特集●日本を問う沖縄の民意

元号でわたしの時間を支配されたくない

いよいよ強化される国民統合の手段―象徴天皇制

筑波大学名誉教授・本誌代表編集委員 千本 秀樹

明仁天皇の生前退位による天皇制強化のもくろみは、着々と成功裡に進行しつつある。前回の代替わりは、天皇の死によるものだったため、悲しみを演出せざるをえなかったが、今回は生前退位であるから、奉祝ムード一筋で突っ走ることができる。特に1カ月前に新元号を発表したことが強力な武器となった。最大の特徴は、これまでの天皇制強化が、支配階級に利用されて展開する色合いが強かったのに対して、今回は天皇制自体が、明仁天皇自身がリーダーシップを取ったところにある。

今年4月のマスコミは、新元号の発表以来、明仁天皇讃美一色となった。前回の代替わりにくらべて、今回は異なった不快感をおぼえる。明仁天皇は民主主義を唱えながら、自分が生まれながらにして特別な人間とされていることに不整合を感じていないのだろうかという疑問である。問題は、その矛盾に違和感をおぼえない日本国民の心性である。

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4月1日、新元号「令和」が発表された。これまでの元号は、すべて中国の書物を出典としてきたが、今回は初めて「国書」から選ばれたという。そもそも国書とは元首による外交文書をさすのが主要な語義であり、『万葉集』は「和書」であろう。『万葉集』は公文書ではない。令和の出典が漢籍ではなく『万葉集』であること、それを「国書」であると強弁することが、安倍首相の国家主義である。

「令和」発表直後に、漢籍にも典拠があるとの指摘があった。後漢の政治家・文学者・科学者である張衡(78~139)の「帰田賦」に「仲春令月時和気清」という文言があり、これは『文選』に収められている。『文選』は530年ごろに成立しており、奈良時代には貴族の必読文献であった。中国の書物から強い影響を受けた『万葉集』に「初春令月気淑風和」という字句があり、このふたつの8文字が酷似していることは、素人でもわかる。

政府関係者Aはこの指摘に対し、「該当部分は中国の古典を参考にして書いた。ただそのまま引用したのではなく、ならって書いたということだから」、また政府関係者Bは「漢字はそもそも中国から来ているわけで、どれもさかのぼったら中国にあるようなものだから、そんなこと気にしていませんよ」と答えた(NHK「クローズアップ現代+『“令和”は誰が考案?』」4月2日放送)。

もともと新元号候補に「令和」はなかった。安倍首相が万葉学者の中西進に依頼し、決定直前の3月下旬に候補に滑り込ませたという。新元号決定権は安倍首相一人にあるから、元号決定のための懇談会「有識者」たちは、名前だけを利用された、形だけのものだったといえよう。有識者懇談会の前に、「令和」は決まっていたのではないか。新元号が決まる前に、安倍首相が次期天皇に6案を示して説明したことは、元号の決定を天皇から切り離した元号法に違反し、また天皇の政治利用を禁止した憲法第4条にも違反することになる。

また、『万葉集』は国民的歌集といわれる。防人などの庶民から天皇まで、諸階層の人々の歌を集めている。しかし当時の庶民の識字率はいかほどのものであったのか。庶民が口ずさんだ、文字通り歌ったものを貴族が記録したという説もあるようだが、不勉強のため、よくわからない。それに、東国の防人、東日本の住民は、ほとんどが蝦夷の俘囚(実力的抵抗をやめ、政治的に畿内政権に従属した人々)であり、西日本とはまったく異なった体系の言語を話していたはずである。

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『万葉集』を「国民的歌集」に仕立て上げたのは、明治政府である。一般的には正岡子規が1898年に「歌よみに与ふる書」を新聞に連載して、『万葉集』を賛美し、注目されるようになったというのだが、その時点で、正岡子規は『万葉集』をきちんと読んでいなかった。子規は『古今集』の権威を打ち砕くために、『万葉集』を利用したにすぎなかった。

子規より早く1884年に、内務大臣などを歴任した末松謙澄が「歌楽論」を書いて、『万葉集』のような音楽性を回復することで新しい詩歌の創造を主張した。また、帝国大学文科大学長で貴族院議員の外山正一も、技巧的な『古今集』よりは自然な表現の『万葉集』のほうが勝れていることは常識であるとした。正岡子規は、それを繰りかえしただけであり、政治家たちが先に注目したのである。子規も政治家を志望したが、出身が朝敵藩である松山藩(親藩松平家)であるため、出世はできないとあきらめ、文学に転身した人物である。

早くに『万葉集』を高く評価した一人である江戸時代中期の賀茂真淵は、良いものは男性風、悪いものは女性風という価値観に立って、『万葉集』の「ますらおぶり」を賛美した。『万葉集』に「直き心」、「まこと」を見出して、それが弟子の本居宣長、明治政府に引き継がれ、天皇への忠誠心に結びついていく。「令和」が「国書」である『万葉集』を出典とすると強弁することには、国家主義的で天皇制を強化する、極度に政治的な下心がある。さらに『万葉集』を高く評価する価値観に、女性差別があることを忘れてはならない。

お粗末なのは、すでに昨年10月、中国で酒類関係の商標として「令和」が登録されていたということである。日本で「令和」という字句を使った酒類、あるいは酒のキャッチコピーを使ったら、商標権者に無断で輸出できない。「令和」を候補に挙げる前に、官僚たちは中国や台湾で商標登録を確認しなかったのか。

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NHKは、新元号考案者が誰なのか、追跡取材を続けてきた。NHKは可能性がある人物を十数名に絞り、インタビューを実施した。

その一人、中国古典文学の興膳宏京大名誉教授は、「私個人としては元号はなくてもいいと思っております。中国という空間を支配する王者であると同時に時間を支配する王者でもあるという、その象徴として、シンボルとして元号が制定された。天皇が統治するという前提のもとにできている元号が、憲法との整合性という意味でちょっとおかしくなってくる。根本的な議論がなされないままに、なんとなくまた新しい元号を使うということになりそうだけれども、ものの考え方としてそれでいいのかという疑問を私などは感じますね」と答えた。

この発言の意味をNHKの職員は理解できなかったのか、さらに「先生は今回の新元号の考案には関わられていますか?」と質問した。考案者は学士院会員という暗黙の条件にばかりこだわって、研究者の思想傾向を理解しようとしないNHKの調査力、取材力のお粗末さにはあきれるが、それともこういう形でしか、元号制反対の意見があることを報道できなかったのだろうか(前出「クローズアップ現代+」)。

わたしは天皇制そのものが現行憲法の第14条「すべて国民は……社会的身分又は門地により、差別されない」という精神に反すると考えているから、元号が憲法違反だとはあまり発想しなかったが、皇室の宗教行事が国費で行なわれているような違憲事項をはじめ、天皇制にかかわるさまざまな違憲状態、違憲行為を指弾することは怠ってはなるまい。

天皇代替わりにともなって、さまざまな皇室儀式が放映され、あたかもそれが日本の伝統行事であるかのように宣伝されている。しかしそれは明治政府によって新たに作られたものであり、江戸時代には天皇家の菩提寺は泉涌寺であって、儀式は仏式であった。

明仁天皇と次期天皇の醸し出す雰囲気によって天皇制に親近感を持つ者はさらにふえそうである。しかしわたしは繰りかえすしかない。わたしは何にも統合されたくないし、象徴されたくない。もちろんわたしの時間まで支配されたくない。

ちもと・ひでき

1949年生まれ。京都大学大学院文学研究科現代史学専攻修了。筑波大学人文社会科学系教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。著書に『天皇制の侵略責任と戦後責任』(青木書店)、『「伝統・文化」のタネあかし』(共著・アドバンテージ・サーバー)など。

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