特集●混迷する世界への視座
「混迷」を切り裂く知性の復権を
知性の衰弱こそ排外主義的権力者の狙い
本誌前編集委員長・神奈川大学名誉教授 橘川 俊忠
まるでホラー映画のような
オバマケアの廃止・TPPからの離脱・難民受け入れ停止・メキシコ国境の壁建設など、アメリカ合州国45代大統領に就任早々、ドナルド・トランプは、選挙中から繰り返していた主張を大統領令という形で次々と実施に移す措置を取り始めた。それらの主張は、大統領選挙中と同様、彼が連呼する “Make America Great Again” や “America First” とどう結びつくのかという説明もないまま、いきなり現実の政策の形を取ったのである。もっとも、“Make America Great Again” や “America First” といっても、情緒的な反応を引き出すためのスローガンであって、体系の核となるような理念ではなさそうなので、それとの論理的結びつきなど最初から考えてもいなかったのであろう。
すでに明らかになりつつあるが、トランプの最大の表現手段はツイッターであり、大統領就任後も「勤勉」に朝早くからツイッターで何事かを発信し続けている。そして、今のところはその効果は十分にあがっているかのように見える。直接間接のフォロワー数は千万の単位を数えるというし、GMやトヨタのような名だたる自動車メーカーも数行のツイッターに恐れをなし、トランプの批判に屈服する姿勢を表している。
こうしたトランプの政治手法や政策方向について、ポピュリズムとか自国中心主義とか、商取引の発想だとかという批判、ないし論評が行われている。たしかにそういう指摘には一理はある。しかし、トランプの言動に、いかなる意味において「イズム(主義)」という性格付けをすることはどうしても違和感が残る。「イズム(主義)」と称するには、疑似的にせよ、あるいはどんなに荒唐無稽でも、概念や命題を関連付ける一定の「体系性」が必要だが、そんなものの欠片すら見いだすことができそうもないからである。そこにあるのは、尊大な自己とアメリカ合州国という国家とを重ね合わせ、連想ゲームのように湧き出してくる諸々の想念(あるいは妄想)だけであって、それをツイッターという手段で自己顕示的に吐き散らしているだけにしか見えない。
「自分はリンカーン以来の偉大な大統領になる」などと公然とのたまうような人物が、地球を破滅させるに足るだけの核兵器の発射ボタンを常に手元に所持しているのである。これはほとんど悪夢である。また、悪趣味に改装された大統領執務室で金色のカーテンを背に傲然とふんぞり返り、次々と大統領令に署名し、得意げに見せつけている姿など、まるでB級ホラー映画の一場面を見ているような錯覚に陥る。
こんなトランプ流のやり方について、彼はビジネスマンとして案外冷静な判断をしているとか、彼のブレーン達はしたたかな計算を背後でしているという評価がある。しかし、それは、政治は論理や計算で動いているはずだという評者の思い込みか、そうあって欲しいという願望の表出にすぎないであろう。もし、冷静な判断・計算にしたがって、自覚的に、単純かつ無内容なスローガンの羅列で人々を動かすことができている人物がいるとすれば、その人物はとてつもないニヒリストに違いない。そして、そういう人物の方がはるかに恐ろしい。
無知な大衆と民主主義の限界?
以上のように、トランプとその政権にいささかの体系性や理論性も認められないとすると、そういう相手をどう理解すればよいのかという問題が生じる。とにかく理解不能なものほど不安を掻き立てるものはないから、人は何とか理解しようと努めることになる。その代表的なものが、トランプ政権の誕生を「行き過ぎたグローバリゼーションと格差の拡大」という現代世界の構造的問題から説明しようとする見解である。
たしかに、“America First” というナショナリスティックなスローガンや「不法」移民の排斥、「不公正」貿易、工場の海外進出に歯止めをかけ、国内に雇用を創出するという政策は、その構造的問題への一つの解答であろう。それが、失業、不安定雇用によって没落したか没落の危機にある中間層の不安に対応しているとも言える。実際、かつて石炭・鉄鋼・自動車などの製造業と強固な労働組合に支えられて民主党の堅い支持基盤を形成していた地帯が、今や “Rust Belt” 呼ばれ、大統領選挙ではトランプ支持に回った事実を考えれば、その説明は当たっているといってよい。
しかし、そういう説明は残念ながら後知恵の域をでない。また、トランプとその取り巻き連中を見れば、いずれも札付きの右派で、個人的にはアメリカ主導のグローバリゼーションの下で莫大な富を蓄えてきた金融業界・軍人・右派ジャーナリズム・シンクタンクに属する連中であり、トランプ自身がその最大の受益者ではないか。そういう連中が、「行き過ぎたグローバリゼーションと格差の拡大」という大問題に真剣に取り組むはずがない。たとえば、かれらが “Tax Heaven” を利用した税金逃れについて何も対応しようとしていないことをみればそれは明らかであろう。
さらに、工場の海外移転を止め、移民の流入を制限し、公共事業を起こし、貿易戦争を仕掛け、「アメリカ人」の雇用を増大させるという政策も、一時的な効果を発揮するかもしれないが、長期的にはマイナス要因になる可能性は小さくない。工場の海外移転中止の代償として、トランプは企業への優遇措置・規制緩和を提示しているが、それが環境規制条件や労働条件の緩和を含むものとなれば、長期的には労働者にとってプラスにはならないからである。まして、製造業の分野では、世界規模に拡大している部品供給網を前提にすることなしには製造業として成り立たないところまできている現状があり、かつての新興国と太刀打ちできるところまでゆくには、賃金も含めた労働条件の徹底した切り下げを覚悟しなければならないであろう。結局、トランプの政策も、強欲な経営者の利益を増大させることにしかならない。その意味で、トランプの “America First” 政策は、早晩破綻を免れない子供だましのようなものでしかない。
そこで、その子供だましのような政策に乗せられてしまうほど、アメリカの国民は無知で愚かであるにちがいない、そういう無知な大衆が選挙によって愚かな指導者を選んでしまう、そこに民主主義の限界がある、という議論が先の説明の後に続くことになる。この説明も、間違っているわけではない。まことにその通りであろう。しかし、その議論にどういう意味があるのであろうか。テレビのコメンテーターのような評論家にとっては、分かりやすい説明をしたということではあろうが、知識と分析力をひけらかしている高みにたった言説という印象をぬぐうことはできない。
そもそも一人に一票の平等選挙権を認める普通選挙制を基礎にした民主主義という制度は、人の知愚を問わないことを前提にしている。その意味では衆愚政治に陥る危険性を潜在的に内包していると言ってもよい。それでも人類史の経験上、民主主義が人々の生活と権利を維持・発展させるためには不可欠の制度であることは否定できない。したがって、いまさら民主主義の限界を云々することは、民主主義に代わる制度を提示しない限り無意味な評論である。問題は、民主主義をより良く機能させるための条件は何であり、その条件をどのように実現するかを具体的に示すことにある。
トランプ現象は他人事ではない
その条件を考えるのは後にして、トランプ政権登場の影響についてもう少し検討しておこう。これももういろいろ指摘されていることではあるが、その影響の最大のものは、自国中心(第一)主義の蔓延ということであろう。自国中心主義に基づく保護主義・単独主義による世界の遠心化傾向は、国家間の対立を激化させ戦争の危険性すら生み出す。その状況は、1930年代の世界大戦前夜に近づいているようにすら見える。暴走を始めた権力が、止まることを知らないというのは歴史の教えるところである。にもかかわらず、自国中心主義の蔓延を止めることが出来そうもない。それは、冷戦終結後、急速に進んだグローバル化と格差の拡大によって、社会的分断が深刻化し、安定した政治制度の基盤が掘り崩されるという共通の現象が世界各国を襲っているからである。
社会の分断の深刻化と政治的不安定要因の増大に対して権力が試みるもっとも安易な道は、その強権化であり、そのための排外主義による国家的凝集力の強化である。そこでは、差別意識を煽り、過去の「栄光」を呼び覚まし、伝統への回帰を叫び、エリートの虚偽性を追及する大衆迎合型の政治がはびこる。イギリス、フランス、ロシア、中国そしてアメリカ合州国で「帝国」のイメージが呼び覚まされているのはけして偶然ではない。敢えて大胆に言えば、第二次世界大戦での戦勝国としての誇りが、悪い方に作用しているのではないか、ということである。
それはともかく、ひるがえって日本はどうかといえば、これもあやうい瀬戸際に近づいている。トランプ登場以後の世論調査で安倍内閣の支持率は上昇し、55%に達したという。日本政府は、今のところ長い対米従属の惰性によって、アメリカ合州国の鼻息をうかがうという姿勢を表してはいるが、トランプ政権の出方によっては、おずおずと「美しい国日本」などと言っていたものが、「偉大な大日本帝国」などと言い出しかねない可能性は否定できない。少なくとも、安全保障問題を契機にした軍事力の強化と軍事行動の自由を確保するための憲法の改正への動きを強めようとすることは間違いないであろう。それが、かえって極東アジアの緊張を高め、国際政治の不安定化に拍車をかけ、さらに軍事的緊張を口実とした権力の強権化を促進するという悪循環に陥る危険があるにもかかわらずである。その点、小賢しい「現実主義者」や「本音」で語ると称する低俗な煽動主義者の言説が影響力を拡大することにも注意しておかなければならない。
トランプ政権登場の影響は、その対日政策が日本にどんな経済的および安全保障政策上の影響を与えるかというレベルではなく、トランプ政権登場と同じ要因が日本にもあるという意味でもっと根深い問題を含んでいる。その意味で、トランプ現象はけして他人事ではないのである。
希望はどこに
トランプ政権の登場、ヨーロッパ諸国における排外主義的右派の伸長、帝国化するロシア、中国、跋扈する独裁政権国家、ますます不安定化する中東情勢、こうした動きを羅列し、歴史の教訓を援用して世界の動向を検討すると、ほとんど第二次世界大戦前夜1930年代のような状況が目の前に迫っているようにも見える。しかし、そういう歴史の援用の仕方は、警鐘を鳴らすという点では意味はあるが、必ずしも正確な認識とは言えない。それどころか、いたずらに不安を煽るという点では誤ってさえいる。
30年代と比較する場合でも、同じ側面にだけ注目するのではなく、異なる面にも注目することが必要だろう。たとえば、グローバル化の一つの帰結である国際的相互依存関係の拡大・深化、非政府的組織も含めた国際組織・国際的連携の役割の増大、情報の世界的規模での共有の可能性の拡大、そして何よりも国家・民族を超えた人間の文化の相互理解の広がり、など30年代には見られなかった新しい要素が生まれていること、これは確実に言えるであろう。たしかに、国民国家という枠組みを完全に抑え込むほどには力強いとは言えないが、潜在的には国民国家の暴走を抑制する力は備えつつある。その力をどのように伸ばしていくのか、その方向さえ明確に示せれば、まだ希望は十分ある。現在の国民国家の排外主義的強権化は、死滅せんとするものの最後の「あがき」というとらえ方すら可能である、という観点を失ってはならないだろう。
また、現在の混乱をもたらしている最大の要因はどこにあるのかという点についていえば、問題はかなり明瞭になってきた。それは、「行き過ぎたグローバリゼーションと格差の拡大」という問題である。排外主義的・強権的権力の登場もテロの横行もその点では同根である。この問題については、リベラル派も明確な解決策を示すことに失敗してきた。その原因は、「経済成長は一定の福祉を維持するためにも必要である」(成長神話)と「経済成長は競争によって可能になる」(競争神話)という二つの命題を受け入れてしまったことにある。それは、規制緩和=自由な経済活動という掛け声の下に企業活動の放埓な利潤追求を容認することになり、結局格差の拡大を放置することにならざるをえなかったのである。そして、極めて図式的に言えば、自由な経済活動を阻害する要因として労働組合をやり玉にあげ、労働者の権利の侵害をもたらした。その結果、社会は重要な対抗勢力を失い、民主主義の機能不全を引き起こしたというわけである。
先の民主主義を機能させる条件とは、この点にかかっている。社会的権力(あるいはヘゲモニー)の多元的・重層的構造があって、はじめて民主主義は機能する。そういう社会的権力としての機能を担いうる組織は、具体的にいちいちあげることはしないが、労働組合以外にも実に多様に存在する。リベラル派は、そういう多様な運動や組織の分野で、保守派にはない優位性があったし、今でもあるはずである。「成長神話」「競争神話」という二つの神話の拘束を自ら解き放ち、社会の中に多元的・重層的ヘゲモニーを構築することに努めるならば、希望は見えてくる。
見方を変えれば、トランプのような即物的で思い付きだけのデタラメな政権の登場は、その最大の問題が行き着くところまで来たということの証左である。いたずらに「混迷」を嘆いていても仕方がない。そんな嘆きは、衰弱した知性の泣き言にすぎないことを銘記しよう。知性の衰弱こそ排外主義的権力主義者が狙っていることだから。
きつかわ・としただ
1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任、昨年4月より名誉教授。前現代の理論編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。
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