論壇
[君は日本を知っているか—16]
聖火リレーと聖上御巡幸
オリンピックはいかにして神聖化されているか
神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠
聖火リレーについての二、三の疑問
新型コロナウィルス感染症の流行が収まらず、感染者も死者も急増し、緊急事態宣言が出され、人流を止めるという掛け声が、連日、総理大臣以下各大臣・知事・市町村長等の口から発せられているにもかかわらず、人流を促進することを目的とするオリンピック聖火リレーが強行されている。コロナウィルス感染症対策のため、無観客にしたり、三密を避ける等の処置がとられたりはしているが、リレーの本質は繋ぐことにある以上、イメージあるいは意識として人流を止めるという掛け声にはそぐわない。掛け声の効果を高めるつもりなら、リレーは中止しますと言うべきであろう。
ところが、聖火リレーは止められそうにない。どんなに形骸化した無残な形になろうとも、同じところをぐるぐる回るどう見ても滑稽としか思われない形になっても、聖火リレーは続けられている。既定方針通り聖火リレーができなくなったということを報告するどこかの知事は、記者会見の場で人目をはばからず号泣していた。どうやらこれは、ただ事ではないようなのである。聖火リレーなどというものには何の興味もなかったが、号泣する知事の姿を見ていたら、急に何故だという疑念が湧いてきた。
聖火リレーはオリンピックの必須の行事なのか、それは何時から始められたのか、聖火は英語ではどういうのか、等々の疑問が次々に湧いてきた。こうした初歩的な疑問は、インターネットで調べれば、大体のところはすぐに分かった。
近代オリンピックが始まったのは1896年アテネ大会で、その時には聖火はなかった。大会中聖火を燃やし続けることにしたのが1928年アムステルダム大会から、それに開催国の国内巡回のリレーがつくようになったのが、1936年ベルリン大会。その趣旨は、古代オリンピックにならってということもあったようだが、主要な動機は大会を盛り上げるためのイベント企画という性格が強かったようである。第二次大戦後、ナチスドイツがオリンピックを国家行事として政治的に利用したという経過をふまえ、聖火リレーを継続すべきか議論があったというが、結局大会前の盛り上げイベントとして引き継がれたということらしい。
そういう経過から考えて、聖火リレーはオリンピックにとって絶対不可欠の行事ではないし、その実施は形式内容を含めて、開催者側に任されているのであろう。実際、今回の東京大会でも、大会そのものの中止か否かという問題とは違って、リレーの中止についての議論は自治体レベルの問題として、なんの制約もなく議論されている。
聖火というといかにもありがたそうで、侵してはならない神聖なものという印象を抱かせるが、そもそも、「聖」火という言い方はどこまで一般的なのかという疑問もある。
そこで、とりあえず英語の表現を調べてみた。出てきたのは、torch、flame、fire(松明、炎、火)の三語で、それにOlympicという形容詞がつくというのが普通の表現であった。sacredやhollyという「神聖な」を意味する形容詞がつく例もないわけではないらしいが、それは稀で、聖火という漢字表現の翻訳として現れるように思われる。ということは、聖火台、聖火リレー、聖火点火など一連の聖火にかかわる行事は、いわばオリンピックを盛り上げるための演出に属するイベントで、その中止で涙を流さなければならないような特別の行事と思われていないということなのである。
聖火リレーは何故聖化されたか
それでは、何故聖火リレーは特別の意味がある行事として挙行されるようになったのか。どうやらそこには日本だけの特殊な事情があるように思われてならないのである。実証が困難なことは承知の上で、あえて仮説を提示してみたい。
オリンピックは、古代ギリシャの起源をたどれば、神々に捧げる神事としての性格を持っていたのであるから、ある意味で神聖化の契機を含んでいたともいえる。しかし、近代の世俗世界はその神事としての性格を拭い去り、スポーツを通じた国際交流、そしてそれが世界平和の実現に貢献することを期待して「再建」した。したがって、特定の宗教との関係はもちろんあらゆる政治的対立も持ち込まないように注意がはらわれてきた。ところが、宗教の排除には成功したものの、オリンピックそのものの神聖化という新しい問題が出てきた。
本来の都市を基盤にしたオリンピックに、国家が介入し、その国家が絶対化されるに伴って、オリンピックが国家主義的政策に組み込まれ、いわば「国家による神聖化」が始まったのである。その傾向は、ベルリンオリンピックから始まったとされるが、程度の差はあれ、現在でもなくなってはいない。
それはともかく、オリンピックをそれ自体として特別の神聖な行事だとする傾向は、国際交流や世界平和と結び付けられ、いわば道徳的・倫理的意味が付与されることによっても強められる。国家的行事であり、道徳的・倫理的にも意義づけられるとすれば、単なるスポーツイベントを越えたものとして受け取られても不思議ではなくなる。第二次大戦後、敗戦国として平和と民主主義を実現すべき国民的課題としてかなりの程度受け入れてきた日本で、そういう傾向が強く現れてきたといってもよいのではないか。実際、筆者が大学一年生であった1964年の東京オリンピックの時にも「平和の祭典」ということが強調されていたという印象が残っている。もちろん、戦後復興を成し遂げたという誇りも強められたとは思うが、国威発揚的意識は希薄だったように思う。
オリンピック自体が神聖化すれば、聖火リレーもその一部として神聖化されても当然かもしれないが、日本では、聖火リレーとオリンピック本大会とは、連続的にとらえられているようである。今回の場合でも、聖火リレーを始めたらオリンピックはもう中止できない、というようなことがオリンピック関係者の口から出るのを聞いたことがある。これは、開催者側の国際オリンピック委員会との契約に含まれている義務なのかどうか筆者は不明にして分からないが、その関係者には、契約上の義務かどうかよりも、日本側の心構えとして主張していた印象が強い。
いずれにしても、大会と聖火リレーを連続した行事として考える背景には、何かがありそうである。それは、重要な行事を実施する場合、その場所を祓い清めるための神事が行われるという習慣・習俗と関係があるのではないかということである。相撲の場合、本場所が開かれる時、取り組みが始まる前日には、必ず土俵祭という神事が行われ、土俵を清め、安全を祈願するということが行われる。山では、登山シーズンの始まる頃には、山開きが、海では海水浴シーズンの前に海開きが、山の神、海の神に祈りを捧げるという神事として毎年行われている。
近代オリンピックは、宗教性を徹底的に排除しているので、地鎮祭は民俗行事であって宗教性はないというような理屈でオリンピック開会に先立って神道式の神事を実施することは完全に不可能である。そこで注目されるのが開会前の行事として行われる聖火リレーである。
「聖なるもの」としての火・松明を捧げ持って各地を巡るという形は、特定の神を祀る行為ではないので宗教性はないといえるし、すでにオリンピック関連行事として行われてきているので、そこに何か神事的なものの印象を受けるとしても、それはあくまで受け取る側の問題だと主張することもできる。オリンピックは巨大な利益を生み出す経済行為になっている現実を覆い隠すには、それを神聖化することほど有効なことはない。聖火リレーの神聖化はそのための便利な手段になりうるし、日本にはそうするための下地があったということである。
「聖なるもの」は巡幸する
聖火リレーが、神聖な行事として、それも全国各地を巡回するという形態で受け入れられるには、実は、もう一つ日本ならではの要因がある。それは、「聖なるもの」は巡幸するということである。その代表的なものが天皇による全国巡幸であった。近代に限っていえば、もっとも全国を巡回した天皇は、明治天皇と昭和天皇であろう。
明治天皇は、明治五年から十八年にかけて「六大御巡幸」とよばれる全国各地への長期の旅行を行っている。それは、維新後の人心の動揺を鎮め、国家統治者としての天皇の権威を国民の意識の中に浸み込ませることを中心的目的として実施されたと言われている。
こうした君主が全国各地を視察して巡回するという行為は、中国の王・皇帝による巡狩という支配地域の山岳・大河の神々を祭り、自らの支配の正統性を人民に知らしめる行為に歴史的典拠があるとされる。
日本では、古代の天皇による「国見」などもそれに準ずる行為とされていたが、時代が下るにしたがってそうしたことは行われなくなり、近世徳川幕府支配下では全く廃絶し、天皇は危急の時以外には御所から一歩も出られないことになってしまった。王政復古を掲げた維新政府は、古代天皇制の復活を企てると同時に天皇を頂点とした中央集権国家の建設を目指した。したがって、天皇巡幸は古代宗教的要素も組み込まれることになった。各地の天神地祇を祭り、忠臣・節婦・孝子を顕彰し、国土の繁栄を寿ぐ等の行為が行われた。比喩的に言えば、日本の近代国家建設のために全国各地を祓い清めに巡回したようなものである。
昭和天皇の場合は、敗戦後の混乱の中で国民の意識を国家に繋ぎ止めるという役割が負わされていた。片手に持った帽子を上げながら、今では驚くほどの身近さで国民に接している姿は、聖なるもの、聖上というイメージとははるかに遠いが、とにかく戦後復興のために必死の努力を続けているという印象はあった。また、移動手段としての列車や自動車もはるかにのどかに走っていたし、天皇が一番国民に近かった時と言ってよいかもしれない。それは、戦争の罪穢れを祓うという贖罪的意味すらもった可能性がある。
現代の日本は、こうした二人の天皇の全国巡幸を祓い清めのための行事として挙行することからスタートし、その二つのスタートがイメージとして重ねあわされ、繁栄の道が開けてきたように見える。半世紀以上も前の東京オリンピックの時は、昭和天皇の全国行脚のイメージがまだ色濃く残っている時期であった。
新幹線と高速道路によって移動の速度が飛躍的に上がり、巡幸のイメージが希薄になり始めるきっかけになったが、まだ、巡幸が現実感を持っていたといってもよい。聖火の全国各地巡回と天皇の巡幸を重ね合わせて意識した者は極めて少なかったかもしれないが、意識下の世界でなにがしかの影響を及ぼしていたことを全面的に否定することもできないだろう。
選ばれた聖火を運ぶ人々
聖火リレーが実施されるか、中止されるかという状況の中で、明らかになってきたことがある。その準備がいかに大変であったか、また、相当の予算がかけられているかということがあった。それはそれで、コロナウィルス感染症対策との関係で果たしてどうなのかという問題はあるが、もう一つ、聖火リレーのランナーがどういう人々であったかということも気になった。
明治天皇巡幸の場合、その実施規則によれば、忠臣・節婦・孝子および地方の振興に功績があった者などの調査・書き上げが求められ、それに基づいて巡幸の際の顕彰が行われた。それは、人心収攬の手段であり、国家による国民教化の方法でもあった。それとまったく同じことが行われているわけではないが、聖火リレーのランナーも明らかに意図的な選別が行われているのである。
筆者などは、ランナーは当該地方出身の有名芸能人・アスリートや体育関係団体からの推薦者、学校関係者などの多少の枠があり、大部分は公募に応募した者の中から抽選などで当たった者であろうなどと思っていたのであるが、どうもそうではないらしい。たしかに、公募はするが、そこから一定の基準で選考するという手順になっているらしいのである。原稿の締め切りが迫り、調べている余裕がなくなってしまったので、ネット上にたまたま残っていたある県の応募要項によるしかないが、そこにはこんな基準が掲げられていた。
まず、ランナーについての基本コンセプトとして、「ひとりひとりの希望の光をつなぐ」ということが掲げられ、つぎに三つの条件が提示される。第一に「過去を大切にしながら未来を創る゛地域の時をつなぐ人゛」、第二に「スポーツチームや団体や組織で活動を通じて゛地域の人をつなぐ人゛」、第三に「伝統的な技術やこれまでの習慣を生まれ変わらせて゛地域の技をつなぐ人゛」の三つがあげられている。
ようするにキーワードは、「過去」、「スポーツ」、「伝統」そして「つなぐ」の四つである。筆者のように、スポーツには無関係で、敢えてはつながることを求めない人間は、応募しても排除されることは確実だろうし、この基準を当てはめて選考する人間が、前の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長のような人物であったら、差別的ナショナリストばかりが選ばれることになってしまいかねない。
そもそも基準を設けること自体に問題がある。また、それが抽象的であればあるほど恣意的になりかねず、具体的にしようとすれば特定の立場に偏らざるを得なくなる。聖火リレーを主宰する者が、どれくらいそのことについて真剣に検討したのか分からないが、日本においては、いまだに聖火リレーが聖上巡幸の現代版になりかねないことだけは忘れてはなるまい。
きつかわ・としただ
1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任。現在名誉教授。本誌前編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。
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