特集●日本を問う沖縄の民意

参議院から見た立憲民主党の成立過程と真価問われる参院選後

[連載 第四回] キーパーソンに聞く 小川敏夫さん

語る人 立憲民主党参議院議員・党常任顧問 小川 敏夫

聞き手 本誌代表編集委員 住沢 博紀

弁護士から、最初の民主党参議院選挙へ

住沢2017年衆議院選挙において、民進党の前原代表が、小池都知事の希望の党への合流を提起し、民進党は両院総会で承認しました。しかしその過程でリベラル派「特定議員の排除」問題が浮上し、枝野さん達が立憲民主党を立ち上げました。このため立憲民主党もまだ「政党再編過程の産物」、あるいは「生成途上」という感があり、キーパーソンへのインタビユーを通して、立憲民主党の立ち位置や課題を明らかにしようとする企画です。

インタビユーでは先ず、政治家になった動機を聞いています。小川敏夫さんは、立教大学法学部を卒業した年に司法試験を合格され、裁判官、検事を経て弁護士活動をされています。政治家に転身されたのは特別の理由があったのですか。

小川立教大学を卒業した年に、幸い司法試験に合格し、当時は500人の時代で、そのうち判事補・検事150人を満たすことは難しく、今とは違い判事補、とりわけ検事は定員を満たすのが難しい時代でした。判事補・検事で8年間を過ごし、その後弁護士になったのですが、子供が生まれたころ少し考えが変わり、政治家をめざすようになりました。

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ちょうど時代が政治改革の時で、代表として武村さん、東京では鳩山さんや菅さんのいる「さきがけ」に入党しました。当時は自社さきがけ政権の時代ですので、そのままいけばこの政権のもとでさきがけ候補となったでしょうが、1996年民主党が設立され、民主党の衆議院議院候補として最初に立候補しました。

住沢この選挙では新進党の吉田公一候補に敗北し、その後1998年には参議院選挙東京選挙区から立候補し、民主党参議院議員としてのキャリアが始まるのですが、その後、菅直人さんと行動を共にされているので、菅さんとは市民活動などを通して関係があったのですか。

小川私は弁護士の時代から、市民活動や政治活動に特別な関心があったわけではなく、政治改革の時代に自民党に代わるクリーンな政治ということで、初めて政治の世界に入ってきたので、特にそれまで菅さんとは知己であったわけではありません。

住沢小川さんの政治家としての経歴を読んでいると、1998年の参議院選挙から始まっているわけですが、政治家歴も当選回数も多くない時代から、民主党の参議院のさまざまな役職を体験されてきていることが、少し不思議な気がします。

小川社会党等から来た人は別にして、当時、民主党は若く小さな政党でして、私は年齢的には議員になった時には50歳でしたので、参議院では先輩はあまりいませんでした。次の2001年の参議院選挙では、通産官僚であった鈴木寛さんとか松井孝治さんたちが入ってきました。僕の後ですが優秀な人たちばかりでしたね。

住沢確かに、民主党の参議院議員には、政策の異なる労働組合の組織内候補と呼ばれる人もいましたから、弁護士や官僚出身の議員が、党の議院運営や政策作りを担うということになるのかもしれません。小川さんは2004年に再選されたのち、2007年には、民主党参議院議員幹事長、参議院外交防衛委員長、参議院決算委員長など要職を歴任され、2012年野田内閣では法務大臣に任命されるわけです。

この時の話はあとでもう一度戻るとして、今、2016年から民進党参議院議員会長となり、まさに2017年、民進党が前原代表のもとで希望の党への合流をきっかけに分裂した折り、参議院議員会長でした。この時の民進党参議院議員の行動についてお聞きします。

民進党参院会長として、2017年立憲民主党設立に直面

小川民進党衆議院議員は総会で、希望の党への合流を決定しました。しかし参議院議員は決めていないのです。両院議員総会はありましたが、機関決定としては参議院のことは話されずに、とりあえず衆議院議員だけの希望の党への合流を決めたわけです。おそらく前原さんの考えでは、衆議院選挙ではかなりの程度、希望の党で勝利し、その後で参議院民進党も合同に向け誘導するという構図を描いていたのではと思います。

それで参議院民進党は、希望の党への吸収合併というという形になるかどうかなどは決めていないのです。言葉でいえば、選挙の後では民進党参議院も一緒になるのだという、日本的な漠然としたそうした想定の下、衆議院議員たちは選挙のためにそれぞれの地区に散っていったのです。

住沢福山哲郎さんは、ただ一人の参議院議員として立憲民主党の設立に参加しました。外から見ていると、単独行動で何か不思議な感じがしたのですが。

小川福山さんは、枝野さんが第二次菅内閣の官房長官の時代に、内閣官房副長官であったので、その関係からも個人的に枝野さんから呼ばれたと思います。

住沢2017年の衆議院選挙では、しかし枝野さんたちが立憲民主党を立ち上げました。民進党参議院議員会長として、この時の小川さんの対応と、その後の参議院民進党の多数派による国民民主党結成にいたる経過を話してください。

小川両院議員総会の決議では、衆議院議員全員が希望の党に合流することになっていましたが、突然、一部の議員の排除の問題が出てきました。そこで枝野さん達の立憲民主党の設立になったのですが、これは想定外でした。組織論からすると、参議院民進党の議員や地方議員が、希望の党以外の候補者を支援すれば、党議拘束違反となります。そこで前原代表(この段階で彼は民進党代表としてただ一人の衆議院議員でした)と話合い、旧民進党の候補者への応援に限って、承認してもらうことにしました。

選挙後、衆議院では野党第1党となった立憲民主党、希望の党、それに参議院民進党の三者で、合同への模索がありました。岡田克也さんが熱心に訴えていました。私は、民進党(基本的には旧民主党の綱領を継承)の立場から、綱領も変更することなしに、合同できる可能性を探りましたが、綱領も変更して、希望の党に合流しようとする人々もいました。旧民社系、あるいは保守系の人々ですが、当初は参議院ではほぼ拮抗していました。しかし旧総評系、あるいは立憲民主党に入党するという人々が年内に(2017年)6~7名現れ、私は引き留めましたが民進党を離脱しました。

その後いろいろありましたが、辞任した前原代表の後を受け、希望の党との合流を掲げる大塚耕平参議院議員が、対立候補なしで民進党の代表となりました。そして民進党と希望の党が、解党や分党などの手法を経て合併して、2018年5月、国民民主党の立ち上げに至るわけです。

それを受け、希望の党との合流に反対した私たち10名ほどの参議院議員が、民進党を離脱し立憲民主党に入党届を出すことになります。大塚耕平さんも、代表選の前には党の綱領を変えないと言っていましたが、代表になってから変えましたし、民進党に留まる理由もなくなりました。どちらにしても、民進党の財政も地方組織も国民民主党に引き継がれ、立憲民主党の政治家は「民進党離党」という形ですから、ゼロからの出発となりました。

住沢そうした経過を聞くと、そもそも民主党―民進党とは何であったの疑問をもちますが、内部から見た体験から、そして2016―2017年と民進党参議院議員会長であった小川さんからは、どのように総括できますか。

小川私が最初に政治家として選挙に出たのは、1996年総選挙で、東京9区から民主党公認として立候補しました。このとき小沢一郎さんの新進党の吉田公一さんが当選しました。私は当時、「利権政治の自民党、そしてその利権を自民党から奪おうとする新進党、これに対して、民主党は利権のない政治をめざす」と言ってきました。

1998年、民主党は新進党の多数派と合併し、吉田さんは民主党に入党し東京都連の幹事長となり、そのもとで私は1998年参議院選挙で当選することになりました。吉田公一さんと同じ党になるという、夢にも思っていなかったことが起きたわけです。その後、民主党も人数的には保守派政治家が多いので、だんだんと党の基調も変化してきたことを感じましたが、2009年の鳩山政権誕生に示されるように、政党の大きなかたまりがないと政権交代もできないことも示されました。それでも民主党―民進党の基本綱領や基本政策に関しては、合意できる枠組みを作っていました。これに対して、希望の党の場合は、綱領改編や特定議員の排除の問題を出してきました。

2017年、総選挙のまえから、細野さんら何人かの衆議院議員が、パラパラと民進党を離脱するという現象が起きました。これに対して、参議院はそうした問題はなくまとまっていました。参議院では選挙区が大きく、大きな政党のまとまりがないと当選できないこと、無所属での選挙はあり得ないことがその背景にあります。しかし2017年選挙の、立憲民主党と希望の党への分裂の後では、参議院でも一体として行動することは難しかっただろうと思います。もし大塚さんと反対の立場の人が民進党の代表に選ばれても、今度は大塚さんを支持する人たちが希望の党に合流したでしょうから。

地方組織ゼロから出発した立憲民主党

住沢そうすると地方組織は、民進党の組織を国民民主党が引き継いだということですが、国民民主党も地方組織が弱いと聞きます。また、愛知県、埼玉県、三重県など、県議会レベルでは立憲民主党と国民民主党が統一会派を作っていますが。

小川それは議会の会派レベルであり、政党の地方組織としては別です。立憲民主党は新しく地方組織を作らなければならず、しかし現在、40を超える地域に組織ができました。旧社会党系で立憲民主党に移った地方議員は、自治労にしても日教組にしても、全国くまなくあります。これに対して、国民民主の方は民間労組ですから、電力も全国にあるわけではなく、事業所のある地域に限られてきます。

住沢今、話を聞いていると不思議な気がします。旧総評、旧同盟系といっても、確かに自治労や電力・UIゼンセンなど、まだ強いところもありますが、国会議員でいうと、例えば民主党時代でも、いろいろな保守系列の政治家が増え、かつての社会党系や民社党系は少数派でした。立憲民主と国民民主の問題で、確かに脱原発と9条をめぐる安保法制が分岐点になっているとはいえ、旧社会党系、民社党系という区分の意味が分かりにくいですが。

小川それはわかりやすく話したまでで、国会議員の間では、現在ではそうした区分があるとは思いません。ただ地方に行けば、こうした組合組織の背景がないと県会議員になれないとか、いろいろな形で残っています。例えば市民派といって議員になることは、地方ではそう易しくはありません。

住沢地方組織ですが、立憲民主は前回お聞きした近藤昭一さんも言っていましたが、最大の課題として全力で取り組んでいるということです。しかし民主党時代でも地方組織の確立が何度もいわれながらも、結局は小選挙区議員の地域が民主党の総支部を兼ねることになり、議員政党の枠を越えられませんでした。

小川現在、40を超える地域組織ができており、今回の統一地方選挙で、自治体議員がもう少し増えれば、すべての都道府県で地域組織ができるかと思います。例えば沖縄には現在では国会議員がいませんが、有田芳生参議院議員が沖縄県連代表で行っており、衆議院補選を担当しています。

国民民主との連携のあり方―参議院選挙に臨んで

住沢それでは次に、7月の参議院選の話をお伺いします。国民民主と小沢さんの自由党の合併の話が出てきて、脱原発に関しても、曖昧ではありますが両党で合意しつつあります。それで立憲民主党がどのように関わるかということで、私が理解している枝野執行部の基本方針は、次の3点です。第1に、脱原発や安保法制など基本政策に関して、立党の立場を堅持するという純化路線です。第2に、一人区では野党の連携と統一候補擁立を図るとともに、第3に、二人区以上では、国民民主の候補者がいても党の独自候補を擁立するということです。この3点に関して、小川さんはどのようにお考えですか。

小川正しいと思います。二人区に関しては国民民主の現職がいる選挙区であり、要するに、自分たちの現職を通すために立憲民主の候補を擁立してくれるなということです。これはある種の敗北思想で、政権を狙うなら、野党が最大限の候補者を擁立して挑戦しなければなりません。国民民主がいうことは、こうしたチャレンジをしないということです。

住沢それは正論ですが、その場合、共倒れになり安倍政権に利する結果になるかもしれないということと、それ以上に、立憲民主と国民民主の対立が抜き差しならぬものになり、かつての社会党と民社党のような構造になるのではという危惧もあります。また全体として参議院選挙の結果が、その後の国会運営にどのように影響するかという判断も必要です。

小川野党候補が二人出れば共倒れになるかも知れないとか言っておれば、そもそも政権獲得など不可能です。かつての社会党・民社党の時代のような、労組候補を当選させるための選挙ではもはやないということです。具体的に二人区の構造を見ると、静岡ではどちらかが当選する可能性がありますし、広島などは、過去2回、自民党候補がダブルスコアで勝っていますから、複数候補を出してくれば独占されるかも知れません。

つまり前回ダブルスコアの票差ですから、国民の現職一人擁立でも自民に二議席独占をされる可能性も十分にあります。そうであれば、立憲民主も国民民主も候補者を擁立して競争し、互いに党の基盤を拡大しなければ政権は取れません。立憲民主の候補が当選すれば大きな成果になります。

一人区に関しては、今のところ、国民民主党が多くの選挙区で、早いもの勝ちのように候補者擁立を画策していますが、一つ一つ個別に検討していく必要があります。共産党とは政策協定をするわけではなく、共産党の側から候補者を立てない、あるいは共産党の有力候補者の選挙区では自由投票にするなどの協力関係です。しかし一人区に関しては、3年前の2016年、民進党時代の成果を得るのは難しいのではと思います。

無所属を含めて、東北では秋田を除きすべて勝利し、山梨、長野、三重でも勝利しました。これは民進党の候補者が、衆参の前職など有力な政治家が多く、また自民党の候補者が弱かったという背景もあります。今回は客観的状況がもっとシビアで、6年前には民主党系はすべて負け、今回はすべて新人で、自民党は宮城、福島など有力な現職ですから、このレベルでの一人区での成果は難しいでしょう。しかし6年前には自民党は圧勝して議員が多すぎますから、全体としては立憲民主党など野党の議員が増えると思います。

国民民主党との関係では、最初に排除しようとしたのは、向こうの方(希望の党の方)であることを忘れるべきではありません。このグループがリベラルな勢力を排除しようとする傾向は昔からあり、細川連立政権の時代も、社会党を排除しようとする動きがあり、それが結果的には自社さきがけ政権になりました。

2017年の希望の党への合流の際に、リベラルな議員を切り捨てようとしたのは、そのことで選挙に勝利し、立憲民主党はせいぜい小さく生きながらえるという想定でしたでしょうが、選挙結果は逆になり、慌てふためき、連携や合同などの話が持ち出されてきたわけです。

国民民主党もその延長線上にあり、まず自らこのリベラルの排除の姿勢を反省することから始めることが大事です。そのことを棚にあげて、連携なり統一名簿でやりましょうというのは無理があり、参議院選挙では冷静に結果から判断して、それでは次の衆議院選挙に向けて両党はどうすればいいのか議論することになります。参議院選挙ではもう無理です。

立憲民主党の党運営の現状と課題

住沢それでは次に、立憲民主党の党運営についてお聞きします。海江田・菅の元代表が最高顧問、小川さんが常任顧問ということで、なにか祭り上げられている気がしますが、小川さんの現在の党内での役割は何でしょうか。また立憲民主党の党運営について、意見を伺わせてください。

小川まあそのような感じですね。常任幹事会に出席しますが権限を持っているわけではありませんから。菅さんも発言しますが権限があるわけではありません。参議院では、福山・蓮舫議員を軸に動き、全体として、この二人と枝野・長妻・辻元議員らが執行部として党を運営しているといえます。2017年の立憲民主党が少人数で成立した時点では、こうした少人数による党の運営でもよかったかもしれませんが、現在では私はもう少し幅を広げたほうがいいという見解です。

福山さんも、党の運営では、チームワークを重視するとか、もっと党内の多様な意見を集めるなども重要です。いろいろな発信源があり、いろいろな人材がいるのだと国民に知らせることになり、党の発展のためにもなります。もっとも枝野さんは現在でも党の求心力を保っています。

人材的にも資金的にも、立憲民主党はまだ不足している状態です。成立の経過からいって、議員経験が長い層と新人の両極になっており、中堅が少ない感じです。むしろ国民民主のほうが中堅議員は豊富です。参議院では個人がそれぞれ決定しましたが、衆議院では機関決定として希望の党への合流を決めたので、その政策的なスタンスとは別に、大部分の中堅議員は希望の党に移りました。現在選挙がないのでそのまま留まっていますが、次の衆議院選挙では、政策的な問題から、あるいは選挙事情で、立憲民主に来る議員が出てくるでしょう。

しかし今大事なことは、今回の参議院選挙でもう少し立憲民主の議員が増え、野党第一党としての政党運営と政策作りを発展させることです。そこが出発点であり、すべては参議院選挙後に始まります。やはり政党というのは、選挙で勝って議員が増えていくというのが基本であり、活力の源です。

住沢枝野さんは現段階では党の求心力となっているということですが、私は野党第1党のリーダーとしては彼に少し懐疑的です。官房長官の時代、その後の経産大臣の施策などいくつかの疑問があります。彼の発言は自己正当化の要素が多く、その論理構成は見事ですが、リーダーとしては反省的に過去を振り返り、それを将来の指針とする資質も必要だと思います。

もちろん2017年の立憲民主党の設立は、枝野さんの決断に拠っており、それは大きな功績ですが、問題は、民主党政権の中枢にいて多くの政治経験を積んだことが、2017年以後に生かされているのかどうか、ということです。アメリカに行き、民主党幹部やサンダースさん、それに有力なシンクタンク組織と意見交換をしてきたそうですが、安全保障や外交・通商交渉の舵取りが難しい時期に、彼がどこまで、安倍政権や自民党にかわるこれからの日本の将来への見識と戦略を持っているのか、不安に思えます。

立憲民主党には中堅議員が不足しているということですが、小川さんからみて、次の世代で期待する政治家は誰でしょうか。また無所属の会から立憲民主党に加わった岡田克也さんは、これからいろいろな意味で、「つなぐ」役割を果たすと思いますが、小川さんの見解はどうでしょうか。

小川次の世代というと、私は山尾志桜里さんに期待していました。プライベートな問題で残念なことになりましたが、また落ち着いてくると山尾さんは復活すると思います。次の世代というと、民主党創設時からの枝野さんとか長妻さんとかとの落差があり、細野さんとか、落選して後に繰り上がり復活しましたが馬淵さんなどがいましたが、二人とも立憲民主には参加していません。

いろいろなものを「つなぐ」ということでは、岡田さんはかけがえのない大切な方だと思います。今のままの立憲民主党では、官僚組織との関係がそううまくいかないと思います。官僚と対立する、あるいは官僚をどうするといった議論ではなく、官僚組織によって行政が動いているのが現実ですから、官僚に政権の意向を伝え、気持ちよくきれいに動いてもらわなければ、政権は回らないと思います。こうした「つなぐ」役割ができるのは岡田さんです。国民民主との関係を新しく築くとか、政権を獲得するためにも、また政権獲得後の運営のためにも、岡田さんの存在はなくてはならないものだと思います。

官僚組織への柔軟な対応とメディア戦略

住沢ここで大きな問題にぶつかります。今までのインタビユーでも、また一般的な評価でも、民主党政権は官僚組織とうまく協力関係が築けなかったことが、失敗の原因の一つとされてきました。他方で、官僚組織の側でも、鳩山政権の辺野古移転の問題では、外務省や防衛省は政権の側に立って行動したとは思えません。政権への誤った情報伝達や、世論操作のためのリークもありました。こうした体験から、官僚組織とのより有効な協力関係が重要であるというだけでは、問題の解決にはならないと思いますが。

現に小川さんも、野田政権の時に法務大臣に任命され、検察による陸山会事件に関する「虚偽の捜査報告書作成」問題をめぐり検察当局と衝突し、事実上、野田首相に更迭されたことが報じられています。またご自身でも、退任後の記者会見や、その後の著作、『指揮権発動 検察の正義は失われた』(朝日新聞出版 2013)で、問題点の一部を公表しています。

さらに最近では、森友問題に関して参議院では真相究明の先頭に立ち、定期的な記者会見や、『森友・国有地払下げ不正の構造』(緑風出版 2018)で、詳しく行政による不正行為を告発しています。厚生労働省の村木厚子さんの冤罪事件や、財務省の公文書偽造問題も含め、検察・行政の劣化がはなはだしい時代に、立憲主義を唱える立憲民主党は官僚組織とどのように向かい合えばいいのでしようか。

小川私の著作でも、官僚組織をつぶせと言っているわけではなく、官僚を敵に回しては政権が回らないという現実もあります。官僚側も別に立憲民主党を潰そうとしているわけではなく、しかるべき手続きを踏めばそのように官僚も動きます。ただ検察にしても、防衛省にしても、彼らの組織存在の根幹にかかわることに触れ、それを変えようとするなら、すさまじい抵抗にあうということはあります。

その抵抗にはいろいろな形があり、外務省の問題をいろいろあぶりだした田中真紀子さんが、突然、いろいろなスキャンダルやネガティブ情報の洪水に見舞われたようなこともあります。私の場合も、法務大臣による検察への指揮権発動という話になると、いろいろな根拠のないスキャンダルの話が持ち出され、曖昧なままで法務大臣を「更迭」されることになりました。

ただ民主党政権の時代との関連でいえば、官僚組織は政権の強さや持続性を見ています。野田政権の時には、官僚組織は民主党政権ももはや時間の問題と見ていて、そうなれば対応もおのずから異なってきます。したがって政権交代も、選挙で決定的な強さを示すことが必要です。国民の支持があれば当然、官僚もそのように行動するでしょう。

住沢最後に、ここ数年の安倍政権では、「働き方改革」、「建設・農業・介護などへの外国人労働者の受け入れ」、「違法ダウンロード規制」に関する法案などで、データの誤りや、まだ十分に審議されていない欠陥法案の提出が目につきます。しかし官邸のメディア操作の巧みさもあり、野党も政府をなかなか攻め切れていない状態です。立憲民主党は、これからどのように効果的に、人々に響くような政権批判を展開していくのでしょうか。

小川ざっくばらんに言って、党もまだできたばかりで過渡期であり、党の台所事情も厳しく、事務局体制も整っていない状態です。参議院選挙が終わり、議員も増えれば改めて体制づくりということになります。

民主党―民進党を振りかえり、また立憲民主党でも大事なことは、基本的な調査と広報の仕事だと思います。自民党を支持する若者が多いといいますが、自民党はネット対策とか、そうしたことを自然にうまくやっているのです。民主党には広報部がありましたが、『プレス民主』という機関誌を発行するだけでした。

党の表の広報活動と共に、それを支える基本調査とかメディア、ネット対策とか、様々な戦略がなく、手段もありませんでした。お金がかかるというよりは、こうした活動を重視して人材を充てるということです。わかりやすく言えば、自民党では、閣僚や議員などの収支報告書を予め調べて持っているでしょう。私たちはこうした部局がなかったので、何か起こるとはじめて調査するという始末でした。

これはわかりやすい例ですが、広報活動と共に、基本的な調査と、とりわけネットへの対策や基本戦略が必要と思います。これは政党の力ではどうすることもできない部分がありますが、ヤフー記事など、産経や右派の記事が圧倒的に多く、若者にも影響を与えていると思います。こうしたことも含めて、戦略的にSNSやデジタル時代の若者向けのメディア戦略が必要です。

先ず始めてみて、段階的に力をつけてくれば、電通などの大手メディアの活用なども視野に入れて行けばいいかと思います。もちろん経団連や力のある大組織と同じように、メディアやインターネット上の記事に影響を与えることは難しいでしょうが、広い視野を持つ広報戦略を展開することは大事だと思います。

おがわ・としお

立憲民主党参議院議員。1948年東京都練馬区生まれ。立教大学法学部卒業の年に、司法試験合格。判事補、検事を経て、1981年退官して弁護士に転身。1998年参議院選挙で、民主党公認として東京選挙区から出馬して当選。2007年民主党参議院幹事長、参議院外交防衛委員長、参議院決算委員長などを歴任。2010年菅第一次改造内閣で法務副大臣に任命され、2012年1月、野田第一次改造内閣で法務大臣に任命されるも、6月に離任。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

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