特集●混迷する世界への視座
化石燃料文明の終わりのはじまり
歴史的なパリ協定が意味するもの
地球環境戦略研究機関シニアフェロー 松下 和夫
1.気候変動否定論者のトランプ新大統領と閣僚たち
2.化石燃料文明の終わりのはじまり
3.パリ協定が今後の経済活動に意味すること
4.すでに始まったゼロ炭素社会への転換
5.新たな脱炭素ビジネスモデル
6.「座礁資産」という考え方と化石燃料関連投資の引き上げ
7.脱炭素に遅れをとる日本―本格的炭素税導入が不可欠
8.気候変動対策を梃子としてイノベーションと雇用の拡大を
「石器時代が終わったのは、石がなくなったからではない」(ヤマニ・サウジアラビア元石油鉱物資源相)
「われわれは気候変動の深刻な影響を受ける最初の世代であり、そしてそれに対処できる最後の世代である」(バン・キモン前国連事務総長)
1.気候変動否定論者のトランプ新大統領と閣僚たち
長年の気候変動否定論者である米国のドナルド・トランプ新大統領は、国務長官にエクソンモービル社前会長兼CEOのレックス・ティラーソンを指名した。エクソンモービル社は世界最大の多国籍石油企業である。同社は、1960年代から70年代には気候変動の存在と化石燃料による二酸化炭素排出がもたらす影響の深刻さを自社の研究で認識していながら、その後気候変動対策の進展を阻害するため情報を操作し、国民の気候変動に対する意見と政界に介入してきたことで知られている。
エクソンモービル社の気候変動に関する情報隠蔽疑惑については、2016年4月に米国の20の州と地域が捜査を開始したことが報じられている。ティラーソン自身はロシアでの石油開発に深くかかわり、その功績を評価されてロシアのプーチン大統領から「友好勲章」を受章している。オバマ政権下では対ロ制裁で停止状態となっていた北極圏でのエクソンによる石油開発が、再び動き出す可能性も取りざたされている。
トランプ政権の環境・エネルギーと持続可能な発展に関連すると予想される他の主要閣僚をみると、環境保護庁(EPA)長官には、オバマ前大統領のグリーンパワープランをはじめとする環境規制に一貫して反対し、訴訟も起こしてきたスコット・プルイット元オクラホマ州司法長官、国有地での石油・石炭開発に関する規制を担当する内務省長官には、「気候変動の科学は証明されていない、米国のパワーやエネルギーを「かもしれない」可能性のために犠牲にできない」とするライアン・ジンキ共和党下院議員(モンタナ州)、エネルギー省長官には、石油業界の規制緩和を主張し、気候変動にも懐疑的なリック・ペリー前テキサス州知事などが指名されている。
トランプ政権の布陣は、パリ協定が目指す「ゼロ炭素社会」、そして脱化石燃料文明への移行に真っ向から対立する陣容となっている。しかし化石燃料依存文明からの脱却は人類が避けて通れない歴史の流れである。
2.化石燃料文明の終わりのはじまり
気候変動に関するパリ協定(2015年12月に採択、2016年11月4日発効)は化石燃料文明の終焉を意味する。
パリ協定は、第1に産業革命以来の全球平均気温の上昇を2℃より十分低く、さらには1.5℃に抑えることを目標としている。気温上昇が1.5℃そして2℃を超えると、地球の生態系にも、気象にも、そして経済にも深刻で不可逆的な被害が生じることが予測されているためだ。そのためにパリ協定では、今世紀後半に、世界全体の人為的な温室効果ガス排出量を、人為的な吸収量の増加の範囲内に収めることを第2の目標としている。これは実質的に温室効果ガスの排出をネットでゼロにすることを意味する。これには化石燃料に依存した文明からの根本的な脱却が必要となる。すなわち化石燃料文明の終焉が始まるのである。その兆候はすでに起こっている。
そもそも人類の歴史を振り返ると、化石燃料文明の期間はほんの一瞬の出来事である。石炭・石油・天然ガスは、数百万年を要して太陽エネルギーが濃縮され蓄えられた、いわばエネルギーの缶詰である。これを私たち人類は、19世紀にイギリスから起こった産業革命(石炭の利用がその中軸)以来、わずか数百年で食いつぶそうとしている。
ただし、正確に言うと、化石燃料を食いつぶす前に、すなわち化石燃料が枯渇する前に、私たちは化石燃料に依存しない文明へ移行しなければならない(後述するように現在埋蔵が確認されている化石燃料の7~8割は燃やすことのできない座礁資産である)。まさに、サウジアラビアのヤマニ元石油鉱物資源相が語った通りである。「石器時代は石がなくなったから終わったのではない。(青銅器や鉄など)石器に代わる新しい技術が生まれたから終わった。石油も同じだ」(日本経済新聞、2009年7月4日)。
3.パリ協定が今後の経済活動に意味すること
幸いにしてパリ協定は大方の予想よりも早く、協定採択後1年にも満たない昨年11月4日に発効した。モロッコのマラケシュで開催された気候変動枠組み条約第22回締約国会議(COP22)では、会期中に温暖化否定論者であるトランプ氏がアメリカの次期大統領に選出されるという事態があったものの、多くの締約国からパリ協定を堅持し進めるとの力強い意思表明が相次いだ。近視眼的かつ排外主義的なポピュリズムのまん延と、その風潮をあおり、かつ温暖化の科学を否定する米国大統領の登場は、世界の持続可能性の前途に暗雲を漂わせている。このような政治的不確実性はあるものの、パリ協定採択以降培われた政治的意思と機運が保持され、ゼロ炭素の世界への移行はもはや覆すことはできないと考えられる。果たして2017年は持続可能な社会への着実な歩みを記すことができるだろうか。
パリ協定が示す将来社会はゼロ炭素排出の社会である。ところが各国がこれまで提出した約束草案(自主目標)がすべて実施されたとしても2℃未満の目標達成には程遠い。このためパリ協定では第3の規定として、継続的・段階的に国別目標を引き上げる仕組みとしての5年ごとの目標見直しを定めている。各国は、既に提出している2025年/2030年に向けての排出量削減目標を含め、2020年以降、5年ごとに目標を見直し提出する。その際には、原則として、それまでよりも高い目標を掲げることとされている。
各国はさらに気候変動の悪影響に対する適応能力とレジリアンス(耐性)を強化し、長期目標達成を念頭に置いた温室効果ガス排出の少ない発展戦略(長期脱炭素発展戦略)を策定し、2020年までに提出することが求められている。
これらの規定は、脱炭素社会への移行の強いシグナルを市場に送るものである。
2℃という目標(いわんや1.5℃)を達成するために世界全体で排出が許される温室効果ガスの量には限界がある。そしてその限界は近づいている。残された時間は、現状の排出量が続くとすると、あと20~30年しかない(図1)。世界全体で早急に温室効果ガス排出量の大幅な削減が求められている。
パリ協定の目標達成には、温室効果ガスを排出しない「脱炭素社会」への移行という根本的な発想転換が必要である。すなわち、そもそも排出をしない産業構造・経済社会への転換に向けた政策と制度の設計、そして事業者には事業活動の見直しが求められている。
4.すでに始まったゼロ炭素社会への転換
脱炭素社会への抜本的転換はすでに世界各地で始まっている。再生可能エネルギーのコストの急速な低下との爆発的な普及が続いている。2005 年末から2015 年末までの10年間で、世界の風力発電導入量は約7 倍(59GWから432GW)、太陽光発電導入量は約46倍(5.1GWから234GW)と急速に拡大した。2014年、15年は世界の石炭消費が前年比で減少し、石炭時代の終焉を象徴している。
国連環境計画(UNEP)の報告書 によると、大規模水力以外の再生可能エネルギーに対する世界全体の投資額は2015 年には2860 億ドルとなり、2004 年比で6 倍以上に拡大している。一方、同時期の化石燃料発電に対する投資額は1300 億ドルであり、再生可能エネルギー全体の半分以下にとどまった。
石炭の生産・消費も減っている。IEAによると、2013年に79億700万トンあった世界の石炭生産量は、2014年には78億6000万トンに減少した。背景には、石炭消費大国の中国と米国での消費量減少がある。中国では大気汚染対策の強化もあり、2014年の消費は前年比2.9%減の39億トンとなった。米国でも石炭生産と消費の減少が続き、2010年に9億5000万トンあった消費量は、2014年には8億3500万トンに減少している。炭鉱会社の倒産も相次ぎ、2016年4月には最大手ピーボディ・エナジーが破産法の適用を申請した(図2)。石油・天然ガス価格の下落、気候変動対策による石炭火力発電所への規制強化などが理由だ。
パリ協定が石炭時代の終焉を加速している。英国は2025年に、ドイツも2050年に石炭火力を全廃する方針を明らかにした。
石油など化石燃料価格下落により、その新規開発投資の収益性は損なわれる。化石燃料価格が今後上昇したとしても、価格が急激に下がっている再生可能エネルギーとの競争で不利となる。
5.新たな脱炭素ビジネスモデル
新たな脱炭素ビジネスモデルも世界で拡大している。モノからサービスへの移行を機軸とし、モノのインターネット(IoT)とエネルギー・製造・輸送・消費との融合による限界費用ゼロ社会と共有経済が広がりを見せている(注1)。
自社のエネルギー源を100%再生可能エネルギーからに転換することを宣言した企業(RE100)(注2)は、イケア、ブルームバーグ、BMWなど84社にのぼる(2017年1月12日現在)(表1は各社の取り組み事例を示す)。このような転換は、「社会貢献ではなく採算を踏まえたものだ」とRE100にコミットしているグーグルやフェイスブックは述べている。
参画企業 | 本部 | 再エネ100% 達成目標年 | 達成進捗 (2014年) | アプローチ |
---|---|---|---|---|
Microsoft | 米国 | 2014年 | 100% | キーチ風力発電プロジェクト(テキサス州、110MW)からの電力購入など |
IKEA | オランダ | 2020年 | 67% | 世界の自社建物に計70万基以上の太陽光パネル設置など |
Nestle | スイス | ― | 5% | カリフォルニア自社工場の電力需要の30%を賄うタービンの購入など |
BMW Group | ドイツ | ― | 40% | ライプチッヒ(ドイツ)に自社工場製造プロセスに必要な電力を賄う風力タービンを4基建設など |
P&G | 米国 | ― | ― | ジョージア州に500MW のバイオプラントを導入など |
Elion Resource Group | 中国 | 2030年 | 27% | 庫布斉砂漠に110MWの太陽光パネルを導入、余剰電力を系統に向けて販売など |
Infosys | インド | 2018年 | 30% | 国内の自社キャンパスに3MWの太陽光パネルの導入など |
さらに科学的根拠に基づくCO2削減目標を推進する国際イニシアチブ、Science Based Targets Initiative(注3)への加盟企業が2016年5月には155社までに達し、COP21(2015年12月)以降41社が加盟するなど、急増している。
また、2016年12月にはビル・ゲイツを会長として、アリババ創業者のジャック・マー、ヴァージン・グループ会長のリチャード・ブランソン、アマゾンのジェフ・ベゾス、ソフトバンクの孫正義など20人の富豪が出資して「ブレークスルー・エナジー・ヴェンチャーズ」(注4)というクリーンエネルギー開発を支援する投資ファンドが設立された。今後20年にわたり、新たに設立された基金に10億ドル以上を注ぎ込んで、気候変動をめぐる問題の解決を目指していくと発表した。彼らは、当然社会的責任や環境への貢献をアピールしているが、一方で経済合理的判断として気候変動対策を今後の主要投資対象として考えているのである。
日本では、「日本気候リーダーズ・パートナーシップ」(注5)(Japan-CLP)(代表櫻井正光氏:経済同友会元代表、リコー元社長)が脱温暖化を社会全体の問題、そして企業活動の将来を左右する問題として捉え、気候変動対応に対する経営層への働きかけを行っている。リコー、リクシル、イオン、オリックス、積水ハウス、アスクル、佐川急便など12社を中心に、多数の賛助企業からなり、大幅な排出削減に向けた経営手法(科学的目標設定、企業内部での炭素価格付け等)や協働ビジネスの検討など、企業や行政機関の幹部の参加を得た会合の開催などの活動を行っている。このグループは、COP21に参加し、COP22でも提言を出した。
日本企業の今後のビジネス展開に当たっては、「持続可能な開発目標」(SDGs)やパリ協定などの国際枠組みが意味する国際社会の将来像を十分理解し、現在の環境や持続可能性への取組みをより深化し、環境経営の主流に組み込んでいくことが求められる。
6.「座礁資産」という考え方と化石燃料関連投資の引き上げ
「座礁資産」という言葉が注目を集めている。気候変動の文脈での座礁資産とは、2℃目標の達成のための規制強化により使用できなくなるリスクがある資産である。
世界の主要機関投資家の間で、石炭等の化石燃料を座礁資産と捉え、企業価値に影響を与えるリスクを評価し、気候変動のリスクを明示的に認識し、回収不能となる資産(座礁資産)となる化石燃料関連への投資の引き上げ(ダイベストメント)をする動きが拡大している。
たとえばノルウェー公的年金基金は保有する石炭関連株式をすべて売却する方針を決定した。この中には日本の北海道電力や四国電力も含まれている。化石燃料資産を保有し続けることが、中長期的にもビジネスリスクの大きいものになっているとの認識が高まったからである。ダイベストメントの実施を宣言・公表しているのは、2015年12月現在で、43カ国以上の500機関、2024個人以上にのぼり、その資産規模は3兆4千億米ドル(400兆円以上)に達している。
このきっかけとなったのは、英国のシンクタンク、カーボン・トラッカー の2011 年の「カーボンバブル」報告書である(注6)。これによると、世界の平均気温の上昇を産業革命前と比べて「2度」未満に抑えようとすると、世界が保有している化石燃料の8 割は実は燃やすことができない、とされている(図3)。
こうしたことを背景に、座礁資産リスクに関連する情報開示の要求が高まっている。世界25 か国の財務当局、中央銀行などが構成する国際機関、金融安定理事会(FSB、議長:マーク・カーニー英中銀総裁)は、「カーボンバブル」を含めた気候変動関連の問題が金融システムにもたらすリスクを検討する、民間主導のタスクフォース「気候変動関連の財務情報開示に関するタスクフォース」(TCFD、議長:マイケル・ブルームバーグ)を2015 年12 月に設置した。このタスクフォースは、金融機関が投資リスクを判断できるような財務情報開示への具体的な提言と基準案を2016年12月に公表した(注7)。
この提案は、2月中旬までパブリック・コンサルテーションが行われ、その後FSBで審議されたあと、本年のG7サミットに提出され、今後の取り扱いが議論される予定である。財務情報開示基準には、企業の保有する化石燃料資産などの定量的データ、低炭素経済への転換計画などの定性的情報開示を含めて検討されている。
公的金融においても気候変動への影響をより考慮した投資指針が導入されている。すでに世界銀行をはじめとする国際開発金融機関では、石炭火力に対する融資規制、また欧米諸国による途上国への石炭火力輸出規制が導入されていたが、2015年11月には、OECD輸出信用ガイドラインが改定され、輸出信用アレンジメントにおいて石炭火力に対する公的支援規制が合意された。これにより、原則としてCO2排出量の多い亜臨界圧や超臨界圧(SC)石炭火力発電所が規制対象となり、実質的により高効率の超超臨界以上の発電所が融資対象の条件とされている。
また、民間金融の世界でもグリーン・ファイナンス(環境ファイナンス)と呼ばれる新たな動きが顕著である。パリ協定第2条(C)では、「資金の流れを温室効果ガスの低排出型の、かつ、気候に対して強靱な発展に向けた方針に適合させること。」と規定されている。
このことは、投資の量を増やし、脱炭素投資に方向を変えることの必要性を意味する。国際エネルギー機関(IEA)によると、再生可能エネルギーとエネルギー効率向上のための投資として、2035年までに53兆ドルが必要であるとされている。とりわけ脱炭素型技術にはその立ち上げのための資金が必要である。そのためには民間投資の役割が大きい。民間投資は気候変動がもたらす座礁資産などのリスクを適切に考慮することが必要である。
さらに膨大な資金需要に応えるために、気候変動対策に資する事業に特化した、グリーン・ボンド(環境債)、グリーン・インベストメント・バンクなどが創設され、それらの活動が拡大している。日本でも東京都が昨年末に、都が実施する環境対策事業の資金を調達するため、グリーンボンドの「トライアル版」として、個人向け債券「東京環境サポーター債」100 億円分を発行したことなどが注目を集めている。
7.脱炭素に遅れをとる日本―本格的炭素税導入が不可欠
わが国は、約束草案(INDC)において、2030年までに、2013年比26%削減との目標を掲げている。今後、2050年80%削減やそれ以降の長期大幅削減に向けて、長期ビジョンの検討と、それに基づく脱炭素長期発展戦略の策定が必要だ(注8)。
日本の取り組みは国際的にはどう評価されているか。COP22 の会期中にドイツの環境NGOのジャーマン・ウォッチが各国の気候変動政策を評価したランキングを発表した(注9)。これによると、排出レベル、排出量変化、効率、再生可能エネルギー、政策の5つのカテゴリーの計15個の指標で総合的に評価した結果、日本は対象58 か国中下から2 番目という不名誉な位置を占めた。日本の目標のレベルが科学的に求められる水準と比べ低いこと、そして世界の趨勢に反して国内外で石炭火力発電所の新増設を促進していること、再生可能エネルギーの拡大が阻害されていることなどが低い評価の要因である。
日本では、47基(2016年11月現在、気候ネットワーク調べ)の新規石炭火力発電所が計画されている。これが実施されると日本の約束草案の2030年26%削減の達成は難しい。ドイツなどでは、石炭火力発電は稼働率を下げている。運転コストゼロの風力や太陽光が優先的に使われるためだ。日本の電力会社が、石炭火力発電をたくさん抱えることは、将来的には石炭火力発電の稼働率の低下と収益性の低下を招き、経営悪化の恐れがある。しかし電力会社は大会社で潰すことは難しい。公的資金での支援や電力料金の値上げが起こりかねない。
長期戦略が目指すべき脱炭素経済の構築には何が必要だろうか。これには炭素の価格付け(カーボン・プライシング)が不可避である。
カーボン・プライシングとは、炭素に価格を付けることである。すなわち、気候変動の原因となる二酸化炭素(CO2)による社会的外部費用(気候変動によるさまざまな被害など)を内部化するために、排出される炭素の量に応じて何らかの形で課金をすることである。このことによって、排出削減に対する経済的インセンティブを創り出し、気候変動への対応を促すことになる。炭素に価格がつくことによって、CO2 の排出者は排出を減らすか、排出の対価を支払うかを選択することになる。その結果、社会全体ではより柔軟かつ経済的に CO2 を削減できる。
カーボン・プライシングを通じて、CO2などの温室効果ガスの社会的費用を市場で内部化し、衡平かつ効率的に温室効果ガスの排出を抑制することができ、新たな投資と需要が喚起され、脱炭素型のイノベーションが促進されるのである。
カーボン・プライシングの具体的手法には、炭素税と排出量取引がある。わが国の現行温暖化対策税(炭素税)は税率が非常に低い(CO2、1トンあたり289円)ので、温室効果ガス抑制にはあまり効果をあげていない。本格的炭素税の導入が必要である。炭素税の税収は、所得税減税ないし社会保険料軽減にあて税収中立とする、あるいは社会保障政策の財源とすることも考えられる。また、低炭素技術への投資支援、さらに今後の国民生活の安定的な基盤を構成する介護・医療などの人的資本、インフラなどの人工資本、農地・森林などの自然資本、など各種資本基盤の維持更新を図ることも重要だ。
8.気候変動対策を梃子としてイノベーションと雇用の拡大を
現下の日本経済は、低金利で資金は潤沢にあり、むしろ需要不足が課題である。気候変動対策の推進とそれに伴うイノベーションの展開に資金と技術を投入することが、日本経済の基盤と国際的な競争力の強化にも繋がる。
産業・社会面では、省エネルギーや再生可能エネルギーなどのグリーン産業への投資による産業構造・ビジネススタイルの転換、ゼロエネルギー住宅への転換を含む住宅投資とそれにより誘発される太陽光発電、家庭用コジェネレーション設備などの普及、それらとICTやIoT技術との結合によって、質が高く豊かで活力に富んだ社会を目指すことができる。
COP22に出席した山本環境大臣は、その後の記者会見で、「COP 22に出席して脱炭素社会に向けた世界の潮流はもはや変わらないことを肌で感じた。環境省が先頭に立って脱炭素社会への取り組みを大胆に進めていく」方針と述べた。
そしてわが国の脱炭素技術を発掘・選定し、発信していくための具体策を検討する、としている。具体例として「LE D」「ZE B (ネット・ゼロ・エネルギー・ピル)」「次世代自動車」「再エネ利用による低炭素な水素製造・利用促進」「電子機器の電圧制御等を行う部品を大幅に高効率化する窒化ガリウム半導体」「鉄より5倍軽く5倍強度があり、車の軽量化等に役立つセルロースナノファイバ-」などのジヤンルを挙げた。
気候変動対策を先導し、より省エネで省資源型の経済構造を構築することが、国際的低炭素市場での競争力を高めることになる。そして資源価格の変動による交易条件の悪化にも対処でき、発展途上国や新興国の脱炭素社会づくりに寄与することが期待できるのである。
(注1) ジェレミー・リフキン、「限界費用ゼロ社会」、2015年
(注2) http://there100.org/
(注3) http://sciencebasedtargets.org/
(注4) http://www.b-t.energy/ventures/
(注5) http://japan-clp.jp/
(注6) https://www.carbontracker.org/wp-content/uploads/2011/11/Unburnable-Carbon-2011-ExecSum-JPN-F.pdf
(注7) https://www.fsb-tcfd.org/publications/recommendations-report/#
(注8) 筆者らの「長期脱炭素発展戦略検討に向けての提言:脱炭素で持続可能な社会の構築~15の提言~」参照。http://www.gef.or.jp/activity/atmospheric/climate/teigen/index.html
(注9) http://germanwatch.org/en/CCPI
まつした・かずお
1948年生まれ。(公財)地球環境戦略研究機関シニアフェロー、京都大学名誉教授。国連大学客員教授、環境経済・政策学会理事、日本GNH学会常務理事。専門は環境政策論、環境ガバナンス論。環境省で政策立案に関与し、国連地球サミット事務局やOECD環境局にも勤務。環境問題と政策を国際的な視点から分析評価。著書に『環境政策学のすすめ』(丸善)、『環境ガバナンス』(岩波書店)、『環境政治入門』(平凡社)。『地球環境学への旅』(文化科学高等研究院)など。
特集・混迷する世界への視座
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