特集●混迷する世界への視座

帝国の終焉から連欧連亜を求めて

トランプショック後、日本はどう生きるのか

(社)アジア連合大学院機構理事長 進藤 榮一

二匹の妖怪

いまポピュリズムとテロリズムという二匹の妖怪が、世界を徘徊している。

民衆蜂起が世界各地で起こり、底辺からする現存秩序の問い直しが蠢動し続ける。ロンドンやパリ、ブラッセル、ベルリン、ダマスカスやアレッポからマニラを経て、デトロイトやボストン、ワシントンまで、ポピュリズムとテロリズムの嵐が吹き荒れて、大米帝国の世紀、パクス・アメリカーナが終焉の時を刻み始めている。

その終焉が、「自由と民主主義」を普遍的価値と仰ぐ日米同盟と、安倍政権下の日本外交のあり方を問い直している。

敗戦後70年以上にわたって私たちは、パクス・アメリカーナの世界像の中で生きてきた。「アメリカン・デモクラシー」というソフトパワーを押し戴き、アメリカの力によって「平和と繁栄」を享受できるとみなしてきた。それが私たちの常識だ。

しかし、一年半にわたる大統領選挙とトランプ大統領の登場は、米国流の自由と民主主義、資本主義と覇権外交に対する常識を、根底から覆し始めている。

結論を先取りするなら、もはや米国の政治や経済、外交の流儀は、私たちが見習うべき師表ではありえなくなっている。その現実が、米国史上最も醜悪で異様な選挙戦に集約されている。その結果がいま、帝国以後の世界――多極化世界――を生み始めている。

超格差社会への反逆

そもそもなぜ、そうした選挙を、米国民は展開するに至っているのか。そしてなぜ、既存政治を罵倒する実業家のトランプが勝って、初の女性大統領候補クリントンが「ガラスの天井」を打ち破れなかったのか。

答えは、二つのキャピタル――資本と首都――に対する民衆の根深い反発にある。それが、オルテガのいう「大衆の反逆」を生み出している。

第一に、カネがカネをつくる金融資本主義の現在に対する反発だ。それが加速させる超格差社会への反逆である。富める1%と貧しい99%とに分断された社会への、大衆の反逆だ。

2012年、米国世帯の富の格差は、以下のように記録される。すなわち、上位0・1%が、全米の富の22%を占めて、下位90%の世帯と同じになった。オバマ改革下で、貧富の格差は拡大し、ブッシュ・ジュニア政権時を上回り続けていた。加えてその貧富の差が、グローバル資本や金持ちたちによる「租税回避地(タックス・ヘイブン)」への税逃れによって、特に2008年リーマンショック以後、逆に加速されていた。マルクスのいう絶対的窮乏化の原理が、21世紀アメリカで進展し続けていたのである。

その意味でトランプの勝利は、民主党予備選で健闘した「社会主義者」サンダースの旋風と、根っこが同じだ。超格差社会に対する民衆の反逆だ。

しかも米国経済の仕組みはいまや、ものづくりからカネつくりへと変容した。米国企業収益に占める製造部門比は、1950年の60%から2005年に5%に低下した。そして0.001秒の瞬間差を捉えるアルゴリズム投機商法で巨万の富を稼ぐ金融証券資本主義が展開する。スーザン・ストレンジのいう「カジノ資本主義」の出現だ。

そのカジノ経済の破綻が、リーマンショックと世界金融危機を生んだにもかかわらず、先進諸国は一方で、ゼロ金利と大量金融緩和を進め、逆進税制と富者優遇税制を温存させて、一般庶民の可処分所得を剥奪し続ける。「ヘリコプター・ベン」―ベン・バーナンキ連銀理事長が、2011年以来、三度に亘って進めた「量的緩和(QE)」であり、超低金利政策だ。米国からEU、そしてクロダノミクス下の日本に至る。

しかも他方で先進諸国は、TBTF原理を大義名分に掲げて、巨大資本と超富裕層の利益を温存し続けている。「ツー・ビッグ、ツーフェイル(大きすぎて潰せない)」という、巨大資本優遇の原理、もしくは非倫理だ。その非倫理を、破綻したリーマン・ブラザーズ社CEO,リチャード・フェルドの退職金が、2億9900万ドルに上っていたことが、象徴していた。

首都の政治への反逆

第二に、首都で展開する政治の現在に対する民衆の反発である。その反発が、膨大な選挙資金と利権に群がる政治家集団がつくり上げた異常な金権政治に対する99%の民衆の反逆と重なり合う。

規制緩和の下に政治資金規制が緩和され、2010年の「市民連合」判決によって上限が取り払われ、さらに2014年のマッカチオン判決で一切の規制がなくなった。外国からの献金も自由になった。今回の選挙に投じられた資金総額は100億ドル(邦貨で約1兆円)を超えると想定される。20年前ビル・クリントン再選時の総額が6億ドル、桁違いの金権政治化が進行している。

「ワイルド・ウェストの時代が再来した」と、米国の市民運動家や政治評論家たちが語り始めた。かつてカウボーイたちが、拳銃や毒矢で暴れ回った西部劇のような時代が、21世紀米国政治に再登場したというのだ。拳銃や毒矢の代わりに、カネと利権が飛び交う。

首都ワシントンのK番街(Kストリート)に事務所を構える職業的口利き屋、ロビイストの数は、この30年間で7千人から3万人に増大した。そして彼らを仲介してウォール街の金融資本と首都の政治権力が癒着する。彼らが、職業政治家や、議員、議員秘書たちとタグを組みながら、大学やシンクタンク、政府官僚や巨大資本のトップに、順送りで就職する。権力(クラチア)が民衆(デモス)から乖離し続ける。

その米国政治の現在を、ウォール街と密着した前国務長官クリントンが象徴した。

かくて、民主主義を世界に広めるという「アメリカン・デモクラシー」のソフトパワーは機能せず、帝国を支えるイデオロギーの基盤が、内側から削がれていく。

終焉する大米帝国

冷戦勝利後、アメリカは、その理念の力によって、冷戦に勝利し、共産主義ソ連を敗退させていたはずなのに、いまその理念の力を衰微させ、帝国のヘゲモニー自体を衰退させている。

そして21世紀初頭の大米帝国の姿が、かつてのローマ帝国の姿と二重写しになってくる。

ローマ帝国と同じように、大米帝国もまた、過剰拡張(オーバーストレッチ)を繰り返しながら、自らの経済力と軍事力を衰微させながら、自らが依拠するデモクラシーのイデオロギーをも衰微させる。

かつてローマ帝国が、領土と市場を拡大させて過剰拡張し、ヨーロッパ大陸から中東、アジアの民族を版図に組み入れた。その過剰拡張の結果、帝国は、軍事力と経済力を衰微させただけでなく、自らのアイデンティティを失いながら、帝国の終焉の時を刻んだ。

大米帝国もまた同じように、アフロ系やヒスパニック、イスラム、アジア系に至る、非アングロサクソン人種を、米国市民に組み入れて、建国以来のアイデンティティを喪失し続けている。それが、冷戦終結以後、中東アラブ世界への軍事介入と、過剰拡張の歴史の中で進行し続けている。

「アフガニスタンは帝国の墓場である」。米国の専門家はそう語り始めている。19世紀大英帝国や20世紀ソ連帝国と同じように、21世紀の大米帝国もまた、アフガニスタン戦争をきっかけに、帝国の終わりの時を刻み始めている。

情報革命下で米国が、ドローン兵器やオスプレイなど最先端電子兵器を手にしたにもかかわらず、内戦も危機も収束できずにテロと軍拡を誘発して、反米感情を煽り続ける。フィリピン大統領ドゥトルテが、オバマ大統領の面前で吐いた米国非難の言葉が、反米感情の広がりと根深さを物語っている。

米国はもはや白人優位の国ではなくなった。非アングロサクソン人種が全人口の38%を占め、30年後に過半に達する。トランプの登場は、彼ら怒れる白人たちの失われた誇りを代弁する。トランプが選挙で、ラストベルトだけでなく、ラテン系移民が多数住む南部サンベルトをも制した所以だ。

同盟を超える

いったい終わり往く帝国アメリカはどこに行くのか。トランプの米国に私たちはどう付き合うべきか。いま問われているのは、帝国終焉後の同盟を超える道である。

けっしてそれは、安倍首相の強調するのとは違って、普遍的価値を両国が共有するが故に護持する日米基軸論ではない。「日米同盟は永遠なり」として帝国につき従う道でもない。帝国に「貢物する国」(ブレジンスキー)として日本が軍事基地を強化し、対米従属を自ら選択し続ける道でもない。

それはまた、自由貿易体制推進の大義名分下で、日米双方のグローバル企業に奉仕するTPPを進める道でもない。中国や北朝鮮の“虚構”の脅威論を煽り立てて、米韓日の軍産複合体によって核武装する道でも、無論ない。

その意味では、極東からの米軍撤退さえ示唆するトランプ新政権の誕生は、日本が核武装ではなく、独自に単独軍縮外交を進める好機となる。多極的なアジア重視外交を進める転機だと、いいかえてもよい。

トランプ新政権の外交経済政策は、大要次のような方策を軸にしていくのではなかろうか。

選挙期間中に吐いた“暴言”と違ってそれは、孤立主義的な「アメリカ・ファースト」の路線を堅持しながら、ビジネスライクで現実的な政策に彩られていく。TPPの道はいっさいない。NAFTAも見直しの対象となる。グローバル企業に益する(EUとの)TTIPは、民衆に益しない政策として破棄される。

他方で、ロシアとの個人的なつながりを媒介して、プーチン政権との協調外交に乗り出すだろう。対ロ制裁は解除し、ロシアの支援を得ながらアサド政権主導下に、シリア内戦の収束に動くだろう。たとえそれが、テロと難民の波をつくりつづけ、混乱と混沌を繰り返しながら、おそらく10年単位で米国の中東撤退の道を拓いて、帝国以降の多極化世界をつくり始める。

中国についていえば、習近平政権の“為替介入”政策に表向き異議を唱える。中国人民元の切り上げを求めていく。1980年代、レーガン大統領下で対日貿易摩擦の時と同じように、トランプ政権は、日本や韓国、何よりも中国に対して、人民元高を要求しながら、大統領令を発動する自国中心主義的な為替通商外交を、「取引(ディール)外交」の哲学に沿って進めて行くだろう。

併せてビジネスの鉄人トランプは、巨大市場中国とのビジネス外交を進め、「世界の市場」中国との経済資本協力を進めていく。民主主義を広めるといった、イデオロギー外交ではない。オバマ政権下の対中封じ込め政策からも、ヒラリー・クリントンが進めた対中封じ込め政策から撤退しながら、 沖縄を含む極東米軍駐留経費の、現地政府(日、韓)肩代わりを要求し、巨額の米国製兵器の売り込みを推し進めていく。

国内的には、グローバル企業中心のオバマケア(医療保険改革)を修正し、国内インフラ投資による古典的な経済再建策を積極化させる。大恐慌期のニューディール型の実務的政策の、周回遅れの踏襲だ。

だが、これら一連の自国中心主義的で、時に排外主義的な「アメリカ・ファースト」政策は、経済力や外交力の復権に寄与することはないだろう。というのも、米国経済に民生用「ものづくり」生産能力が、もはや失われたままだからだ 。拙著『アジア力の世紀』の中で明らかにしたように、帝国の経済力の主軸は、カネによってカネをつくるカジノ金融資本主義へと、変貌しているからだ。

連欧連亜への道

日本にとって新政権の登場は、もう一つの通商外交の選択肢、RCEP(東アジア地域包括的経済連携)へと外交の舵を切り替える好機になる。

日本の対中貿易依存度は23%、対米貿易依存度が17%で、対アジア貿易依存度はそのほぼ3倍、50%近くに達する。ものづくり生産ネットワークが、アジアに張りめぐらされて、アジアは「世界の工場」から「世界の市場」となり、いまやAIIB(アジアインフラ投資銀行)設立を機にアジア大のインフラ投資の機会を手にできる。

日本にとって、TPPのGDP押し上げ効果(増加率)は、0・66%(3・2兆円)。それに対して、RCEPによるGDP増加率は、その2倍近く、1・10%に達する。

TPP成長戦略という悪夢から醒めることだ。あるいは、時代遅れの“日米「馬と騎士」論”の虚妄から醒めることだ。すなわち、「日本は馬で、米国は騎士であって、馬は、日米安保という轡をはめられ、騎士を乗せて、騎士に鞭打たれて早く強く走れば走るほど、国益は最大化する」という、安倍外交の指南役、元外務次官、谷内正太郎・安全保障会議事務局長の言説の虚妄から醒めることだ。

それを、日米安保基軸論の虚妄といってよい。「脱亜入欧」論の陥穽である。


いま日本に求められるのは、終わり往く帝国が撤退する「力の空白」を軍事的に補完したり、対米軍事協力を進めたりする道ではない。まして、トランプ流“取引外交”の脅しに応じて、米国産兵器を買い上げたり、核武装化を進めたりすることでは、無論ない。

興隆する新興アジア地域との経済連携を強めて、社会文化交流を深化させる。「脱亜入欧」から「連欧連亜」に至る道である。

それが、トランプ・ショック以後の、日米同盟を超える「外交の作法」である。いま登場する、帝国終焉以後の「多極化世界」を生き抜く道だ。それを「アジア力の世紀」に生きる日本の道といいかえることができる。

しんどう・えいいち

筑波大学大学院名誉教授。一般社団法人アジア連合大学院機構理事長。国際アジア共同体学会会長。1939年北海道生まれ。法学博士(京大)。著書に『戦後の原像』(岩波書店)、『東アジア共同体をどうつくるか』(ちくま新書)、『アジア力の世紀―どう生き抜くのか』、『アメリカ・黄昏の帝国』(ともに岩波新書)、『分割された領土』(岩波現代文庫)など多数。近著(2月刊)に『アメリカ帝国の終焉―勃興するアジアと多極化世界』(講談社新書)。

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