彦『台頭するドイツ左翼』かもがわ出版、2014年、第1部第2章、第2部第4章、木戸衛一『変容するドイツ政治社会と左翼党』耕文社、2015年、第3-5章。

注15 以下の日本共産党および国際共産主義運動の歴史については、拙著『日本共産党』に詳しい。

注16 日本共産党京都南地区委員会常任委員会・京都府委員会常任委員会「松竹伸幸氏の除名処分について」2023年2月6日(『しんぶん赤旗』2023年2月7日)日本共産党京都府委員会常任委員会「鈴木元氏の除名処分について」2023年3月16日

注17 大野たかし「日本共産党大会におけるパワハラについて」

注18 『産経新聞』電子版2024年1月11日

注19 『産経新聞』電子版2024年2月15日

注20 『しんぶん赤旗』2024年1月20日

注21 『産経新聞』電子版2024年1月19日『共同通信47NEWS』2024年1月21日

注22 『しんぶん赤旗』2024年1月18日。

注23 https://www.youtube.com/watch?v=a-g_1wa-y28

注24 『朝日新聞』2024年1月19日

注25 大会・幹部会決定推進本部「幹部会決定にたちかえり3月こそ『三つの課題』をやりきる月に」(『しんぶん赤旗』2024年3月2日)。

注26 大幡基夫・岩井鐡也「3月大幅後退の危険。日刊・日曜版の発行守るため大奮闘を心から訴えます」(『しんぶん赤旗』2024年3月19日)。

なかきた・こうじ

三重県生まれ、大分県育ち。1991年、東京大学法学部卒業。1995年、東京大学大学院法学政治学研究科中途退学。博士(法学)。大阪市立大学助教授、立教大学教授、ハーバード大学客員研究員、一橋大学教授などを経て、2023年より現職。専門は、日本政治史、現代日本政治論。近著に、『自民党―「一強」の実像』中公新書、2017年、『自公政権とは何か』ちくま新書、2019年、『日本共産党』中公新書、2022年など。

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