特集●混迷する世界への視座
世界政治の変容とプーチンの領土戦略
北方領土の「最終的、長期的解決」への途
法政大学教授 下斗米 伸夫
はじめに
世界政治の大波乱を予感させる2017年、歴史を多少学んだものは、このような大変化に遭遇すると歴史に戻るのが癖である。そうでなくとも今年は米国が第一次世界大戦に関与してから100年、そしてロシアで革命が起きて100年目ともなる。
米国とロシア、いずれもヨーロッパのキリスト教文明から見れば周辺に位置する。米国は「清教徒」が「新世界」を求めて作った移民たちによる実験国家であり、もう一方のロシアは「正教徒」のスラブ世界から革命によって、これまた一種の実験国家であるソビエト連邦を作り出した。
冷戦期この米ソという二つの超大国は、それぞれ自ら提示する世界像を有していた。米国は、それまでモンロー主義という名の孤立主義をかかげてきたが、欧州戦線に参戦した100年前に積極的な関与へと転換した。とくに米国大統領ウィルソンが参戦した口実は「民主主義」であった。以来「民主的」介入という旗頭が米国外交の基調ともなってきた。もっとも第一次世界大戦後は一時孤立主義が起き、国際連盟への参加は一時遠のいたが、第二次世界大戦後の冷戦と、特に冷戦後は、米国の民主的関与が世界大で起きた。
他方、同じ時ロシアで2月革命がおき、祖国に戻ったレーニンが叫んだのは「共産主義」という言葉であった。10月革命でソビエト政権、実質は共産党独裁政権ができ、共産主義を世界大に広めようとした。1920年代は国際連盟加盟国より、コミンテルン(共産主義インターナショナル)加盟国のほうが多かったほどだ。もっともロシアもまた革命の「世界史的意義」を語ったものの、実質は一国社会主義、国際主義の便宜的利用が最後まで付きまとった。1991年にソ連共産党が終わり、そしてソ連が崩壊した。共産党が今権力にあるのは中国、ベトナムなど東アジア、それにキューバのみだ。
冷戦という名のイデオロギー対立、「民主主義」と「共産主義」との体制間競争は、今から25年前に勝負がついた。ソ連が崩壊、かわってロシア、ウクライナなど15の共和国ができ、民主主義や市場などの制度が輸入され、模倣された。米国の場合は民主主義の名によるグローバルな関与は、むしろ冷戦後にこそ強まった。その地域的対象も旧ソ連圏だけでなく、9・11の同時多発テロ以降は中東から北アフリカへと拡大した。米国の民主的介入によって、イラクから中東での「アラブの春」が起きた。
しかしそれは中東など「東ローマ帝国」からイスラム世界に転じた「文明の衝突」圏に他ならなかった。宗教、宗派から民族まで、モザイクな中東などユーラシア世界でのレジーム・チェンジは、予期しない紛争を拡大させた。シリアやイラクをはじめとする地域でのISの登場にみられるように、「民主的介入」によって権威主義体制を打倒したら代わりに「鬼っ子」がはびこる結果となった。
1.「新冷戦」の皮肉
なかでもこのような米国の「民主的介入」の梃子となったのが、1990年代後半からのNATOの東方拡大であった。冷戦後東西は軍事同盟を拡大しないという東西最高首脳間での合意があった、とゴルバチョフ元大統領、ゲンシャー元首相から、キッシンジャー博士までが共通に指摘している。
ところが戦後派政治家のビル・クリントン大統領は、再選目的もあって1996年にポーランドでNATO東方拡大を打ち出したことから、冷戦後の東西関係に亀裂が生じ始めた。この問題は米国内政と絡んでいた。というのも北米の移民票がNATO東方拡大などで跳ね返ったからである。
つまりユダヤ系やカトリック系を含めた東欧、旧ロシア帝国からの移民票が対外関係に、旧ソ連や中東などに関しておおきな政治力を持つ。1000万以上のポ-ランド・カトリック票が選挙の行方を左右することもあって当時のビル・クリントン大統領はポーランドでNATO 東方拡大を打ち上げた。これが東西関係を再度悪化させる遠因となった。「地球的に考えて、地域で行動する」という標語がかつてはやったが、クリントン民主党政権は反対に、「地域的に考えて、地球的に行動する」という事になった。ドイツの著名な評論家テオ・ゾンマーも「ロシアの玄関先」にまでNATOを拡大したのがボタンの掛け違いのはじまりだったと、今コメントする(註1)。冷戦後欧米がロシアを無視し、敵視したことが現在の危機の始まりだった。
ロシアのプーチン政権は、「主権国家」に対し「民主化」名目で関与、レジーム・チェンジを巻き起こすことを「カラー革命」と呼んだ。2004年のウクライナでのオレンジ革命やその後のシリアなどの「アラブの春」をはじめとする政治変動に、極度の警戒を示してきた。2014年のウクライナ危機は「民主化革命」の名のもと、事実上のクーデターで政権を打倒したことが原因だった。
宗教的民族的に複雑なウクライナは、オレンジ革命やマイダン革命といったように10年ごとに革命が起きる不安定国家となった。ソ連期にウクライナという共和国を作ったのはレーニンとスターリンであった。宗教的には正教系のドンバスなど東部と、半カトリック系の西部とを無理やり接合した結果、これが実際に独立すると不安定な国家となった。
なかでも最大の問題はクリミアである。スターリン死後の1954年、実権を得たフルシチョフがロシア領「クリミア」をウクライナに帰属替えした。1991年の独立後クリミアの多数派であるロシア人はウクライナでは二級市民扱いを受けた。
ソ連崩壊まで黒海艦隊はモスクワ直属、1997年になってようやく20年間のロシア、ウクライナによる分割統治となった。これをさらに20年間延長することをきめた2010年のヤヌコビッチ政権によるハリコフ(ハリキウ)合意があった。2042年までの延長で合意していたクリミアにおけるロシア黒海艦隊基地の地位が、しかしマイダン革命でにわかに危うくなり始め、これに怒ったプーチンがクリミア併合で対応した。ロシア制裁の結果、米ロ関係は最悪の状況に陥った。
これらの展開は皮肉でもあった。2009年プラハで「核なき世界」を呼び掛け、ロシアとの関係のリセットを呼び掛けたのは民主党のオバマ大統領だった。しかしオバマ大統領は対ロや核政策で何も成果を上げられず、むしろ「新冷戦」をもたらすだけに終わった。
この論点は今回の米大統領選挙に連動、クリントン候補が対ロ強硬策の維持を、そしてトランプ候補が緊張緩和と対話とを主張した。プーチン・ロシアをどうするかで民主党系が「新冷戦」と「民主的関与」の維持を、共和党とくにトランプ系が「パクス・アメリカーナ」の終わりを主張するというねじれが生じた。
ねじれにねじれた選挙の結果、ロシアが米国大統領選挙でトランプを勝たせようと介入したといった言説まで生まれた。プーチン政権がロシアの息のかかったトランプ候補を脅し、白人労働者などをそそのかしてトランプを勝利させた、ロシアが介入した結果、「カラー革命」が起きた、といわんばかりの説まで現れた。とくにクリントン候補は「民主的介入」に熱心であったが、この結果、難民問題の発生を通じてヨーロッパでも危機的結果をもたらしてきた。ロシアはこのような潮流に反対であったことが、米国選挙にまで反映した。
2.トランプ新政権と米ロ関係
こうして冷戦後世界の政治潮流は再び大きく変わろうとしている。それに伴って世界秩序もまた大きく変動する分岐点にたっている。顕著なのは2016年6月の英国のEUからの離脱、つまりBrexitの国民投票に続いて、11月9日の米国大統領選挙で多くの専門家の予想を覆し、アメリカ第一主義を掲げ、孤立主義・保護主義を主張するドナルド・トランプ候補が勝利したことだ。
この結果は米国第一主義による「パクス・アメリカーナ」の終焉を公然と語るトランプ大統領の登場であり、これにともなってプーチン・ロシア大統領を敵視して来た米国の対ロ政策が転換する予兆がある。皮肉にも孤立主義を掲げるトランプ政権が対ロ政策の転換を掲げ、それに伴っていわば「デタント」をもたらす可能性が生まれるというやや不思議なめぐりあわせだ。これに呼応するかのように2016年11月末プーチン大統領も新米国大統領へ早期の首脳会談を呼び掛けた。
トランプ大統領も核軍縮とウクライナ制裁解除をめぐる新しい米ロ関係を示唆した。なかでも新国務長官には、20年以上もロシアを含めて石油ビジネスを展開し、ロシア事情に通暁しているエクソン・モビルのCEO、レクス・ティラーソン氏を指名した。キッシンジャー博士の推薦だったといわれるが、2月1日米上院もティラーソン氏を国務長官として承認した。
それに伴ってウクライナをめぐっても変化の兆候が見られる。正確にいうと昨年8月の独立25周年ごろから動きが始まった。中でも1954年にフルシチョフが、ロシア領だったクリミアをウクライナに「押し付けて帰属させた」ことが誤りの始まりだった、と発言したのは初代のウクライナ大統領クラフチュークである。また12月末には、ウクライナ政界で欧米との関係が深いピンチューク(2代目クチマ大統領の娘婿)が、キッシンジャーにならってウクライナの「中立」をウォール・ストリート・ジャーナル紙で主張した(註2)。
なかでも興味深いのは、ミンスク合意を促進したロシア専門家のトーマス・グラハムが、ロシア大使候補となっていることである。彼はブッシュ政権で国家安全保障会議(NSC)のロシア担当、大統領特別補佐官を務めたロシア通、東部ウクライナ停戦のミンスク合意の成立に尽力したキッシンジャー・アソシエイツの関係者である。
なかでも1月初めに米国のVoice of Americaに語ったインタビューで、「ウクライナ問題の解決なしに米ロ関係は修復しない」と、ロシアへの制裁の解除を訴えている。ウクライナ問題の中核であるクリミアについては「5~10年かけてクリミア問題を『合法的』に解決する、この代償にロシアのウクライナに対する賠償やクリミアでの再度の住民投票なども行う」といったアイデアを出している。他方で米国はロシアへの制裁を段階的に解除し、ウクライナは非同盟とし、NATO加盟も行わない、という内容である。
つまり、適切なプロセスを経たうえで、クリミアをロシア領とすることを是認している。グラハム・インタビューはロシア国内でも報道された。クリミアのロシア領有を合法化するという考えは、イタリアなどにも支持があるが、歴史的理由と、現在のウクライナ経済にロシアの賠償金を与えるというメリットもあって興味深い。
いずれにしてもトランプ政権の対ロ政策は興味深い例である。もっとも共和党自体はロシアに懐疑的な傾向が強く、議会の反対を気にする議論もありうるが、しかしティラーソン国務長官人事がクリアーされたことと合わせて、今後興味深い展開が期待できよう。
3.ロシア外交と領土問題
このようなロシア内政の変容とトランプ政権の登場で、ロシアの国際観にも微妙な変針がみられる。なかでも米国共和党政権とのデタントへの多少の期待からか、12月までにまとめられた大統領教書、そして大統領に承認された「ロシア連邦の外交概念」は宣言的性格の文書ではあるものの、西側への協調的なトーンに変わり始めている。この「概念」はプーチン外交戦略の行動綱領とでもいうべき性格を帯びる。現在版では、もはや「西側」は存在しないこと、中国などアジアに国際的な重心が移っていること、そしてロシアは「アジア」シフトをいそぐべきこと、を訴える。
このような「ロシア連邦の外交概念」は、かつて2001年、2008年、2013年にそれぞれ作られた。今回はウクライナ紛争と制裁、そしてトランプ政権の誕生といった時期にあわせ早めに改訂されたようであるが、欧米諸国の世界政治と経済での影響力の低下、また一部の国が内政に関与していることへの否定的性格、世界経済と政治が多極化していることも指摘している。西側に偏重したG7にかわって各大陸の文明的に重要国を含むBRICSやG20が重要だとし、またロシアが正教国家として「ロシア世界」に関与することにも触れている。米ロ関係の緊張と核戦争の脅威についても強調されている。
なかでも興味深いのはこの「概念」における国境概念の変化と現実の展開である。とくに2010年版、2013年2月版、そして最新のトランプ登場後の2016年12月版の異同である。周知のようにロシアは2004年秋に中国とのアムール川の国境線問題を解決した。この点については井出啓二氏の最新著『中露国境交渉史』(作品社、2017年)に詳しい。その後ロシアは2010年には今度はノルウェーとの間にメドベージェフ大統領が海の国境線画定を行っている。
このこともあって実質的には2013年版が念頭に置いたのはクリルとなっていた。そしてここで初めてプーチン政権は「国際的国境線」の確立を求める、という内容となった。つまり日ロ間には国際法的には国境線がなかった、それぞれは内政上の必要で主張しているだけだから、日ロでも国境線画定を正式にやろうという呼びかけである。
実際その前にプーチン大統領は「引き分け」による日ロ交渉を朝日新聞の若宮啓文氏を通じて呼びかけた。もっともその後2014年にクリミア紛争が生じたことによってロシアは再び日本とウクライナと二つの国境画定問題を抱え込むことになった。
4.クリミアと千島
実は、このクリミア(ロシアではクリム)と、日本の千島列島(クリル)をめぐる問題とは大きな歴史的な関係がある。周知のように日ロが最初の国境線画定をやったのは1855年、有名なプチャーチン提督が徳川政府と下田で行った「日露和親条約」であるが、これはまさにクリミア戦争のさなかであった。
クリミアは、トランプ大統領は意味のない島と言っているが、ロシア人にとってキリスト教受洗の地だと信じられている。事実この2016年11月4日プーチン大統領はモスクワのクレムリンの横に、この受洗したウラジーミル大公の記念像を建立した。この11月4日はロマノフ王朝ができるきっかけとなった、ポーランド軍からモスクワを解放した記念日である。クリミア戦争は聖地管理権をめぐる宗教戦争であった。保守的なプーチン政権はこのような宗教行事をも重視している。クリミアでの西側との戦争での敗北が、ロシアを東に向かわせ、その関係で日本との国境画定、さらに中国との北京条約など、当時の「東方シフト」の一環となった。
その後のクリミアと千島の関係をふくめグローバルな変化のきっかけとなったのは、この条約から90年後に起きた1945年2月のヤルタ会談であった。ここで連合国首脳が集まって、米国のローズベルト大統領の要請もあってスターリンは対日参戦を行う。その見返りが「クリル列島のソ連への引き渡し」であった。その時の秘密条項は1946年1月には連合国が公表した(トルクノフ、五百旗頭、下斗米、ストレリツォフ編『日ロ関係史-パラレル・ヒストリーの挑戦』東大出版会、2015年)。
もっともこの「引き渡し」という表現は難題であって、1956年のフルシチョフ政権と鳩山政権の「日ソ共同宣言」における「歯舞・色丹」の「引き渡し」と同様であるが、誰の主権のもとでいかに引き渡すかは決められていない。つまりは日ロ間の領土問題では、ロシア側は今も「第二次世界大戦の結果」として、ソ連の後継国家=ロシアのものとなったと主張しているものの、「国際法上」の規定からすれば不十分なままでもある。
したがって外交概念2016年版の第26条e項ではロシア国境を「国際法的に確定する活動を活発化する」という規定にかわったが、それは国際法としては日ロ間にまだ明確な国境がないことに等しい。プーチン大統領が東京の記者会見で「我々は国境線をピンポンのように変えることは止めるべきだ、双方は問題の究極的にして長期的解決に努力すべきだ」といっているのもまたこのことを指している。つまりプ―チン政権は、昨年末の記者会見では通訳の能力不足もあってきちんと訳されなかったが、平和条約を希求しているのである。
もっとも他方、これまでの2010年版と2013年版にあった「相互受け入れ可能な解決の模索」という表現は今回の2016年版では消えている。このことについて一部マスコミでは、プーチン訪日直前の『読売新聞』のプーチン・インタビューで領土問題はないと指摘したことと合わせ、プーチンはもはや平和条約締結による日ロ間での領土問題への関心を失ったという説を出しているが、誤解であると思われる。繰り返すがプーチンは「国境線」の「最終的、長期的解決」を昨年12月16日東京で日本側に訴えたのである。
5.「共同経済活動」の射程
というのも2016年5月に安倍総理が主張したとされる領土問題への「新しい接近」で、そのプロセスが始まったものと思われるからだ。実際山口会談で示された「共同経済活動」を「新しい国際約束(条約)」によって実施するといった規定でこの国際的決着への過程は始まったと考えられる。 その意味ではこの「加速化」という表現が示しているように、共同経済活動次第で進展する可能性はあろう。実際この「共同経済活動」について、安倍総理は、2017年1月20日の国会の施政方針演説で、
「ロシアとの関係改善は、北東アジアの安全保障上も極めて重要です。しかし、戦後70年以上経っても平和条約が締結されていない、異常な状況にあります。先月、訪日したプーチン大統領と、問題解決への真摯な決意を共有しました。元島民の皆さんの故郷(ふるさと)への自由な訪問やお墓参り、北方四島全てにおける『特別な制度』の下での共同経済活動について、交渉開始で合意し、新たなアプローチの下、平和条約の締結に向けて重要な一歩を踏み出しました。」
と指摘した。
この共同経済活動とか「新しいアプローチ」や「特別な制度」が、国際約束(条約)による解決、つまり一種の「共同管理・主権」であることについては、次第に国際会議などでも了解が広がってきた。
その際モデルとなるのは、2004年の中ロ間の50対50によるアムール川の例もあるが、もう一つは2010年のノルウェーとの関係である。一つの島でロシア人と共存し、自由経済活動することが、国境問題解決につながった例に、北極海にあるノルウェー領のスピッツベルゲン島がある。今はノルウェー主権下であるが同時に「スバールバル条約」という国際法的枠組ができた。その結果ロシア国籍の住民がこの島で数百人暮らしているという。ロシアとノルウェーはこれを通じて2010年には海の最終的な国境画定を成功させた。
もちろんあらゆる事例はつねにユニークである。日本の領土問題もまた、中国やノルウェーとは同じではない。それでも共同管理・主権とかコンドミニアムによる国際法的枠組みで問題を解決する動きが始まった、とみるべきだ。これはこれまで日ロ間でくり返された一回の交渉で主権を決めるといった方式とは異なる。総理も「70年以上動かなかった領土問題の解決は容易なことではありませんが、高齢である島民の皆さんの切実な思いを胸に刻み、平和条約締結に向け、一歩でも、二歩でも、着実に前進」していくと主張する。これに対応して日本外務省のロシア担当では、2107年初めから国際法の専門家が対ロ外交の正面にたっていることも興味深い。
今年からは北極海でのヤマルネネツからオホーツク海にむけてLNG船が運行されることになる。サハリン1を担当した経験をもつティラーソン米国務長官などの米国新人事と合わせ、これからの「北方領域」にからむ関係には大きな可能性があるとみるべきだ。
註1 『ロシアNIS調査月報』2017年1月。
註2 The Wall Street Journal,29 December,2016.
しもとまい・のぶお
札幌市生まれ。法政大学法学部教授。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。法学博士。成蹊大学教授を経て1988年から現職。専門は、国際政治理論、ソ連・ロシア政治史、日ロ関係論など。この間、朝日新聞客員論説委員、日本国際政治学会理事長などを務める。著書に『ロシア現代政治』(東大出版会)、『モスクワと金日成』(岩波書店)、『日本冷戦史』(岩波書店)、『ロシアとソ連 歴史に消された者たち』(河出書房新社)、『プーチンはアジアをめざす 激変する国際政治』(NHK新書)、近刊に『ソビエト連邦史1917~1991』(講談社学術文庫)
特集・混迷する世界への視座
- 帝国の終焉から連欧連亜を求めて(社)アジア連合大学院機構理事長/進藤 榮一
- 「公約」強行で世界の大混乱は必至国際問題ジャーナリスト/金子 敦郎
- 反知性主義が支えるトランプの外交政策沖縄国際大学教授/佐藤 学
- 東アジアの経済発展と今後の展望(上)国士舘大学教授/平川 均
- 政治のグローバル化こそが必要だ横浜市立大学名誉教授/金子 文夫
- 世界政治の変容とプーチンの領土戦略法政大学教授/下斗米 伸夫
- なぜ「県外移設」=基地引き取りなのか東京大学教授/高橋 哲哉
- 化石燃料文明の終わりのはじまり地球環境戦略研究機関シニアフェロー/松下 和夫
- 「混迷」を切り裂く知性の復権を本誌前編集委員長・神奈川大学名誉教授/橘川 俊忠
- 象徴天皇制の延命を図る「生前退位」論争筑波大学名誉教授・本誌代表編集委員/千本 秀樹
- 人間を幸福にしない"資本主義"(上)ものづくり産業労組JAM参与/早川 行雄
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