論壇

ジョン・デューイの急進的リベラリズムと生活様式としての民主主義

今日の状況は1930年代の状況と酷似している

関西大学名誉教授 若森 章孝

はじめに

21世紀も20年代に入った今日、西欧近代が生みだし発展させたリベラリズム(自由主義)の思想と民主主義は無力化し、危機に瀕している。市場経済は元気旺盛に見えるのに、それと伴走してきたリベラリズムと民主主義の力は失われていくようである。

個人の自由、個性、表現や集会の自由によって保証される知性の解放を掲げた初期リベラリズム(ジョン・ロックやジョン・スチュアート・ミルに代表される)は、リベラリズムを経済的自由と国家による干渉の排除と同一視する19世紀の自由放任的リベラリズムを経て、労働力の販売によって生計を立てる労働者に「企業家」として自身の人的資本(知識や経験、資格)を育成・向上させることを要請する新自由主義的リベラリズムへと変質している。リベラリズムは、もはや個人の自由と個性の解放をめざす思想ではなく、すべての人が企業家として競争的市場で生き残るための企業主義的リベラリズムとなっている。

また民主主義は、20世紀になって普通選挙権が先進国で普及して政治制度として確立したが、世紀末になると、資本主義と市場経済が生みだす失業や貧困、格差といった害悪を是正する民主主義の機能が無力化し、人びとの政治への関心は低下して投票率が各国で著しく下落した。

すべての人を自己の人的資本の管理に責任を負う主体として統治する新自由主義は、自由そのものを競争市場での経済的行為に限定し、自由と平等を経済的用語に焼き直すことによって、民主主義の荒廃と「日常生活の新自由主義化」を押し進めている(註1)。格差や分断を是正するという民主主義の社会統合機能が失われた現在、もはや、資本主義と民主主義の両立を語ることはできず、民主主義なき資本主義が暴走しているように見える。

20世紀を代表するアメリカの哲学者であるジョン・デューイ(1859-1952)は、1930年代に『新旧の個人主義』(1930)、『リベラリズムと社会的行動』(1935)、『自由と文化』(1939)、「リベラリズムの将来」(1935)、「創造的民主主義」(1939)を含む多数の論説を執筆した。

そこにおいて彼は、経済恐慌と世界経済危機、労働市場や通貨の安定に介入する国家資本主義と全体主義的国家(ファシズムおよびボリシェヴィズム)が出現する中で個人の自由と個性の抑圧が広がり、リベラリズムの理想が国民の大多数にとって無縁なものとなって階級や人種の壁を乗り越える民主主義の機能が衰退している状況に対応する、リベラリズムと民主主義の再生について模索した。彼の急進的リベラリズムと生活様式としての民主主義に関する議論は、リベラリズムの理想が失われて議論や話し合いで対立やさまざまな障壁を乗り越えながら共通の関心を発展させていく民主主義的な方法が衰退している今日の状況にも、多くの重要な示唆を与えてくれる。

リベラリズムの危機とその再生としての急進的リベラリズム

資本の集中と集積の進展した20世紀の私的集産主義的な資本主義(独占資本主義)のもとでは、多数の人びとが、貧困や失業、病苦や学習の機会喪失によって個性や自由を実現する機会を奪われている。初期のリベラリズムの理想であった自由と個性と知性の解放・発展は、もはやすべての人が期待できるものではなく、労働者を中心とする大部分の普通の人びとにとって無縁になり、私的集産主義的な資本主義を担う活力や独創力や自立心に富んだエリート層の特権的性格(すなわち「強靭な個人主義」)として存続しているだけである。

これは、あらゆる人の個性と知性の発展というリベラルな理想を目的としたリベラリズムの失敗を意味しており、リベラリズムの危機を表している(註2)。しかし、デューイの見るところ、リベラリズムの理想と資本主義の現実とのあいだのギャップの中に、リベラリズムの再生の可能性がある。リベラリズムの理想は、もはや資本主義の現実を正当化するものではなく、その正当性を否定する強力な要因となっているからである。

デューイは、彼が初期リベラリズムに含まれる3つの中心的要素と考えるものを、19世紀の『共産党宣言』に匹敵すると評されることもある「リベラリズムと社会的行動」(1935)において抽出する。「初期のリベラリズムには、永続的に価値ある要素が含まれていることも事実である。自由、それを通して達成される個人に本来的に備わった能力の開発、探究や討論や表現に示される自由な知性の中心的役割などである」(LSA:22,訳271)。そして彼は、個人は結合関係(association)あるいは相互作用(interaction)を通じて個性や願望や意欲を育て、経験を共有することで階級や人種といった障壁を乗り越えるという、経験の可能性についての社会哲学に基づいて、リベラルな価値の解釈の現代化を試みる(註3)。なぜなら、自由や潜在能力の開発としての個性、自由な知性といったリベラルな理念は、正しく理解されるなら、口先だけのリベラリズムではなく急進的リベラリズム、すなわち、束縛や制限から諸個人の自由や個性や知性を解放し発展させる民主主義的リベラリズムの基礎になる、と彼が考えているからである(Dewey:1937a)。

自由と知性は、個人の潜在的能力の自己発展としての個性の条件である。個人の個性は、具体的には、人間相互のさまざまな交流や触れ合いやコミュニケーションから生じる願望、欲求、目的、信念(belief)から構成される(LAS:31,訳277)。すなわち、「人間が信じ、希望し、目的とするものは結合関係と相互交渉の産物である」(Dewey1927:251,訳35)。そのような個性を構成する願望、欲求、目的は、さらなる交流と触れ合いを通じて豊かに発展していくことになる。個性の発達は、結合された生活(associated life)の質と動きに依存するのである。個性の発達が妨げられているとすれば、結合関係の発展を阻んでいる現在の社会のあり方が問題であり、それはよりよい社会的組織化の追究によってのみ解決されるのである。

そうだとすれば、諸個人は、この結合された生活の仕方を方向づける制度の決定に参加する必要がある。逆に言えば、制度形成への参加の制限は、個性を抑圧する巧妙な方法である。「社会制度の影響を受けるすべて人が、その形成と管理に参加しなければならない。各人は、自分が生活している制度によって、何をし、何を楽しみ、何になるかについて影響を受ける。したがって、民主主義においては、制度の形成に発言権を持つことが必要である」(Dewey1937b:218)。

自由は、デューイにとって束縛や国家の干渉からの自由という「消極的自由」ではなかった。「歴史的相対性の概念を導入するなら、自由の概念はつねに、しだいに抑圧的となると感じられる諸力との相対関係において発達する、ということほど明白なことはない。具体的に、自由は特定の抑圧的要因・・・からの解放を意味する。・・・今日では、物質的不安を感じないですむこと、大衆が当然享受すべき莫大な文化的資産を、彼らの届かないところにおいている強制や抑圧からの解放が、自由の意味である」(LAS:35,訳282-283)。

彼は、消極的自由を自由放任資本主義の経済的自由として展開した経済的自由主義者の論法によって多数の人びとが自由と個性を実現する機会を奪われたと考え、リベラルな価値としての自由を「特定なことをおこなうための有効な力(effective power)」(Dewey:1935:360)と再定義する(註4)。「ある時点における自由の状況を知りたければ、人は何ができ、何ができないのかを検討しなければならない」(Dewey:1935:360)。デューイの有効な力としての自由には、その人に何ができるかという「機能」に注目する、アマルティア・センの潜在能力(ケイパビリティ)アプローチと共通する面がある。だがデューイの自由論は、自由を抑圧からの解放と捉え、有効な力という観点から見れば、自由への要求が経済的権力を持つ少数者の有する特権的力の分配の問題であるとする点で、より急進的である。

自由を抽象的な消極的自由としてではなく物事に対する個人の有効な力と考えるデューイにとって、自由と平等は不可分であり、自由には平等が含まれる。また平等は、すべての個人の個性の発達をもたらす力としての自由の分配である。「人間の平等性を民主的に信じることは・・・、あらゆる個人が、どのようなものであっても自分の持つ才能の発展のために、他の人間が等しく持っている権利を有しているという信念である」(Dewey1939a:226-227)。

しかし、私的集産主義的な資本主義のもとでは、自由が経済的自由と同一視されており、自由と平等の実現はともに妨げられている。「自由を経済領域における抑制されない個人主義的行動の最大化と同一視することは、万人の自由の実現にとって致命的であると同時に、すべての人の自由の実現にとって致命的である」(Dewey1936:370)。したがって平等は、すべての個人に個人的な力を発揮させる条件を保証するような経済的諸力のコントロールを要求する。個人にとって平等は、自由に対立するものではなく、有効な力としての自由の民主的な分配なのである。

自由な探究、自由な議論、自由な表現で示される知性は、知性の可能性、すなわち、「知的な判断と行動に関する人間の能力」を信じることである。デューイはしばしばリベラリズムについて、「平均的個人は生活し活動し、彼がそこにある社会的条件に具現されている知識や技能に反応し、活用するための能力を生まれつき保有するという事実に依存する」(LSA:38,訳285)ということを強調している。知性の自由を実現するには、知識の平等な分配、すなわち「社会化された知性」が必要である。個性の解放と実効的自由の拡大は、知性の自由の拡大のために科学的知識の全社会的普及を要求するのである。

また、知性の自由は、知性の相互関係としての教育の可能性に対する信念である。デューイは、すべての個人に、労働者、消費者、市民として社会生活に参加して各自が有する能力を十分に発揮できるような知識と技能を提供するよう、公教育を改革すべきである、と考える。彼は、そのような知識や技能は一般個人の手の届く範囲を超えるものであるという反論を退け、現実に存在する個人の無能力の原因を資本主義社会の不平等に求める。「個人の知性に対する否定的評価は、実際には、平均的個人が人類の豊かな蓄積された富――知識、理念、目標など――を手にすることができるような社会的秩序がないという意味にとるべきである。平均的個人が利用できるはずの社会的知性を共有するのを可能にする社会的組織化が存在しないのである。・・・少数者が社会の物質的資源を我が物にできる背後には、彼らが文化的・精神的財産を私的目的のために領有している事実があるが、この文化的・精神的財産は、それを所有している個人が生みだしたのではなく、人類が協力して生みだしたものである」(LSA:38-39,訳286)。

以上のように、リベラルな価値の解釈を現代化することによって、デューイは1930年代の半ばまでに、急進的リベラリズム、すなわち、個性の完全な開花のための機会を与える「結合された生活」の形態としての民主的生活様式を完全な意味で実現しようとする民主的リベラリズムを確立した。自由、個性、知性の発達という理念に忠実な「リベラリズムは、いまや、急進的にならなければならない。つまり、急進的とは、制度の構成の根本的な変革、あるいはそのような変革を実現するための活動の要請を認識することを意味する。なぜなら、現実の状況の潜在的可能性と現実の状態そのものとのあいだの溝は非常に大きく、場当たり的に行われる断片的な政策ではそれを埋めることはできないからである」(LSA:45,訳292)。

さらに彼は、急進的リベラリズムによって、多数者の自由や個性や知性を抑圧する私的集産的な資本主義を根本的に批判し、諸個人の自由が経済組織の構造自体によって支えられるような生産諸力の社会化を主張するリベラルな社会主義、あるいは民主的社会主義の理論を確立することに到達した。

しかし、1930年代のデューイは、リベラルな社会主義の倫理と理論を変革的な社会計画のプランとして具体化し実行に移す段階になって、困難とジレンマに直面した。多数の人びとの個性と知性を抑制する私的集産主義的な資本主義の弊害から脱却する道には、表現の自由や集会の自由といった自由な権利と個人の個性を表わすものをすべて廃止する国家社会主義に突入する危険性を回避する必要があった(Dewey1939b)。実際の政治の舞台では、私的集産主義的な資本主義(大きな産業と金融の利益)を支持する富裕層と国家社会主義(個人の安全)を志向する労働者や中間層とが対立しており、後者が勝利すれば、国家が諸個人に安全と保障を提供して諸個人がすべてを国家に負うような全体主義的な体制が出現する危険があった。

デューイは、国家社会主義の「計画された社会」と民主的社会主義の「計画する社会」との区別に基づき民主的な計画化の概念を提唱することによって、この危険に対応しようとした。計画された社会では、目的の選択は権力者や専門家に委ねられ、個人の成長を犠牲にした計画が上から押しつけられる。計画する社会では、すべての個人が目的の形成に参加し、参加することを通じて自己の潜在能力や個性を発展させる機会を持つことができる。だが彼は、民主的計画の具体的内容としては、分権化、富の再分配、工場の民主化、市民的権利の拡大、不同意の権利などを挙げるだけで、計画する社会の概念を明確なものにできなかった(Dewey1939c:318-322)。

デューイは、リベラルな社会主義を政治的な力として組織することを意図し、1930年代に労働者と農民と中産階級から構成される第三の党として独立政治活動同盟(LIPA)を指導したが、1936年の大統領選でのローズベルトの大勝利によって、彼の急進的な政治活動は終わった。とはいえ彼は、政治活動から退いた1940年代以後も、急進的なリベラリズムとリベラルな社会主義の主張を持ち続けた(Westbrook1991:443-452)。彼にとって、急進的リベラリズムは未完のプロジェクトであった。

生活様式としての民主主義

デューイは、代表制民主主義、数年に一回の選挙、政治家の選挙民に対する責任といった政治的民主主義を、人びとが周囲の環境、とりわけ他の個人に働きかけ、相互交流とコミュニケーションを通じて願望と目的を形成し、話し合いや議論によって知性を発達させる生活様式、すなわち民主的な生活様式を実現するための制度的手段と位置づけていた。彼は、生活様式としての民主主義という見方を、1916年に刊行された『民主主義と教育』第7章「教育に関する民主的な考え」において明確にした。そこでは、民主主義を連帯的な共同経験の一様式として、すなわち、各人が自分の行動を他の人びとの行動と関連づけることで自身の行動の目標や方向を決定して、関心を共有することにより階級的・人種的障壁を乗り越え、多様な個人的能力が解放されるプロセスとして描かれている(註5)

1930年代の末になると、デューイは生活様式としての民主主義が危機にあることを強調するようになる。ヨーロッパ大陸では全体主義国家が出現し、それは、政治的民主主義を破壊しただけでなく、人間の精神に疑いや不寛容や恨みを植えつけることで、話し合いやコミュニケーションを通じて諸個人が個性や知性を解放・発達させる民主的生活を破壊した。アメリカのように全体主義国家にまで至らない場合でも、国家資本主義のもとで、大きな国家が安全・保障を提供して諸個人がすべてを国家に委ねる、という全体主義的傾向が存在している。

そればかりか、表現の自由や集会の自由といった市民的自由が法的に保証されていても、人びとを相互に分裂させるさまざまな障壁――階級、肌の色、人種、機会の不平等――が存在するために、お互いへの恐れや疑いや憎しみが助長され、日常生活レベルの相互交流やコミュニケーションが妨げられる。要するに、連帯的な共同経験としての民主主義の経験の消失、個人の個性や知性および願望や目的の外的な権威への「従属化」が生じているのである。デューイは、このような民主的な生活様式の後退・劣化を民主主義の危機として認識し、1940年代前後の一連の論考、「創造的民主主義――来るべき課題」(Dewey1939a)、『ドイツ哲学と宗教』の改訂版への序文(1942)、「私の信念」(Dewey1939b)などにおいてその再創造を提唱する。

デューイが民主主義を再創造していくうえで思想的・倫理的な拠り所としたのは、他者と交流し結合関係や協力関係を維持・形成しようとする個人の自発的行為が民主主義をつくり直すうえで決定的に重要である、という認識である。「わたしはいまや、個人が結合された生活の性格と運動の最終的な要因であることを、以前よりも強調すべきであると考えている。・・・わたしは、個人の自発的な創意と自発的な協力だけが真の個性の発達に必要な自由を守る社会制度を生みだすことができる、という考えを強調するようになった」(Dewey1939b:91-92)。彼が個人の自発的な創意を強調するのは、「民主主義の現在の強力な敵対者に対しては、人間存在個々における個人的な態度を創造することによってしか、対処できない」(Dewey1939a:226)と認識しているからである。

デューイは、個人が民主主義を生活態度および習慣として身につけることが全体主義に対抗する拠り所であると考えている。彼は、このように個人の自発的な創意や協力が生みだす結合関係やコミュニケーション、それを通じて生まれる願望や目的、経験の共有と個性の解放のプロセスを、個人の生活様式(=生き方)としての民主主義(democracy as a personal way of life)と呼んでいる。

個人の生活様式としての民主主義は、個人の自発的な創意や協力を生みだす三つの信念によって制御される。彼は、人間性の可能性や一般的な人びとの知性や協力関係に対する信念が日常生活において人びとに民主主義を経験させ、危機にある民主主義を再生させると議論する。

第一に、「民主主義は、人間性のさまざまな可能性についての活動的な信念によって制御された生活様式である」(Dewey1939a:226)。デューイは、「人種、肌の色、性別、家計を問わず、すべての人間において示されているような、人間本性の可能性に対する信頼」を強調し、このような民主主義の信条は一般的な人が持っている信念と親和的であると指摘する。そして、人間性の可能性への信念は、人間の平等性への信念、すなわち、「すべての人間は、その個人的な資質の量や範囲にかかわらず、自分が持っているあらゆる才能を発展させるために、他のすべての人と平等な機会を持つ権利があるという信念である」(Dewey1939a:226-227)。この信念には、生活のあらゆる出来事や関係において、諸個人が人種や肌の色などの偏見によって行動しないことが含まれる。

第二に、民主主義とは、「人間本性一般に対する信念によってだけでなく、適切な条件が整えられた場合に人間が知的判断と行動をおこなう能力への信念によって制御されるような個人の生活様式である」(Dewey1939a:227)。ここで「適切な条件」とは、自由な探究、自由な集会、自由なコミュニケーションの保証によって、知性の自由が守られることを意味している。デューイは、一般人がこのような知性の能力を有することへの信念を強調し、この信念がユートピア的であるとする見方は全体主義国家の支持者に任せたいと述べている。

彼は、私的な集まりでの親しい会話にも危険がともなう全体主義国家(ナチス政権)を例にとって、「検閲されていないその日のニュースで読んだことを、街角で近所の人とあれこれ議論するために自由に集まること、また、互いに打ち解けて自由に言葉を交わすために一軒家やアパートの居間で知人と集まることが、民主主義の核心的で最終的な保証である」(Dewey1939a:227)、と指摘する。そして、人種、肌の色、資産、文化の程度に関する差異を理由にした、疑い、恐れ、憎しみ、不寛容、暴行は、全体主義国家のみならず、アメリアのような国家資本主義の国においても、日常生活レベルのコミュニケーションの自由を妨げ、人間をさまざまな障壁へと分割し、一般人の知性的能力の本質的条件を破壊する行為なのである。

第三に、「生活様式としての民主主義は、日常的に他者と協働しているという個人の信念によって制御される」(Dewey1939a:228)。ここで民主主義とは、ニーズや目的が個人ごとに異なっていても、「友好的な協力cooperationの習慣自体が人生にとってかけがえのないものだという信念である」。デューイは、意見の違いや差異、さまざまな対立を、力ずくの抑圧(投獄、強制収容所への収容)や暴言や脅迫という心理的抑圧によって一方の立場が他方を征服するというのではなく、他者に差異を表現する機会(権利)を与えることによって論争や議論や対立を「協力的な企てとしておこなう可能性への信頼」が、生活様式としての民主主義に内在する、と強調する。「違いを表現することは相手の権利であると同時に自分自身の人生経験を豊かにする手段である、という信念から、違いを表現する機会を与えて協力し合うことは、民主的な個人の生き方に内在する」(Dewey1939a:228)。

最後にデューイは、生活様式としての民主主義が経験の可能性への信念に基づいていることを強調する。ここで経験とは、取り囲まれた諸条件と個々の人間との自由な相互作用(free interaction)のことである。個人の生活様式としての民主主義の活力の源泉であるこの相互作用は、さまざまな触れ合いや交換、コミュニケーション、交流を生みだすことを通じて、個人のさまざまな感情、欲求、願望、活力の目的を解き放ち、経験のプロセスを豊かなものにする。彼にとって生活様式としての民主主義とは、個人が民主主義を経験するプロセスである。あるいは、それは個人が民主的日常生活を通して個性と知性の発達を経験することなのである。

コモンズの思想的根拠としてのリベラリズム――デューイ思想の現代的意義(1)

地球環境危機、市場経済による共有財やデジタル・コモンズの取り込みと商品化、資本主義の長期停滞という21世紀初頭の文脈の中で、市場と国家を超えるコモンへの関心が高まっている。共通資源とその利用・管理・保全の仕組みという二重の意味を持つコモンズの研究は、1990年に刊行されたエリノア・オストロムの著書『コモンズを統治する――集合的行為のための制度進化』(未訳)を契機に飛躍的に発展し、デビッド・ボリエやシルケ・ヘルフリッチたちは『コモンズの富――市場と国家を超える世界』(2012)などを通じて、「人びとの参加・協力・責任・創造性を誘導することでコモンズの持続性と再生産を確保する動態的な原理」を展開させている。コモニングは新自由主義的市場原理による自然環境や福祉・教育制度やデジタル・コモンズ(インターネットとオープンソースを通じて生まれた知識やデータ)の囲い込み(エンクロージャー)に対抗する概念である。

宇沢弘文(宇沢:2000)は、オストロムによって切り開かれたコモンズ論を継承し、自然環境や社会的インフラや制度資本(医療や教育の制度など)を社会的共通資本として、市場原理ではなく、人間の尊厳や魂の自立や個人の自由を尊重することをめざして管理運営すべきである、と提唱したが、その思想的根拠はジョン・デューイのリベラリズムに負っている。

宇沢は、社会的共通資本は、専門家の管理のもとで、デューイのリベラリズムに基づき、市民の基本的権利が最大限に充足されるように運営されるべきだと繰り返し述べるが、デューイのリベラリズムと社会的共通資本との関係は詳しく展開していない。宇沢のデューイのリベラリズム理解は、主として人格的発達や教育の平等機能を強調する『民主主義と教育』(1916)に依拠しているが、本稿で見たように、デューイのリベラリズムが本格的に展開されるのは1930年代の後半からである。

佐々木実は宇沢弘文の生涯を描いた『資本主義と闘った男』(佐々木:2019)の第16章「未完の思想Liberalism」で、宇沢にとってのデューイのリベラリズムの源泉を『リベラリズムと社会的行動』にまで追求したが、彼の急進的リベラリズムについての解明は依然として残されている。筆者は、デューイのリベラリズムをコモンズの思想的根拠と位置づけることで、リベラリズムに基づくコモンズの展開という新生局面が開かれることを期待している。

民主主義の経験を取り戻す――デューイ思想の現代的意義(2)

デューイにとって、代表制民主主義や政治家の説明責任、選挙における投票行動は、諸個人が結合関係や相互作用、コミュニケーションを通じて願望や目的、個性を育て発達させ、経験を共有する民主的な生活様式を実現するための手段であった。彼は、人種や肌の色や階級の障壁によって人びとが相互に分裂し互いへの憎悪と恐れを助長していた1930年代の後半に、民主主義を立て直すことを意図して「個人の生活様式としての民主主義」を提唱した。

彼は、個人の生活様式としての民主主義を、人間性の可能性や健全な判断のできる知性、協力的行動への信念によって制御される結合関係やコミュニケーションの展開として描くことによって、民主主義を政治的メカニズムのような、自分たちにとって疎遠な「外的なもの」として考える習慣を取り除き、「民主主義が個人の生き方であることを思考と行動において理解すること」、日常の生活態度や習慣として民主主義を身につけることの重要性について強調する。個人の生活様式としての民主主義という見方からすれば、諸個人は、自分たちの習慣や能力を制度に適応させるのではなく、制度を習慣的な個人の態度の表現・延長として考えるようにしなければならない(Dewey1939a:226)。デューイは、民主主義のつくり方とそれに照応した制度のつくり方を示唆しているのである。

個人の生活様式としての民主主義という考え方は、諸個人がコミュニケーションや結合関係を通じて民主主義を「経験」するプロセスの重要性を浮き彫りにする。人間が工業化や都市化により、自然との相互作用や触れ合いを通じて知識や感覚、感情、目的の形成を失ってしまったように、諸個人は、資本主義の発展や国家の介入の拡大によって、自分の周囲の環境、とくに人間的環境との直接的な相互交流や結合関係を通じて願望や目的、個性を形成していくという経験を弱めてきている。現代人は、民主主義の原点にある相互交流という経験を消失しまいつつある。

デューイは、資本主義経済が相互作用に与える影響について、次のように述べている。「投資家と労働者、生産者と消費者との関係は相互作用であるが、そこにはほとんどコミュニケーションがない。これらのものとのあいだに相互作用はあるが、それはきわめて外的であり部分的である」(Dewey1934:418-419,訳418)。そして、全体主義的国家の出現や人びとを相互に分裂させる障壁――階級、人種、肌の色、機会の不平等――の拡大は、お互いへの不寛容や疑い、憎悪を助長し、結合関係やコミュニケーションによる民主主義の経験を徹底的に破壊する。このような1930年代の状況のもとでデューイが提起した個人の生活様式としての民主主義は、個人の自発的活動を活力とするコミュニケーションや相互作用を通じて、人びとが行動や思考において民主主義の原点を経験している、ということを説いている(註6)

今日の状況は1930年代と酷似している。世界的に見て、経済格差と不平等が拡大し、人種や肌の色、性差を理由にした不寛容、憎悪、暴力、排斥が広がっている。自由な表現、自由な集会、自由な報道を抑圧あるいは制限する権威主義的・全体主義的な国家が出現している。その結果、人間の相互作用はきわめて外面的で部分的なものになり、固定化している。人間が周囲の環境、とくに他の人間と相互作用を通じて願望や知識、目的を形成し、経験を共有するという民主主義の経験から、多くの人の日常は遠ざけられている。デューイの個人の生活様式としての民主主義は、いまもっとも大切なのは民主主義の経験を取り戻すことであり、そのためには外的な権威や互いへの疑いによって妨げられない自由なコミュニケーションが必要である、ということをわれわれに教えているのである。

 

【脚註】

註1 ウェンディ・ブラウン『いかにして民主主義は失われていくのか』中井亜佐子訳、みすず書房、2017年、終章を参照。

註2 デューイは「リベラリズムと社会的行動」において、リベラリズムの危機の根本的原因を、初期リベラリズムが自由を「国家 対 個人」の枠組みの中で議論して、抑圧的制度から解放された自由を放置したこと、19世紀の自由放任リベラリズムが自由を経済的自由として展開したこと、リベラリズムが個性や知性といったリベラルな理念を社会統合や社会的組織化に結びつけることができなかったこと、に求めている。

註3 経済的自由主義者ハイエクは、『自由の条件』(邦訳第一部『自由の価値』春秋社、1997年、30,199)において、有効な力としての自由というデューイの考えを、自由を権力として理解する極端な見方だと非難している。

註4 自由、個性、研究・議論・表現の自由というリベラルな価値の解釈を、結合関係における相互交流とコミュニケーション、経験の共有と多様な個性の開花という社会哲学に基づいて現代化するデューイの企画については、ウェストブロック『ジョン・デューイとアメリカ民主主義』第12章(Westbrook1991:429-439)を参照。

註5 デューイの生活様式としての民主主義について検討した先行研究として、次の文献がある。参照されたい。小西2003:第4章、大賀2015:第3章、西郷2016。

註6 デューイにおける経験と民主主義との関係については、宇野(2013)第1章を参照。

 

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堀越耀介(2018)「認知的デモクラシー論の基礎としてのJ.デューイの公衆論」『グローバル・コンサーン』第1号。

佐々木実(2019)『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』講談社

 

本稿は、ポストマルクス研究会会員の方からの寄稿論文です(現代の理論編集部)

わかもり・ふみたか

1944年生まれ。名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了、博士(経済学)。関西大学経済学部教授を経て、現在、関西大学名誉教授。専攻は理論経済学、現代資本主義論。主な著作:『資本主義発展の政治経済学』(関西大学出版部、1993年)、『レギュラシオンの政治経済学』(晃洋書房、1996年)、『新自由主義・国家・フレキシキュリティの最前線』(晃洋書房、2013年)など。

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