コラム/温故知新
“今ちゃん”と下町の労働・社会運動(3)
今ちゃんの組織化と争議―「一株運動」
現代の労働研究会代表・元江戸川区労協事務局長 小畑 精武
1.組合結成、不当労働行為と「一株運動」
2.日綿からフランスベッドへ 突然のロックアウト
3.親会社を引っ張り出せ 一株運動に着手
4.著名人を名義人へ
5.争議は学習の場-全統一オルグの活動
6.組合の全面勝利に
1. 組合結成、不当労働行為と「一株運動」
「組織化に争議はつきもの」とよく言われる。この時代、中小企業にも高度経済成長の風は強まる。賃上げが広まり、同時に組織化と争議も広まっていった。
下町・江戸川地区においては全金(全国金属労働組合)日本ロールの組合結成と組合破壊に対する争議が1963年に始まり、江戸川区との境に近い葛飾区新小岩の京葉ボウル(ボウリング場)でも組合結成にともなう解雇が起きた。中小・一般では、東部一般(今ちゃんが委員長)から個人加盟の全統一の組織化が軸になる。
フランスベッドを背景資本とする京葉ボウリングに全統一京葉ボウリングセンター分会が組織され、組織化に伴う争議が仕掛けられ企業内第二組合ができた。だが身をもって第二組合を粉砕し多数派組合に変えていった。68春闘では①賃金体系の確立 ②労働条件の改善 ③経営方針の3本確立を柱とする要求を提出した。さらにはじめてのストライキを行った。69年春闘では「ユニオンショップ」協定書を要求している。
会社はユニオンショップ協定締結を拒み、第2組合づくりをすすめていった。分会はストライキに入り、会社はユニオンショップ協定にようやく応じるようになる。だが問題は解決しなかった。逆に、火に油を注ぐ結果となる。
2. 日綿からフランスベッドへ 突然のロックアウト
1970年7月11日、フランスベッド池田実社長(当時)が部下を連れて「今度、会社は日綿実業からフランスベッド販売のものになった。きょうから、みんなはフランスベッドの社員だ」と従業員を小ばかにする態度で宣言した。当時のフランスベッドは“ワンマン経営”と“もうれつ経営”で有名。業績が悪い日綿実業系京葉ボウルの経営権を握った。また会社側は、組合に操られる「京葉分会株式会社」と批判し、ふたたび不当労働行為を始めた。
1970年11月25日の早朝5時ごろハンドマイクの音が響き「ロックアウトをする。起きてただちに外に出ろ!」と、9人の組合員の寝込みを襲って、パンツ1枚の組合員は表に叩き出された。全統一労組東京第一支部(今泉清委員長)の支援活動がすぐに始まった。他分会の支援は争議終了まで続く。その後、暴力ガードマンの争議への導入禁止へ警備業法の改正が進む。
「もっとも支えとなったものは何か?」との質問に対し、
「他の職場の労働者の支援」と答える組合員が多かった。
その日のうちに現地闘争本部がボウリング場の真ん前の麻雀屋に置かれた。2階が麻雀部屋1階は空き部屋で泊まることができる。(筆者も泊まった)
2日目にはなんと70人のガードマン、フランスベッド関係者に加え、バリケードが張られた。「団体交渉を!」組合と会社の間でもみあいが始まった。12月2日はもよりの本田警察署から分会3役の出頭命令が届く。逮捕されるかもしれない。分会は今ちゃんの全統一東京第一支部と相談し、全統一労組顧問の山花貞夫弁護士(後に社会党委員長)を招き、対策協議と学習会を開催。逮捕された場合の3原則①言わない。②書かない。③(印を)捺さないを確認した。
12月21日の12・21京葉闘争支援決起集会には予想の500人を大きく上回る1200人が集まり集会と地域デモを行った。分会は毎日のオルグ活動とともに、2月中頃からは分会を回る争議資金集めの物品販売活動も連日展開している。物品としてシャケ900本、みそ200個が売れたが、もっとも売れたのは万年筆だった。
3. 親会社を引っ張り出せ 一株運動に着手
交渉はなかなか進展しなかった。組合は東京都地方労働委員会への団交あっせんの要請を行ったが、会社は無視を続けた。。
全統一京葉ボウリングの争議は、「親会社を告発」するというこれまでにない闘争スタイルをとった特徴があり、今ちゃんは後藤考典弁護士と作戦を練った。これまでの中小企業争議で親資本が実権を有する場合には、その実権を突破することは難しい。今ちゃん達全統一労組はその難しい壁を突破するために、すでに始まっていた水俣病の公害追及運動をしていた後藤孝典弁護士と連携をとり経験を学んでいった。
フランスベッド販売会社への直接面接を求める行動も同時に行った。だが「管理職は誰もいない」と逃げられている。しかし、粘ってついに「社長に取り次ぎます」の返事を得るに至る。
4. 著名人を名義人へ
最初の統一名義人は社会党の江田三郎元書記長になってもらった。江田三郎はマスコミに影響力を持つからだ。熊本県水俣に工場があるチッソ一株運動の中心を担う後藤考典弁護士にもお願いをした。「おもしろい、やろう」とこころよく引き受けてくれた。「労働運動はおもしろく」、今ちゃんと似た性格を感じさせる一言だった。
山花貞夫弁護士とおなじ事務所の片桐弁護士は「違法ロックアウト中の未払いの仮差し押さえ賃金相当分」を1月29日東京地裁に提訴した。人道上の問題であり、緊急性を要するので、会社の有体動産を仮差し押さえ、この間の賃金は地裁に認められ2月1日に執行された。さらに反公害運動をすすめていた宇井純東大助手(当時)にも協力を頼んだ。
親会社フランスベッド(株)― フランスベッド販売(株)-京葉(株)株の構造の流れのなかで、これまで運動で多くの系列企業がトップに立つ親資本を追及仕切れなかったところに、一株運動は大胆に切り込んでいく。「一株運動は株主総会の“民主制”を活かし責任を追及する運動であった。
すでに、チッソ水俣病の責任を追及する後藤考典弁護士の闘いへの登場が始まっていた。最初の株購入は1971年1月20日になった。
今ちゃんの社会党ルートで当時の石橋社会党書記長の現地激励、江田三郎副委員長の名義人参加、ボウリング場に近いJR新小岩駅前での一株主募集を訴え数人の市民が一株主になってくれた。株式個人名義は2月25日1000株分割、3月29日1000株分割と一株運動は広がっていった。
5. 争議は学習の場-全統一オルグの活動
1969年12月1日、江戸川区労働組合協議会(江戸川区労協)に地区労オルグとして就職できた私にとって事務所を同じくする全統一労組東京第一支部事務所(江戸川区逆井1-5)でのたたかいの経験は、自身にとってはじめての身体をはった争議であり、終身忘れない思い出にもなっている。全統一東京第一支部委員長の今ちゃんはじめ若きオルグ団と京葉ボウルの闘いは入職間もない私にとって掛け替えのない師匠であった。日常的にも新小岩駅前の赤提灯で今ちゃんと“あこうだいの粕漬”を突っつきながらの個人的学習会も忘れられない。
オルグとしての第一歩を踏み出し、ロックアウト、ガードマンの導入、地区労カーの運転席を宿とした日々。争議団激励の年末餅つきをリードし自らも倒産した岡野電機(江戸川)争議を闘った植木オルグ、同行した団体交渉でいきなり立ち上がって社長の胸倉を捕まえて会社の不誠実さを追及した福一オルグ。今ちゃんのオルグにドスをちらつかせた大和久オルグ(後に加入し墨田区議会議員)。早口の今ちゃんからは71年5~6月に倒産にあったLPレコードジャケット製造の旭日工業(江戸川区松江)で親会社がある静岡県富士市まで車で行き、往復の車中と団交の実践の場で「労働協約とは何か(労使合意、書面化、記名押印)」を教えてくれた。雨の中の東名高速道路車中教室は今も忘れない。
6. 組合の全面勝利に
京葉(ボウリング)株式会社と総評全国一般全統一労組の間で発生した155日間にわたる労使間の紛争は突然のように1971年4月28日全面的解決に至る。争議開始155日がたち、5月31日には株主総会が控えていた。
違法ロックアウトによる賃金未払の支払いを求める組合から東京地裁への本訴、東京地方労働委員会への不当労行為救済の申請も行っている。会社はこれらに対して十分な対応ができずに右往左往していた。2月1日に仮差し押さえが行われた。さらに、フランスベッドの株主総会は5月31日に決定した。話し合いがつかない場合には株主総会にのりこむことを方針化し、包囲し会社を追い詰めていった。同時にフランスベッドの不買運動も考えていた。
労働運動と市民・消費者運動の協力も考えていた。(後に1973年10月に東京東部地区に工場がある花王石鹸、ライオン油脂にむけた一株運動行動委員会を組織し、労働組合の東京東部ブロック共闘と市民の共闘をはかっている)
4月20日ごろ会社代理人T氏から和解の申し入れが入り、一気に全面解決を迎えた。
今ちゃんは「勝利した一株運動」の名監督だった。
【参考文献】
「勝利した一株運動―親会社を告発したたかいぬいた 全統一労組京葉分会― 社会新報 1971」
「ロマンに生きる 江戸川区労協30年の歩み 江戸川区労協 1983」
おばた・よしたけ
1945年7月九州生まれ、東京、小倉、大阪で育ち、64年東京教育大学史学科入学。教育大闘争に参加、卒業。69年12月江戸川区労協オルグに。東部一般統一労組書記長・区労協議長の今泉さんと出会う。東部一般統一労組の支部執行委員を兼務。72年1月「区長は区民の手で」をかかげて区労協は「区長準公選条例直接請求署名」地域運動の先頭に立つ。6万8千筆を集めたが区選管は無視、今泉議長と区労協組合員は法無視の区議会議員に抗議し議場を占拠、今泉、小畑が逮捕・起訴される(罰金5000円。詳しくは続編で)。84年3月「ふれ愛・友愛・助け愛」「一人でも入れるユニオン」をかかげて江戸川区労協は労働組合江戸川ユニオンを結成、書記長。翌年コミュニティユニオン全国ネットワーク事務局長。87年区労協事務局長。92年6月自治労中央本部・産別建設センター事務局長。公共サービス民間労組協議会事務局長。現在「現代の労働研究会代表」「現代の理論(デジタル)編集委員」、労働ペンクラブ会員。
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