コラム/発信

にしなり☆こども食堂に参加して想う

地域にひろがる子育て、子育ち支援の輪

自由ジャーナリストクラブ 森 暁男

「今日のメニューは、七草粥、大根と鶏の手羽元の煮付、焼き魚、大豆の煮物、果物(リンゴ)、ご飯です」と代表の川辺康子さんの声。今日の調理スタッフのボランティアは男女それぞれ2名。午後3時半から調理が始まり5時半から食堂が始まる。子どもたちは三々五々集会所変じた食堂で、それぞれがグループで食べたり、一人で壁に向かって食べたりいろいろである。

私とこども食堂との出会いは、昨年ちょっとしたことがきっかけで始まった。

30年来20坪ほどの、日曜ずぼら百姓をしてきたが、年金生活二人の老世帯にはあり余る野菜がとれる。昨年冬たまたま「こども食堂」のことを聞き大根と人参を川辺さんに届けた。夏にはきゅうりを300本あまり、回数にして6回、届けることができた。

これは今年初め「にしなり☆こども食堂」(大阪市西成区出城)を訪ねた時のレポートである。

そもそもこども食堂がなぜ必要とされるに至ったのか。“目の前にお腹を空かした子どもがいる。何か出来る事ないんやろうか”という思いを持った人たちが、「ご飯は命と心を元気にしてくれる」と、とりあえずご飯を作ってそういう子どもたちが安心して食事ができる場所を作ろうやないか。困っている子どもを減らせるかもしれないと始めたのである。これが全国300ヶ所以上も出来た「こども食堂」の共通した思いであるという。

厚労省の2014年の資料によれば、日本の子どもの相対的貧困率は16.3%で、ひとり親家庭の貧困率は54.6%である。子どもの6人に1人、325万人が貧困状態にある。1985年が10.9%であるから増え続けているのが現実である。2016年11月末、在日デンマーク大使館が発表したOECDのこどもの貧困率の平均は13.3%で1位のデンマークは2.7%。日本の子どもの貧困率はやはり16.3%である。

にしなりこども食堂は2010年春にスタート、2015年から毎週火曜日と土曜日の2回開催している。利用者は幼児から高校生、親子の利用も可能となっている。

代表の川辺さんによると「こども食堂の運営方法は団体によってさまざまですが当法人では基本的に誰でも無料にしています。なかには無料で食事を提供することは依存につながるという意見もありますが、ただ食事を提供することだけが目的ではなく、活動を通して子どもと関わることでしんどい思いをしている家庭を発見し、地域と家庭のつながりを構築することが目的になりますので、誰でも利用できるよう無料にすることにこだわりました」。私が最も注目したのは「地域の子どもを地域で育てる」という視点が確かなのである。子育て、子育ち支援とは言い得て妙である。

ここ西成北西部地域では、小学校におけるひとり親家庭率がおおむね4割、就学援助率がおおむね7割、生活保護家庭が3割である。地域ではWAM(独立行政法人福祉医療機構)の助成を活用して「ヒューマン地域振興協会」が中心となって「子育ち・子育てこども暮らしサポート事業」を実施していた。相談会や訪問支援、子どもの居場所事業としての遊びの広場、学習支援、そして、こども食堂の活動などである。そういう多層的な活動の中の一事業として「こども食堂」を位置付けている。

ところが、自由な活動拠点にアクシデントが起きた。2016年3月末、「大阪市立市民交流センターにしなり」が閉鎖された。

地域の年寄りや子どもの居場所がなくなったのだ。行政がしないなら自分たちでと、「にしなり隣保館・スマイルゆ~とあい」が開設され、にしなりこども食堂はそこを居場所とした。にしなりこども食堂には毎回40名から60名を超す子どもが集まる。調理スタッフはボランティアで常連4名から多い時は10名以上が協力してくれるという。

これだけ切実な子どもの貧困と向き合えば、当然情報の交換・連帯の機運が生まれてきてもおかしくない。2016年9月10日その日がやって来た。

「こども食堂サミットin関西」が隣のビル「大阪市社会福祉研修・情報センター」で開かれた。この催しは注目に値する。

その趣旨には「食事の場が多様化し孤食がふえています。子どもが一人でも行けるこども食堂では、そこに行けば、たわいない話を聴いてもらえたり、食堂で出会った多世代の人との交流が芽生え、地域の中でのコミュニティが、こども食堂をきっかけに、人と人とがつながり、安心できる居場所になります。地域で子育て、子育ちを応援している人やこども食堂を運営している人、おせっかいな人どうしが食を介して、つながーる(いっちょがみする)ことにより、情報を交換し知恵を出しあい共に成長できる場を作ることをめざします」とあった。

釜ヶ崎で38年間続く子どもたちの憩いの場「こどもの里」の主宰者・荘保さんの報告もあった。こどもの里は「さとにきたらええやん」というドキュメンタリー映画になっている。

シンポジウム第1部では「こども食堂という居場所」が話し合われた。東京や近畿圏から、また泉明石市市長の参加を得て熱い議論が交わされ、既にこども食堂を運営している人やこれから立ち上げる人などがその運営の諸体験を交換した。

意見交換では「間違っている行為を叱ってくれるけれど、その行為に至るまでの背景を理解してくれて自分を丸ごと受け入れてくれる場所。そんな場所が一つでもあれば、そこを拠り所として生きる力を取り戻すことができます」。「明石市の全校区に一つずつこども食堂を作りたい」などの意見が出された。

集会に集まったメンバーは若い人が多く、ぬくもりの連鎖を取り戻そう、という気概が溢れていた。

確かに今の日本にはいろいろな問題が山積している。たまたま野菜を届けたおかげで出会った子どもの貧困問題、今の日本の諸矛盾の将来性を含んだテーマだと思った。貧困と貧乏は違う。貧困とは貧乏プラス孤独なのだ。

「こども食堂」から見えてくることは、家庭での孤食であり、家庭の機能の喪失とでもいえるような状況である。食材に触れ、調理をする親を見、そこに自分も参加し、共に食卓を囲んで楽しい食の時間を過ごすという機能である。この当たり前と思われることを知らない子供の姿が今ここにある。

川辺さんはじめスタッフの方々が、子どもの食事と向き合って気のついたことは何かというと、食事会を重ねていくうちに、当初は騒いだり、人のものを食べたり、食器を放ったり、落ち着かなかった子どもたちがだんだん落ち着きを取り戻しだしたという。食器もプラスチックのものを使っていたが、放ったり乱暴に扱うので、陶器製に替えたところ、丁寧に扱いだしたとのことだ。子どもたちは、食事の後はセルフサービスで、ボランティアの手不足の時は調理なども手伝ってくれる。

こども食堂はいわば憲法25条の生存権の取り組みなのだ。自治体も動き出してはいる。手許の毎日新聞2017年1月11日夕刊では、自治体も「こども食堂」という記事があり、1月13日には記者の目欄で川上珠美記者が「沖縄こども貧困問題」を書いている。メインタイトルは「未来の可能性奪うな」である。

この日のボランティアスタッフの男子大学生は、こども食堂を研究テーマにして、あちらこちらのこども食堂を回っているとか。今一人の男性は定年前で5回目のボランティアという。

この日、見学に訪れた東京から大阪に来ている単身赴任の会社員男性は、こういう状況に置かれた子どもが想像できなかったという。子どもと一緒に食事をしたいと、探し探し「ここ」にやって来た彼は、これから毎土曜日ボランティアに来るつもりだという。

何かをしたいという人が寄付や調理や物品を届けてくれる。

たとえばフードバンク。商品としては扱えないが、食べ物として全く問題のない余剰食品を、支援を必要としている人に届けるという活動である。ボランティアのスタッフの勤めの間を縫っての配送もこども食堂を支えている。

多くの人の支え、川辺さんが毎日放送「報道するラジオ」で強調していたことである。金のあるものは金を、力のあるものは力を、時間のあるものは時間を出しあいながら現実に向き合う時代がやってきたと実感する。労働問題にしろ沖縄の問題にしろ、教育、福祉は言わずもがなである。子どもの成育時間の密度の濃さは誰しもが経験済みのことである。子どもは待ったなしだ。こども食堂の意義は言をまたない。

最後に聞いたのが次のような話である。年明けに一人の男性が訪ねて来て「年末から食事にありついていない。何か食べさせてほしい」という。リストラにあって職を失い、訪ね歩いてやっと来たという。「どうぞどうぞ」と食事をしてもらったが、帰り際、男性が言った。「なにも聞かないんですね」と。いかにも大阪らしい話だが「おとな食堂」も要る時代がやって来たのかも知れない。

安倍総理は、昨年12月8日都内での講演で次のような言葉を発した。「私たちの進める政策によって子どもの相対的貧困率は大きく改善しました」と述べたが、これはもう虚言と言うしかないのが現実である。

もり・あきお

1940年大阪市生まれ。早稲田大学文学部卒。2001年まで大阪府立高校教員。2001年から一年間、中国・蘇州大学で日本語教員を務める。現在、蘇州大学と交流する大阪府教職員の会顧問。自由ジャーナリストクラブ会員。

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