この一冊

『琉球独立への本標-この111冊に見る日本の非道』(宮平真弥著 一葉社、2016.12)

日本の非道を知り 自分の場を振り返る

辺野古リレー 辺野古のたたかいを全国へ 岩川 藍

この本をどのように紹介すればよいだろうか。「日本の非道」、タイトルからしてもう「私たち」が責められることは充分に分かる。正直、耳が痛い。しかも、耳の痛くなる話を事実として証明し、伝える本を111冊も勧められているのだ。しかし、私は、沖縄に通い基地被害を知り、非道を知ることで世界が広がり繋がって行った。世界の広がりを得られる事は何よりも得難いものと思っている。

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まず、日本の「非道」を問われている「私たち」とは一体誰のことだろうか。それは、無条件に国からの教育を受け入れながら、現在進行形で社会生活を送っている私のことであり、(失礼な!と憤慨されるかもしれないが)今、私の文章を読んで頂いている皆さんが対象になっている。

『琉球独立への本標-この111冊に見る日本の非道』

ただ、日本に住む全ての人が皆、同じ目線で問いかけられる対象なのかといえば、それは違うだろう。日本という国の中には多種多様な人びとが暮らしているが、残念ながら、「異なるもの」を蔑み差別することで自身が優位であると信じる風潮を、日本の人達は維持し続けて来たのではないだろうか。

ところで、ここのところ、政府主導で多文化を取り入れて洗練させた自然と共存するご立派な「文化」が宣伝されているようだが、それは都合がよすぎる。日本の近代の「非道」を振り返ってみると、どっちかと言えば、既存のシステムに対して「異」を唱えることを嫌い、一つになる「和」という縛りをもって「構造的差別」が維持されて来たように思えるのだ。そして、その既存のシステムを、誰がこしらえてきたものなのかは簡単には言えないが、それを「私たち」が放置し維持することで、日本の「非道」が成立する。その最たるものの中の一つに沖縄での基地被害があげられている。

そのようなシステムを修正していかなければ、日本の「非道」は延々と続くだろう、と思わずにはいられない。ただ、その過程で「非道」をどう受け入れ、どう修正する事ができるかどうかが重要な問題だ。

この本の中で、「本土の人」と「沖縄の人」による沖縄の新基地建設の問題をめぐる、架空の対話が登場する。短い対話の中で、「本土の人」が「沖縄の人」に対して、選挙で基地反対を主張する候補者が負けてきたこと、基地がなくなれば職を失う人が多く出るから基地は受け入れるしかない、それに安保の必要性を持ちだして言い聞かせているようだ。「沖縄の人」が「本土の人」に基地の受け入れを求めると、基地は危険だから嫌だと言ってのける。

この架空の対話をどの目線で受け止めれば良いだろうか。私は、「そうなのよ、日本は酷い国なのよ」と言いたくなると同時に、「私はそんな風に差別していない」とも思いたいのだが、よく考えてみると、ちょっとばかし自信がないのである。

沖縄が琉球国であったころに遡って、沖縄の立場を考えてみる。大日本帝国から植民地の「日本人」になることを強要された。その結果、沖縄が激戦地となり、日本敗戦後には米軍の支配下に置かれた。日本に再び組み込まれた後も、米軍基地は沖縄に押しやられ、金をやるから肉体的・精神的苦痛は黙って我慢しろと扱われる。そして今、基地はいらないと民意を国内法に則って選挙で示したにも関わらず、辺野古新基地建設や高江ヘリパッド建設が強行されている。その工事を進めているのは日本である。

私たちは、こうして無自覚の内に沖縄の人たちの自立を許さずに来たのだ。

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2016年5月、元米兵による、うるま市女性殺害遺棄事件について、当時の反響については、著述されているとおりだと思う。いまだにこの事件は解決も解明もされていないが、むしろ、既に忘れ去られようとしていないだろうか。その忘却に危機感をもつ人も少なくはないが、改めて考えてみると、このような事件が繰り返されてきたのに、関心も持たれず、たくさんの訴えにぱたっと耳を閉じてきたようだ。

なぜだろう。本土に米軍基地が少ないから、私たちは他者の痛みを理解することが出来ないのか? 同じように被害に遭わなければいけないのか? いや、本土にも岩国や横田など広大な面積を有している米軍基地は存在し、過去にも米軍による同様の性暴力事件や、恐怖を感じる事故もある。沖縄に米軍基地が移設される前には、かなりの米軍基地が本土にもあって、沖縄と同様に様々な被害が多くあったはずだ。それが、いつの間にか無かったかのように伝わってこない。

もちろん、各地に米軍基地による被害を必死に伝えようとしている人たちはたくさんいるし、度重なる海外での戦争の発端として米国の責任を問う声も増えてきた。

最近では、私も含め、本土から辺野古や高江で座り込み行動に呼応し参加する人が増え、各地で抗議の声を上げる集会が開催されることが増えた。そのような人びとの上げる声と動きは、変化を期待できるし、多様な試みがあった方が楽しくもある。

しかし、現地に行ったからと言って、本当に「知った」ことになるのか? もしかして、現地に行って頑張った後に、本土の家に帰って心地良いヒロイズムに浸りきってはいないだろうか。デモに参加して、集会に参加することで、「私は差別する人間ではない」と安心してはいないか。もしそうなら、それは錯覚である。なぜなら今でも工事は進行し、弾圧だって続行中なのだ。

それに、様々なところで、日本の現状を憂う多くの人たちが「日本の民主主義が危機的状況にある」と言うのをよく聞くけれど、その「日本の民主主義」を守ることが出来たら、辺野古や高江の基地建設を白紙に戻せるのだろうか。今までのあり方が継続されて放置されたからこその「現在」ではないのか。戦後民主主義とされる社会の中で、その恩恵を享受した人も多いけれど、そこから除外され、犠牲を強いられてきた人も多い。なんだか、大切な事がほったらかしになってはいないだろうか。

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最後に、私の経験を伝えて終えようと思う。

2016年11月に吉祥寺で反天皇制を掲げたデモがあった。100人にも満たないデモ参加者は、30から40人の人たちによって、プラカードや掲げていた横断幕を引き裂かれ、引きずり殴り倒され罵倒された。委縮しちゃいかん、とささやかな抵抗として持って来ていたミカンをデモ中に歩きながら剥いて食べたりしていたけれど、集団リンチのような暴力は怖かった。500人と言われる警察機動隊も、指揮官が本気で彼らを止める指示をしないから、いくらでも襲撃された。吉祥寺の買い物客も皆、その様子を見ていた。朝鮮学校に通いチマチョゴリを着て通学していた幼い女生徒が日常的に感じていたであろうものは、こういうことかな、とちょっとだけ分かったような気がした。

表現の自由など微塵もない、「異なるもの」の存在自体を許さない日本の「非道」が現れた。そこらじゅうに、日本の「非道」は転がっている。もしかしたら、私たちは無自覚に「和」の中に縛られ、見ざる聞かざる言わざるのスタイルで、自ら権利と自立を放棄している状態なのではないか?

再度、「私たち」は日本の「非道」を通して、自分のいる場を振り返る必要があるのだろう。

いわかわ・あい

「辺野古リレー 辺野古のたたかいを全国へ」のメンバーのひとり。「警視庁機動隊の沖縄への派遣中止を求める住民訴訟」の原告のひとりでもある。

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