コラム/ある視角
最高速度45km/h以下のリズム
ドイツ文学研究者が読む最新ホロコースト研究
ドイツ文学研究者 大山 浩太
『ショア』におけるリズムについてのひとりごと
今回編集部からの依頼をいただき、ドイツ文学研究者の視点からホロコーストに関する新しい研究書を拝読する機会を得ました。
まず、山下尚一著『ショア あるいは破滅のリズム 現代思想の視角 エポック1・2』(ナカニシヤ出版、2023、以下『ショア』)を一読し、ナチズムに関心があるわたしにとっても大変勉強になる内容に驚きました。フランス哲学を専門とする著者独自の問題意識に基づいた詳細な考察はもちろんですが、とても分かりやすい表現を用いた語り口には感服しました。大学での講義ノートをもとにまとめられた内容であることから、おそらく講義を受講した学生以外のわたしたち一般読者にも、よく伝わる内容になっています。またテーマごとに区切られた各章(毎回の講義)の最後には、「まとめ」のコーナーが設けられおり、ポイント5項目を挙げることで内容理解の手助けをしてくれるあたりに、著者の読者(受講者)に対する思いやりが感じられます。
『ショア』は計26章(エポック1と2)から成り立っていますが、全体を通じて「リズム」という概念を念頭に話を進めています。「ショアはリズムである」(エポック1-10ページ)と仮説を示した上で、その特徴として以下の2点を提示しています。つまり「私たちを巻き込んでいくもの」、「私たちはそのリズムに巻き込まれながらも、それでも私たち自身でそのリズムをつくり上げていく」(エポック1-11ページ)ものとしてのリズム。戦争やユダヤ人の虐殺と現在の日本で生活する私たちとは決して無関係ではなく、「私たちはいつの間にか巻き込まれ、いつの間にかやらかしてしまう」(エポック1-12ページ)と具体例を挙げながら著者は警鐘を鳴らしています。無意識のうちに虐殺や犯罪、いじめを可能にする社会を各個人が許してしまっている、これは現在にも大いに通じることだと思います。
ゆっくりと、しかし確実に進行した貨車
突然ですが、わたしは鉄道に乗ってどこかへ行くのが大好きです。車両には詳しくないけれど、乗って、車窓を眺めて、できればお酒も楽しむ、それがわたしには至福の時なのです。
今回私が特に興味を持ったのが、無意識のうちにホロコーストに加担していた存在として度々言及されている(4章、18章)「鉄道(員)」のことです。日本の我々の生活とも深く関わっている鉄道ですが、日本においてそのネガティブな歴史を想起することはそう容易ではなく、せいぜい戦時中の軍事物資の輸送に使用されていたことぐらいでしょうか。
『ショア』のなかで著者は、鉄道はホロコーストにとって非常に重要な役割であったことを指摘し(エポック1-62ページ)、ユダヤ人の絶滅作戦を可能にするためには、ナチスとドイツ国鉄(当時はドイツ国営鉄道Deutsche Reichsbahn、以下「ライヒスバーン」と表記)とが協力しなければならなかったと述べています(エポック2-93ページ)。「ドイツの線路はすべてアウシュヴィッツに通じていた」と言っても過言ではないほど、ホロコーストにおける鉄道の存在は極めて大きいもの、いや「鉄道がなければホロコーストはあり得なかった」とさえわたしは思っています。ライヒスバーンがおこなった「死への移送(Deportation)」については多少知っていることがありますから、少し補足させていただきます。
1941年10月18日、ベルリンからリッツマンシュタット(旧ポーランド領・ウッジ)への列車がドイツに残っていたユダヤ人の東方への最初の組織的移送とされています。「死への移送」の実態は資料の大半が戦後廃棄処分になったとされるため、絶滅収容所に運ばれたユダヤ人の人数の正確な把握が困難なのですが、列車運行数のピークは1942年でした。
「死への移送」に使用された列車は移送者数1000人を基準に編成され、戦争初期には「偽装」目的で三等客車が利用されることもあったようですが(『ショア』エポック1-88ページも普通の客車が使用されたという証言が紹介されています)、次第に貨車が常時使用されるようになります。1回の移送人数も1942年~43年には2000人以上になることもあり、長大な車両編成になることもありました。一度に大量の人間を、時間通りに運ぶという鉄道の強みを最大限利用した訳です。また生還者の多くが「家畜車」で運ばれたと記憶しているようですが、これは実感であり『ショア』に登場するユダヤ人の「貨車の中に、家畜のように積み込まれていた…」(エポック1-89ページ)という証言からもその環境が劣悪だったことが分かります。
組織のなかでの使命
では他方で「死への移送」に加担した人々、つまり鉄道員の実態はどうだったのでしょうか。移送のための列車の運行はすべてライヒスバーンの職員によって行われました。ダイヤグラムの作成(『ショア』第18章では当時ダイヤグラムの作成にあたっていた鉄道員の証言が紹介されています)、機関士、車掌、駅員といったあらゆる業務も彼らによって担われました。さらに脱走を試みてSS(ナチス親衛隊)によって射殺されたユダヤ人の遺体処理もライヒスバーン職員の仕事でしたし、絶滅収容所にも多くの鉄道員が勤務していました。つまり彼らはユダヤ人がどのような目にあっているかを見ていたし、絶滅収容所内でこれから何が起こるか、彼らはよくわかっていたとわたしは思います(『ショア』の第4章ではポーランド人駅員の目撃証言が引用されています)。
その一例として、ポーランド系ユダヤ人で後に演出家になったミヒャエル・デーゲンを挙げておきましょう。彼はナチスの手を逃れて潜伏中に、ある年配の機関士にかくまわれました。その機関士は酔ったとき、「死への移送」に携わったことをミヒャエルに語り、激しい罪の意識を暴露したそうです。またアウシュヴィッツ駅では働いていた鉄道員が、小さな子どもを腕にだいた女性に瓶の水を持って車両に歩み寄ったところ、SSに「すぐ車両から離れなければ、お前を撃ち殺す」と言われたエピソードも残っています。
しかしこれらは稀なケースであり、鉄道員のなかから業務命令を拒否した者や、非人間的な扱いを非難するものはほとんどいませんでした。ユダヤ人移送に際して、ドイツの鉄道員たちは、見えるものを見えないかのようにふるまうか、あるいは「なんとなく知っていたかも知れないが知ろうとはしなかった」(『ショア』エポック2-97ページ)ことに終始したのでしょう。彼らの多くはユダヤ人の運命に対し無関心であり、それは自身の職務への責任感によるものだったと思います。彼らにとっての関心事は、「命令に従って列車を時間通りに運行すること」でした。
折り返しの準備(むすびに代えて)
こうした無意識のうちに国民全体が絶滅に向けて、知らないうちに動き出すことこそ、最終解決のおそろしいことだと著者は指摘しています(『ショア』エポック1-205ページ)。さらにナチスの官僚は上からの命令に従うだけで、自分で考えていない。「自分で考える、思考する」というのは、その命令がいったいどういうものなのかを「立ち止まって」考えてみることだと著者は続けます。『ショア』ではリズムという概念がポイントになっていますが、「自分との対話によってまわりのリズムに流されないようにすること」が思考することで、リズムの語源は「停止すること」や「運動を制限すること」だということです(『ショア』17ページ)。リズムについは『ショア』の至る所で詳細に考察されていますが、わたしが最も印象に残ったリズムの説明がこれでした。
ホロコーストに関わる国民の責任とは何だったのか。政治的思想というレベルではなく、日常暮らしのなかで国民が問われるべき責任とは何だったのか。ナチスは言語を絶するような虐殺と恐怖を実現してしまいました。しかし重要なのは多くの国民が「革命」の主人公として、自発性を発揮したことでしょう。それは自分のためだけではなく、同胞たちのためにも発揮されました。このような現実を考慮するならば、「ホロコーストがヒトラーの責任だけに帰せられるものではない」という問題と向き合う必要があるわけで、それは日本の過去と現在とも深く関わってくる問題なのではないでしょうか。
参考文献:
鴋澤歩『ナチスと鉄道: 共和国の崩壊から独ソ戦、敗亡まで (NHK出版新書 663)』NHK出版、2021
おおやま・こうた
1981年東京都生まれ。ドイツ近・現代文化専攻、大学非常勤講師。酒と音楽と旅が好きです。
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