コラム/ある視角
2022年前半のヨーロッパ
『艱難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を』(ローマの信徒
への手紙 5章)
龍谷大学教授 松尾 秀哉
2022年2月24日。この時からヨーロッパそして世界は新しい局面に入った、と後世に伝え続けられるだろう。
21世紀に入って間もなくヨーロッパは、リーマン・ショックに端を発するユーロ危機、ギリシャの財政危機が単一通貨(ユーロ)の脆弱性を露呈し、さらに難民問題と多発するテロがシェンゲン協定という国境管理の新しい仕組みに対して疑義を突きつけた。それらに起因するイギリスのEU離脱、そしてそれを後押しした各国のポピュリズム(反ユーロ、反EU)政党の台頭など、この半世紀の統合の歩みを否定する出来事が相次いだ。
筆者の知る限り、「統合」という成果の評価をめぐりEU研究者は多くの議論を余儀なくされた。さらに私たちの評価を根底から見直さざるをえなくなったのがコロナ禍の到来である。EU研究者の岡部みどりは、近著でさらに対中国を中心とした、欧州の外側との経済連携のあり方、そしてそれらに対するドイツやヴィシェラード・グループなどEU加盟国のアプローチの多様化を挙げ、これがEUの「危機」かと問う(岡部みどり編著(2022)『世界変動と脱EU/超EU ポスト・コロナ、米中覇権競争下の国際関係』、日本経済評論社、序章)。
そして、そのさなかの2022年2月24日に起きたのが、ロシアのウクライナ侵攻であった。私たちは衝撃的な映像を通じて、現在ヨーロッパに起きていることを考えなければならなくなった。避難民の方々の受け入れを通じて、この問題が対岸の火事ではないことを感じている人も少なからずいるだろう。果たしてロシアのウクライナ侵攻のみならず、2000年代に入ってからの一連の出来事をどう把握すべきだろうか。もうヨーロッパは以前の福祉、人権、環境を旗印に掲げるあのヨーロッパではなくなりつつあるのか。
換言すれば「地殻変動」が起こりつつあるのか。まだ分析、検証し一定の答えを導き出す時期ではなかろう。ここでは無理を承知で、特に2022年4月以降の各国の動向を整理することに注力し、「地殻変動」の可能性について、私見を述べるにとどめたい。
苦慮するエネルギー供給
ロシアの侵攻に伴い、欧州諸国は対ロシア経済制裁を取ることになった。ただしハンガリーはロシア産天然ガスに多くを依存しているため、禁輸政策に反対し、「ロシア制裁パッケージ(第6弾)」がEUで合意されたのは提案から1か月を要した2022年6月3日のことであった。
私見だが、EUのロシア産ガス依存体質は、ドイツ・メルケル前首相が主導して、天然ガスパイプライン「ノルドストリーム」を建設したことが大きい。ドイツは脱原発政策を進めるためこのエネルギー計画を進めた。しかし、今や対ロシア制裁に同意しつつも、他方で4月12日に早々にエネルギー供給の「緊急計画」レベルを引き上げ供給状況の調査に入り、戦いが長期化するなかで7月4日にはガス供給の減少に「警告」を発した。この小論が発信されているころにはノルドストリームによるガス供給の行方がもう少しはっきりしているであろうが、それ次第でドイツのみならずEU全体のエネルギー政策は大きく左右される。
ドイツについては詳しく別稿で論じられているためここでは割愛するが、対ロシア経済制裁の結果として、EUにおいては、苦慮しながらも脱ロシア産天然ガスの動きが活発になっていることが直近の特徴だろう。それには二つの方向があり、まず4月には早々にスウェーデン、ノルウェーがリトアニアとともにLNG(液化天然ガス)船のリースに乗り出し、同時期ポーランドは長期エネルギー政策を見直し、脱ロシア依存と「エネルギー主権」を打ち出した。また6月15日には(2021年以降なかなか進まなかった)イスラエル、エジプトがEUと東地中海ガス田の天然ガス供給に関する覚書に署名した。
6月2日には、欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長がワルシャワを訪問し、ウクライナ侵攻の影響を被るポーランドの復興レジリエンス計画を承認した。ポーランドをめぐる「法の支配」問題は未だ解決に至っていないが、それでもEUはポーランド支援を打ち出した。ポーランドとの連帯、EUの一体感を世界に示すことをEUは優先した。
他方でエネルギー政策では、風力発電や水素発電の開発協力が各地で見られ、たとえば5月18日に開催された「北海サミット」で、ロシア産化石燃料からの脱却を目的として、洋上風力およびグリーン水素に関する協力協定がドイツ、デンマーク、オランダ、ベルギーの間で結ばれた。ベルギーではアントワープ・ブルージュ港が「クリーンエネルギーのハブ」を謳い、CO2の改修、貯蔵のハブとなることを打ち出した。
また、概して北欧などが積極的に脱ロシア依存への動きを採っている。いわゆる緑の党が各国で勢いを増しているように映る。ロシアがEUの旗頭の一つである「環境」政策を後押ししている(それでは間に合わないと原発再稼働の議論が進んでいるのも事実で、議論が二極化するリスクもある)。
リーダーシップを欠いたヨーロッパ?
2008年のリーマン・ショック以降、ヨーロッパの経済・政治はドイツが中心だった。いやメルケルが中心だったといってもいいだろう。そのメルケルが退陣した後、まもなくロシアの侵攻が起こった。まだ後任のオラフ・ショルツ首相にメルケルほどのカリスマ性は見えない。そのあとを積極的に継ごうとしたフランスのマクロン大統領であったが、侵攻開始後、間もなく大統領選の時機を迎え、勝利を予想されながらも、決選投票では対抗馬であるマリーヌ・ルペン候補に予想(倍近い大差)以上の僅差(1.5倍)に迫られ、支持に陰りがあることを露呈した。
マクロンはそれでもヨーロッパの新しいリーダーたろうとして選挙後、5月にはプーチン大統領との電話交渉を再開し、食糧危機や人道危機に対して、国連常任理事国としての務めを果たすべきと説得した。しかしそこに効果があったとは執筆時点では思われない。国内における支持の低下は物価高などに負うが、その失点を取り戻すための外交でもむしろ失点している。
こうしたなかで対ロシア制裁やウクライナ支援で一貫して先頭に立っていたのがイギリスのボリス・ジョンソン首相であった。ジョンソン政権下でのウクライナへの軍事・経済支援を4月12日、6月17日には「イギリス・ウクライナのインフラサミット」で復興支援、ウクライナ軍への大規模軍事訓練プログラムの着手、さらに対ロシア制裁を4月20日、22日、5月10日と次々と発表した。また、同時期、スウェーデン、フィンランドとの安全保障の協力関係を強化していった。これらが(おそらくプーチンが予期していなかったであろう)スウェーデン、フィンランドのNATO加盟申請(6月28日)へと結実した。
しかしそのジョンソン率いる保守党は、コロナ禍のロックダウン時の規制違反や物価高騰が一因となって5月11日の統一地方選で大敗し、7月にはジョンソンが党首、首相を辞任することになった。イギリスでは執筆時点で保守党の党首選が続いているが、一方でこの選挙では北アイルランドでアイルランドとの統一を謳うシン・フェイン党が勝利し、今後のアイルランド情勢も不透明である。これがイギリスの新しいリーダーシップに影響する可能性もある。
ドイツのリーダーシップが見えぬなかでのフランス、イギリスのリーダーシップの低下にあって、いったい誰が危機にあるヨーロッパを救えるのだろうか。
揺らがぬ信念を
おそらくドイツやイギリスなど、強力な指導力を「一国(のリーダー)」に見ようとする視点は、今後を見誤ることになるかもしれない。この間、何度も映像でヨーロッパの首脳たちが集まることを目にした。6月にはクロアチアが2023年1月からのユーロ圏加入が確実になった。またブルガリアも2024年からの加入を目指す。先のポーランドに対する支援もそうであるが、フォン・デア・ライエンや、シャルル・ミシェル欧州理事会常任議長らEUリーダーたちのウクライナ救済に対する信念を思う。その結果、多くの「中立」を謳ってきた国々がNATO、ヨーロッパとの連帯を志向するようになった。もちろんEU本部が位置するベルギー、ブリュッセルでは物価高騰に対するデモも起きているが、「ウクライナのための忍耐」を口にする人びとも多い。
メルケル、サルコジやヘルマン・ファンロンパイのような、EUリーダーたちの(集合的な)信念が冒頭に述べた過去の危機を超える原動力となった。戦争が長期化すればするほど、おそらくEU、ロシアよりウクライナの背負う過酷さは増すだろう。そのなかで、どこまで忍耐し続けられるか。今年に入ってからのヨーロッパだけを見るならば「地殻変動」が起きているとしか思えない。しかし強い信念こそがこの20年のヨーロッパを(イギリスの離脱を経験しつつも)支えてきた。
2022年は、ここまでに世界が、ヨーロッパが、日本が、衝撃的な事件を経験した。眼前のショッキングな出来事だけに眼を囚われない、一時の感情に飲み込まれない、背景を読む冷静な視線をもって、世界の連帯への信念を見忘れてはならない。戦後かつてない「艱難」のなかにあるときこそ、それがヨーロッパ自身の忍耐と新しい道の模索という「練達」を生みだし、そこに「希望」を見出しうるというパウロの言葉が響いてくる。
以上の情報は多くをジェトロの「ビジネス短信」に負って確認した。
まつお・ひでや
1965年愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、東邦ガス(株)、(株)東海メディカルプロダクツ勤務を経て、2007年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。聖学院大学政治経済学部准教授、北海学園大学法学部教授を経て2018年4月より龍谷大学法学部教授。専門は比較政治、西欧政治史。著書に『ヨーロッパ現代史 』(ちくま新書)、『物語 ベルギーの歴史』(中公新書)など。
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