コラム/沖縄発
幻の対話
島ハーフの眼力
作家 玉木 一兵
あなたは誰ですか
僕はデニーDennyと呼ばれています
本名は玉城康裕です 沖縄県知事です
2018年に厳しい選挙戦を勝利し 翁長雄志の後継として就任しました
何故 あなたはデニーとよばれているのですか
はい 父が海兵隊員で母がウチナーンチュでなんです
父は僕と母を沖縄に残して アメリカに帰国したのです
60年安保闘争前年の暗い世情の真っ只中で 僕は生まれたのです
幼年期に父が呼んでくれていた愛称が デニーです
シングルマザーになった母には
信頼できる大姉のような友人がいました。
事情を汲んでくれたその友人に 僕は預けられたのです
僕はその養母を おっかーと呼びました そして
通ってくる実母を アンマーと呼んでいました
僕には 母が二人いたのです
養母の出自は旧与那城村饒辺ムラ 実母の出自は伊江島です
養母の父は南方で戦死 僕は残された兄弟姉妹を
ニーニー ネーネー と呼んで育ちました
実母はドル景気好調な基地の街に住み込みで働いて
僕の養育費を稼いでいたようです
養母のおっかーは 僕をかわいがり いろいろなことを教えてくれました
「カーゲーカードゥヤル」(人の容姿は一枚の皮でしかない。一皮剥けば、みな兄弟みたいに気持ちがかよいあうべきだよ。見た目で人を決めつけてはいけないよ)
僕も ハーフだ 混血だ アイノコだと理由もなくいじめにあったりしていましたので
おっかーのコトバが身に沁みて それが救いでした
生活を共にしたニーニー ネーネー達が身近にいた事も幸いでしたね 他にも何か
島クトゥバで勇気づけられた教えがあると聞いていますが
こんな言葉も 教えられました
「トゥーヌ イービヤ ユヌタケー ネーラン」十本の指はみな同じ長さではない。だからみんな個性があるんだ。十人十色なんだ。あんたがアメリカ人似の顔で生まれてきたのも個性なんだから、卑屈に思うことはないんだよ と。
僕は幼児期から十歳まで
南洋からの引き揚げ者であった養母・おっかーの
家族の一員として ナンヨウのウーマクー(腕白坊主)と呼ばれ
かわいがられて育ちました
その後僕は 実の母・アンマーと一緒に暮らすようになり
思春期の自己中心的ふるまいを 厳しくしつけられました
次のコトバが心に沁み定着しています。
「ミーイラー クビ ウーリ」これは、〈実るほど、頭をたれる稲穂かな〉という意味ですが、立場として人の上に立ったり、顔が知られて有名人になればなるほど、いつでも腰を低くしなさい、という意味です。
現在もこの境地です
あなたの精神性すなわち生活信条は
このふたりの母の民俗的慈愛に守られて 獲得されたのですね。
はい そうです 二人の母のこれらの教えの基で 僕の
「ウチナーンチュのチムグクル(肝心)」が培われたのです
そこに僕の魂の原点があるのです
その 魂の原点にあると思われる精神性によって導かれて
成人後のあなたの実人生は どのように展開していったのでしょうか
高校卒業後上京し 僕の心情を啓発する良縁に導かれて
上智社会福祉専門学校で学びました 卒後2年間福祉施設で働き その後
ラジオのパーソナリティとして活動した後
「徹底的に自分の人生に根差した生活を送ろう」と決意し
政治の道に踏み出しました
沖縄市議会議員(1期) 衆議院議員(4期)を経て
2018年秋 沖縄県知事に就任しました
思うに あなたの政治姿勢や思想信条は
両親がウチナーンチュである我々よりも
強烈なウチナーンチュ魂に貫かれている気がします
そしてそれが トランスパーソナルな
21世紀の現代社会を 沖縄が生き抜いていくために
知恵と勇気を与えてくれる気がするのです
それは 日米同盟下の抑止力増大による国家の安定を謀り
危うい平和の構築に邁進することでは ないのではないか
あなたはどう思いますか
僕は40代の初め頃 こんな大言壮語をしています。
ぼくは沖縄を、(すなわち)琉球弧すべてを、世界遺産に(したい)と思っている。(中略)奄美から与那国まで全部、歴史の世界遺産として残すべきじゃないかと思うんです。(中略)侵略の歴史だったり、交易の歴史だったり、言語の歴史だったり、大陸とまさに日本のつながりがそこにあると思います。琉球弧はもともと大陸の一部なんですから。そこには明らかな地球の歴史があるのですから。
今考えるとこの言は ぼくの出自のダイバーシティとトランスパーソナルな
独自の世界観国家観による歴史認識だった気がします
島ハーフとして自己を位置づけることによって
この地球上の片隅に自分の居場所を定めることで 自分の誕生を受容し
本来の自分になるのだと決意したのだと思う それには
ふたりの母とウチナー方言は 不可欠な魂の拠り所だったのだと思う
島ハーフという語感は確かに
沖縄の地に根付いた感じが濃厚で
差別化されたものではなく あなたの受容しているように
ブレンド化された 立派な県産品といった趣がありますね
島ハーフのあなたが獲得した視線は これからの沖縄の自治社会創造にとって
『人新生の「資本論」』で斎藤幸平さんが強調しているコモンの形成に
欠かせない視点ではないかと思う その視線を手繰り寄せれば
次世代の世界のウチナーンチュ達と交差する島嶼型市民社会を
この沖縄の地で構築することが出来る気がします
ところで今 民意の反対を押し切って辺野古新基地造成のための土砂採取をめぐって
沖縄戦で死んだ人々の骨の埋まった場所からの採取が 決行されようとしています
あなたはどのように対処する心算ですか
勿論 民意に則って反対の意志を表明するつもりですが
法的な判断をめぐって深慮せざるを得ない事態なので 即断はできにくい
何か名案はないでしょうか
名案とは言えませんが 今
今年10年目を迎えた あの東日本大震災と福島原発事故を想起し
そこで死んだ大勢の死者の声をきくことの尊さを 説いている人がいます
民俗学者の赤坂憲雄さんです
〈民俗学でいう鎮魂の作法がどれだけ生きているか。思いがけぬ形で民俗学が求められる時代かもしれません。今ここに生きている私たちはたくさんの死者の記憶を背負い、これから生まれる子や孫に対する責任を抱えていることを忘れてはなりません〉と。
死者たちの声を蘇生させる回想力を
今こそ 発揮する時ではないでしょうか。
そのためにも 断食を決行しているガマフヤー(洞窟掘り)
沖縄戦の遺骨収拾ボランティア
具志堅隆松さんの声を 傾聴すべきではないですか
同感です トランスパーソナルの視点から 知事就任後設置した
「基地問題に関する万国津梁会議」の専門家の提言を拝聴しつつ
総合的に判断する覚悟です 僕にとっては
沖縄の土に埋まった 膨大な数の戦死者の声を聴きとるという難題です
島ハーフの「僕の眼力」が試される覚悟の時 到来です
見ず知らずのあなたのご助言に 心から感謝申し上げます
チバリヨウ(頑張れ) デニーさん
ヌチドゥタカラ(命ほど尊いものはない)
(2021年4月6日)
【参考(引用)文献】
1「ちょっとひといき」玉城デニー 2002年 琉球出版社
2「沖縄・辺野古から考える私たちの未来」同上 2019年 高文研
3「せめぎ合いの中で~東日本大震災10年」赤坂憲雄 2021年25日 琉球新報文化欄
4『人新生の「資本論」』斎藤幸平 集英社新書 2020年
たまき・いっぺい
1944年那覇市生まれ。本名・昭道。那覇高校から上智大文学部哲学科卒。作家、精神保健福祉士(永く玉木病院に勤める)。主な作品に、「『私の来歴』(小説集)沖縄タイムス社2019年」、「『人には人の物語』(エッセイ・論集)出版社Mugen2017年」、「『三十路遠望』(詩集)あすら舎2017年」、「『神ダーリの郷』(小説集)NOVA出版1985年」、「『曙光』(小説集)琉球新報社2006年」など。
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