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脱炭素大競争時代と『人新世の「資本論」』

資本主義をやめないと、気候危機は止まらないのか?

京都大学名誉教授・地球環境戦略研究機関シニアフェロー 松下 和夫

はじめに

 気候変動問題を主要政策に掲げたバイデン大統領の登場で、気候危機への国際的取り組みは一変した。今や脱炭素化が各国、各企業にとり経済的にも生き残りの条件となる脱炭素大競争時代が始まっている。

米国主催の気候変動に関する首脳会議が4月22~23日に開催され、米国や日本など先進国は相次ぎ温室効果ガスの新たな削減目標を表明し、「パリ協定」の目標の達成に向けて世界は再始動した。今後実効性をどう担保するかが課題となる。

菅首相は気候サミットで、2030年度の目標として2013年度比46%を削減することを表明し、「さらに50%(減)の高みに向けて挑戦を続ける」と述べた。この方針は、2020年10月に2050年カーボンニュートラルを宣言したことに続き、脱炭素社会の実現に向けた政治のリーダーシップとして評価できる。

ただし、これまで先進国が多くの排出を行ってきたといったという歴史的な責任や、先進国と途上国との間にある経済力や技術力の差を考慮すると、先進国としてリーダーシップを果たすという意味では、欧米のようにさらに踏み込んだ削減目標が必要である。この観点からは、46%削減にとどまらず、50%削減に向けた努力を続けていくという方針の実現に向けた更なる努力が求められる

同時に、表明された46%削減を確実に実現するため、再生可能エネルギーの導入加速、石炭火力のフェーズアウトなどの排出削減対策を早急に具体化し、カーボンプライシング(炭素の価格付け、本格的炭素税の早期導入など)の実効性のある政策を実行することなどを通じて、更に高い削減目標へ取り組んでいくことが必要である。

『人新世の「資本論」』と論旨

 米国主導の気候サミットは脱炭素社会に向けた国際社会の取り組みを加速する契機となることが期待される。

こうした中、斎藤幸平の著書『人新世の「資本論」』が注目を集めている。

斎藤は、現代は「人類の活動が地球を破壊する「人新世」(地球危機)の時代に入っており、気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならない・・・」と述べる。そして資本主義の本質を見抜いていた晩期マルクスはそのことを指摘していたとし、「唯一の解決策は<コモン>(生産手段の共同管理)を基盤にした潤沢な脱成長コミュニズムだ」とする。

このような斎藤の気候変動への危機意識については筆者も大いに賛同するが、彼の提唱する「唯一の解決策」については議論が必要だろう。

筆者は資本論やマルクス主義の専門家ではない。本稿では斎藤の著書の所説を気候変動政策論、持続可能な発展論の観点から論ずる。

 

本書の論旨を大胆に要約すると以下のようになる。

①気候危機はすでに現実化しており、この状態を放置するとこの社会は野蛮状態に陥る。

②資本主義は、利潤のあくなき拡大を目指してすべてを市場と商品化に巻き込み、自然の略奪、人間の搾取、巨大な不平等と欠乏を生み出してきた。それを変えなければ、解決にならない。そのため、気候変動の原因である資本主義の枠組みを維持したままでは、どのような弥縫策も気候変動危機を止めることはできない。

③資本主義の本質を見抜いていたマルクスもそのことを指摘している。晩期マルクスが残した研究ノートを詳細に検討した最近の研究結果(MEGAプロジェクト)によると、マルクスは、資本主義のシステムに代わるエコロジカルで持続可能性を重視した〈コモン〉を自分たちで共同管理するシステムを構想していた。

④これは従来のマルクスの資本論の理解(資本主義による恐慌と失業から社会主義革命が起こり、資本を管理する主体が資本家から労働者に代わり、共産主義社会が実現する)とは異なる。そしてマルクスが最晩年に目指したコミュニズムとは、 生産力至上主義を脱却した脱成長コミュニズムである。それは平等で持続可能な脱成長型経済であり、自然資本を含む協同体的富が地域に根差す非営利的で平等な市民により共同で管理される。

⑤私たちは資本主義を脱して、エネルギーや生産手段など生活に不可欠な〈コモン〉を自分たちで共同管理する「脱成長コミュニズム」に進まなければならない。

⑥脱成長コミュニズムの柱は以下の通り。

・使用価値経済への転換:「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する

・労働時間の短縮:労働時間を削減して、生活の質を向上させる

・画一的な分業の廃止:画一的な分業を廃止して、労働の創造性を回復させる

・生産過程の民主化:生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる、ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)により生産手段を〈コモン〉に

・エッセンシャル・ワークの重視:使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークの重視を

⑦「SDGs(持続可能な開発目標)」でも「グリーンニューディール」でも、成長至上主義がある限り、加速度的に進む環境破壊と温暖化は止められない。先進国で達成したかに見えても、そのツケは途上国に押し付けられるだけである。

気候危機と晩期マルクスの思想

本書は、気候危機に関連する詳細で豊富な情報を体系的に整理し、それと現在の資本主義が起こしている様々な問題の構造的連関を分析している。その切れ味は鋭くまた小気味よい。それが多くの読者を得た理由であろう。筆者も本書で展開された気候危機に関する危機意識の大部分を共有する。

しかし本書で紹介されている現代資本主義が抱える格差や貧困などの諸問題や新自由主義に対する批判は実は特に目新しいものではないし、また、私たちが現在直面している気候危機や経済格差に対する処方箋はすでに様々な形で提起されている。それを無理に晩期マルクスに関する論考に結び付けているとの印象はぬぐえない。また、いかにマルクスが先見性に富んでいたとしても、当時の科学的知見を前提とすると、地球の限界(プラネタリー・バウンダリー論)を予見していたとは想像するのは難しい。

本書のポイントの一つは、マルクス主義と生産力至上主義の切り離しである。従来エコロジー派とマルクス主義は必ずしも相性はよくなかった。なぜならばエコロジー派は定常経済論ないし脱成長論と親和性があるのに対し、マルクス主義と脱成長は、水と油の関係にあったからである。本書によると、「従来のマルクス主義では、コミュニズムは労働者が生産手段を奪還することで、生産力と技術を自由に操り、自らの生活を豊かにする社会として構想されていた。そのような社会は、脱成長とはあいいれないものとみなされていたのだ」。ところが斎藤は「マルクスが最晩年に目指したコミュニズムとは、生産力至上主義を脱却した平等で持続可能な脱成長型経済」であるとする。このように考えるとエコロジー派とマルクス主義との連合(赤と緑の連合)の実現性が高まる。

資本主義の枠内ではなく根本的変革が必要

本書では、気候変動の原因である資本主義の枠組みを維持したままでは、どのような弥縫策も気候変動危機を止めることはできないとする。そして、トーマス・フリードマンやジェレミー・リフキンの提唱するグリーンニューディールを成長志向の気候ケインズ主義と切り捨て、ジョセフ・スティグリッツの「プログレッシブ・キャピタリズム」(資本主義の公正で進歩的な改革)を「空想主義」と批判し、北欧型福祉国家に持続可能性を足した「脱成長資本主義」でも不相応とし、普通のリベラル左派の議論には退場してもらおう、とまでいう。そして、もはや段階的な改良では到底間に合わない、根本的な変革が必要で、「地球と生産手段を〈コモン〉として取り戻そう」、というのである。

では、地球と生産手段を〈コモン〉として取り戻すために斎藤はどのような処方箋を用意してくれているのだろうか。期待を込めて読み進んでもそれらしい記述になかなか行き当らない。わずかに世界各地で動き始めたコモンの共同管理の例として、ワーカーズコレクティブ(労働者協同組合)や、バルセロナのような「フィアレス・シティ(恐れぬ自治体)」の動きなどが紹介されている。

たしかにバルセロナの取り組みは画期的である。企業や国家を恐れない「フィアレス・シティ(恐れぬ自治体)」として水の権利を「コモン」として奪い返し、一旦民営化された水道事業を「再公営化」し、市民の社会的権利を実現させる運動を起こした。バルセロナでは、2020年1月に「気候非常事態宣言」を行い、2050年までに脱炭素化(カーボンゼロ)を目指している。さらに生活協同組合、共済組合、有機農産物消費グループなど「社会連帯経済」が実現し、製造業、農業、教育、清掃、住宅などの分野でも地域住民主導の街づくりへの模索が始まっているという。

コモンズやワーカーズコレクティブの理論と実践

ワーカーズコレクティブや「フィアレス・シティ」などの自治体からの取り組みは注目すべきであるし、その広がりを大いに期待したい。しかし残念ながらこれらのいくつかの動きによって現行資本主義システムが根底的に転換されうるとは到底思えない。コモンズの復権の意義と必要性、そして協同組合の役割については、筆者も大いに評価するものである。しかしコモンズや協同組合運動は、これまでもマルクス理論とは独立して存在し、世界各地でそれぞれ長い歴史をもっている。また、これまでのコモンズ復権の運動や協同組合活動のみによっては、斎藤が問題とする資本主義システムそのものを変えることができなかったことにも思いをいたす必要があるだろう。

晩期マルクスを持ち出すまでもなく、本書で取り上げられたコモンズやワーカーズコレクティブの理論と実践はこれまでにも存在してきた。たとえば、本書でも紹介されている宇沢弘文の社会的共通資本論では、大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどのインフラ、教育、医療、司法、金融制度などの制度資本を「社会的共通資本」と呼び、これらを市場原理に任せるのではなく国や地域で守っていくことが、人々が人間らしくが生きていく基盤となると主張している。コモンズ論においては、ノーベル経済学賞を受賞したエレノア・オストロムによる優れた研究がよく知られており、最近では地域コミュニティが共同管理してきたコモンズが解体過程で、いかにしてコモンズを再編できるのか探求と実践が進められている。

SDGsは大衆のアヘンか?

本書は「SDGs(持続可能な開発目標)は大衆のアヘンである!」との刺激的メッセージから始まっている。なおこれはマルクスが「宗教は大衆のアヘン」だと批判したことにちなむ。本書では「政府や企業がSDGsの行動指針をいくつかなぞったところで、気候変動は止められない。SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない」と断定する。果たしてそうだろうか。

たしかに企業が標榜するSDGs関連活動の中には、その本質とねらいを理解せず、表面的に自社の活動によってSDGsに取り組んでいるふりをする、うわべだけのSDGs活動も見られる。このような活動は「SDGsウォッシュ」と呼ばれるものだ。

またSDGsだけで気候危機をはじめとしたさまざまな危機を乗り越えられるわけではないし、個々人の身の回りからの取り組みのみでは持続可能な社会に移行できない。経済社会システムとライフスタイルの抜本的転換が必要で、そのための政策設計と実行が求められているのである。

だが実はSDGs自体に現行経済社会システムを根底から変革する思想が埋め込まれているのである。なぜならばSDGsに掲げられた目標を徹底的に追求していけば、強欲資本主義のあり方そのものを変えざるを得ないからである。

企業はSDGsウォッシュとの批判を受けないために、持続可能性を自社の事業戦略の中核に据え、事業を通じてSDGsの達成に向けた意欲的取組が求められる。逆にSDGsを活用することで、中長期的な価値創造戦略を再構築し、自社の持続可能性につなげることができる。

一方消費者は、企業が謳う「SDGsに取り組んでいます」という言葉に安易に飛びつかず、その事業が本当に持続可能性向上につながるか、情報は第三者機関によって評価されているか、透明性があるか、などをしっかりと見極めることが重要だ。うわべだけでない、本当に持続可能なビジネスを行う企業が評価される時代であり、企業にも消費者にもSDGsに関する高度のリテラシーが求められる。

いたずらに「SDGsは大衆のアヘンである」との警句を発することは、企業や市民の持続可能な社会への行動変容へ踏み出す一歩を押しとどめるマイナスの効果しかないだろう。

「市民議会」による民主主義の刷新は可能か?

本書ではフランスとイギリスでの「気候市民議会」をとりあげ、民主主義の刷新の事例として高く評価している。

フランスでは「黄色いベスト運動」の高まりに対応したマクロン大統領のイニシアティブで2019年10月から、英国では「絶滅への反逆」運動などを受けて英国議会のイニシアティブで2020年1月から始められたもので、国レベルで脱炭素移行に向けた市民参加の熟議が行われた。無作為抽出のくじ引きで選ばれたそれぞれ150人、108人の市民が、専門家から知識を吸収しながら熟議を続け、それぞれ8カ月、4カ月に及ぶ討議を続けた。フランスで2020年6月21日にまとめられた政策提言はマクロン大統領に提出され公表された。6月29日には大統領が提言を受けての基本姿勢を表明、その実現に向けた道筋を示した。一方英国では、6月23日に中間報告がジョンソン首相に提出され、最終報告書は9月に公表された。

気候市民議会は、参加型でかつ熟議型で民意を直接反映する試みとして筆者も大いに関心を寄せ、本誌でも紹介してきたところである。ただしこれらの取り組みは現行の代議制民主主義の枠内でそれを補完するものである。市民議会の提案の扱いは、あくまで大統領(仏の場合)や議会(英の場合)に委ねられる。議会制民主主義そのものの刷新とするのは過大な評価である。

 [注] 詳細な紹介は、環境政策対話研究所

「エコロジー的近代化」論は無力か?

斎藤は政府による市場への政策介入では気候危機への抜本的対策にはならないとの立場のようだ。しかしながら2050年に温室効果ガスをゼロにし、2030年までにそれを半減にするような目標の達成には、エネルギーミックスを大きく変えるための政府による大胆な市場への政策介入、財政資源の投入が不可欠である。

この点で想起すべきは北欧やドイツにおける「エコロジー的近代化」論に基づく取り組みとその経験である。

ドイツでは、1990年代初頭から、「エコロジー的近代化論」に基づき、環境分野への戦略的投資により技術革新、経済成長、雇用創出を目指す政策が導入されてきた。そして現在の「欧州グリーンディール」の思想的源流も エコロジー的近代化論 に遡る。

エコロジー的近代化論とは、持続可能な発展を近代化の新たな段階としてとらえ、近代化・合理化の帰結として発生した環境問題を、社会システムの政策革新によって解決しようとする思想である。エコロジー的近代化を実現する政策的な枠組みとしては、環境規制の強化、環境税の導入、グリーン消費行動の促進、環境に配慮した技術革新の促進、積極的な環境外交の展開が提唱され、これらの政策実現のために,政府・企業・市民の間の合意形成が重要であるとしている。

合意形成の過程で重視されるのが熟議民主主義であり、参加型民主主義である。民主主義深化とそれに伴う人びとの意識の根本的な変化、そして公共的課題に対する積極的な参加と関与がなければ、地球環境問題を根本的に解決することはできないとの認識があるからある。

このような発想から、ドイツでは積極的な環境への投資や規制枠組みにより再生可能エネルギーの拡大や経済発展を図る取り組みが、今日にいたるまで着実に積み上げられてきた。

なかでも1998年に誕生した社会民主党と緑の党による連立政権(「赤緑」政権)は、気候変動対策、自然エネルギー拡大、省エネルギーといった持続可能性にかかわる政策群を「エコロジー的近代化」のもとで推進した。特に、原子力の段階的廃止と自然エネルギーへの投資推進という画期的な法律を通したのである。2000年に最終決定した脱原発は、国内の原子炉を30年かけて段階的に閉鎖するという内容となり、自然エネルギーについては、自然エネルギー法(EEG)が2000年に通過し、自然エネルギーを幅広く促進する本格的な固定価格買取制度(FIT)が確立した。この制度の導入がなければ、今日の自然エネルギーの価格低下と爆発的拡大はあり得なかったであろう。

エコロジー的近代化論は、持続可能な発展と親和性が高く、その思想に裏打ちされた北欧やドイツなどでの取り組みは相当の成果を挙げた。しかし、これに対しては、斎藤も論じているように幾つかの批判がある。それは、西欧の先進国中心的な思考様式であること、科学技術の発展による経済発展や環境改善を自明視していること、環境効率を大幅に改善した技術革新が行われても消費が増えれば帳消しになってしまうこと、などである。

根本的な批判としては、20世紀後半以降の科学技術は生産拡大を不断に追及する社会システムに埋め込まれており、こうした社会制度の大きな変革がなければ環境破壊的であり続けるという点である。すなわち経営者や企業は市場での利潤を求め、専門家は意思決定過程での権威を求め、労働者や組合は雇用と収入の確保のために、結果として際限のない生産拡大を支持するというものである。

とはいえ政府による市場への適切な政策介入を有害無益と切って捨てるのは、あまりにも乱暴な議論であろう。

おわりに:マルクスと宇沢弘文

本書で展開された気候危機と資本主義的生産消費システムとの構造的連関の分析はそれなりに説得力があるものである。若き論客が著した本書によって、気候危機が人類の将来を左右し、現在の化石燃料依存文明からの脱却と、そのための社会の根底的な変革を必要とする問題との認識が広がり、脱炭素で持続可能な社会への移行のあり方に関するより豊かで幅広い議論が展開されることを期待したい。ただし脱成長コミュニズムへの移行策として斎藤が提案するコモンの復権やワーカーズ・コレクティブ運動などと晩期マルクスの思索を結び付けるのはいかにも牽強付会の感が否めない。

なお晩期マルクスが〈コモン〉の思想に行きついたとするならば、現代経済成長理論で世界的な業績を上げた宇沢弘文が、その後期において社会的共通資本論やコモンズ論を通じて人間のための経済の復権に努めたこととは偶然の符合だろうか。

 

参考文献

斎藤幸平(2020)『人新世の「資本論」』集英社

宇沢弘文(2000)『社会的共通資本』岩波書店

松下和夫(2021)『気候危機とコロナ禍:緑の復興から脱炭素社会へ』文化科学高等研究院出版局

スティグリッツ、ジョセフ(2019)『プログレッシブ キャピタリズム』東洋経済新報社

リフキン、ジェレミー(2015)『限界費用ゼロ社会』NHK出版

リフキン、ジェレミー(2020)『グローバル・グリーン・ニューディール』 NHK出版

まつした・かずお

1948年生まれ。京都大学名誉教授、(公財)地球環境戦略研究機関(IGES)シニアフェロー、国際アジア共同体学会共同理事長、国際協力機構(JICA)環境ガイドライン異議申立審査役、日本GNH学会会長。環境庁(省)、OECD環境局、国連地球サミット等勤務。2001年から13年まで京都大学大学院地球環境学堂教授(地球環境政策論)。専門は持続可能な発展論、環境ガバナンス論、気候変動政策・生物多様性政策・地域環境政策など。主要著書に、『気候危機とコロナ禍:緑の復興から脱炭素社会へ』(文化科学高等研究院)、『地球環境学への旅』(文化科学高等研究院)、『環境政策学のすすめ』(丸善)、『環境ガバナンス』(岩波書店)、『環境政治入門』(平凡社)など。

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