連載●池明観日記─第15回

韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート

池 明観 (チ・ミョンクヮン)

≫『神国論』を読みながら≪

アウグスティヌスの『神国論』第1 巻第8 章にある言葉である。

「苦しみは似ていてもなおそれを苦しむ人は似ていないのであり、同じものに悩まされても、徳と不徳とはけっして同一ではないのである。同じ苦悩を受けながら、悪しきものは神を呪い、その御名を瀆すが、善きものは神に祈り、その御名をほめたたえる」

神を信ずる者はどのような苦しみに見舞われても、そこに神の御心があると思って、それを耐え抜きながら御心が成し遂げられるようにと祈る。信仰と不信仰によって運命に対する態度がこのように異なってくるという。

『池明観自伝 境界線を超える旅』(岩波書店、2005)

ローマでは、ギリシャ時代とは異なって演劇において神を戯画化した。淫な神たちが登場するようになり、演劇にたずさわる人はローマの市民権をもつことのできない、賤民であった。アウグスティヌスは第2巻 19 章で没落していくローマと台頭するキリスト教を対照的にはっきりと描き出し、キリスト教が普及してローマを没落に押しやったという非難を一蹴した。すでにキリスト教以前においてこう言われてきたのではないか。「徐々にかわって、善美をきわめたものから醜悪をきわめたものとなった」。また「祖父の良習は、以前のように徐々にではなく、さながら急流のように転落して、若者は贅沢と貪欲とによって全く堕落した」と。ローマのこのような状況の中にキリスト教が入ってきた。それはプロレタリアート層に訪れてきたプロレタリアートの宗教であるといえた。それをアウグスティヌスは実に美しく描いたというべきであろう。キリスト教以前のローマの神々というのは実に堕落した人間像ともいうべきものを担っていたのであるが、ここにはじめて実に倫理的なキリスト教の神が伝えられた。そしてローマの文明を全的に新しい次元に引き上げたのではないか。それはキリスト教の宣教がどこでも繰り広げる偶像との戦いではなかったか。(2012年7月12日)

 

『神国論』第3巻27章に描かれている「マリウスとスユラとの間の内戦」はアウグスティヌスが描いてきた人間殺戮の中でもその最たるものではなかろうかと思われる。それでアウグスティヌスはルカヌスの言葉として「犠牲者は滅びた。しかも、ただ有害なもののみが生き残れたのだ」と記録した。

人間の歴史とは、その中でもヨーロッパの古代史とは殺人の歴史といわねばならないのかもしれない。それはカインの歴史であり、ルカヌスの言う如く生き残った者は「有害なもののみ」といえるかもしれない。それは殺人者とその殺人に加担した者のみの歴史であった。そこでキリスト教とはアウグスティヌスにおけるように殺人の禁止であり、人間の命とは神々が与えてくださった高貴なものであり、殺人即重罪というものであった。これをアウグスティヌスは強調しようとした。ローマの社会に対するキリスト教とは何よりも殺人の禁止であり、殺人は重罪であるというそれではなかったか。

このような価値観の逆転、これがまさにキリスト教の歴史といわねばなるまい。人の命は神が与えてくださったもの、それは神聖なものにして人間が勝手に手を付けることのできるものではない。個人が自分の所有する生命の主人ではないとさえ考えた。そのために老人となってその生命がその役割をなしえないときにも自らその生命を断つことは許されなかった。ヤスパースもアレントもその晩年に至ってヨーロッパのこのようなキリスト教的伝統を心苦しく思ったほどではないか。老年の病床の日々があまりにも苦しかったからであった。しかしその人命尊重の思想はヨーロッパ、否、人類のための救援の思想ではないか。しかし、キリスト教が伝えられてからも、とりわけヨーロッパの歴史の中では地上のキリスト教会まで加担して、人間が人間の命を殺害することを少しも苦としない歴史がどれほど長く続いたことか。それはそれこそ人間の原罪が導いてきた歴史であるといわざるをえない。(2012 年7月14 日)

 

黒人の解放という歴史は、黒人が戦って白人から自由を奪い取ったということではない。白人同士が戦って黒人たちに自由を与えたということではないか。南北戦争において勝ち得た黒人の自由。その後黒人も白人もともに戦いながらより多くの自由を手にして黒人大統領を生み出すまでになった。

黒人解放に白人アメリカ人の理解と協力がなければならなかったと同じように韓国における我々の解放にも、特に1961年以降の軍事政権からの解放にもアメリカを始めとした世界的良識の支援特にマスコミとキリスト教勢力の理解と支援があった。韓国教会には解放に導いてくださった、解放を与えてくださる神という理解があった。ここにおいて韓国教会の世界的宣教に対する使命感も起こってきたといえるのではなかろうか。アメリカの黒人たちにもそのような強い使命感が起こっているといわなければならないのではなかろうか。

信仰に支えられながらアメリカにやってきたとき、彼らは「乳と蜜の流れる国」〈申命記11章9節〉と考えたではないか。彼らはこのような新しい土地に対する信仰的な肯定から出発した。韓国においても1945年解放の時は、キリスト教の間には神が解放してくださった麗しい土地という信仰的肯定の姿勢があった。このような信仰的歴史観を韓国のキリスト者はその後の厳しい歴史の中で失いがちであったといえるかもしれない。 

アメリカの黒人の歴史から我々は多くのことを学ばなければなるまい。黒人を奴隷にした。しかし、やがて黒人を奴隷の身分から解放するために戦った。そして黒人を大統領にしようと努力した。信仰的にこのような歴史の大きな流れ、いわば教訓としての歴史を見落としてはならない。

韓国は、今は世界宣教の国となり、アメリカに来ればまず教会から立てるという移民史を持っている。悲しい歴史と見えるところにおいて偉大な勝利の歴史を成し遂げる神といえるのではなかろうか。歴史の意味、そこにおける使命を理解できない時に信仰は転落してしまうものである。歴史に対する宣教史的理解が必要であり、解放史としての歴史を忘却してはならない。私はこのような歴史がついには中国でもロシアでも展開されるのではないかと思う。このような意味においていわゆる終末論的歴史理解に傾くのであるが、今読んでいるアウグスティヌスの『神国論』が私にどのような影響を与えてくれるのかと考えるようになる。(2012年7月23日)

 

アウグスティヌスはデモンに対していろいろな論駁を加えた。デモンはローマの多くの神々との中で人間と神との間の中央に座を占める善悪両性を備えている存在であった。いかに善なる生活をいそしんでも現実的には不幸に当面しなければならないということをどのように考えるべきであろうか。そこでローマの神話は地上と天上の間すなわちエーテル界に存在するデモンという仲介者を考えたが、キリスト教はそれとは違って善なる神という一神論を立てるのみで来世ということについて考えた。この矛盾の多い世の中で善なる者が苦痛の中に居り、悪しき者が成功の喜びにあるという耐え難い状況に対してキリスト教は来世というものを掲げた。そこでキリスト教が押し出す激しい怒りに注目しなければならないであろう。マタイによる福音書13章41節-43節においてイエスは終末の時が来れば「つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく……炉の火に投げ入れさせるであろう」といったではないか。悪しき者は「そこで泣き叫んだり、歯噛みをしたりするであろう。その時、義人たちは彼らの父の御国で、太陽にように輝きわたるであろう」と言われた。なんと明らかな対照であろうか。そのためにキリスト教においてはデモンのような存在は必要のないものであり、来世は必ず展開されなければならないものであった。(2012 年8月3日)

 

『神国論』を読みながらアウグスティヌスの時代にはどのような問題に神学的な関心が注がれていたかを考え、現代との大きな違いを感じなければならなかった。『神国論』は「413 年から426年まで、すなわち、アウグスティヌスの60 歳から73 歳に至る14年間の労作である」。西ゴート族の侵略によってローマが無惨にも破壊されたとき、それがキリスト教のせいであるという非難がおこるやアウグスティヌスは異教徒たちの神や誤謬を反駁するために『神国論』を書いたという。そのためにギリシャやローマの多神論に対して聖霊と天使に対する論議を多く展開しなければならなかった。それで今日におけるキリスト教弁証論とは全く異なる論議となった。今日における弁証論は倫理的でとても政治的なものとならざるをえないであろう。現代においては再び戦争を起こすことができないとすれば、現代的終末論を提起しなければならないといえよう。それは現代的な平和論の上に立つものと世俗的なものとなるに違いないと思われる。

アウグスティヌスの『神国論』にも見られた華麗な多神論に対する論議のようなものは東洋にはなかったといえるのではなかろうか。東洋思想における天とはペルソナを持っているものとしてよりは一つの秩序と考えなければならない。そして何よりもそれは排他的なものではなかった。そのために力の弱いアニミズム的な雑神のみが繁昌していたのではなかろうか。(2012年8 月10日)

 

≫『神国論』を読み終えて≪

『神国論』22 巻全てを読み終えて、今まで読んできたことを少し整理してみたいと思うのだが、7 月の初めに読み始めて3 か月が過ぎて思うとおりに行くかどうかおぼつかない。

アウグスティヌスは力があって敵に勝利しさえすればいいと考えるローマ社会の戦争観に対して倫理的な反省を求めた。この姿勢がキリスト教がローマ社会を征服しえた重要な原因になったのではなかろうか。何よりも人間の命がもっている尊厳性について彼は問題を提起したのであった。アウグスティヌスは第3巻第14章において次のように述べた。

「なんびともわたしに、これこれのものは、これこれのものと戦って勝ったから偉大であるといってはならない。剣闘士もまた戦い、勝ち、そして残酷は賞賛をもって報いられる。しかし、そのような武力による栄誉を求めるよりも、どのような種類の無為であろうとその罰を受ける方がまさっていると私は考える」

そしてアウグスティヌスは、父子の間の戦いであるか、母の国と娘の国との間の戦争であるならばどうしてそれが「栄光のあるものであったろうか」と問題を提起したのであった。ローマの伝統においては如何なる戦争であるかが問題ではなかった。勝利すれば善であり、栄光であると考えた。日本の武士社会においても「勝利すれば善」であるとしたではないか。これが武士社会の論理であった。多くの人間の命が亡くなった痛みをかみしめながら戦争自体を悪と考えるようになったのは遥かのち、第2次世界大戦前後になってからではなかろうか。第2次世界大戦以降といえるかもしれない。何と長い年月、人間無視の凄惨な時間が流れたといえようか。

アウグスティヌスが言っているように、キリスト教はそのような戦争に対して大きな抗議を提起したといえるのであるが、また一方でそのためにキリスト教は長い間そのような戦争に道義的な意味づけを与えるという偽善的な役割をしてきたといえるのではなかろうか。力を誇示するばかりでなく、それが善を求めるいわゆる義戦であると主張したのであった。このように神のための戦争、正義のための戦争といって国民を戦争へと駆り立てた。日本も彼らのアジア侵略戦争をすべてそのような偽善で繕ったではないか。今日はそのような意味で戦争に対する大きな懐疑に落ち込んでいる新しい時代であるといえよう。アウグスティヌスは第3巻15章の終りにおいてローマの戦乱について次のようにいった。

「そのあいだに、あのように多くの流血とあのような災厄によってあがなわれた勝利のすべても、ローマの領土をその首都から20マイルまでやっと拡げたにすぎなかった」

アウグスティヌスのことばをもう一度引用してみよう。「たしかに両方とも傷を負うた――殺されたものはその身体をうたれ、殺したものはその精神をうたれて」(第3巻第22章)どうしてか私は今日の日中韓の対立を見ながらもアウグスティヌスのこのことばを想起するようになる。人に対する攻撃と争闘は我々の心の傷を拡大してくれるものである。理解と平和のための努力はわれわれの心に暖かさを広げてくれるものではないか。アウグスティヌスはローマの歴史をこのような血に染まった日々として描き出してきた。そしてキリスト教の役割は新しい社会、新しい歴史へと出で立つ始まりであると強調したのであった。

予期したことのない恵みの始まりであるとでもいおうか。アメリカに来て期せずしてトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を読み始めた。そして現代史が今日のアメリカの優位によって一つの歴史の終焉を迎えたと見ることもできるのではないかと考えた。アウグスティヌスが歴史の終焉をながめたのは偉大なローマという帝国に迫ってくる終焉という歴史の影と新しいキリスト教の登場という現実を背景にした一つの思索の結果であった。それでアウグスティヌスは『神国論』の第4巻第4章の冒頭において「正義がなくなるとき、王国は大きな盗賊団以外のなにであろうか」といったのであった。

現代史をながめながらわれわれは現代における『神国論』を云々できるかもしれない。その昔のローマと今日のアメリカ。トクヴィルのアメリカ論はまた続けられなければならない。今日におけるキリスト教国家アメリカの行方を注視しながら現代の『神国論』を構想しうるかもしれない。たとえ 5世紀初めのヨーロッパと21世紀のアメリカとの間にはあまりにも大きな隔たりがあるとしても。

アメリカは少なくとも1860年代の南北戦争から 1960年代の黒人のための民権運動を経て2010年前後には黒人大統領の統治にまでと大きく変わって来た。これは世界史的な波動ではなかろうか。そのような意味で今日の終末論を取り上げてアウグスティヌスの場合とは異なった意味において現実とキリスト教という問題を取り扱うべきではなかろうかと思うのである。それがアウグスティヌスの場合のように現実から出発して永遠をたずねることであろうかと思われる。今日の神国論はもちろんアメリカと世界をローマの場合とは異なった目で見なければなるまい。私は何よりもアメリカが庶民の国であり、民主主義的な変化を追い求めていることにその意味を求めなければならないと思うのだが。まだ現代における神国論云々という論議が現れているとはいえないが、そのような論議が少なくとも神学的にはあってもいいのではないかと思う。今日の歴史において「神の国」と「この世の国」との起源と終末について考えてみたいものである。今日の世界史に対する一つの歴史哲学的課題として。

『神国論』第13巻第10章では死について論じている。次のようなことばは現代に至って実存哲学でも繰り返されたことではないか。

「ひとはすべて、この死すべきからだにおいて存在しはじめてからは、あらゆる時を通じて死によって終局する行程に駆り立てられてすすむのである」

「この世の生涯は死へと向かって歩まれる行程以外の何ものでもないのである」

「かれは、生きつつある肉体というよりはむしろ死につつあるというべきこの肉体のうちに存在しはじめるようになった時点から、決して生のうちにいないわけである」

『神国論』を読みながら今まで私がいかに聖書を無意識的に読み、深く考えようとしなかったのかを反省するようになる。アウグスティヌスは第15巻第8章ではカインとアベルについて次のように語っている。

「この聖なる歴史の記述者が、当時存在することができたであろうすべての人間の名をいちいちあげる必要はなく、彼が意図した仕事の計画が要求するだけの人間の名をあげさえすればよかったのだ……」

イスラエルの民族が「選民」だといわれるのはまさにこのような意味においてであった。書かれた歴史には常にそのような世界史の中心また一国の国史の場合にはその中心をなす集団とか人物がいるのではなかろうか。彼らのみが歴史記述の対象になる。惜しいことであるが歴史とはそのように書かれるという限界をどうすることもできない。どのような歴史を書くかによって選択された人間と集団がちがってくる。そのためにそれこそイデオロギー的な歴史であるといわざるをえない。そのような立場から聖書はとても宗教的な立場で書かれた歴史であるが、普遍史的な意味を帯びるようになった。それで聖書のイスラエル民族が長い人類史の中で選民といわれてきたのではなかろうか。それは伝統的に一貫した意味を持った歴史であり、人類を目覚めさせ人間の生に人間としての意味を与えてくれる歴史であった。歴史においてそのような民族と地域は変動するものと考えられていいのではなかろうか。そのような意味においてイスラエル民族の歴史は新旧約時代に限るといってもいいのではなかろうか。

キリスト教が強調してきた「平和」「謙遜」「寛容」「正義」「愛」などの徳目と比べて、われわれの東洋において語り伝えられてきた「三綱五倫」のような徳目はいかに考えるべきであろうか。後者は今までの封建社会の秩序を維持することを強調したとすれば、前者は限りなく理想に向かって意味ある秩序を求めて現実の社会を批判しながら越えていこうとした。それでキリスト教の世界では歴史を前進させようとしたというならば、東洋ではとても保守的であったといわねばなるまい。アウグスティヌスにおいては「神の国」と地上の「この世の国」というはっきりした対立と葛藤から「神の国」の勝利へと進む歴史の道のりとそこについにやってくる終末という歴史観で考えたのであるが、それはキリスト教的な楽観的な歴史観といわねばなるまい。

『神国論』第19巻24章には「人民」に対する次のような定義が現れてくる。「人民とは、その愛の対象を共通とする和合によって結合された理性的な人間の多数の集団である」。もちろんこれは神と教会を念頭に置いての言葉であると思うが、このように5世紀の初めに記録したということはいかに驚くべきことであろうか。こうしてアウグスティヌスは西欧のキリスト教の神を前提にして、次のように語った。

「和合の対象がよりすぐれたものであればあるだけ、その人民はよりすぐれたものであり、その対象がより下劣なものであればあるだけ、その人民はより下劣なものである」

下劣な偶像崇拝に没頭している多くの人びとをながめながらアウグスティヌスは嘆いたことであろう。三綱五倫にこのような価値意識が込められていただろうか。『神国論』の終わりの第22巻第12章以下では数章にわたって復活論が展開された。そこでは長いこと教会に身を置きながらも私が一度も考えようともしなかった問題が提起されていた。復活するとすればどのような体でよみがえるというのであろうか。若いときの体か年老いた時の体であるのか。たとえ若いときの体であるとすれば、出生後まもなく死んだ幼子の場合はどうなるのか。胎中で死亡した場合は? アウグスティヌスはこのすべての生命の復活を弁証するのであるが、復活の問題にこのような問題がからんでいることをわたしは一度も意識したことがなかったとはどうしたことであろうか。アウグスティヌスはこの全ての場合に大体復活があるだろうと肯定的であったが、「流産児」の復活については肯定も否定もしないという立場であった。『神の国』だけを引用することにしよう。カントがあの星の輝く無限の空と人間の心の中にある道徳法則に敬意を感じたような心で読んでみたい。

「そこにはもはやいかなる悪もなく、いかなる善も隠されず、すべてのものにあってすべてとなられる神の賛美のために時間が用いられるかの至福は、いかに大きいことであろうか。いかなる怠惰もやみ、何らかの欠乏によって強いられる労苦もないところでは、何か他の働きがなされるのであるか、私は知らない」(2012年10月3日)

池明観(チ・ミョンクワン)

1924年平安北道定州(現北朝鮮)生まれ。ソウル大学で宗教哲学を専攻。朴正煕政権下で言論面から独裁に抵抗した月刊誌『思想界』編集主幹をつとめた。1972年来日。74年から東京女子大客員教授、その後同大現代文化学部教授をつとめるかたわら、『韓国からの通信』を執筆。93年に韓国に帰国し、翰林大学日本学研究所所長をつとめる。98年から金大中政権の下で韓日文化交流の礎を築く。主要著作『TK生の時代と「いま」―東アジアの平和と共存への道』(一葉社)、『韓国と韓国人―哲学者の歴史文化ノート』(アドニス書房)、『池明観自伝―境界線を超える旅』(岩波書店)、『韓国現代史―1905年から現代まで』『韓国文化史』(いずれも明石書店)、『「韓国からの通信」の時代―「危機の15年」を日韓のジャーナリズムはいかに戦ったか』(影書房)

池明観さん日記連載にあたって 現代の理論編集委員会

この連載「韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート」は、池明観さんが2008年から2014年にかけて綴ったものです。TK生の筆名で池明観さんが1970年代~80年年代に書いた『韓国からの通信』は雑誌『世界』(岩波書店)に長期連載され、日本社会に大きな衝撃と影響を与えました。このノートは、折々の政治・社会情勢を片方に見ながら、他方でその時々、読みついだ文学作品、あるいは政治・歴史にかかわる書籍・論文を参照しながら、韓国の歴史や民主化、北朝鮮問題、東アジア共同体の可能性などを欧米の歴史・政治と比較しながら考察を加えています。

今回縁あって、本誌『現代の理論』は、著者・池明観さんからこの原稿の公表・出版についての依頼を受けました。第12号から連載記事として公開しております。同時に出版の可能性を追求しています。この原稿の出版について関心のある出版社は、編集委員会までご連絡ください。

ページの
トップへ