コラム/発信
「神戸学生青年センター」の50年
市民活動の拠点として歴史を刻む
神戸学生青年センター理事長 飛田 雄一
センターの出発
「人間の営みは、いつも場所を媒介として行なわれます。思想的、政治的なものから家庭の営みにいたるまで。/ですから、いつの時代でもおおよそ支配者が自らに批判的な人の集まりを弾圧するとき、それは場所の破壊、場所からの追放として現れました。/自由な生の営みを願うものは、何ものからも干渉されることのない場所を獲得したいと願います。私たちのセンターは、そうした願いを実現しようとする一つのアプローチです。/この園に市民共同体や文化や宗教の営みが花開くことを願っています。」
この文章は、神戸学生青年センターの最初のパンフレット(1972年)に書かれた趣旨文だ。設立メンバーで後の理事長の辻建牧師が書かれたものだ。当時のセンターを作ろうとした時のエネルギーが感じられる。
センターの前史は、1955年、アメリカ米国南長老教会が六甲キリスト教学生センターを設立したことから始まっている。1966年に日本基督教団兵庫教区に伝道活動を委譲された。1969年11月、「学生センタービル建築準備委員会」が設置され、その後1972年4月、新会館がオープンしている。「財団法人神戸学生青年センター」(法人登記は翌年1月完了、2013年8月公益財団法人に移行)の活動が始まったのである。
阪急六甲より徒歩3分という恵まれた立地に800坪の土地があったが、アメリカ南長老教会にも日本基督教団にも資金がなかった。そこで当時としては珍しい借地権付マンションを建設したのである。請け負った建設会社は成功裏にマンションを販売し担当者も出世したと聞いたが、センターとしては等価交換方式により1階部分とマンション(70件のうちの4軒)とガレージ15台分を得たのである。建築会社の方がだいぶ得をしていると思うが仕方ない。センターとしては当初から経済的な自立が出来る方法を考えており、上記マンション、ガレージの賃貸とともに、1階部分で貸会議室、宿泊施設を運営して財政基盤を整えながら、セミナー開催等を行ってきたのである。
朝鮮史セミナーのスタート
すでに開館の年の6月には朝鮮史セミナーが始まっている。第1期は、「朝鮮と日本-その連続と断絶をめぐって-」をテーマに、①古代Ⅰ・朝鮮の古代国家 井上秀雄、②古代Ⅱ・モンゴール侵入と義兵闘争 井上秀雄、 ③中世・いわゆる李朝封建制の成立と崩壊 韓皙曦、④近代Ⅰ・近代朝鮮と日本 中塚明、⑤近代Ⅱ・朝鮮解放の闘い 韓皙曦、⑥第二次大戦後の朝鮮と日本-日韓条約と朝鮮の統一問題- 中塚明を開いている。きっかけは講師としても登場している韓皙曦さんの訳書『朝鮮・自由のための闘い』の出版記念会に集まったメンバーが継続的に朝鮮史を勉強しようとことから始まったと聞いている。韓さんは1998年に亡くなられるまでセンターの理事で、朝鮮近代史の専門図書館・青丘文庫(現在は神戸市立中央図書館内)の創設者でもある。
現在までの朝鮮史セミナーの記録はセンターのホームページでみることができる。また録音も残されている。数年前、梶村秀樹研究をしているという韓国からの留学生が「梶村先生の肉声が聞きたい」というので、「解放後の在日朝鮮人運動」(1979.7)の録音をコピーしてさし上げたこともある。
朝鮮史セミナーは、その後スタートした食品公害セミナー(現・食料環境セミナー)、キリスト教セミナーとともにセンターの「セミナー3本柱」として今に続いている。
座学もいいがフィールドワークはもっと楽しい
座学のセミナーに対して近年では現場を歩くフィールドワークが盛んだが、その走りともいえるのが「兵庫県下の在日朝鮮人の足跡を訪ねる旅」(1989.11.3~4)でないかと思う。甲陽園地下工場跡、昭和池、城崎等を、鄭鴻永さん、徐根植さん、寺岡洋さんの案内で訪ねた。
その後、京都マンガン記念館・東九条(1991.11)、さらに韓国へも江陵端午蔡(1996.6)、公州民族文化祭(1987.10)、珍島霊登祭(1998.4)、東学農民革命(1999.7)、済州島4・3(2000.5)、安東仮面劇フェス(2002.9)へ。2001年6月には朝鮮民主主義人民共和国ツアーも行い、2010年にはゲルマン・金さんの案内で中央アジアのコリアンを訪ねる旅も行った。私自身は、この中央アジアの旅が一番印象に残っている。
朝鮮史セミナーは朝鮮半島全体を視野に入れたものだったが、初期の頃にはセンターが韓国的だとか北朝鮮的だとかいろいろ揶揄された時期もあった。
センター出版部の発足、そしてベストセラー?
センターには弱小ながら出版部があるが、設立のきっかけは朝鮮史セミナーだ。先に紹介したように、「解放後の在日朝鮮人運動」をテーマに夏期特別講座(1979.7、梶村秀樹)を開催したが、この時は最初からテープ起こしをして出版する企画だった。当時は今以上に生々しくタブーとされるようなテーマであるが、講演録という形で出版するのがいいだろうという判断だった。
当時、大阪、京都でも朝鮮史セミナーが開かれており、共同企画のセミナーおよび出版だった。そして1980年7月、『解放後の在日朝鮮人運動』が出版されたのである。話題となり新聞でもとりあげられて7刷まで出されているが、今でも在日朝鮮人史を研究する上でこの本が基本文献となっている。韓国でかつて日本語複写版と韓国語版がセンター出版部に無断で発行され、ソウルの本屋でそれをみて驚いたことがある。近年、日韓の著作権問題が進展し、2014年12月に正式契約が結ばれ『解放後在日朝鮮人運動(1945~1965)』(金仁徳訳、ソウル・図書出版ソイン)として出版された。喜ばしいことだ。
センター出版部はその後も同じような問題意識で、1986年1~6月、全6回のシリーズ「続・解放後の在日朝鮮人運動」の講演録を出版した。それが『体験で語る解放後の在日朝鮮人運動』(朴慶植、張錠寿、梁永厚、姜在彦、1989.10)だ。第1部が講演録で第2部には金英達が「在日朝鮮人発行雑誌(解放後初期・日本語)」として、『民主朝鮮』『朝鮮評論』『平和と教育』『新しい朝鮮』『朝鮮月報』『朝鮮問題研究』『鶏林』の総目次を掲載している。この本もそれぞれの講演者が書けない内容もあったはずだが、センターが勝手に講演録を作ってしまったということにして世にでたのである。
他にセミナーの講演録として次のようなものがある。セミナー開催もいろんな出会いがあって楽しいが、出版は別の楽しみがある。魔物とも言えるが、セミナーに参加者は多くて百人だが、本はもっと多くの人に届けられると思うからである。
・金慶海・梁永厚・洪祥進『在日朝鮮人の民族教育』1983.3※(品切れ本、以下同じ)
・中塚明『教科書検定と朝鮮』1982.9※(二部に新聞記事)
・田中宏・山本冬彦『現在の在日朝鮮人問題』1984.5※
・仲村修・韓丘庸・しかたしん『児童文学と朝鮮』1989.2
・朴慶植・水野直樹・内海愛子・高崎宗司『天皇制と朝鮮』1989.11
・和田春樹・水野直樹『朝鮮近現代史における金日成』1996.8
・高銀『朝鮮統一への想い』2001.9
さらにいろんな本を出版
講演録を出版するようになると、出版依頼も来るようになった。自薦他薦の本も出すようになったのである。以下のようなものだ。
・梁泰昊『サラム宣言―指紋押捺拒否裁判意見陳述』1987.7
・新見隆・小川雅由・佐藤信行ほか『指紋押捺を問う』(『季刊三千里』論考選)※1987.7
・金慶海・堀内稔『在日朝鮮人・生活擁護の闘い―神戸・「一一・二七」闘争』1991.9
・尹静慕(鹿嶋節子訳、金英達解説)『母・従軍慰安婦―かあさんは「朝鮮ピー」と呼ばれた―』1992.4
・仲原良二『国際都市の異邦人―神戸市職員採用国籍差別違憲訴訟の記録』1992.7※
・脇本寿『朝鮮人強制連行とわたし―川崎昭和電工朝鮮人宿舎・舎監の記録』1994.6
・鄭鴻永『歌劇の街のもうひとつの歴史―宝塚と朝鮮人』1997.1
・八幡明彦『<未完>年表・日本と朝鮮のキリスト教』1997.3
・金乙星『アモジの履歴書』1997.10
・韓国基督教歴史研究所編著(信長正義訳)『三・一独立運動と堤岩里教会事件』1998.5
・キリスト教学校教育同盟関西地区国際交流委員会編『日韓の歴史教科書を読み直す―新しい相互理解を求めて―』2000.3※(2003.12、日本語韓国語合本版として再刊)
・金英達・飛田雄一『朝鮮人・中国人強制連行・強制労働資料集』1990.7※、1991.7※、1992.7、1993.7※、1994.7、全5冊
・金英達『朝鮮人従軍慰安婦・女子挺身隊資料集』1992.7
・兵庫朝鮮関係研究会編著『在日朝鮮人90年の軌跡―続・兵庫と朝鮮人―』1993.12
・竹内康人編著『戦時朝鮮人強制労働調査資料集―連行先一覧・全国地図・死亡者名簿―』2007.8※(2022.4 増補改訂版を発行)
・竹内康人『戦時朝鮮人強制労働調査資料集2―名簿・未払い金・動員数・遺骨・過去精算―』2012.4
・モシムとサリム研究所著(大西秀尚訳)『殺生の文明からサリムの文明へ―ハンサリム宣言・ハンサリム宣言再読―』2014.7
弱小出版社にしてはよく出したものだと思う。『教科書検定と朝鮮』のように飛ぶように売れた本もあれば、「いい本です、類書がないです」と褒められながらも余り売れなくて困った本もある。最近、アマゾンでセンターの本を購入できるようにした。新しい読者からの注文が入って喜んでいる。
市民活動の拠点として
センターは、兵庫における在日朝鮮人の人権擁護、歴史調査活動の拠点しての役割も果たしている。
1980年代には「兵庫指紋拒否を共に闘う連絡会」(代表河上民雄)等の活動を担い、歴史研究においては、兵庫朝鮮関係研究会、兵庫県在日外国人教育研究協議会、むくげの会などとともに歴史研究を進めている。その成果のひとつが『兵庫のなかの朝鮮―歩いて知る朝鮮と日本の歴史シリーズ』(明石書店、2001.5)である。
「神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者を調査し追悼する会」は、1993年7月にセンターで結成集会を開いた。1920年代30年代の神戸電鉄敷設工事には多くの朝鮮人が労働に従事し、13名の犠牲者がでたことが確認されている。埋葬許可証などで本籍の分かる方を調べ、韓国の遺族を探し出して訪問した。1996年11月にモニュメント「神戸電鉄朝鮮人労働者の像」(金城実製作)が神戸電鉄の線路沿いの会下山公園に設置されている。
「神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会」は1999年10月、同じくセンターで結成された。アジア・太平洋戦争期の神戸では、朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜が強制労働を強いられた歴史がある。朝鮮人・中国人については比較的名簿が残されており、その名簿をもとに生存者を韓国・中国に訪ね聞き取りを行った。それらの成果を次の二冊の本にまとめている。
・『神戸港強制連行の記録-朝鮮人・中国人そして連合軍捕虜-』(明石書店、2004.1)
・『アジア・太平洋戦争と神戸港―朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜―』(みずのわ出版、2004.2)
2008年7月、 神戸華僑博物館前に「神戸港 平和の碑」が設置された。碑文には次のように刻まれている。
「アジア・太平洋戦争時期、神戸港では労働力不足を補うため、中国人・朝鮮人や連合国軍捕虜が、港湾荷役や造船などで苛酷な労働を強いられ、その過程で多くの人々が犠牲になりました。私たちは、この歴史を心に刻み、アジアの平和と共生を誓って、ここに碑を建てました。2008年7月21日 神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会」
神戸は、1948年に阪神教育闘争が展開されたところだが、40周年の1988年には事業委員会をつくり記念集会とともに金慶海編著『在日朝鮮人民族教育擁護闘争資料集』(1988.4、明石書店)を出版した。50周年の1998年には、闘争で亡くなられた朴柱範さん(当時の兵庫朝連の委員長)の遺族の消息が判明したので、招請して記念集会を開催した。60周年の2008年は、事務局がセンターではなく長田の金信鏞さんらが中心となって組織され2010年8月には「校名碑」を完成させた。
その他にも全国的なネットワークの事務局もいくつか担っている。1990年から99年まで毎年開催された「朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会」の事務局もセンターにおかれた。第1回の集会は愛知県(名古屋市)で開催され、以降、第2回兵庫県(西宮市、神戸市、1991年)、第3回広島県(呉市、1992年)、第4回奈良県(信貴山王蔵院、1993年)、第5回長野県(長野市松代町、1994年)、大阪府(高槻市、1995年)、第7回岐阜県(岐阜市、1996年)、第8回島根県(松江市、1997年)、第9回石川県(金沢市、1998年)、第10回熊本県(熊本市、1999年)と開催された。
この交流集会の継続ネットワークともいえる「強制動員真相究明ネットワーク」が、2005年12月に結成された。韓国政府が日帝強占下強制動員被害真相究明委員会を作り活動を開始した。本来なら日本政府も同様の委員会をつくって調査すべきだがそのような状況にない日本において市民サイドでネットワークを作ったのである。毎年に研究集会およびフィールドワークを開催している。
49年目の移転、新しいセンターでの活動をスタート
この学生センター、先に書いたようにマンションの1階部分にある。そのマンションは、1972年に建設されている。何回かの大規模修理を行ったが、住民(区分所有者)には建て替えを希望する人が増えてきた。センターとしては、移転して別の場所で活動を継続する道を選択した。
新しいセンターは、2か所。本館はウエスト100、阪急六甲駅から西へ100M,分館はノース10、駅から北へ10Mだ。いずれも従来のセンターより駅に近い。宿泊事業は中止したが、それ以外の活動はすべて引き継いでいる。1995年の阪神淡路大震災では、たいへんな苦労をしたが、被災留学生の支援活動から「六甲奨学基金」が生み出され毎年5名から10名の留学生に月額5万円の返済義務のない奨学金の支給が続いている。その原資は主に、いまやセンターの大イベントとなった古本市の売り上げによっている。もちろん、新しいセンターでも今度は、常設の古本市として開かれている。
センターは日韓連帯運動をはじめ、「平和・人権・環境・アジア」をキーワードに様々な活動を展開してきた。これは、「平和・人権・環境」の問題を「アジア」の視点を大切にして展開するともいえる。冒頭に引用した辻建牧師の「いつの時代でもおおよそ支配者が自らに批判的な人の集まりを弾圧するとき、それは場所の破壊、場所からの追放として現れました」という文章をいままたかみしめている。私たちには「拠点」が必要なのだ。センターがこれからも人々の自主的な活動を展開するための「拠点」でありたいと思う。
今年は、センター設立50周年、私は退職して理事長となっているが、若いスタッフがこれまでの活動を引き継いでいる。未来の50年、2072年のセンターはだれも想像できないが、あたらしい出会いをもとめながら市民活動の拠点としてあり続けているものと思う。みなさまの引き続きのご支援をお願いしたい。
(※本稿は2015年9月発行の雑誌『抗路』1号に掲載した原稿を加筆修正したものである。)
ひだ・ゆういち
1950年、神戸市生まれ。神戸大学農学部修士課程終了。公益財団法人 神戸学生青年センター理事長。他に、在日朝鮮運動史研究会関西部会代表、強制動員真相究明ネットワーク共同代表、神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会事務局長など。著書に『日帝下の朝鮮農民運動』(1991年、未来社)、『朝鮮人・中国人強制連行・強制労働資料集』(金英達と共編、1990年版〜94年版、神戸学生青年センター出版部)、『現場を歩く現場を綴る—日本・コリア・キリスト教?』(2016年、かんよう出版)、『心に刻み、石に刻む—在日コリアンと私』(2016年、三一書房)『旅行作家な気分?コリア・中国から中央アジアへの旅?』(2017年、合同出版)、『極私的エッセイ—コロナと向き合いながら』(2021年、社会評論社)など。
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