連載●池明観日記─第20回

韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート

池 明観 (チ・ミョンクヮン)

≫選挙を終えて≪

選挙の結果は朴槿恵(パククネ)の勝利だという。陸英修(ユクヨンス、朴正煕夫人)が亡くなって38年、朴正煕が亡くなって33年、積もり積もった執念の勝利であるといいたい。敗北した文在寅(ムンジェイン)のまだ日の浅い政治人生とは異なるとでもいおうか。アメリカのオバマの場合は黒人の数世紀に及ぶ恨(ハン)が積もり積もって現れたものである。このような大統領たちがその恨をどのように晴らそうとするだろうかと考える。恨の政治とでもいおうか。朴槿恵の場合は個人的なものであり、オバマの場合は種族的なものであり、人類的なものであるといえるかもしれない。キリスト教信仰のあるなしはそこには関係しないだろうか。人間的なものと哲学的なものとがかかわってくるのではないか。恨の政治の時代、韓国の政治的未来に対して注目したいと思う。

朴槿恵一家の悲劇というのは実際、韓国の現代史に溢れているものといえるかもしれない。日本の植民地時代、終戦後は北の共産党政治と南における政治的抵抗そして朝鮮戦争から朴正煕の統治まで自分と異なるものは追放し殺戮するという歴史が続いた。彼女の恨はこのように朝鮮半島に満ちる恨に比べればどういうことがいえるであろうか。ただ単なる個人的な怨念のレベルを超えることはできないであろう。

このような韓国の政治における恨ともいうべきものを超えて新しい時代を追求することができなければと思うのだが、彼女は朴正煕の怨念を超えることはできないであろう。韓国初めての女性大統領という新しい歴史である。韓国人の意識の中にある男尊女卑という因習を超えることができるであろうか。彼女の父親朴正煕の暴政が積み残した怨みから人々を解放してくれることができるであろうか。彼女に課せられた課題は多い。

朴正煕の継承といえばその反動の歴史を受けついでそれを終結させることにならねばなるまい。それを超えて国民統合へと進む歴史にならなければならないのではなかろうか。少なくとも選挙過程においては朴槿恵が朴正煕をかつぎ出せば、文在寅は盧武鉉をかつぎ出すという反動的な選挙戦を抜け出すことができなかった。そのような過ぎ去った権力はかつぎ出さなくても当然彼らを支持するはずではなかったか。

しかし、反対勢力または中立と見える勢力をいかに引き込んで国民統合を目ざすかという選挙戦略は見られなかった。かつての政治権力の亜流に終わるのではなく、それを超えて新しい指導力を見せてくれるような姿勢は見られなかった。何よりも文在寅には朴槿恵を朴正煕との関係におい反動的勢力に押しやると共に自分を新しい時代の総合的、国民的指導者として押し出すという戦略を取るのではなく盧武鉉の亜流として分裂した国民のもう一方を代表するものとして打ち出したではないか。彼も今日国民が求める指導力ではなかったのだ。

朴槿恵は朴正煕の死が暴政に対する代価として訪れてきた民族的な審きであったことを彼女は認識しているのであろうか。彼女の恨は彼女個人の家庭における悲劇であるといえよう。彼女の恨の政治というべきものがこれからどのように具体化されるのか。彼女の恨においては父親に代わって贖罪するというモメンタムが作用しなければならないのにとわたしは考える。

この国民が彼女を選択したのはこの国の政党が提供するみすぼらしい人物の中でそれこそ「レサー・イーヴル」(lesser  evil)、もの足りない二人の中でより少なくもの足りないと思える人を選抜したことに過ぎないのではなかろうかと私は思っている。今日の民主的政党政治というていたらくの現状の中で仕方なくそのような選択をせざるをえなかったということではないか。これに対してラスキが『アメリカ・デモクラシー』で引用したポリビウスの格言をここに上げてみたい。韓国の場合は過ぎ去った軍事政権を記憶していない若い大衆の登場があり、またいわゆる軍事政権後に民主的政治を掲げて登場してきた政治勢力の度重なる失政に対する怒りがあったといわねばなるまい。

「あらゆる国家の大衆は、不安定であり、不法な欲望をいだき、非合法な怒りにもえ、激しい情熱にあふれているものだ」。

革命を成し遂げた世代が執権してから犯した数々の誤ちのためにすべての革命は失敗した革命であるとまでいわれてきたではないか。この国民にもそのような歴史が恨という影を落としているのに、今度は彼女の個人の恨から来た政治が初の女性大統領を生み出したのであるが、彼女は改革的で国民的といえる真の民主主義へと進むことができるであろうか。われわれは彼女の政治に対して初めから抵抗するよりは慎重な姿勢で見守りながら良き協力であればいつでもこれに応じるという姿勢を示さねばなるまい。私も彼女にはほとんど本能的な嫌悪を感じるのであるが、自制しなければならないと思っている。彼女の勝利を韓国政治の異変であるという思いから私は抜け切れないでいる。そういう気持ちを克服することはそう簡単ではあるまい。彼女がわれわれが勝ち取った民主主義は失われることなく前進するであろうと約束してもである。

朴槿恵は女性の恨は5、6月にも霜を降らせるという韓国の諺の如く厳しい日々を超えて、彼女自身の恨は晴らしたといえるかもしれないが、湖南地方の犠牲者たちが胸に積もった恨には火をつけたということは否認することができないであろう。その恨がもっと広がって行くだろうと思われるのだが、どのような対策があるのであろうか。オバマがアメリカの平和の象徴であるとすれば、朴槿恵は韓国の一層深き分裂の象徴になったと歴史に記録されることを私は恐れている。それを乗り越える偉大な時代が生まれることを望むのだが、何よりも朴槿恵がそのような人物たりうるであろうか。彼女のまわりにそのようなことを勧め推進して行くことのできる勢力が存在しうるであろうか。

ただ再び不幸な時代が訪れることがないようにと祈るだけである。私は彼女が個人的な恨を晴らすために出馬しないほうがいいと思っていた。韓国にはまた試練の時代がやってきたと思われてならない。一女性の30年に余る、それこそ日本の植民地時代に比べられる長い歳月の間秘められていた個人的な恨は晴らしたといえるかもしれないが。

一人の女性の長い長い恨とその執念に、いままで積み上げられてきた韓国の民主主義は敗北してしまった。これはあまりにも厳然たる事実であるといわねばなるまい。この歴史をどのように解いていくことができるであろうか。今まで民主化勢力に抑えられがちであった既得権益にとらわれているといわれた集団が再結集することを恐れねばなるまい。民主主義による国民統合の時代はまだ遥かであるというのであろうか。しかし革命史的に見れば反動の勢力とはそのように出没しながら歴史から忘れられて行くものではなかろうか。

フランス革命は1789年以来いかに長い間彷徨したことであろうか。1世紀以上ではなかったか。民主主義から専制、独裁、戦争などへと彷徨を重ねたというべきであろうか。韓国の場合は民主主義という秩序の上で人のみが変わったといおうか。近代以前われわれもほんとうに長いさすらいの道、試行錯誤の道を歩んできた。植民地統治の時代もあり独裁の道にも回帰しなければならなかった。解放と南北分断をして4・19それに軍部統治など、ほんとうにフランス革命に比較されるさすらいの道ではなかったか。このように韓国の民主主義への暗中模索、その悩み多き挫折の道を国民が共感できるように誰かが歴史学的にまたは思想史的に明らかにしなければならないのでないかと、今日も考える。(2012年12月20日)

 

朴景利(パクキョンリ)の『土地』第1巻と第2 巻を読み終えた。続けて読んでいかなければならない。とても散漫な文章で始まったが、第2巻からはフィクションの世界へと集中して行くように見える。韓末(注:朝鮮朝末期、19世紀末から20世紀の初めまで)の暗くて乱れた郷土風景が描かれている。ほんとうに土俗的な臭いがよくにじみでている。何よりもこみいって切れ切れに裂けている対話がすぐれている。そして彼女の文章表現が紡ぎ出す地方の暗くてねちねちした風景画はほんとうにわれわれの郷土色といわねばならないものではないか。李光洙の『土』とは異なる風土色、南道の風景と言えるであろう。

朴槿恵の勝利というのを前にして韓国の現代史を再びつくづくと考えるようになる。誰がこの現代史を生き生きと描き出すことができるだろうか。1945年以降いろいろな外勢によって取り巻かれながら醸し出す風景、これはやはり文学作品の世界にならねばといわねばなるまい。新聞や雑誌など多くの資料をたどりながらこの現代史をなぞりたいという思いだが、後世の文学作品時代がもっと生き生きと伝えてくれるような気がする。1945 年以降は革命と反革命との歴史的渦巻きが続いてきたといわねばならないのではなかろうか。この度の朴槿恵の登場によって再び激浪に包まれるような気がしてならない。安眠は許されないもののようである。この国の歴史、この国の近代史は休息を許してくれない。

朴正煕、全斗煥、盧泰愚、朴槿恵は慶北の線で、李明博は慶北出身であるといっても軍部とは関係がなく傍系である。この保守的反民主主義の線を受けついでこれから朴槿恵はどのような姿を浮き出して見せてくれるのであろうか。しかし今は民主主義路線上における反動といわなければならないと思われる。反動への転換を政治勢力のいろいろな動きによって知りうるのであるが、金大中の側近であった者たちさえ朴槿恵ににじり寄るという乱脈相である。この渦巻きの中で今までの安眠から起き上がらざるをえないと思うのだが、この中で野党の民主党はこれから政治的葛藤をどのようにほどいていくのだろうか。

与党の大統領候補も野党のそれも慶尚道出身だという韓国の政治の縮図はまたどう考えるべきか。朝鮮朝の嶺南政権の伝統の継承というのであろうか。このような慣習が今日まで変わらずに続けられているというのであるか。ソウルと全羅道がはっきりと敗北した側に加担したということはどのように見るべきか。それに加えて海外に居住している人の65パーセントが朴槿恵を拒否したというのも興味のあることではないか。長い封建時代とそれから独裁、そして地域感情という垣根を韓国の政治はいかに受けついでいくか、または克服して行くことかと考えざるをえない。

ある意味ではこのような民主主義勢力と反動的な勢力という対立は、終戦後この民族史を支配してきた二つの流れというべきなのかもしれない。それは1960年の4・19革命後に現れた民主勢力と1961年5・16軍事クーデター以後に現れた反民主主義勢力という二筋の流れといえよう。民主主義勢力は民族的で反地域主義を目ざした勢力として北に対する和解までも包みこもうとしたが、それは組織としてはとても弱く混乱しがちであった。反民主主義勢力とは1961年の5・16 以降慶尚道に基礎を置いた全民族を包み込むいうよりは、出身地域を特権化しようとする勢力であった。そして徹底した反共主義を掲げた。それは終戦直後の状況からすればとても右傾化した道であるといえよう。

彼らは少しずつ特に 1988年の民主化革命からすれば政治的には民主主義を志向しなければならなかった。しかしその内実を見ると、慶尚道中心の地域主義に固まって、その地方を政治権力に対する庇護勢力にすることによって強固な基礎を築いたかなり排他主義的な政治勢力であった。そのためにそれは開放的な全民族を志向する政治勢力にはなりえずに、対北政策においては困難な課題ではあるが、原則的に開放的であろうとしなかった。彼らは常に政治勢力としてその勢力を固めてきた。

今度も私は初めから野党出身の文在寅が対北政策において柔軟性を掲げ、とりわけ盧武鉉政権の延長であるような印象を与えながら、李明博政府に対しては全面的に否定する姿勢を取ることに対してはとても懐疑的であった。盧武鉉政権の失政が民主勢力の敗北に連なったものと考えてきた。何よりも盧武鉉政権のあまりにも自派に片寄った姿勢のためにそれは民主主義的な伝統に背反していたという印象をぬぐい去ることができなかった。これから朴槿恵はどのような道をたどって行くのであろうか。それは大義も倫理もなき偏狭な地域主義を抜け出ることができないだろうという気がしてならない。(2012年12月22日)

ラスキは『アメリカ・デモクラシー』という本のなかで「アメリカの傳統」を論じながら日本に触れながらアメリカに対してつぎのようにいった。「恐らく日本人を除いては、アメリカ人ほど、世評に敏感な国民はいない……」。しかしながらアメリカ人に対してはすぐつぎのような但し書きを加えたのであった。

「日本人のように……神秘のヴェイルで身を包む芸当もできない」。

アメリカ人はおおい隠すことなく率直であるということはよく知られている事実である。アメリカ人は世評に対して敏感でありながらも、日本人と違って自分たちの考えを率直に言い現すということは間違いあるまい。

今日のテレビにはアメリカ人たちがアラブ人に対して抱いている差別意識を率直に語り合う番組があった。日本において韓国人または在日韓国人についてこのように公然と語り合うことは考えられない。そういうことを日本人の友人に語ると、そういうことはふたをして置いておくとなくなることであるのにという反応が戻ってくるであろう。関心がないかのように放って置くとなくなると思っているのであろうか。歴史的に考えると確かにいつかはなくなるであろうが、陰性的になってもっと大きくなることもありうる。日本社会には「くさいものには蓋をする」という諺もあるではないか。しかし、こうして無事を期待していたことが大きくなることをよく経験するのではないか。日韓関係にもそういうことがあったではないか。韓国人も他人の評判に対してだいぶ敏感であるといえるであろう。しかしひとに対して自分の考えとか感情を隠すことなくあらわにするといえるのではなかろうか。何よりも長く心にためてこらえることのできる性格ではないと思う。(2012年12月31日)

池明観さん逝去

本誌に連載中の「池明観日記―終末に向けての政治ノート」の筆者、池明観さんが2022年1月1日、韓国京畿道南楊州市の病院で死去された(97歳)。池さん本当に長い間ご苦労様でした。今はゆっくりとお休みください。

池明観(チ・ミョンクワン)

1924年平安北道定州(現北朝鮮)生まれ。ソウル大学で宗教哲学を専攻。朴正煕政権下で言論面から独裁に抵抗した月刊誌『思想界』編集主幹をつとめた。1972年来日。74年から東京女子大客員教授、その後同大現代文化学部教授をつとめるかたわら、『韓国からの通信』を執筆。93年に韓国に帰国し、翰林大学日本学研究所所長をつとめる。98年から金大中政権の下で韓日文化交流の礎を築く。主要著作『TK生の時代と「いま」―東アジアの平和と共存への道』(一葉社)、『韓国と韓国人―哲学者の歴史文化ノート』(アドニス書房)、『池明観自伝―境界線を超える旅』(岩波書店)、『韓国現代史―1905年から現代まで』『韓国文化史』(いずれも明石書店)、『「韓国からの通信」の時代―「危機の15年」を日韓のジャーナリズムはいかに戦ったか』(影書房)。

 2022年1月1日、死去。

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